PLAY16 オヴリヴィオン②
「そんなことがあったのか……」
「……はい」
ヘルナイトさんに事の事情を話すと、ヘルナイトさんは私を見降ろして、走りながらこう言ってくれた。
凛とした音色でヘルナイトさんは言う。
「……ハンナ。これは予測できなかった事態だ。お前のせいではない」
「……それは、そうです……。でも」
「私も予測できなかった。そして――相手も相手だ」
「?」
ヘルナイトさんは前に視線を戻して、走りながら言った。
「――人間が、神を牛耳ることはできない。それは、神に対する……。冒涜だ」
罰が下る。
そうヘルナイトさんは凛としているけど、それでいて悲しい音色を混ぜたはっきりとした音色のそれで私に言わず、誰に対してでもないその言葉を零した……。
◆ ◆
先に行かせたマティリーナはティックディックに対して――有利な体制で戦いに臨んでいた。
というより……、マティリーナはティックディックを弄んでいた。
弄ぶという言葉は嫌な響きかもしれない。が、ティックディックからしてみれば……、その言葉が正しいかもしれない。
なぜなら……。
「っは! はぁ! だぁ! くぞ!」
「なんだ……。もう終わりかい?」
マティリーナはその場から動かず、ティックディックが投擲した刃物をやすやすと叩き落としていたからだ。
おかげで彼女の周りにはティックディックがあげてしまった武器がたくさん落ちている。
が、それを拾わないマティリーナ。
結局な話、その武器を拾って攻撃すればいいのだが、マティリーナは自分の得物でもある煙管しか使わない。ポリシーなのか、それともそれしか使えないのかわからない。
だからこそ、ティックディックにとって、その行動は苛立ちを募らせるものでもあった。
(くそ……っ! さっきから命中率を上げる『命中強化』。腕力を上げる『腕力強化』をしているにも関わらず、あの婆は汗ひとつどころか涼しい顔をして叩き落としている。俺の得物を、蠅叩きのように……っ!)
(なんつう身体能力してんだよ……っ! あの婆……っ!)
ティックディックは仮面越しに顔を歪ませ、腹の中にある得物を取り出そうと胴体を開けようとした時だった……。
「あんたに一つ聞きたい」
「っ!?」
唐突な質問。
マティリーナは涼しい顔で、今まさに跪いて息を荒くしているティックディックに向かって聞いた。
――なんて顔してんだい。
そう思いながらマティリーナは口を開く。
「なんであんたは、そんなに消極的なんだい?」
「……あぁ?」
その言葉に、ティックディックは(何を言っているんだこの婆は)と、悪態をつきながらいつものように仮面越しの笑みを浮かべて、彼は明るい音色でこう言った。
息は荒いがそれでも虚勢だけは張れる。そう意気込んで――
「何言ってるんだ? 俺は結構積極的だぜ? この国の国王様を殺した暁に、ライジンも牛耳ってアズールを支配。ぶっ飛んではいるが、俺達オヴリヴィオンが世界の支配者になる。こう言ったものはラスボスがするようなことだが、今にしてみれば」
「そうじゃないよ」
「?」
マティリーナは言う。ティックディックを見て……。彼女は言った。
「あんたから、何も感じないんだ。たった一つを除いてね。まるで、感情を失っているようだ」
「なんだそりゃ?」
ゆっくりと立ち上がって、ティックディックはマティリーナに聞く。よろめきながら、彼は聞いた。
「何も感じない? よくわかんねーことを聞くな。年を食うとそんな意味深なことを言ってしまうのかい?」
「年寄りをバカにすんじゃない。あとあたしゃそんなに老いぼれじゃないよ。言葉通りとは言えない。でもね……、死にたいっていう感情もない。生きたいっていう感情もない。楽しいっていう感情もない。ただあるのは……」
すっと目を細めて、マティリーナは言った。
「あんたにあるのは――おぞましいくらい悲しい憎悪しか、感じられない」
最初に見て思った。そうマティリーナは言った。
ティックディックの雰囲気が、黒く染まったことに気付きながら、彼女は言葉を続ける。
「何があったかは、個人のこともある。だから聞かないけどね……。あんた、あのイブニングドレスの女のこと、結構気にかけているじゃないか?」
「っ!」
その女のことを口にした瞬間、ティックディックはダンッと地面に左足を踏みつけ、感情のまま彼は声を荒げた。
「な、何でそんな……っ!」
「それが、あんたの感情なのかい? あんたがあの女に対して抱く感情なのかい?」
マティリーナはギルド長だ。
ゆえにアムスノームにきた新しい冒険者のことは覚えている。なにせ、そこには二十一人しかいなかったがゆえに、彼女にとってすれば、その人数を覚えることなど動作もなかった。
しかし、その中でも一際目立っていた……、否。目に留まったのが……。
ティックディックだ。
その視線の先には――イブニングドレスの、それでいてそのギルドで唯一女性の冒険者だった女性。
その視線はまるで……。
「あんたは、ここでこんなことをする男じゃないはずだ」
マティリーナは悟らせる。ティックディックに、悟らせようとする。
こんなことをするな。そして……。
こんなことをしている暇があるのなら、今すべきことを考えろ。
そう彼女は言い聞かせたかった。
が。
「……っは」
ティックディックは、仮面越しで鼻で笑い、そして……、けたけたと、力なく彼は笑う。
それを聞いていたマティリーナは、「何かおかしいんだい……?」とティックディックに聞いた。
ティックディックは、力ない笑いをやめて首を横に振り……、ティックディックは仮面越しで口を開いた。
「ここでこんなことをする理由はな、もう一つある。だからこそ、俺はこのオヴリヴィオンにいるんだ」
「理由?」
「欺くため」
「?」
マティリーナは首を傾げ、煙管を握る手に力を入れる。しかしティックディックは、そっと手を出した。
手を出す……。それは――
待て。
そう言った掌を見せる手の形と動作で、マティリーナを止める。
それを見たマティリーナは、握る力を緩める。
ティックディックはそれを見て、彼は一言……彼女に聞いた。
「あんたに聞きたいことがある。あんたがもし、大切な人を誰かに、意図的に奪われたら、どうする?」
「……そう言った経験はないからね。でも、もしそうなったら――あたしゃそいつを許せなくなるかもしれない」
「俺はな――今でも許せねえ」
殺したいくらい……、許せねえ。
そうティックディックは言った。怨恨の音色を乗せて……。
それを聞いたマティリーナはぐっと身を強張らせる。それを見ていたのか、ティックディックは「安心しな。あんたは違うから」と言って話を続ける。
どこからか轟音が聞こえた気がした。しかしわからない。
それくらい……、二人は話に集中していた。
「あんたのようなコンピューターに話しても、俺の怒りや憎しみが和らぐようなことはない。けどな、これだけ言いたい気がしたんだ。聞かなくてもいいけどな……。俺にはな……、将来を誓い合った奴がいた」
誓い合った。それが指す言葉は……。
「……恋人、かい?」
「ああ、恋人だった」
「だった……?」
過去形。
その言葉に、マティリーナは段々とだがティックディックの闇が見えてきた気がした。
ティックディックは言葉を続ける。
「だったんだ……。そいつは、幸せの絶頂に……、結婚式の当日に……、自ら命を絶った……っ!」
「っ」
――なんて、むごい……。
そうマティリーナは思った。ティックディックもふつふつと湧き上がってきたのだろう……。今まで隠してきた憎悪が今になって湧き上がってきたのだ。
噴水のように、マグマのように熱を持って吹き上がってきて……。
「……肌の色が違うだけだった……。愛し合っていた……っ! なのに! あいつが遺した遺書には――こう書かれていた……っ。『ごめんなさい。愛し合えなくてごめんなさい。あなたを苦しませてごめんなさい。弱い私を許してください』! それがどういう意味か分かるか? 誰かに何かされたんだって思った。俺はその情報を洗い流して、あいつを苦しめたやつを探した! けど、すぐそこにいたんだ……」
そうだよ!
ティックディックは叫んだ。まるでそれは、悲しさを表した、ドラゴンの咆哮のように……。
「――あいつを苦しめたのは、あいつを殺したのは……っ! 今この町を牛耳ろうとしているくそ坊ちゃんだっっっ!!」
苦しい過去。悲しい過去は、何度も聞いてきたつもりのマティリーナでも……、こればかりは荷が重く感じられた。
他人として聞いてても、ティックディックの信念……、否。執念なのかもしれない。
殺した存在のもとで、偽りの仮面をつけてその場所にいるティックディックはきっと今の今まで……、復讐しか考えていない。
その復讐にも様々なものがある。
が、こればかりは悲しいものでもあった。
恋人を屠った人物の下で、靴を舐めるような仕打ちを受けつつ、彼はずっと耐えてきた……。
その時……。
仇討ができる機会を、待っていた……。
何という執念深さ。
何という、悲しい生き方をしてきた冒険者なんだろう。
もし、ここにハンナがいれば、きっと彼女は必死に彼の復讐を止めるだろう。
――ここにいなくて正解だった。
そうマティリーナは思った。
そして次に出た答え。それはいつぞやか言っていた女のこと。その女はティックディックにとって……、似ていたのだろう。その恋人に……。
そう思った時だった。
「何もできなかった! 何か支えることができなかった! 肌が違うから愛してくれたあいつを殺したのは……、あのくそ野郎だ! 思い上がりでこんなことをするとは思っていなかったが……、今分かった。これは、チャンスだって」
ようやく――。と。
ティックディックは『けたり』と、仮面越しで狂気の笑みを作り、その笑みを感じたマティリーナはゾワリと来た背筋の悪寒を感じて、彼女は叫んだ。
まずい! そう思い声を荒げて叫ぶ。
「やめときなっっ! それは――」
「ああ、今すべきことはこれじゃなかったな。ようやく分かった」
ティックディックは、マティリーナを見ずに、彼はとある方向を見て、そして、開いた胴体に手を突っ込んで、何かを探す。
それを見て、マティリーナは左手首に手をやる。彼女が掴んだのは、黒いバングルに銀色の瘴輝石が埋め込まれたアークティクファクト。それを取ろうとした瞬間だった。
ティックディックは胴体から白い瘴輝石を取り出し、それを手放して、足でガンッと地面に向けて踏みつけた。ところどころに、破片が飛び散りそうなくらい、強く踏みつけて。
彼は言った――
「マナ・エクリション――『煙石』」
と言った瞬間、彼女達を覆うように白い煙が辺りを包む。
「っ!」
マティリーナはそれを感じて口を塞ぎ警戒態勢になるが……、それは駄目な行動でもあった。
「それじゃあな。そしてありがとうな」
「!」
どこからか聞こえたティックディックの声。
それを聞いて耳を澄ませて辺りを見回すが、煙のせいでよく見えない。その間にもティックディックは彼女の横をすり抜けて、その場を後にしてその復讐の対象でもある男のもとに足を進めていた。
煙が消えた時、すでにティックディックの姿はなく、マティリーナはそれを見て……、溜息を零した。
「感謝なんて、されたくないね」
そんな復讐のために、あたしは悟らせたんじゃない。
そう苦々しく言い、マティリーナは自分の左手首のバングルを見る。
その表情は悲しさと複雑さ、そして……無力さを痛感したような、そんな苦しい表情だった。彼女一人の時にしか見せない。そんな表情だった。
その頃ティックディックは夜の燃える街を走りながら、とある決意を抱いて鼓舞していた。
(そうだよ。そうだ! もうこうなってしまえば逆も然りだろう!?)
(あの野郎が牛耳った時、俺が背後からあいつを刺せば……、復讐も終り、あいつも報われる! そして、あいつだって傷つかない!)
(もうあんな思いはしたくない)
(俺があいつを葬って……、もうあんなことを二度と起こさねえ)
(そうすれば……、誰だって幸せだろう? なぁ?)
(グレイシア。ロフィ)
マティリーナの言葉のせいなのかはわからない。
しかしティックディックは正常な思考が定まらないまま……、彼もハンナ達と同じ所に向けて足を進めていた。