PLAY138 血濡れの天使Ⅰ(カクレルオビエ)⑤
「えっと……、どうする、の? どうしよう……」
どく、ドク、どく、ドク――
「どうした……。あ、あああ、またでた……っ。今はそれどころじゃないのに……」
どくどくどくどくどく――
「ああああああっ。あああああああああああああっっ」
何故か鼓動がうるさい。
心音と言うよりも、心臓がおかしい。の方がいいのかもしれない。
緊張のせいで落ち着くことができない。ではなく、どことなく忙しない心音と共に感じる背中の寒気。落ち着きもなく、時折感じてしまう不安の感覚。
押し寄せて来るそれは言いようのない恐怖とは程遠いかもしれない。
だが不安が押し寄せるということは恐怖よりも恐ろしいものだ。
恐怖のように終わらせに来るものではない。だんだん忍び寄って、人を狂わせていくのだから質が悪い。
不安の所為で正常な思考が定まらない。思わず手汗が出てしまい、風邪をひいてしまったのか暑いのに寒く感じてしまう。挙句の果てにはフラッシュバックが起きそうになる。
フラッシュバックの内容は――リカが思い出したくないこと。
思い出したくないことを楽しい記憶で埋めていたが、それは簡単に掘り起こされてしまい、頭の中でどんどん加速しては映画のフィルムのようにどんどん甦って来る。
「あ、ああああ……っ あああああぁぁぁっぁああああああああああああっっっ」
リカは思う。不安に押しつぶされるような状況に陥りながら、視界が定まっていない状況の中、もうフラッシュバック無くなれと必死になって願いながら思った。
――なんでこんな時に来るのっ?
――今来ないでよっ。今来て何になるのっ?
――不安がきたらダメなのに……! 不安がきたらなにも考えられなくなるのにっ。
――どうして今になってくるのっ?
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ」
――もう来ないでよ。
――今来ても何もないよぉ。
「ああああああああああああああうウウウウウウううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ」
ガジガジと頭を掻きむしってしまうリカ。
泣きたくないのに涙が流れる。俯いていることと口を開けているせいで行内に溜まっていた唾液がリカの半透明の足に――太腿に伝い落ちていく。
涙のようにきれいなものではなく、少しだけ粘着性を持ったそれを口からだらだら流し、奇声なのか叫びなのかわからない声を出しながら自分の髪の毛を毟るリカは、今までのリカとはかけ離れた存在となってしまっていた。
なってしまった光景を視界の端で見ていたエドと京平は拮抗を保ちながらリカのことを見て、息を呑むんでしまう。
「「っっ!?」」
驚きの目をしてリカのことを見るエドと京平。
地面に座り込んでしまい、俯いたまま奇声交じりの嗚咽を吐いては頭を振ってかきむしる。
やっていることが相当危ない領域に達している姿を見て、エドと京平はそれぞれ思った。
エドは思う――リカを見て。
――まずい……、リカのストレスが大きくなっている! かきむしっているということは、限界が近いかもしれない……! いいや限界に近付いている!
――まさか、シロナと善の怪我が治せないのか? それで不安になって心身不安定状態になっているに違いない……!
――任せたことが裏目に……!
リカを見ながらエドは思っていた。
自分の選択のミスを後悔し、リカの状況とシロナ達の容態を甘く見ていたことに、己に憤慨しながらラージェンラの攻撃を保っていた。
拮抗を保っていたのだが、リカのことを考えている間に拮抗が僅かにラージェンラの方に傾いてしまう。優勢として……。
「ぐっ!」
「ふふふ。どうしたのかしら?」
女性は男性より力がない。
だがこの世界でそれは通用しない。且つ、今エドはその女性に負けてしまいそうになるほど力が出ない状況に陥っている。
痺れながらも何とか保とうとしているエドのことを見て、リカのことを心配している彼を滑稽に見ながらラージェンラは聞く。
聞いて、エドのことを押し倒す勢いで体重を掛けながら畳み掛けて聞く。
妖艶に、邪悪に笑みを浮かべて……。
「何か気になることでもあるのかしら? 集中できていないわよ?」
「う、ちょ……、今は黙っててほしい……っ! 黙って戦いに集中してほしい……!」
「ふふふ! そうね。そうねぇ! そうよねぇっ! 集中してほしいわよねぇっ? 集中して戦ってほしいわよねぇっ? でも私はそうしない。むしろそんなことさせない。あなたの好きにさせたら私の気が済まない」
「は?」
一瞬、何を言っているのか理解できなかったエド。
思わず変な声を上げながらラージェンラのことを見てしまったが、彼女は狂気的な笑みを浮かべながら言葉を続けて放っていく。
言いたいことをどんどん言っているかのように、演説でもしているのか、弁論でもしているかのように彼女は言ったのだ。
「男はそんな生き物でしょ? 女を物として扱って、自分が王様にでもなったかのようにふるまうことしかできない。自分が劣勢になったら暴力と穢しで黙らせる。子供みたいな思考回路で女のことを奴隷に様に扱い、心身ともに壊しまくるあんた達は生きている生物の中で最も害悪っ。害悪なあなたたちは仲間のことなんてただの肉壁としか思っていないでしょ? 女なんてあなたのストレス解消の道具でしょ? 子供もその一人でしょう? あなた本当に性悪ねぇ。性悪なのに必死な振りをして……、本当に滑稽。そんな嘘バレバレよ? バレバレで性根が腐り切っているあなたに、主導権なんて握らせるわけないでしょ? だから私はあなたに話しかけるわぁ。話しながらあなたのことを追い詰めるわぁ。その方があなたにとって絶望的でしょう? 男としてショックでしょう? だから私はそうする。あなたの男としての自尊心も何もかもをズタボロにして、圧し折ってからあなたの男としての全てを否定するわぁ。あなた達がしてきたことを、そっくりそのまましてやる……! 私の方が、私達の方があなた達より優れていることを! あなたたちこそが、真の下僕と言うことを体で教えてやる……!!」
理解できない様な言葉の数々。
何故かエドがしようとしていることを執拗に妨害しようとしているラージェンラ。
リカのことが気になるのも本音だ。
だが今はこの女をどうにかしないといけない。
野放しにしてしまえばリカに危害が加わるかもしれない。
それを踏まえたらここで戦いを放棄することはできない。
できないからこそ倒そうしている……のだが、ラージェンラの言葉に耳を傾けていたエドは違和感を覚えてしまった。
彼女の言葉の数々を聞くに、彼女は相当傷つけられてきたのだろう。
人格が歪んでしまうくらいそれは凄惨に……。
だがこの歪み具合は異常だ。
いろんな経験があったからこそこうなってしまったかもしれないが、それよりももっと根本的な――幼少の時に何かをずっと経験していないとこうならない。そう直感したエドは聞こうとした。
なぜそこまで男を嫌うのか。
痺れる体になんとか喝を入れ、踏ん張りを入れながらエドは聞く。
自分もいろんな経験をした。
その経験の先でエドはようやく人としての細やかな幸せを手にしたのだが、彼女はそうではない。
今もその負の連鎖の中に浸かって、戻れなくなっている。
どうにかしたい――は我儘だ。
だからエドは聞くことしかできない。
どうして――?
エドは痺れる体を酷使しつつ、ラージェンラのことを見ながら聞いた。
「なんで……」
なんでそこまで憎いんだ?
「どうしてそこまで、男を憎んでいるんだ?」
「…………はぁ?」
エドの言葉にラージェンラは首を傾げながら怪訝のそれを見せる。
おそらくこんな質問をされたことがないのだろう。
エドはそう思いつつ、彼女の言動を思い出しながら自分が組み立てた彼女の心境――人格を言葉して伝える。
何故憎んでいるのか?
「お前の言動を聞いていると、心の底から『男』と言う存在を憎んでいるように感じた。死滅してしまえばいいとさえ思ってしまっているような言動だ。本当に『男性』と言う存在を憎んでいることがひしひしと伝わってきたよ。他種族とかそんなの関係なく、性別上の男、雄を心の底から毛嫌いしている言動は、男のおれが聞いてても嫌悪というか、嫌と言う言葉しかない」
「………男のあんたがそんなことを言うな。あんたの言葉を美談のようにしたとしても、変わらないのよ。女性、メス以外の存在は屑だって」
「なぜ、そこまで嫌うんだ?」
「はぁ?」
憎んでいるのか? 嫌うのか?
エドは真っ直ぐな目で彼女に聞いた。
戦っていない。ただ拮抗を保っているだけ。
それでも彼は聞きたかった。純粋に――どうしてなのかを聞きたかった。
好奇心ではなく、彼女の闇を払うきっかけがあれば、戦意を削ぐようなきっかけがあれば――
…………否、そんなことはどうでもいい。
エドは純粋に思ったのだ。
自分と同じ道を辿る前に、最悪の道を辿る前に、止めたい。
自分のエゴだとしても、自分の自己満足と言われても仕方がないが、それでもエドは止めたかったのだ。
恨みを抱き、そしてそれを糧にして生きるのは辛い事だ。
鬼の郷でも何度も何度も体験して聞いた内容を脳内で再生しながらエドは、意を決する。
「お前が、お前がどんな思いをして生きてきたのかはわからない。おれは他人だ。お前の心を読むこともできないし、記憶を見ることはできない。でも――でもおれはっ、おれはみんなのことを大切な仲間だと思うし、リカのことは守りたいって思っているっ。命に代えてもおれは彼女を守って、シロナと善、京平も守りたいんだっ!」
「どうしておれが仲間を売るのかもわからない。その思考がわからない。だから教えてほしい。お前は」
なぜそこまで男のことを嫌うのか。
確信を突こうとした時――エドの視界が一気に回り、背中に衝撃を感じた瞬間、同時に首の圧迫感に襲われた。
「あ……っ! がぁ……っ!?」
なぜ首を絞められているのかわからない。
だがこの圧迫感は確かに占め詰められているような、気道が確保できない様な感覚がエドのことを襲い、次第に頭が破裂しそうな恐怖に陥ってしまう。
軌道を確保しようと、首を絞めているであろうその箇所に触れて、どうにかして知れを引きはがそうとした時――
小さな声が聞こえた。
だが何を言っているのか聞こえない。
だからエドは聞く。
「え?」と言うカスカスの声を出して。
そんなエドの声を聞き、首を絞めている張本人は、先程よりも大きな、否――とてつもなく大きな声で、怒声を浴びせてきた。
首を絞めている力を更に強くして……、ラージェンラは叫んだ。
「綺麗事なんてぬかすな猿もどきぃいいいいいいいいいいいいいいいっっ!!」
その声を聞いたエドと京平。そして不安に駆られていたリカは驚きの目を向け、ラランフィーナでさえも初めてだったのだろう。彼女の声を聞いて驚きのそれを表し、か細い声でラージェンラの名を呼んでいる。
しかし、そんな側近の声など聞いていない。
否――目の前にいるエドしか見ていない。
エドの声しか聞こえていない一方通行の様な感覚になってしまったラージェンラは、彼の首を両の手で締め付けながら荒げる。
「何偉そうなことを抜かしてんだっ! なに紳士ぶってんだくそ猿っ! 自分のことしか考えていなくそ野郎の分際でぇ! 綺麗事さえいえば私がすんなり落ちるとでも思ってんのかぁっ!? ふざけんじゃねぇよくそのっぽぉっ!」
「………っ! か………! あ………っ!」
エドの腹に跨り、馬乗りになりながら締め付けるその様は狂気しか思い浮かばない状況だ。
ギリギリ締め付けられるそれは怒りしか感じられない――否、憎しみしか感じられない様な締め付け。
どんどん頭に血が上り、もしかしたら頭に血が集まって爆発してしまうのではないか? という支離滅裂な思考が出そうになる。
思考が定まっていない。そんな状況の中でもエドは彼女の顔を見る。
狭まる視界の中、酸素が枯渇しているという状況下でも、彼はただ一心にラージェンラのことを捉えていた。
締め付けられ、言葉にできないような圧迫感を感じながらエドは思った。
――なぜ、彼女は、怯えているんだ……?
と…………。




