PLAY140 血濡れの天使Ⅲ(ラグナ・ロク)⑦
想定外の事態。
それはラージェンラが最も想定していなかったことで、薄々なにかを隠しているということは理解していたが、ここまでの驚きを隠していたことに関して怒りを覚えてしまいそうになっていた。
まさか亜人ではなく魔人族。しかも巨人族と魔王族の混血。かつ最も敵に回したくない退魔魔王族の混血。
あまりにも分が悪かった。
あまりにも運が悪い。
だがもう遅い。
こうなってしまった方には、抗う選択肢はない。
「~~~~っっ!」
あの時――ガザドラに放った魔法『毟り蝙蝠』をいとも簡単に、あろうことか一滴の血すら出さずに全滅させてしまったエドのことを一体の『毟り蝙蝠』の視界越しで見ていたラージェンラは、あまりに衝撃に言葉にすることができずにいた。
魔王族の血が入っているだけの存在なのに、たった少しだけ魔王族の血が入っているだけの混血なのに。
どうして……。
どうして………っ!
どうしてこんなにも圧倒的な差ができてしまうのっ!?
只の混血なのに………っ!
一介の冒険者で、経験もない青二才なのに……っ!
どうしてこんなに差ができてしまうのっ!?
あの男……一体何なのよっ!
怒りよりも、驚きよりも、真っ先に出てしまう不安の感情。
それが出たと同時に『毟り蝙蝠』最後の一体がエドの手によって――『聖槍ブリューナク』が突き刺さったことによって消えてしまう。
視界が消える瞬間、エドがラージェンラに向かって走る光景を見たラージェンラは、すぐに次の行動を行う。
手をかざし、自分の体から出ている血、そして『毟り蝙蝠』を作ったりを使って新たな生物を創り出す。
「血塊魔法――『噛み血切り鱓』ッ!」
唱えると同時に血がひとりでに蠢き、そのまま宙に浮かんで形を形成していく。
ボコボコと水の中で蠢くそれが細長いもの何かになり、鋭利な歯を生やした存在が凶暴な産声を上げる。
言葉通り肉を噛み千切り、出血しやすいようにとがった歯を持ったを持ち――血のように赤黒い蛇のような魚……鱓の大軍となった存在達は――『噛み血切り鱓』達はエドから見て前方後方から挟み撃ちをするように動きを見せる。
生物上――鱓は『海のギャング』と呼ばれている。
それが複数体いるという状況は恐ろしい物を感じさせるだろう。
実際、鱓は一体だけでも恐ろしい存在で、鋭い歯と顎の力で深手を負うこともあるのだ。
ラージェンラが放った『噛み血切り鱓』は噛み砕くことに特化している存在で、骨さえも砕いて食ってしまうほど悪食の存在だ。
それが前方から、更には後方からエドを挟み撃ちにしてきているのだ。
「いくら魔王族の混血でも、これを相手にするのは難しいはず……! 『毟り蝙蝠』を倒せたのも運がよかっただけかもしれないから………、これなら」
冷たい汗を流しながら仮説にしかならないことを言うラージェンラ。
本当は知っている。
だがそれを認めてしまうと、自分が壊れてしまう。
自分のその先が無くなってしまうかもしれないという無意識の恐怖を和らげるために、彼女は言っているのかもしれない。
誰だってそうだ。
想定外の事態で付け焼刃ながら抗い、それが成功してくれと願うのは普通だろう。
誰だって成功してほしい事は成功してくれと願うだろう。
ラージェンラもそうだ。
あの時も、杞憂であってほしいと願った。
嫌な予感がしたとしても、それは杞憂だったと思いたかった。
思い過ごしであってほしいと願っていた。
だが残酷な結果が待っていた。さらにその先の結果が今の彼女。
――あの時の私は何もできなかった。でも今は違う。
――相手が混血だからと言って、負けることが確定になったわけじゃない。
――それに冒険者相手に、私は劣るなんてことは……。
と思った時、『噛み血切り鱓』達の咆哮が一際大きく響き渡り、ラージェンラの鼓膜を大きく揺らし、エドの鼓膜を揺らしながら接近して大きな口を開ける。
「「「「ギジャアアアアアアアアアアアアアァァァァァッッッ!」」」」
流石は海のギャングを参考にした血の魔物。
鋭く尖った歯は返しこそないが、それでも噛まれてしまえば軽いけがでは済まされない凶暴性を持っているように見えてしまう。
それが何体もいるとなると、噛まれて終わりでは済まされないだろう。
そんなことはエドも分かっている。百も承知だ。
承知なのだが、それでもエドは避けない。
どころか前方と後方から接近してくる『噛み血切り鱓』を目にしたエドは、あろうことか前方から迫り来る『噛み血切り鱓』の大群に盾を持っていた手を伸ばし、そのまま『噛み血切り鱓』一体の顔を――
ぐしゃっ!!
握り潰した。
躊躇いのないエドは潰したままの状態で残りの『噛み血切り鱓』を見つめる。
退魔魔王族特有の瞳が『噛み血切り鱓』を捉え、感情、意思を持っていないにもかかわらず思わず委縮してしまう動作をしてしまう血の化け物たち。
血が爆発四散したかのような光景と握り潰す音が一瞬響き渡った時、ラージェンラは思わず言葉を失って固まってしまった。
思いがけない行動に固まった。と言った方がいいだろう。
盾の取っ手の所に腕を差し入れ、掴むが無くなった手でエドは一体の『噛み血切り鱓』を、あろうことか素手で握り潰したのだ。
鋭い牙を持っている血の化け物を一瞬で、しかも牙の傷などものともしない行動。
しかも驚くことはそれだけではない。
一体の『噛み血切り鱓』を倒したエドはそのまま『聖槍ブリューナク』を持っている手を大きく上に向けて振るい上げ、そのまま勢いをつけて地面にたたきつけたのだ。
棍棒を持っている人間が地面にそれを叩きつける。
地面にいた存在を潰すように、エドは槍を勢い任せに振るい、叩きつけたのだ。
叩きつけた瞬間――無数の小さな岩が辺りに飛び散る。
地面が割れた時にできてしまった破片たちは、そのまま『噛み血切り鱓』を飲み込み、遠くに板ラージェンラの視界をも一瞬曇らせた。
瞬間的爆発のせいでその音はだんだん小さくなり、遠くにいた者達にはその音が出ていたことも気付かれないまま消えていく。
聞いたのは近距離にいた人だけ。
そして――その音が消えたと同時に芽生える……驚愕。
「うそ………でしょ?」
小さく、その音を聞き、衝撃を感じたラージェンラは言葉を零した。
ありえない。
そんな言葉が似合う青ざめた顔を浮かべながら、彼女は言う。
小さい小さい声で、一言。
「………一瞬?」
彼女の言葉はそのまま空気に溶けて消えていく。
最も、小さすぎるその声は彼女以外の誰にも聞こえない。どころか聞こえている人など彼女だけなのだから、聞こえても聞こえなくても帰ってくる言葉はない。
だが、そんな彼女に追い打ちをかけるように、エドは駆けだす。
だっ! と――ラージェンラがいる場所に向かって、一直線に!
「っ!」
迫って来ていることを即座に感じたラージェンラは、すぐに消えて瓦礫に混ざってしまった血を操作して再度新たな血の眷属を創造する。
――なんで?
「血塊魔法――『狂血犬』ッ!」
ラージェンラは思う。
なんで自分はこうも運が悪いのか。
創造した血の犬たちはエドに向かって鋭い牙と爪を剥き出しにして襲い掛かろうとした。
しかしその前にエドは追いかけて来る血の犬たちに向けて餞別を送りつける。
『聖槍』を使い、破壊した岩の柱だった破片を『狂血犬』に向けて――
送りつけられ、当たってしまった『狂血犬』達は体に穴を開けられ、頭を粉砕され、足を壊されてしまい、そのまま動くことができない血の海に戻っていく。
「――っ! くそぉっ!」
血で作った眷属がうまくいかなかったことに腹を立てたラージェンラは、再度出血するために己の手に大きな切り傷を作り、大量に流れる腕を大きく――エドが来るであろうその方角に向けて振るった。
ぶんっと空気を薙ぐ音と同時に腕から離れて飛び散る血。
地面に付着したそれ等は微量ではあるが、それでもこれだけあればあれを出せる。壊された分と合わせればできる。
もうこれしかない。
出し惜しみなどせず、ラージェンラは手をかざして唱える。
「血塊魔法――『血傀・魑魅魍魎』ッ!」
唱えた瞬間、まき散らし、破壊されて戻ったそれからぬっと這い出てきた真っ赤な手。
に血で作られた血の人間の手が出てくると同時に、そこからまるで地面からいち早く出ようと何体ものに赤い人間が這い出て来る。
否――人間に近い、真っ赤な血で染められた人間だったなにか。ところどころが人間でないそれを象徴するように剥き出しになっている何かが我先にと出て来ているのだ。
まるで死体を使って行動する種族――死霊族のような、いいや死霊族よりももっと悍ましい物であり、ハンナ達であれば知っている存在だ。
一瞬見ればわかる腐敗した人間……、その腐敗の体を守るようにジェル状に纏わりつく赤い血の塊。
全てにおいて赤で彩られ、細部にわたって血で作られた存在。
真っ赤な血によって作られた腐敗の人間――ゾンビのようなものがラージェンラが作った鎌の刃から出ていたのだ。
大きな拳を持つ者。
ナイフのように鋭利な詰めを伸ばしている者。
そして鋭い歯を光らせている者など、様々な赤いゾンビが低い唸り声を上げながらガザドラのことを見ている。目もなにもない、何も映すものがないその瞳で見つめて、本能のまま唸る。
唸る、唸る、唸る――
しかしそれだけで終わらせるつもりはないラージェンラ。
再度自分の腕を深く、深く血で作った剣を使って傷つけ、大量の血を流しながら彼女は再度手をかざす。
かざし、視界がおぼろげになりながらも気力で立ち、足に踏ん張りを入れたラージェンラは唱える。
「………ここまで来ると、出血多量で倒れそうだけど、もうここで使うわ……!」
本当は、天界で使おうと思ったんだけど。
そうごちりながらラージェンラは唱える。
最も憎い場所で、跡形もなくなるまで壊そうとしていた技の名を口にして――
「血塊魔法――『終血』ッッ!」
唱えた瞬間、彼女の腕から流れ出てくる血が脈を打った。
どくんと――まるで血液の中に心臓があるかのような音。
いいや、血の中に心臓はない。だが心臓の音は今もなお脈を打ち、その音がどんどん大きくなっていくと同時に流れる血もどんどん密度を――質量を上げていく。
どくん。どくん。
どくん。どくん。
どくん。どくん。
脈打つ音がどんどん大きくなっていき、次第に血の質量も大きく、固く、そして形を形成していく。
呻きの様な声がエドの耳に入った瞬間、足を止めて声がした正面に視線をやる。
暗い世界しか広がらないその場所を見て、エドは無言のまま聖槍を前にして構える。
何かがいる。
それを直感しての無言の構え。
そんなエドの行動に応えるように、それは現れた。
地面に向けて、武骨で大きく、人一人どころか数人を巻き込み、蠅のように潰してしまいそうな手を叩きつける音がけたたましく響き、同時に地面に大きな罅を残す。
残したと同時に聞こえたのは――怨恨の呻き声。
声にならないそれはエドの鼓膜を揺らし、圧となってエドに襲い掛かってくる。
圧はどんどんエドを覆い被さらんばかりに襲い、呻きも、叩きつける音も大きくなっていく。
近付いている。
それはエドも理解でき、その存在はとてつもなく大きいものだと理解した瞬間――それはようやく姿を現した。
配下であるかのように赤黒いゾンビ――『血傀・魑魅魍魎』の背後から出てくる大きく、どろどろとした赤黒い液体を纏った……首があるその場所に埋め込まれた大きな目と言う存在が、エドの前に立ちふさがる。
胴体と手。首があるであろうその場所に大きな一つ目。
一言言って化け物。
それを見てエドは驚くことはしない、臆すことなく武器を前に出す。
ラージェンラがとっておいた、天界で使おうとしていた最強の魔法を前にして――
「さぁ、最高の終末を味わいなさい……っ!」