PLAY135 MESSED:Ⅰ(Quality of hatred)⑤
それを感じ、聞いてしまった瞬間、ロゼロは委縮してしまった。
不覚にもそれは、人間であればだれもが体験してしまう事であり、本能が感知した結果――委縮する結果になってしまった。
本能が感じたそれは――恐怖。
本能として、ロゼロは感じた。
肩を掴み、顎を掴み上げて自分のことを見ているこの男は、危険であることを。
傷を負いながら笑みを浮かべているこの男は――あの男とは違う狂気を持っていると。
「あぁ……、成程、お前にもあるんだな。恐怖と言う名の感情が」
ヌィビットは言う。白い歯に付着している赤いそれを晒しながら、何とか定まっている揺れ動く焦点を動かしながらヌィビットはロゼロに向けて言った。
肩を掴んでいた手をゆっくりと放し、その手をロゼロの頬に向けて伸ばし、両の手でロゼロの頬を挟む。
指先に力を入れた、力強い頬掴み。
一種の恐怖が力となって現れたそれを体験しているロゼロは、言葉にできない状態で脳をフル稼働させて打開策を練る。
練りながらロゼロの耳に響くヌィビットの声。
「私はずっとそれを体験しているからな……。感覚がマヒしているのかもしれない。いいやこれはバグだな」
突き刺した。貫通させるくらいの攻撃を与えた。
「バグは人の人格を壊すのかもしれないな。私もそのバグに侵されてしまった」
悪魔族でも貫通は痛いはずだ。衝撃は大きいはずだ。
「例外を除いて――周りがバグまみれの人間だったせいで、私はバグをバグとして理解していなかったのだな」
大きいはずなのに、普通なら武器が無くなるまで動かないのが普通だろう。
なのに……、なのに……。
「お前は私を傷つけ、戦意を喪失すれば何とかなると思っていたのかな? それとも自分の『憎しみ』は無限の力を有していると驕っていたのかな? 答えは言わなくていい。言わなくてもいいがお前は誤算をしている。それだけは言わせてくれ」
なんでこいつは……、なんでこいつは動くんだっ?
武器が突き刺さった状態で貫通して、それを手綱代わりにしてここまで来るとか、ばかげているっ!
「『憎しみ』は有限だ。憎ければ憎むほど大きくなる力は有限なんだよ」
どうしてこいつは……。
「憎んで憎んで憎んで、生きていけばいずれ分かるはずだ」
こいつは……!
「虚しいだけだって」
死にかけているのに、笑っているんだっっ!!??
◆ ◆
それは狂気。
他者から見たヌィビットはまさに常軌を逸した狂人だろう。
薄々ハンナ達も思っていたこと。
そして共に行動しているシルヴィたちの視線から見ても、それは狂気かもしれない。
いいや狂気だろう。
それは誰が見ても目に見えており、そしてそれは――ヌィビット自身理解している。
「きっと、君の思考回路から見て、私は異常なんだろう。私自身そう思っている。思っているから私は変なんだと理解し、私の周りにいた人間はバグ人間だと認識している」
ロゼロの思考回路がショート寸前になっている最中、ヌィビットは語り続ける。
見るからに満身創痍の中、ヌィビットはロゼロのことを見て語る。
否――実際は見ていない。
視線と第三者視線はロゼロのことを見て語っているように見える。
しかしヌィビットは見ていない。
彼が見ているのは――
「私はずっと命を狙われている立場でな、食事もままならないくらい私は自分の命の重さ、重大さ、そして価値を叩きこまれた。日常的に私の命はたった一人の命では物足りない。いいや一億の人類に相当する価値だと言われた」
彼が虚ろな目で見ている向こうには――自分がいた。
勿論今の自分ではなく、現実世界のヌィビット。
人間であり、自分がもっとも理解している存在の後姿。
自分と言う――愚かな存在を。
「私の家は代々指一つ動かせば世界が傾くほどの財力と地位を持っていてな。私の世界では『世界三大富豪』の核――アメリカのカフィーセルム家と言われているほどの富豪だ。富豪にして人生において……最悪の人生を約束された一族の血を引く者だ」
思い返すヌィビットの記憶の世界。
記憶のほどんどが優雅な世界――ではない。
ほどんどが暗殺や謀殺などの、命を狙われる毎日。
最悪生きていることが奇跡としか言いようのないような日常を、ヌィビットは生まれた時から運命づけられてきた。
『世界三大富豪』故の運命ではない。これはヌィビットの一族――カフィーセルム家全員にありえること。
その運命に飲まれながらヌィビットは生き延び、そして今に至り、人格を歪めてしまった。
死ぬことに対して恐れていない。むしろ死を感じ、生に執着することを快感として認識している人間になってしまった。
「私は生まれた瞬間から命を狙われる立場にいた。ずっと暗殺されそうになり、挙句の果てには毒を盛られるということも日常茶飯事。もっとむごたらしい事を言うか? 使用人が殺し屋だったり、周りにいた街の住人も金欲しさに私の命を狙おうとしたり、事故を装い殺そうとしてきた程、たくさん殺されかけて、たくさん死にかけて私は今になった。おかげで死にかけに対しては全然だよ。むしろどんどこいと思ってしまうほどガッツが上がってしまった」
死を経験し過ぎると人間はバグるんだな。
ヌィビットは意気揚々とした音色で、対照的に見つめる虚ろな目をロゼロに向けて言うと、徐にヌィビットはロゼロに顔を近付ける。
両頬を掴み上げた状態で、鼻の先と先がくっつきそうなほどの距離まで詰め寄ると、ヌィビットは恐怖で見開かれているロゼロの眼をじっと、水面を見つめるように見つめながら言った。
静かに、はっきりとした言葉で――
「お前の憎しみがどんなに大きいかなど知ったこっちゃない。こっちは私欲で殺されかけた。私怨なんて微塵もない輩に何度も殺されかけてきたんだ。死ぬことに対しては怖くはない。むしろお前の憎しみの根源を知りたいとさえ思っている」
「っ!」
「私はなぁ……、自分でも滅茶苦茶な人格をしていると思っている。お前も同じだ。憎しみで自分を見失いかけていると思っている。もしかしたら私は違った道を辿るとこうなっていたのかと思っている。だが私は私だ。お前の様に憎しみを糧にして生きる愚かな選択はしない」
憎むことは、したくないんだ。
それは静かな音色だった。
淡々としているが、その中に含まれる静かさは、ヌィビットの心を言葉にしたかのような音色だった。
本心。とでも言った方がいいのか。
ヌィビットは本当に食えない性格で、一体何を考えているのか理解できない存在だが、これがヌィビット自身の本心なのか。
そう見ていたコーフィンは思ったが、その空気も長くは続かない。
「お、ろか……っ!?」
「ああ愚かだよ? 憎しみを人生として生きてきたお前は、愚かだ。鬼族の憎しみは欲望の犠牲だ。私の様に何度も殺されかけたではない。何度も殺され、何度も狙われて安息を許されなかった。お前はどうだ? 完全なる私欲だろう? どんな理由で憎しみを抱いているのかわからないがな……、お前の憎しみは、汚くて触りたくない――」
自分が糧として、自分の存在理由として生きてきた存在意義を否定する言葉。
ロゼロはそれを聞くや否や目を見開いて感情を露にしていく。
脳に注がれる熱はどんどん熱を帯び、最高潮に達する寸前。その寸前を狙ってヌィビットは畳み掛ける。
訴えかける!
「貴様の憎しみは、不純物まみれの――自分勝手で出来上がった最悪の力だっ! 気色悪くて吐き気を催してしまいそうなくらい――最低最悪の力って言っているんだっ!!」
「――っっ!! てめええええええええええっっっ!!!」
それは、ロゼロにとって最も否定されたくなかった言葉。
自分の存在意義を、自分の存在が最悪であり、何もかもが否定されたかのような爆弾の言葉。
その言葉はすぐに脳に届き、理解するや否や、ロゼロは今まで出していた状態だった憎しみの黒い槍を黒い煤に変えて消し、支えを無くしよろめかけたヌィビットの額に向けて、頭突きを繰り出す。
鈍い音が響くと、ヌィビットは額から鮮血を吹き出し。よろけながら後ろに後退していくと、その光景を見てクィンクは叫ぶ。
「旦那様っ!」
叫ぶがヌィビットは答えない。
いいや堪えることができない。
運よく近くで待機していたシルヴィが彼のことを支えてくれたことで地面に倒れることはなかった。
クィンクは倒れたヌィビットのことを見て、コーフィンから投げ渡された『部位修復薬』を取った『轟獣王』を視界の端で捉えた後、足に力を入れて駆け出そうとした。
すぐにでも体制を整えたロゼロに向けて、心の臓に向けて攻撃を仕掛けようとしたが――それを止めたのは『轟獣王』
『クィンク! 今は傷を優先にしろっ』
自分の主でもあるクィンクを声で止めるそれは、主として誤った行動を止める抑止欲としての言葉。
優先することを間違えるな。
そう遠回しに言っている言葉を投げかけた後で――手に小さく収まっている瓶をクィンクに向けて投げつける。
投げる直前、爪で加減しながら罅を入れ、半分割れた状態にした状態で投げ込まれたそれはクィンクの手に直撃し、黄色い液体が発光する。
手の形の発光体が出来上がったあとすぐ消えていく光。
消えて、残ったのは元に戻ったクィンクの手。
いいや、この場合は回復したの方がいいだろう。
『主を守ることは流石は我が主だ。だがその状態で助けることはできないだろう? 万全こそ最強なのだ。そこは理解しろ』
破壊された部位が治り、五体満足の状態になったクィンクは治った自分の手を見て、開いたり閉じたりを二、三度繰り返した後――『轟獣王』の言葉に耳を傾けた後、見上げて言う。
静かに頷いてから――
「当然だ。俺の命は旦那様のためにあるんだ」
と、はっきりとした言葉で言ったクィンク。
それを聞いた『轟獣王』は『うむ』と言いながら頷き、共に構えを取りながらロゼロに敵意を、戦闘の眼差しを向ける。
それはシルヴィも、蓬も、コーフィンも同じだ。
倒れかけていたヌィビットもやっと血が止まったのか、ボロボロになってしまった服を掌で撫でながら起き上がり、ロゼロに敵意の眼差しを向けて、口に付着したままの紅いそれを見せつけるように嘲の笑みを浮かべると、それを見てロゼロは顔中に血管を浮き上がらせていく。
指先に力が入ってしまうほどの怒りを感じ、全身から湧き出て来る『力』を溢れさせながらロゼロは言った。
押し殺している怒りが零れてしまっている音色で、ロゼロは告げる。
「全員……、嬲り殺す……っ!」
「やってみろ粘着男――私はそこまで脆弱じゃないぞ?」
むしろ――トリッキーな戦い方をするぞ?
ヌィビットは告げる。
言葉でも嘲るそれを零した瞬間――ロゼロは怒りを、憎しみに変えて、爆発させる。
どろりと黒いそれを洪水の如く溢れさせて。
互いが互いに戦闘態勢になり、ボルテージが上昇してきた。
戦いに於いて『温まってきた』と言う言葉で表されるような空気は、きっと戦いが始まる前から湧き上がっているのだろう。
最も、ボルテージを上げたのがヌィビットであり、彼の場合煽って上げるというハイリスクハイリターンの方法でだ。
普通はこんなことはしない。
ハイリスクを抱えてまで上げたくない。先手を与えるほどの余裕もないのだが、それをしたのがヌィビットであり、ようやく戦う気になった。ようやく心を乱してくれたロゼロに感謝のそれを心の中で述べるヌィビット。
これでいい。
このまま全力で戦えば、相手の燃料も無くなる。
魔力と言うものは有限。
無限じゃないことは分かっている。魔法と言う力を使うということは魔力と言う燃料を使う。
なら燃料が無くなればいい。
無くなったら私達の勝利。
だが――
そうヌィビットは思い、シルヴィたちを見て、そしてアイアンプロトのことを見て目を細める。
細めながら彼は心境の中で否定を生み出す。
それは駄目だろう。
と――
同時に彼は思った。
魔力切れになるまでジリ貧は効率が悪いだろう?
タイムパフォーマンス、コストパフォーマンスが悪すぎるっ!
何よりたぎらないだろうっ?
なら――滾る方法をしよう。
「シルヴィ! コーフィン! 蓬! クィンク! やることは一つだ!」
ヌィビットは掛け声の如く声を上げ、その声を聞いた四人は頷いて武器を携えながら言った。
開口声を上げたのは――シルヴィだ。
「分かっている! この敵を倒すことだろう?」
「そうだ!」
シルヴィの言葉にヌィビットは同意し――
「ミンナソノ気持チデ武器ヲ構エテイルンダ。逃ゲルナンテ馬鹿ナコトハ考エナイヨ」
「分かっているなぁ!」
コーフィンも頷きながら『ヤマネコ』を構えて言うと、ヌィビットは頷きながら笑みを浮かべ――
「旦那様のご意思は何が何でも汲み取る所存です。旦那様の考えは私の考えです。異議なんて小指の甘皮もありません」
「流石だ! 私の従僕!」
クィンクに至ってはヌィビット第一の思考であるがゆえに否定なんてしない。その言葉を知っていたからこそ、もう一度それを聞いてヌィビットは小さく笑いを零しながら言い――
「相手の魔力が無くなればこっちのもんだから――使わせながら持久戦だね」
「違うっ!」
「そうそう……、は?」
蓬の言葉に、否定を放った。
まったく違う言葉を聞き、違う言葉として一瞬認識できなかった蓬は首を傾げ、顔に『あれ?』と言う三文字を表しながらヌィビットに「今なんて言ったの?」と聞くと、ヌィビットはあっさりと言い放ったのだ。
笑みを浮かべ、楽しんでいるその面持ちで――
「言っただろう? そうではない。持久戦などつまらないだろうっ?」
持久戦はつまらない。
それは言葉通りの内容で、それを聞いた蓬はあくどい笑みを呆れの顔にし、シルヴィとコーフィンも呆れるように肩を竦め、クィンクは構えを解かずにヌィビットの話を聞く。
持久戦をしない。
それはよくある『何分過ぎたら勝利』や、『何ターンまで耐えたら勝利』と言う、防御一択のイベントを指している。
ゲームをする人であればそれは理解している。ヌィビットも理解しているが、敢えてヌィビットはする選択を拒んだ。
というか持久戦なんてしたくなかった。
耐えることをしたくなかった。
逆に――勝ちたいと思った。
純粋な気持ち。
純粋に……、自分の力で勝ちたいと思ったから、ヌィビットは言った。
高らかに、真っ直ぐな自分勝手を――
「この世界では私達は無力ではないんだぞ? 力がある! 魔力がある! なにより戦うことができる! できるということは抗うことができるんだっ! 最悪勝つことができるかもしれないぞぉ? そう思ったら滾らないか? 滾るだろう?」
「おっしゃる通りです。旦那様」
「クィンク、やはりお前は私のことをよくわかっているな! そうだろう?」
興奮冷め止まぬとはまさにこのことだろう。
それを体現しているヌィビットに対し、冷静に頷くクィンクの行動にはさすがのコーフィンも慌ててしまう。
蚊帳の外になりかけているアイアンプロトは慌てながら『エ? エ?』と疑問の声を上げるだけで、話しの内容を全く理解していない。
いいや、この場合理解する方がおかしいのかもしれない。
心の底までゲーマーの人であれば、必ず理解できることだが、生憎この中にいる人はゲーマーではない。コーフィンはそうだが、他は一般人で、あとの二人はこの世界の住人なのだ。
ヌィビットが抱く感情。
それは――純粋な圧倒的な勝利。
圧倒的実力で勝つという、純粋でわかりやすい勝利を――ヌィビットは体験したかった。
実感したかった。の方がいいだろう。
「時間経過! そして魔力が切れた時こそ勝ちと言う戦法はいいだろう! それも戦略にして知略の一つ! だが、それはそれでつまらなくないか?」
「な」
「防戦一方はあまりにもつまらない! 迫力も高揚感、気持ちの高ぶりに欠けるだろうっ?」
「おい……」
「ならば全力を尽くして戦った方がいいだろうっ? その方がいいと私は思っている。且つ戦い勝利したほうが嬉しさが大きいだろうっ!?」
「マァ、説得力ハアル」
「コーフィン、お前ならわかってくれると思っていた! ならもう決まりだっ! 多数決により――戦おう!」
逃げることはなしだ!
ヌィビットは言う。
いいや、勝手に決めてしまう。
このままじり貧をしてもいいような展開の中、じり貧こそが勝率が上がる中――彼は戦って勝つことを勝手に選んだのだ。
自分の欲求を優先した結果。
まさに自分勝手の判断だ。
その光景を見ていた――会話を聞いていたロゼロは引き攣った顔をして困惑していた。
心境も困惑しかなく、一体何を言っているんだと言わんばかりの気持ちで見ている。
魔力切れもそうだが、勝つ気でいるヌィビットのことを心の中で『正真正銘の馬鹿』と揶揄するほど、ロゼロは認識を歪めてしまいそうになる。
歪めて歪めて、一体どれがヌィビットと言う人物なのかと混乱してしまいそうになっている。
――こいつ、本気で俺に勝とうとしているのか?
――本気で魔女相手に、『六芒星』相手に勝とうと思っているのか?
――馬鹿の思考回路だ。
――本気でそう思っているのならとんだ野郎だ。
――単純な思考回路なのか?
――いいやそんなことを思っている場合じゃない。
心で頭を振るい、目の前にいるヌィビットの興奮した面持ちを見ながら思った。
どれが本物なんだ?
と。
タイトルの英訳は、滅茶苦茶Ⅰ:憎しみの質です。




