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Night of RED MOON ―Dead fate―  作者: 紫龍
Declub side
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鉱山の町 エニムへ


薄闇が明け、朝日が顔を覗かせかかっている時刻、遠くに見える山を見据えた。その山は人工的に作られた洞窟や足場がかけられている、いわば鉱山で麓に町がある。気乗りはしないが、あそこに戻る他あるまい。懐に皺だらけのぼろ紙を仕舞う。

「明日の朝、我々は鉱山の町、エニムへ向かう。理由は二つ。一つ、生活必需品が確保できること。二つ、帰国手段の手掛かりが得られる可能性があること、だ。そこならば比較的安全だしな。明朝、日が昇ったら出発だ。いいな?」

昨夜の内に、女に告げた予定と目的だ。全く伝わってはいないだろうが、言葉に出すことで目的は明確化された。

寝床で静かに寝息を立てる女の肩を揺する。女は目を擦りながら上体を起こし、首を傾げた。目的地の方角へ指差し「行くぞ」と声をかけ、必要物品を入れた鞄と護身用に斧を持ち出発した。


正確な距離は不明だが、エニムまでさして遠くはなく、徒歩でかつ休憩を挟んでも日中に到着する筈……と思っていたが、唸り声に身構える。

斑模様の犬が群れを成して寄って来ていた。涎を垂らしながら、こちらを睨んでいる。女に斧を押し付け、一歩前に出る。群れの先頭の犬が勢い良く飛びかかってきた。それを切掛に次々と犬が襲いかかる。先頭の犬を蹴り上げ、別の犬が大口を開けて飛びかかるのを右腕で防ぐ。無数の牙が肉に食い込み、痛みに歯を食いしばる。骨を噛み砕かれる前に犬ごと腕を振り下ろし、地面に叩きつけた。気絶した犬をそのまま鷲掴み、迫りくる犬どもを薙ぎ払う。振り返り際、女が斧を振り回しているのが見えた。斧に怯む犬もいるが飛びかかるのは時間の問題。鷲掴みしていた犬を投げつけ、女を狙う犬にぶつける。

「走れ!」

女の手を取り、先に見える低木の方へと向かい駆け出した。低木の幹に辿り着き、先に女を押し上げる。幹から分かれた太い枝にしがみつく女が必死に手を伸ばす。

「ディクルブっ!!」

悲痛な叫びが耳をつんざくと同時に、追手の犬が逃げ遅れた獲物に飛びつき、その首元に噛み付いた。


数多の肉食獣は獲物の首を狙う。首が一番脆く、正しく息の根を止めるにうってつけの弱点であると知っているからだ。現に今、鋭い牙は息の根を止めんと首元に喰らいつく。しかし、容易に噛み砕くことは叶わない。

開いた喉に右腕を捩じ込んで、嗚咽する犬の腹を蹴り上げる。別の犬が噛みつかんと己に迫った、その時、鋭い枝が飛び、犬に当たる。剛毛に刺さることはなかったが、犬の気が逸れた。その隙にその犬も蹴り飛ばした。

理由は定かではないが、犬は覚束ない足取りでその場から逃げ去った。脅威は去ったことを確認し、汗ばむ額を袖で拭いながら木を背にし、座り込んだ。

元からぼろぼろだったが、更に服が朽ちてしまった。襟の留具が使い物にならない。隠していた首元に、その冷たい感触を確かめるように触れる。首に嵌まる黒鉄の首輪に。


前述の通り、人々はそれぞれ能力を賜っている。しかし、中には能力を持たない"無能"も存在する。無能の者は神の力を授からなかった愚か者として、奴隷に成り下がった。そうすることで国の繁栄を図っていた。今はもう奴隷制度は廃止されている筈ではあるが、この首輪は奴隷だった証――触れる度、その苦い記憶が蘇る。未だに縛り付けられる枷にまた助けられるとは、本当に皮肉でしかない。


「ディクルブ…!?」

頭上から降ってきた声に、思考は現実に戻された。慌てて木から下りた声の主は、黄金色の髪を振り乱しながら、鞄から葡萄酒を取り出した。何をするかと思えば、右腕に受けた咬み傷に赤紫の酒を垂らす。酒特有の嫌な臭いが鼻につき、腕の疼きも相まって顔をしかめる。そして、女は自身の服の裾を斧で切り破り、それも酒で染め、包帯代わりにした。そこまでして介抱する理由がわからず、ただ呆然と眺める。

他にも怪我はないかと、蒼い瞳と白い指で確かめるように首元を撫でる。その指を払い、破れた襟で首元を隠しながら立ち上がった。

「問題ない」

己の言葉に、女は何やら言葉をまくし立てるが、内容は理解不能だ。その蒼い瞳から小さな涙が零れ落ちていた。


目的地に向け歩を進め、一刻程経っただろうか、空が赤く染まり始めた頃、ようやく辿り着いた町エニム。深く息を吐き、躊躇いを抱く足に鞭を打ち、害獣避けに立てられた柵に囲まれた町の門の先へ踏み入れた。綺麗な塗装はされていないが、平たい石が道を作っていた。石造または土造の家が不規則に並び、高さは建物によって様々だ。今日は路上に市場が立ち、賑わう人の姿が見える。

一際目を引いたのは、広場の傍らに立つ教会だった。尖った屋根の下の鐘が重い音を立てて鳴っている。様々な人が集まり祈りを捧げる場所、情報は集まりやすい筈だ。背の高い教会の扉をゆっくりと開ける。

色とりどりの硝子から差し込む光が、大理石の床を照らしていた。規則的に並べられた長椅子には、祈りを捧げる者が数名座っている。扉から真っ直ぐ進んだ先には、石像が飾られていた。真円の球体を人々が支えるように掲げる像、神の象徴だ。

「おやおや、見ない顔ですね。お祈りですか?」

奥の扉から出てきた老人にそう声をかけられた。白髪の短髪で、年相応の皺だらけの顔で優しく微笑んでいた。服装は黒に染まった司祭服、ここの神父なのだろうか?老人の栗色の瞳が己の右腕を注視し、神妙な面持ちとなる。

「ふむ……訳ありのようだ。こちらにいらっしゃい。傷を診ましょう」

「問題はない。それよりも、宿を探しているのだが」

「なら丁度、空いている部屋があるので、身体を休めていって下さい」

見ず知らずの人間を匿おうなど、怪訝を抱かないわけがない。警戒を顕にし睨む己に対し、老人は優しく笑みを浮かべて。

「神の御膝元で粗相な真似は致しません。どうぞ、こちらへ」

吹けば折れそうな老体に関わらず芯の強い眼差しに、己は後ろ髪をかき上げ、溜息をついた。


通されたのは教会の奥、老人の居住区らしい、簡素な生活用品が並んでいた。用意された椅子に腰掛け、右腕の袖が剥がされた。

「滲みますが、我慢してくださいね」

赤い肉が剥き出しとなった咬み傷に液体がかかると同時に、酒臭さとその痛みに思わず呻く。その後、深緑色の葉を傷にかぶせられ、その上から包帯が巻かれた。

「肩にも傷がおありのようですが、痛みの程は?」

「別に……」

老人は傷を診ようとその痩せ細った指を伸ばした。その指が襟元に触れかかった瞬間、己は反射的にその手を振り払い、身を引いた。親切心は理解している、してはいるのだ。老人は申し訳無さそうに眉を下げ、「失礼致しました」と軽く頭を下げた。


「申し遅れました。僕はこの教会の司祭、エビン=イーパーと申します。今晩はこの部屋をご利用ください」

案内されたのは客室だ。清潔に整えられた寝台一つに、柔らかな布を張った長椅子、窓際に小さな机と腰掛けが用意されていた。衣装棚には様々な服が入っており、老人曰く、若い頃に着ていたが、もう着ないため自由にして良い、とのこと。司祭服にはなるが、全身を覆い隠せそうな黒い衣装を見つけ、それに袖を通す。首元を隠すように襟を立て、留具をかけていると、浴室を借り終わった女が客室の戸を開け、姿を見せた。手拭いで濡れている髪の水気を吸い取りながら、こちらに爽やかな笑顔を向けていた。汚れた服も一新され、裾の長い寝間着がよく似合う。

女は己に歩み寄りつつ右腕を指差しながら、憂いを帯びた表情で見つめていた。「問題ない」、そう冷たく言い放つと、不意に女の手が額に触れた。まるで我が子の熱を確かめる母親のような――己は思わず身を引く。寂寥感のある微笑みを浮かべた女は、母国語で『ありがとう』と紡いだ。

「……灯り消すぞ」

ゆらゆらと揺れている蝋燭の火に息を吹きかけた。静寂の闇を唯一照らすのは、窓辺から差し込む月光のみだった。


女は寝台に横たえ、静かに寝息を立てていた。起こさないよう、慎重に戸を開ける。闇に慣れた目をこらし、薄闇の廊下を渡る。扉の隙間から灯りが漏れ、ちらりと覗き込めば、居間に老人が腰掛けていた。その向かいに壮年の男が座っていた。話の内容は聞き取れないが、やはり何か目論みがあるやもしれない。そのまま通り過ぎ、廊下の突き当りに教会へ繋がる扉がある。内鍵を外し、教会の聖堂も通り過ぎ、町へと出た。

夜風が冷たく吹きつけ、賑わいに満ちていた市場も閉じられた今、ここに佇むのはただの閑静とした空間のみ。誰一人いない広場に立ち、首に触れる。ここで失われた命など気にも留めず、日々誰かがこの地を歩いているかと思うと、虚しくて仕方がない。

足を進め、目的もなく町を見回る。後ろへ振り向き路地の先を見やるが誰一人いない、本当に静かな住宅街だ。様変わりした町並を歩く内、気がつけば見覚えのある通りに辿り着いてしまった。この道には確か……、小さく息を吐き、意を決して足を踏み出した。

建物が規則的に並ぶ一角で、そこだけ切り取られたかのように何もなかった。人を隔てるべく立てられた柵の向こうは、瓦礫の間から雑草が生えた、何もない空地、それを目の当たりにして、虚しさなのだろうか、安心なのだろうか、何とも言えない心地となった。柵を乗り越え、確かめるように踏み込む。一歩、一歩と進み、小石や砂利ばかりの地面へと横たえた。


冷たく吹きつける風、夜空を彩る星、少し欠けた月、全てが己に問うてくる。

『何故ここに戻った?』

その答えは、実に自分勝手なものだ。自分の存在意義も見出だせず、人と交わることのない荒地で放浪し逃げ続けた。今更とは思う、しかし何か切掛を探していたのも事実。それを得て、今ここにいる。

月に手をかざし、握り潰すように拳を作った。


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