鍛冶屋修行③
チュンチュン……という小鳥のさえずりが眠りの薄皮を突く。ムニャムニャ、せめて昼まで寝かせてくれ……と夢うつつに食い下がるアシュリーは、そう言って寝返りを打とうとした。
「おい」
低い声と共に、頭を拳でどつかれた。んお!?0 と目を白黒させて飛び起きると、半目のベリックがぼやけた視界に写った。
「いつまで寝てやがる。もう朝だぜ」
「あ、あさ? んぇ――!?」
目頭から目クソをほじくり出しながら、アシュリーは自分が置かれている状況を確認した。眼の前には黒ずんだ水を湛えた水桶があり、右手にはしっかりと昨日のナイフが握られていた。どうも、刃物を研ぎ疲れた自分は、今の今まで工房の流し台に突っ伏して寝ていたらしい。
周囲を見回した。まだ工房の中は暗い。火床の赤い光のおかげでぼんやりと周囲のものの輪郭が確認できる程度である。
「あ、朝って……まだ夜中ではないか、大袈裟な……」
「バァカ。俺が朝って言ったら朝なんだよ。鍛冶屋は早起きって相場が決まってんだ」
滅茶苦茶な言い分には違いないが、事実ベリックは既に火床に火を入れていた。寝くたれていた自分よりも遥かに早く起きていた違いない。
「わかったら早くツラ洗え。顔中ヨダレだらけで気が滅入らぁ」
「んぐ、う、うるさいなぁ――」
「そういや今日から俺の身の回りの雑用はお前がやってくれるんだったな? まずは水汲みだ。井戸から水汲んでそこ置いた樽を一杯にしとけ。次は石炭を納屋から工房に持ってきて積んどけ。それが終わったらメシ炊き、汗かくんだから塩はたっぷり使えよ。それが終わったら掃除に洗濯に薪割りに昼飯夜飯……」
「お、おい!」
「あん? なんだよ」
「こ、このナイフはいつ研げというのだ? 引き渡しは一週間後だろう?」
「好きな時間に好きに研げよ。そりゃお前の仕事なんだからな」
ぴしゃりと言われて、抗弁する間もなく「そら、行った行った」とベリックに尻を叩かれ、アシュリーはよろよろと外に出た。山向うはようやく山稜が赤くなりつつある。どうやら本当に朝ではあるらしい。
自分から言い出したことだとはわかっていたが、しかし――雑用仕事である。一応これでもかなり身分の高い騎士であるはずの自分を、まさかここまで特別扱いするつもりがないとは――。
とりあえず、寝ぼけ眼で井戸端に向かう。井戸があった。ふぁーと間抜けな顔で欠伸をかき、目をしばしばさせ、老婆のようにくっちゃくっちゃと口を開閉しながら、井戸に釣瓶を落とす。ぽっしゃーんという小気味よい音が開かない目に気持ちいい。あぁ、気持ちいいなぁ……とアシュリーは考えた。ただでさえ朝は清々しくて気持ちがいいものだ。朝というよりもまだ夜だけど、この気持ちは本当にいい気持ちだ。これに暖かな毛布の感触があればもっと気持ちいいのだが――ZZZ。
スコーン! とこめかみに何かが直撃し、アシュリーの眠りの王国が一瞬にして崩壊した。ウギャ、と短い悲鳴を上げてうずくまると、足元に真っ黒な石炭の塊がひとつ落ちていた。
「ボーッとしてんじゃねぇ、もうすぐ夜が明けるぞ雑用」
姿なきベリックの声が外まで響いてきた。何か言おうと思ったが、ベリックは既に熾火を起こし、仕事の準備に取り掛かっている。鍛冶屋が朝早いというのはどうも本当の話らしい。ぐぬぬぬ……と涙目になりながら立ち上がったアシュリーは、釣瓶縄に縋るようにして水汲みを開始した。