PLAY132 嘘であってほしかった①
「不届き者って……その人……」
「おいヌィビット、いくら何でも冗談が過ぎるぞ……」
ヌィビットの言葉を聞いた誰もが言葉を失いながらクィンクが連れてきた存在――重鎮の一人でもある黄稽のことを見た後、再度ヌィビットのことを見る。
その見るという最中にハンナとシルヴィが声を上げたのだ。
そんなことありえない。
至極真っ当ともいえる様な言葉を。
「ふむ……」
ハンナとシルヴィの言葉を聞いたヌィビットは慌てるという素振りをせず、どころか冷静のまま顎に手を添えて考える様な仕草をしながら黙ってしまう。
……実際は黙ったままかもしれない。考えなんてないかもしれない。
本心と言うものが見えない、食えない男なのだ。何を考えているかなど手に取ったとしてもわからない。
わからない状態でヌィビットはハンナやシルヴィ。そして部屋にいるみんなに向けて彼は言ったのだ。
主張をするように徐に手を軽く広げ、『確かに』と同意のそれを言いながらヌィビットは発言した。
弁論を主張するようにはっきりとした発言で。
「一言で『不届き者』と言っても信憑性などないだろう。むしろ私が嘘をついていると言ってもおかしくない状況の中、重鎮殿の負傷に我が従僕の返り血の様。完全に私が悪だ」
「一度それでヘマして自分から牢獄に入ったドエムのくせに」
ヌィビットの言葉を嘲るように、蓬のほくそ笑む声が聞こえたが、それを無視してヌィビットはクィンクのことを見るために振り向くと、彼のことを見ながら続けて言う。
クィンクは現在進行形で黄稽の足首を掴んだまま無表情でいる。返り血が付着した状態で。
「だが今回の私は善だ。どころか被害者。どこかで被害者面をしているという言葉が出れば即反論する所存。私はこの男の所為で多少ひどい目に遭ったのだ。そのくらいは言わせてほしいものだ。普段ならば傷害罪で訴えたいが、それをする暇さえないから大目に見ようと思う」
「どこまで上から目線? つかここで裁判でも起こそうとか考えていたのか? 百パーセントの確率で負けるって」
クィンクのことを見ろと言わんばかりに手で指を指すように向けるヌィビットは胸を張った状態で発言する。最悪現実世界でこんなことがあったらの話をしだした時、顔面蒼白になりながら引きつった顔をしてキョウヤに話しかけているアキは、本当にするかもしれない恐怖に背筋に悪寒が走る感覚を覚える。
それはキョウヤも同じで、頷きながら顔を青く染めている。
きっとその光景を想像してしまったのだろう。そして察してしまったのだろう。
勝ち目がないと。
さて――話を戻そう。
ヌィビットの言葉を聞いたハンナは、ちらりとクィンクのことをもう一度、再確認をするように視線を向ける。
本当に視線だけでクィンクのことを見るだけだったのだが、嫌と言うほど見たくないものが目に入り込んでしまったからか、ハンナはまた口元に手を添えて視線を逸らしてしまう。
銀色に近いようなぼさぼさでごわごわしているような、肩より少し長い髪と前髪にも。黒い薄手のコートにも。その下には灰色の七分パンツにも付着しており、しまいには足の裏にべったりと足跡を残すかのように付着しているその様はまさにホラー映画のシリアルキラーだ。
それを見せつけるように主張を仄めかすヌィビットもヌィビットだが、それを見ろと言うのもかなりきついものだ。
クィンクの返り血もそうだが、特に見たくない黄稽の悲惨な姿も目に入ってしまうのだ。
嫌と言う言葉を吐けるのであれば吐きたい。
そんな気持ちが彼女のことを襲う。
「う」
急に襲い掛かって来る気持ち悪い感覚。
急に吐き気を催してしまったかのような逆流の感覚と、視界に入ってしまったせいで角膜に焼き付いてしまったのか――数回にわたって脳内にフラッシュバックする光景。
――こんなの、何度も見たと思う。
――なんでも嫌な光景を、何度も凄惨な光景を見てきたのに、これよりもマリアンダの情景の方が苦しかったのに……、何故か今回ばかりは吐きそうになる……。
ハンナは思う。
何度も経験しているはずの状況、そして耳に入っているはずの状況にも関わらず、何故か黄稽の悲惨な姿を見てしまった瞬間気持ち悪くなってしまったのだろう。
目をそらしてしまうような光景も何度も見た。
それでも吐き気を催すことはなかったはずなのに、何故か今になってそれを感じてしまい、体が拒絶している……。
どうして今になって拒絶してしまっているのだろうか。
それを考えても、答えは出てこない。
単純にリアルすぎるそれだったからか?
それとも別の何かなのだろうか……?
ちらりともう一度黄稽のことを見る。
何度でも言うが、肥満体質の鬼族の老人で、赫破と緑薙と比べると若く見えそうな肉付き。黄色い角を生やしているその者は半裸の状態だが、着物も来ていないのではないかと思ってしまうほど、贅肉と言う特徴で着物で隠れてしまっている。垂れた糸目と三十顎。大きな耳と常に笑みを浮かべているおちょぼの口が柔らかさを出している――ハンナ的には警戒していた人物が足首を掴まれた状態で引き摺られてきたその姿は、まさしく殴られてしまったその人の姿。
まさについさっきまで殴られていたという光景を物語る血の渇き具合。
まだ渇いていないそれは凄惨なそれを物語り、小さなうめき声を上げながら何かを訴えようとしている黄稽のことを見たハンナは、再度視線を逸らしてしまった。
まるで見てはいけないものを見てしまったという罪悪感と、見ていないという素振りをしてしまったという後悔を合わせた顔をして……。
「…………………………っ」
逸らすと同時にまた出てしまう吐き気。
うっと声が出てしまいそうなくらい拒絶として出てしまうそれは、ハンナの顔色を青くさせるのには丁度良い物であり、どころか効果てきめんと言っても過言ではない衝撃だった。
それはアキ達も同じだ。みんな同じであり、これを見て普通に接するということは、まず無理だろう。
視線を逸らさず、且つ直視しているヘルナイトは吐きそうになっているハンナのことを見下ろし、彼女の肩に手を添えた状態で『とんとんっ』と肩を軽く、本当に軽く叩く。
背中に手を添え、優しく叩くそれなのだが生憎ヘルナイトは立っている状態で、屈むことができない狭さだ。ゆえに立ったまま肩を叩くことしかできない。
しかしそれだけでも十分すぎる安心と言う存在だ。
只の安心だが、それでも嫌悪やフラッシュバックに対して紛らわすことができればそれでいい。出来たからこそ、ハンナは肩を叩いてくれたヘルナイトのことを見上げ、ヘルナイトの顔を見た後安堵のそれを零して一呼吸落ち着きを取り戻そうとした。
不安やいろんな負の感情、拒絶を一旦受け入れる態勢にしてから。
これでわかっただろうか。
そう、これは常人の反応だ。
第一ハンナ達が見てきたそれはVRと言う世界の光景であり、人伝で聞いて来た内容でもある。直接的なものもあったかもしれないが、こうして近距離で見てきた経験はかなり浅い。
よくあるボクサーの試合を見ると思う人がいるかもしれないことだが、人はその光景を見た瞬間嫌な気持ちになることがあるが、彼女が見ているのはそんなものではない。
生々しい光景はまさに嫌を通り越して恐怖そのものだ。
嫌悪でもなければただの怖いそのもの。
純粋に、日常生活で見たことがないものを持た瞬間、凄惨なものを見てしまった瞬間行動する――普通の行動だった。
常に命を狙われている者か、もしくは日常的に血と暴力、そして凄惨なものと隣り合わせで生きている者でなければ耐性なんてつかない。
この状況に対して普通でいる方が、おかしいという事。
そう――この状況下で普通に話しているヌィビットと、それを直接したクィンクは、その世界の人間なのだということが分かってしまった瞬間だった。
そんなことを知らされたからと言って、ヌィビットの言葉が止まることはない。
むしろ『聞いてほしい』、『こんなことがあったんだから聞いてくれ』と言わんばかりに、ヌィビットは赫破と緑薙、そして粉に場にいる鬼族全員に向けて言ったのだ。
こればかりは聞いてくれ。これは重要だと言わんばかりに、大きな声で、選挙でもするかのような面持ちで――
「順を追って説明します。まず――私はあなた方がご丁寧に用意してくださった牢屋の中で、大声で叫ぶリョクナ殿の話を聞いていました。ですがその声も小さすぎて、内容まではあまり聞き取れませんでしたが、相当気が立っていることは理解で来ました。このままでは血圧が上がって最悪死んでしまいますよ?」
「っ!?」
「それはそうだろう? 障子も開きっぱなしだ。郷の者達全員に聞かれている」
ヌィビットの言葉を聞いた緑薙は驚きよりも愕然、僅かな羞恥を織り交ぜた顔で赫破のことを振り向きながら見ると、聞かれた赫破は呆れながら腕を組んで『当たり前だ』と言って溜息を零す。
聞かれていることに対して驚いていたのはハンナ達も一緒で、それを聞いていたシェーラは障子戸の外にいたシルヴィたちのことを睨むように見ると……。
シルヴィは自分の顔の前に両手を合わせて謝罪のそれを見せ、コーフィンもそれに乗る様に同じようなポーズを片手ですると、蓬は口元に手を添えて込み上げていた笑みを隠していた。
当然隠し切れない笑みと謝罪のそれを見ていたシェーラは小さく溜息を零すと、俯きながら頭を抱えてしまう。
――それは聞こえて当然だし、気になったとしても仕方がないことね……。
そう心の中で思いながら溜息をもう一度吐く。それを見ていたハンナも理解すると同時にシェーラの背中を撫でながら心の中で呟いた。
――もう遅いよね。
二人の心の会話が奇跡的に成立した時、ヌィビットは赫破と緑薙に向けて続きの話を向ける。
『ええ聞いていました』
煽っているのかと言わんばかりの開口を吐き、緑薙の怒りの視線を目の当たりにしても、ヌィビットは続けて言った。
「私自身、興味本位で行くことはありませんでした。と言うかできなかったので行く気はなかったのですが、そんな時、とある人物が私の目の前に現れたのです。敵意剥き出しで、且つ私に全てをなすりつけた後でこの郷から出て亡命しようとしていた者が」
「?」
「全てを?」
「ええ全てですよ。勿論、ここまで言えば――」
もう、理解したと思いますが?
一瞬、ヌィビットの言葉が岩のように重く感じた。
ずしんっと来るその言葉はハンナ達からすると――ようやく理解して言葉を失い、驚きのまま目を見開いていたのだが、鬼族だけは違った。
厳密には――蒼刃以外の鬼族が言葉を失いながら目を泳がせていた。
それは困惑と言う乱れ。
そして……受け入れたくない真実に向き合っている状況なのだ。
ヌィビットの言葉を聞いた誰もが思っただろう。
一体誰が?
純粋な気持ちに聞こえてしまいそうだが、この言葉に含まれる本音はまるで違う。
鬼族の誰もが思っているだろう。赫破も、緑薙ぎも思っている。
理解してしまった瞬間、否定と言う言葉が頭を覆い尽くそうとする。そう理性が行動させているのだろう。
今まで一緒だったのだから。
今の今まで頑張って来た同士だから。同胞だから。
だから信じたくない。
信じさせようとしているこの存在こそが悪なんだ。
だが、ならなぜ信じる意思が、折れそうになっているのだろう……?
本当は、こんな真実聞きたくないのに。
色んな意思が、複雑になっていた意思がどんどん単調になっていく。
信じたくない意思が真実を前にして俺て行くその光景は、まさに絶望。
絶望の二文字がそれを証明し、最も正解に近いものへと変えていく。
簡潔に言おう。
信じたくないけれど、それが真実なんだ。
それをわからせていくヌィビットの言葉とこの状況。
きっと間違いだ。そんな言葉で頭の中を埋め尽くそうとしているが、それでもさえも消えてしまう。
真実は残酷だ。
まさにその言葉が正しいような今。
ヌィビットは今まさに残酷ともいえる真実を箇条書きのように伝えた。
伝えた後で少し間を置き、頃合いを見て真実を詳しく伝えようとしている。
それが――今。
今この瞬間、ヌィビットは口を開き、困惑して頭の中を整理している鬼族達の目の前で、真実から目を背けようとしている鬼族達の目の前で――赫破と緑薙の目の前でヌィビットは告げる。
ハンナ達にも伝えて、この騒動のことをこと詳しく伝えるために、彼は告げる。
徐に手をクィンク――ではなく、クィンクの手によって掴まっているボロボロになった黄稽に向けて……ヌィビットは告げた。
「理解できないのであればもう一度伝えます。もう一度、わかりやすく言います。私は、この男に濡れ衣を着せられ、あろうことかこの男は濡れ衣を着せた私を国に突き出し、功労者としての名誉を背負ったまま亡命する気だった」
自分こそが鬼の郷のことを『六芒星』に伝えた張本人であり、スパイの立場でいたパトロンだったのです。




