PLAY144 MESSED:Ⅴ(A climax)④
圧し折れる様な音が聞こえた。
それはシルヴィの耳にも届き、自分の体が折れてしまったと思っていた。
何せ目の前が真っ暗になり、それと同時にこの音だ。
そう思わない方がおかしい。
だが、シルヴィは混乱していた。
もし、自分の体が折れてしまったのなら、体力はゼロになっているはずだ。こんなにも明確な意識があるのはおかしい。
そして――その痛みがないのもおかしなことだ。
――なんだ? どうして痛くない? どうして、意識があるんだ?
シルヴィは思う。
時間が遅くなるような、そんな錯覚を感じながら彼女は思っていた。考えていた。
――あの時、確かに私の目の前に迫っていた。
――眼と鼻の先にあいつの顔があって、その顔を見た瞬間………。
――あぁ、ここから記憶が途切れている。
――一体何があったんだ?
――一体、あの音が出た瞬間、何があったんだ?
思い出すと同時に浮かんでくる記憶の途切れ。
その途切れは本当に記憶がない瞬間であり、シルヴィはそれを体験していた。
一瞬のうちに別の世界が広がっている。それが今まさに目の前で起きているのかもしれない。
実際シルヴィは記憶の出来事と、今自分の身に起きている情報が食い違っているのだ。疑問に思わない方がおかしい。
だからシルヴィは周りを見る。朧気になっていた視界をクリアにして――周りを見ようと目を前に向けた瞬間、シルヴィは気付いた。
あの音は自分の体からではなく、相手から出ていたのだと。
『お…………ごぉ………っ!』
体を変えて襲い掛かって来たロゼロの右肩の付け根に向けて拳を打ち付けている一人のエルフ。
銀色に近いようなぼさぼさでごわごわしているような肩より少し長い髪、前髪もぼさぼさで長い耳を出し、目に当たるところをしっかりと避けていて、その避けたところから四白眼の目が私達のことを捉えている。
薄暗いせいであまり見分けがつかないかもしれないが、黒い服装も実はただの衣服ではなく、黒い薄手のコートで、その下には灰色の七分パンツのようなものを履いて、足は裸足で、踵と指のところが穴あけのようになっているソックスを履いている細身の男。
今のロゼロと比べれば二回りどころではない。四つほど回って小さいにもかかわらず、彼の蹴りはロゼロの肩の付け根を的確に狙い、鋭い釘のように突き刺さっていたのだ。
肉に食い込み、同時に神経と筋肉を傷つけるその蹴りを受けて、ロゼロは痛みで顔を歪ませる。
先ほどとは違った顔だ。
翻弄され、なおも翻弄されてしまったという屈辱を味わっているようにも感じる汗と歪みだ。
………この戦いが始まってからはずっと翻弄されているのだから仕方がないかもしれない。
だが、今までは言葉と秘器による翻弄だけ。
今回は違う。
純粋な力に、一瞬負けてしまった。
「十分理解できました。きっとこの形態は、物理が有効のようです」
男は――クィンクは言う。
めり込んでいる足を見つつ、手ごたえを感じながらクィンクはシルヴィに向けて言ったのだ。
冷静で、今までと変わりないそのペースで。
「先ほどは触手のようなものであまり攻撃できませんでしたが、逆を返すとシルヴィの秘器――魔法を消す攻撃と、光属性や雷属性のように、光る攻撃は聞いている様子。旦那様の言う通り、相手は闇属性の亜種と考えた方がいいかもしれないです」
「クィンク………! お前」
「しかし――今は勝手も何もかもが違います」
シルヴィの言葉を――驚きと安心が混じっているが、驚きの方が勝っている音色で言う彼女の言葉を無視してクィンクは言う。
コートのポケットに手を伸ばしながらクィンクは続ける。
「動きが遅く、魔法攻撃が効果的だった今は硬度は変わっています。体が引き締まった分早くなり、そして動きも変則的。『魔女』の力と言える想像力が活発になったせいで厄介になったみたいです」
「………は。形態が変わるとなれば、そのままでは勝てない。お前の主が言っていた口癖だ」
「ええ」
やっと、ここでシルヴィの言葉に頷くクィンク。
コートのポケットに入れていたのであろうか、そこから二つの小瓶を取り出して、その二つをシルヴィに向けて軽く投げた。
七色の光輝く液体を入れた小瓶――MCOでは高額で売り付けられている、HPとMPが完全回復する万能薬……、『最高級回復薬』を。
「いつ買ったんだ?」
「ボロボに入る前、王都で衝動買いしたそうです」
「あいつらしいな。金を持っている人物は思考がおおらかだ」
皮肉を入り混じって言うシルヴィは投げつけられたそれを難なく受け止め、そのうちの一本のコルクを開けて口につける。
ぐっと一気に喉に通し、体中に回復薬の味が浸透していくにつれてバングルに表示されているHPとMPのグラフがどんどん上がっていき、満タンになっていく。
良薬は口に苦しとはまさにこのことなのか。そんなことを思ってしまうが、今はそれを考えても仕方がない。
飲み干し、クィンクに向けてシルヴィは『今なら加勢を』と言いかけようとしたが、それすらもクィンクはお見通しなのか………シルヴィの名を呼んだ。
「ここは俺が何とかする。シルヴィはそのまま蓬の所へ。蓬も………、彼女もこのままでは危ない。優先すべきことをしてほしい」
あと――と言った後、クィンクは少しだけ、本当に少しだけ申し訳なさそうな音色で、感情のある小さな声で彼女に言った。
「………すまなかった。ここまで足止めさせてしまって、ここまで耐えてくれて、か。か。感謝、する」
正直、謝るなんてしないだろうと思っていたシルヴィにとって、これは面を喰らってしまった驚きだ。
なにせ――鬼族の重鎮の一人を殺めた時も、彼は謝らなかった。代わりにヌィビットが謝り、その罰を受けた。そのくらい彼は自分がしたことを貫き通したクィンクが謝ることは意外だった。
そして感謝も加えてだ。
明日には雨の代わりに苦無が降って来るのか。
雹の代わりに石が降ってきて第斬撃を引き起こすのか。
そのくらいクィンクが謝ることは珍しい事だった。
………ヌィビット以外には。
だが、それを聞いてシルヴィは思わず笑みを浮かべ、乾いたそれを零した後でクィンクに聞く。
――さっきまで喧嘩していたから、何がどうなったかはわからない。
――が。いい方向に転んだのかもな。
「………いい。気が済むまで話せたのか?」
「なんとかな。だから今ここにいる。そして旦那様は物陰に隠れて機を伺っている」
「隠れて囮にされては困るんだ。しっかり後ろに立っててくれと伝えてくれ」
クィンクの言葉を聞き、シルヴィは手に持っていた槍を手の中で器用に回し、『パシッ』としっかり掴んで踵を返そうとした。
もちろん蓬を助けるためだが、それを許すほどロゼロは甘くない。
先ほどのこともあって感情は荒れまくりだ。
めり込みを行った張本人を睨みつけ、握りつぶそうと反対の手を振り上げ、勢いをつけてクィンクに伸ばした。
それを視界の端で見て、シルヴィははっと息を呑んで振り向こうとした。
まずい。そう思ったが、そんな彼女の気持ちを読んでいたのか、クィンクは一言ーー
「気にするな」
と言って、すかさず発する。
「出ろ――『轟獣王』」
その発した声と同時に、彼の足元から……、どろりとした黒い液体が泡を吹いて息をしだした。
ごぼごぼと音を立てて息をし、その息と共に黒い液体が……、影であったそれがどんどんと大きく膨張し、縦にも横にも大きくなり、大きくなった姿をさらした瞬間、それは私達の目の前でその姿を見せた。
ぼんっ! と、水が爆発したかのような弾ける音を……、腕、胴体、そして顔と言う順番でそれはクィンクの背中からーー否、彼の影から這い出てきたのだ。
脂肪も何もないような筋肉の塊。筋肉の上から血管が浮き出ている両の腕。腕からは赤と紫が混ざっているかのような体毛で覆われ、体毛がない手には重くて硬そうな鎖がついた壊れた手錠を嵌め、鋭い爪が伸びている。指から『ゴキゴキ』と間接を鳴らす音が鼓膜を揺らし、その腕だけ見てもその腕の殴りだけで人を殺せそうなそれを見せつけてくる。
胴体も然りだ。
ハンナはこの時、こう思っていた。
色んな人の筋骨隆々の姿を私は見てきたけど、赤い体毛で覆われた黒い素肌は、まさにムキムキのマッチョの男の胸板が見えていて、ダンさんと互角が、それ以上の隆々さ持っているかもしれない。
とーー
赤と紫の体毛と首についている鎖がついた首枷、そして漆黒の体で出てきたその影は――トワイライオンと同じように見えるけど、違う。それより少しぼさぼさしている大きな鬣を持ち、『グルルルルルルッッ!』と唸り声を上げながらその影――黒いライオンの姿をしたその影は、クィンクの影から這い出てきて、掴もうとしてきたロゼロの手を逆に掴んだのだ。
『ーー!?』
掴もうとしたのに逆に掴まれる。
しかも取っ組み合いをした時のように絡ませるそれだ。
がっしりと掴まれ、解こうにも解けない。
『グルルルルルルッッ!』
威嚇をするような獣の声。
百獣の王の唸り声を上げ、影はそのまま、ロゼロの指を、手を力一杯にぎり、そのままーー
ーーぐしゃ。
と、潰した。
片手でリンゴを握り潰すかのように、影はロゼロの手を握り潰したのだ。
『あ、がああああ………っ!』
あまりの激痛、粉々になってしまい変な方向に曲がってしまった使えなくなったそれの痛覚に耐えきれず、ロゼロはその手を背中から生えてきた何かで切り落とし、すぐに距離を置く。
斬ったそこから流れるくらいそれは、きっと生命を持つものの証なのだろう。
赤ではなく黒なのだが、それでもロゼロの体にも、同じものが流れていることは、大きな収穫だ。
それを見ながら百獣の王は上を見上げ、息を吸い始めた。
見上げると同時に、胸を張り、両手を外側に向けて肩甲骨を浮き彫りにするように胸元を拡げ、空に向けてその獣は――雄叫びを上げたのだ。この場所が空であることを無視するかのように、とてつもなく大きな声で!
『グゥゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!』
百獣の咆哮は『風獣の神殿』内に響き渡り、周りの空気を振動させる。
周りに浮かんでいた雲も、咆哮でかき消されてしまうほどだ。
それを聞いていたシルヴィは耳を守りながらそれを聞いていたが、クィンクの視線を見て、彼の頷きを見て頷き返す。
ここはまかせろ。
その意思を汲み取って、シルヴィは蓬の元への駆け出した。




