PLAY138 血濡れの天使Ⅰ(カクレルオビエ)②
善は――キラーであるが暴力が嫌いな男だ。
現実世界でシロナに喧嘩を挑まれ、何度も勝っていたということを聞いただろう。
彼女は言った。自分と善は瓜二つだと。
それには少々誤りがあった。
彼の思考の中では、自分とシロナは表は同じだが、本質は違うと。
自分は根っからの――屑の遺伝子を継いだくそ野郎だと。
彼は認識している。
◆ ◆
所属『暗殺者』
それは即死系の攻撃を得意とする所属。
スキルの中にも即死を与える者が多く、それは思わぬエンカウントをした時に活用できるものだ。
だが即死スキルは絶対にできるものではない。確率で決まるもの。
MCOの世界でもそれは共通で、スキルを十回使用してやっと一回の確率で出るものだ。
命中率など関係ない。この場合運が左右しているのか? と思うが、そんなことはない。
これはもうその時にならなければわからない――賭けなのだ。
賭け当たる確率などあまりにもないような状況の中、善はラランフィーナに向けて使ったのだ。
暗鬼剣の即死スキルを。
確率で当たればなお良し。
元々攻撃なんて二の次。
この技を囮にして戦意を削り、削った後でシロナが追撃を行う。
善が考えた即興の作戦。それはシロナには伝えていない。
隠れている間にそれを考えたのだから、伝える余裕なんてない。
この世界に通信機能があれば、もしくは伝える瘴輝石があればよかったのかもしれないが、そんなもの、善とシロナには必要ない。
アイコンタクト一つでそれは理解できるのだから。
いつも一緒にいて、善の言葉を、言いたいことをしっかり理解できているシロナからすれば、無言のコンタクトなど言葉の壁にはならない。
視線一つで、善の顔を見ればすぐにわかってしまう。
だからシロナは気付いている。
善が行おうとしていることは殺しではなく、戦意を削ぐことだと。
世には人を殺さない『活人剣』と言うものがあるが、善はその技術を持っていない。
ましてや人を殺すための所属にいる善だが、人を殺すことはしないと心に刻んでいる。
魔物や襲い掛かる化け物は例外だが、人に対して殺すスキルは使わない。
だが力量を見誤ってしまってはいけない。且つ相手は『六芒星』幹部側近と言う強敵。
ならば普通の攻撃では怯むことなどできないと思った善がひらめいた奇策こそ――この方法なのだ。
首に当てられる切っ先。
それを見て、振り向きざまに自分のことを見ているラランフィーナを見る。
明らかに動揺し、恐怖が出そうな瞳孔の震えが見える。
ラランフィーナは驚いている。そして一瞬考えてしまった思考に憑りつかれそうになっている。
善はそれを見て、言葉にはしなかった。
言葉を発することが恥ずかしいゆえの弊害であり、それは自分でも十分わかっている短所だ。
だが、こんな時に役に立つとは思いもしなかった善は、視線を前にいるシロナに向ける。
シロナに視線を向け、頷きを見せた後シロナを見る。
善の行動を見て、シロナは――小さく頷いて駆け出す。
獣のように、手足を使って!
抉る地面の傷跡。
それがひっかき傷となって残り、どれ度歩力を入れたのかがわかってしまうほど、深いものになっていた。
深いほど彼女は力を入れていた。
この一瞬で終わらせ、エドと京平の加勢に向かおう!
そう思い、彼女は手を伸ばし、善はスキルの名を口にする。
小さい確率で発動するこのスキルを!
「暗鬼剣――『即死突』」
◆ ◆
善のスキルが放たれる。
言葉を発した後、善が持っているレイピアの切っ先から黒い何かを感じたラランフィーナ。
何かが一体何なのか。
それを説明することはできない。
なんて説明をすればいいのかわからない。そんなものだったからだ。
黒い何かが一体何なのかわからない。だが感じたことがある。
これは――危ないものだ。
首に添えられるように触れる切っ先は、柔らかい彼女の皮膚に触れている。幸い血は出ていない。
本当に触れているだけで、いつ力を入れて突き刺されてもおかしくないよう距離にそれがあるのだ。
動いた瞬間、首に切り傷ができてしまう。
切り傷ができてしまえば、出血多量で死んでしまう。
色んな思考がラランフィーナのことを襲い、逃げる術を思案する。
思案して、思案して、考えて考えて――考えて……。
考え抜いた結果、彼女が辿り着いた先は――
無理。
それだけ。
何故無理なのかはわからない。だが本能的に、これは無理だと思ってしまう。先入観が他の考えを拒絶してしまう様な感覚。
死ぬかもしれない。
それだけが思考を占める。
占めているせいで、今までなかった恐怖が一気に吹き上がる。
――もしかして、じゃない。
――私、死ぬ?
ラランフィーナは思った。
それは恐怖ではない。覚悟でもない。
それは――ショック。
まさか本当に死ぬのか? 現実的で衝撃的な場面に直面したせいで、まだ『死』と言うものを受け入れていない。厳密にはまだ死んでいないが、死ぬ瞬間を体験している彼女からすれば、何もかもが真っ白になる様な感覚なのだ。
考えられない。
本当に死ぬの?
そんな言葉しか浮かばない。
考えていたそれも消え、次に現れたのが虚無。
死を経験することなどまずないのだが、それでも彼女は思ったのだ。
ただただ……、死ぬの? と言う現実味を帯びない瞬間を感じ、それが首の肉を貫こうとした時――ラランフィーナに襲い掛かったのは、風だった。
◆ ◆
善のスキルが放たれようとした。
後少しで突き刺さると思った瞬間――善に襲い掛かったのは風。
そして……、両腕の喪失感。
それは言葉通りの感覚。
善の姿を見たシロナは言葉を失ったまま善のことを見て、主のことを見ていた『虐殺愛好処刑人』も髑髏の顔ながら驚きのそれを雰囲気で表し。
「善っっ!!」
リカは善の姿を見て、すぐにある小瓶を手にして善の名を叫ぶ。
鬼気迫る声とはまさにこのこと。
衝撃の光景を目にし、混乱の中でもしなければいけないことを行おうとするリカ。焦りの所為で周りに置いてあった小瓶が音を立てて崩れ、何個か当たり所が悪かったのか罅が入ってしまう小瓶もあったが、それを気にする余裕などない。
なにせ――リカの視界に入ったのは、善の両腕が何者かによって引きちぎられたのだから。
リカの声を聞いたエドと京平も驚き――いいや、驚愕のそれを見せながら善のことを見て、そして視線を別のところに向ける。
善の攻撃は当たるはずだった。
当たりかけていた。
即死系であろうとも、攻撃と言う名のダメージは入る。だからしっかりダメージらしきものは見えていた。
見えていたのだが、問題はその後に起きたのだ。
ラランフィーナの喉元に剣を突き刺そうとしていた善だったが、突き刺し、ほんの少しだけラランフィーナの首に赤いそれが見えた瞬間――血がひとりでに動いたのだ。
小さな血の塊が動き、善の腕に向かってそれは急速に、不規則にカクカクとジグザグに動きながらそれは善の腕に向かっていき、腕の周りを飛び、細く、赤い線の円を描いたかと思った瞬間……。
赤い線が一本の線――横一文字の如く真っ直ぐな線になる。
ぴんっと、糸の端を引っ張ると真っ直ぐな糸の線になるように、善の両腕を巻き込んでそれは一本の紅い線になり、善の腕を赤い糸で斬った後、すぐにラランフィーナの首に戻って、穴を塞いだ。
これが一瞬の出来事のあらまし。
そしてそれを一瞬見たエドは、言葉を失いつつも、それをした張本人を横目でにらみつける。
――まさか、こんな種を隠していたなんて……っ!
――想定なんてできない。そんなことできるのかすら考えていなかった!
――魔女は……、魔女と言う存在は……!
「なんでもありの……、やばい奴なのか……っ!?」
思ったことが口に出てしまうエド。
思わず口を塞ぐことも忘れてしまうほどの衝撃で、それを聞いた京平も善の両腕を千切った張本人を睨みつけ、今にも噛みつかんばかりの殺意の眼差しを向ける。
「つか……、こんなの後出しじゃんけんだべ。色んな奴相手に戦ってきたが……、こいつは変化球だべ……っ。ストレートじゃねぇ方法で戦ってやがる……! てか……」
エドの言葉を聞いていた京平でさえも善のことを見て、怒りを殺した声で続ける。
彼等の視線の先で緩やかな気品あふれる――狂気の笑みを浮かべているラージェンラに向けて。
「他人の血まで操れるのかよ……っっ!」
「ええそうよ」
京平の言葉を聞いたラージェンラは妖艶で、気分溢れる狂気の笑みを浮かべながら肯定した。
言葉にした肯定は想像以上に精神的に来るものがある。
今まさに経験したエドと京平は驚きと焦りが混じった面持ちでラージェンラのことを見る。
ラージェンラに助けられたことを実感できなかったラランフィーナは唖然とした状態で地面を見て座り込んでいる。そんな彼女を見ながらラージェンラは言う。
周りに溜まっている血を指で操りながら――
「私の魔祖は『血』。それはどの種族にも流れる命の原水。生きているからこそ流れる血を私は操ることができる。それは自分の血も然りだけど、他人の血も操ることができるわ。まぁ最初からできたわけじゃないわよ? 熟練の賜物ってやつね」
「おいおい……、熟練って、努力次第でできます敵な事言われてもよぉ」
「?」
そう。『血』の魔女ラージェンラは血を操ることができる。
それは自分の血液――だけではない。
彼女が操る『血』は色んな種族に流れているものだ。
獣、鳥、魚、魔物、人間やエルフ、亜人、魔人にも、魔王族にも流れている。
生きている生き物全てに流れているのだから、それを操るということは、相当厄介……否、想像を超える厄介を植え付けたのと同じなのだ。
魔女は何でもありなのか。そんな思考が京平のことを襲うが、それを聞いたエドは一瞬思考を巡らせ、他人の血を操ることができるという言葉を聞いて、エドは何かに気付いてリカに向けて叫んだ。
焦りを露にし、冷静など皆無のそれで――
「リカッ! 早くシロナと善に回復薬をっ!」
「え?」
「早くしろっっ! 早く回復薬をシロナと善にっ!」
エドの焦りのそれを聞いたリカは『え?』と困惑の顔と声を上げて回復薬がある場所に手を伸ばす。
そして近くで聞いていた京平も驚きながらエドのことを見上げていたが、エドの言葉を聞いて、シロナに視線を向けた時――気付いてしまう。
いいや、気付くのが遅かった。
エドが焦っている理由に、気付けなかったことを後悔してしまう京平。顔に出てしまうほどの絶望の眼の先には――
切り傷まみれのシロナと、腕が無くなってしまい痛みに耐えている善。
その二人の姿を見て、京平は気付いて即座にラージェンラに向けて攻撃と言う名の突進を繰り出そうとした。
狭い空中を滑空して、地面すれすれの飛行をしながら頭突きを繰り出そうとした京平。
一見すれば簡単な攻撃方法と思うが、この時の京平はこれしか思いつかなかった。思いつかなかったからこそ、これを即座に繰り出す選択肢以外なかった。
しかしラージェンラは笑みを崩さない。
崩れる片鱗すら見えない状態で、彼女は徐に右手を肩の位置まで上げ、右手を丸くして親指と中指を合わせる。
ぐっと力を入れ、京平の攻撃が来る前に、彼女は言って指を鳴らす。
否――唱えて、乾いた指の音を叩いた。
「『愛憎茨』」
指の乾いた音が響き、その音と同時に、いくつもの出血の音が辺りに響き渡った。




