PLAY131 過去の囚われ人――緑薙①
もう――古い怨恨に縛らなくてもいい。
その言葉は人の言葉であればあり得る話だが、鬼族視点ではあまりにもありえない言葉だった。
鬼の憎しみは尋常ではない。そしてそれは普通に聞いてしまえば執念の塊と思っても仕方がないほどの感情だった。
欲望のために差し出された鬼族の命。
他種族の邪な感情――金と言う潤いを手に入れるために仕組まれた罠により、鬼族達は一時の安らぎを奪われてしまった。
永遠の苦痛と恐怖、そして憎しみを植え付けることになってしまった。
永遠と言えど実際は永遠ではない。
時間もあれば年数もあるが、それでも長い間命からがら逃げてきた人からすると、それは延々にも感じられそうな記憶。
トラウマと言うものが長い年月をかけて植え付けられてしまったのだ。
恐怖や痛みは記憶の奥底で眠り、唐突に甦ると同時に心を蝕む。
同時に湧き上がる怒りと悲しみ。そして――自分達を陥れた他種族達への恨み。
恨みと並列して湧き上がる――殺意。
自分達はこんなにも辛い思いをしている。こんなにも苦しい思いをしているにも関わらず、お年いっれた一族たちはのうのうと、小さな幸せを噛みしめている。その幸せを噛みしめていること自体――どんどん許せなくなってきた結果、彼等は憎しみの化身と化してしまった。
憎しみの化身の典型的な姿。
それを表す人物がいるとすれば――それは緑薙だろう。
彼女はまさに憎しみの化身と化してしまった哀れな鬼族だ。
重鎮の中で唯一の女であり、鬼族の中で最も悲しい存在なのかもしれない。
重鎮は鬼族の中でも偉い地位にいる存在であり、最も鬼族の過去を知っている――否、体験している存在だ。
老人である鬼族は聖人となった鬼族より多い。
だが憎しみの根源となった体験の日々を送った鬼族は――今となっては数を数えるほどになってしまったのも事実で、その中には重鎮も含まれている。
含まれているからこそ、忘れてはならないと緑薙は思っていた。
思っていたのだが、同じ境遇を歩んできた赫破は、違っていた。
今の今まで考えが同じだと思っていた赫破、黄稽、紫刃が、まさかの言葉を放ったのだから。
自分でも想像していなかった言葉を――
(何故だ赫破………)
緑薙は思った。怒りで狂いそうになる思考の中、彼女は必死になって思考を巡らせた。
全身の血を身体中に巡らせるように、彼女は考えを巡らせて、正解を絞り出そうとした。
(何故なんだ赫破……! 何故そのようなことを言う……っ!?)
(お前は忘れてしまったのか……っ!? 儂等の安息を、儂等の幸せを奪った輩のことを、許すような言動を口にする? お前も忘れていないだろう?)
緑薙は思い出す。
幸せと思っていたあの時のことを。
(儂は忘れていないぞ……っ! 儂は覚えている! あの子のことを覚えている! あの子が苦しんで助けを求めていたことも覚えている! 今でも聞こえる!)
幸せを思い出し、悲しみを思い出していく。
(あの子を殺した国の輩を、儂は許さん……! 儂の宝だったあの子を殺した奴を、許してはおけぬ……! そうだろう?)
思い出し、緑薙は心の叫びを心の中で叫ぶ。
自分にとって、宝物だった――息子のことを。
(そうだろう!? ○○っ!!)
◆ ◆
「赫破……、それは本気で言っているのか? ほ、本当に……」
「ああ、儂は本気だ。お前の恨みは理解しているつもりだが、言っていい事、悪いことくらいは分かるだろう」
緑薙は震える瞳孔と口で赫破にきいた。
それは本当のことを言っているのか。
本当に――『もう――古い怨恨に縛らなくてもいい』と言う言葉は、心からの本心なのかと。
もし本心ではなく冗談で言っているのであればただでは済まさないつもりでいる。いるのだが……、赫破の目を見て緑薙は思った。
理解してしまった。の方がいいだろう。
赫破は――本気だ。
本気でこの言葉を口にしているのだ。
今まで歩んできた仲間からの裏切りの言葉。
数少ない信頼をしてきたからこそ、彼が放った言葉はまさに大打撃の裏切り。
自分が今までしてきたことを、抱いてきたことを無下にされたかのような仕打ち。
「……ううううううっっっ! あ、赫破あああああっっ! 貴様ボケたのかっ!? 忘れろと言うのかっ!? 儂等が今まで受けてきた仕打ちを忘れ、あの他種族共に手を貸せとでもいうのかっ?!」
「そうとは言っていないが、手を貸すことくらいはできるだろう? 儂は手を貸そうと思っている」
「それこそが頷けぬ原因だっ! 手を貸す? 儂等の命を狙ってきた輩共の命を助けるために、自ら命を差し出せと言うのかっ? 自ら肉壁になれとでも」
「肉壁になれとは言っていない。更に言えば命を差し出せとも言っていない。共に生き残れるように戦おうと言っているだけだ」
「そのような……」
「緑薙――もう我儘は言うな。これはもうやらなければいけないことなんだ。身勝手な我儘は己だけではない。他人や関係のないものまでも巻き込んでしまう。何度も体験しているはずだぞ? なぜそこまで固執する?」
「っ!」
固執するのか。
その疑問に対して緑薙は答えない。
答えないどころか言葉すら発さず、ただ歯軋りの音を立てては畳に赤いそれを残していく。
怒りのせいで言葉にすることができない。はたまたはあまりに頭に熱が集中しているせいで思考が遅路かになっているのかもしれない。その真相は分からないが、それでも緑薙は赫破の言葉に――質問に答える様子はなかった。
それは緑薙の背後で聞いていた老人の鬼族達も同じで、視線を逸らす者や俯いてしまう者など、様々な仕草をして黙ってしまう。
まるで図星を突かれたかのような黙り具合。
それを障子戸越しで見ていたリカはコーフィンに向けて小さな声で『図星だったのかな?』と聞くが、徐に手を出し、返答として『ソレハ言ッテハイケナイ』と言いながら静かにリカの口を手で押さえたコーフィン。
二人の声が聞こえていたキョウヤは内心コーフィンにナイスファインプレーのサインを心の中で出すと、少しの間歯ぎしりをしていた緑薙はやっと言葉を吐き捨てた。
歯軋りと同時に出てしまった血と、口の中に溜まっていたのか、小さな唾液の球をいくつも吐き捨てながら――怒り狂う顔と声で、本音と言う名のそれを赫破に向けた。
脳裏に焼き付く、今でも忘れられない。忘れることなどできない自分の息子のことを思い出しながら……。
「――お前にはわからんっ! 血のつながったものなどおらん輩に、儂の気持ちなどわからんだろうっ!? 理解してくれると思っていたのが間違いだった! 儂は逃げていく最中に失ってしまった! 逃げて移り住んでいた場所で儂は……、儂は……! 儂はぁ……、息子を喪ったっ! まだ若かった……。まだこれからと言う時に奴らはあの子の角を圧し折った! 金のために汚らしい笑いを上げるあいつらに! 儂の息子は犠牲になってしまった!」
空気に衝撃と言う名の重みが圧しかかる。
知っている老人達も、知らなかった若い世代の鬼族も、ハンナ達もこの言葉を聞いた瞬間驚愕し、そして理解して納得した。
緑薙がここまで他種族を嫌う理由。憎む理由。
それは、彼女の息子が亡くなってしまったことが原因だった。
血が繋がっている者の死はとてつもない衝撃と喪失であり、最愛の者の死と同等、それ以上の悲しみになってしまう。
それを聞いた誰もが言葉を失い、蒼刃もそれを聞いて無言のまま緑薙のことを驚きの眼で見つめていた。
蒼刃自身も初めてのことで、赫破も初めてと言わんばかりに驚きの顔をしていたのだ。
つまり――緑薙はこのことを誰にも話していなかった。話していなかったのだ。
「……なぜそのことを隠していた? 儂等にも言えぬことだった。と言う事か?」
赫破は聞く。驚きの顔を平静に戻し、本心を吐き捨てた緑薙に対し聞いたのだ。
どうして教えてくれなかったのか。
それを知るために。
赫破の質問に対し緑薙は荒げていた呼吸を整え、一度深呼吸をしてから――彼女は返答した。
先ほどの荒げによって体力を削られてしまったのか、少し小さな声で……。
「……儂等は、元々一緒だった。が、それは厳密には長い間一緒にいたというだけで、実際儂と黄稽は違う郷の出身だった」
「ああ、そうだな。黄稽は砂の国の端に位置する波辺がきれいな郷出身。そしてお前は――アノウンの山脈に住んでいる鬼族の村の出身だったな」
「「?」」
「「?」」
赫破が放った言葉を聞いて反応を見せたのはプレイヤー達であり、特に反応を見せたのはアキとキョウヤ、シェーラとハンナだった。
リカとコーフィン、シルヴィと蓬、そして虎次郎は赫破の話を聞いて驚きと理解の顔をしながら『そうなんだ』と言う面持ちで聞いていたが、この四人だけは違っていた。
聞いているだけだったら普通に聞いていた。
聞いていたが、ある言葉を聞いて何かが引っかかったのだ。
赫破が緑薙に向けて言った出自の話――アノウンの山脈に住んでいる鬼族の村の出身という言葉を聞いて、何故か聞いたことがあると思ってしまったのだ。
――あれ? これって……。
思い出そうとして眉間に手を添えるアキ。
――どっかで聞いたな。
思い出そうと首を傾げ、記憶の細部まで脳内で確認しているキョウヤ。
――最近……、じゃないわね。多分何ヶ月か前に聞いた気が……。
腕を組みながら自分の記憶を漁り、どのくらい前なのかを推測したシェーラ。
そして……。
――これ、もしかして……。
赫破の言葉を聞くと同時に湧か上がる様に思い出していく記憶に、ハンナは心の中で困惑した。
混乱していた。の方がいいだろう。
どくどくと心臓の音が激しくなっていく。それは焦りではない。興奮でもない。
純粋な困惑によるもの。
こんなことありえない。そんなことがあるのか。
まさかここで繋がっているとは思っても見なかった。
そんな思考がハンナの頭の中を駆け巡り、それと同時に彼女は思った。
――世間は狭い。
――その言葉がまさにこれなんだ。
彼女は思う――視線の先で本心を吐き出した状態で赫破のことを睨みつけている緑薙のことを見て思い、そして視線を下に向ける。
困惑の次に湧き出てきた再発の恐怖。
それを思い出してしまい、彼女の殻が僅かに震える。震えと同時に拳に力が入ってしまい、自分の掌に爪を突き立ててしまう。
痛みなんて感じない。
感じる余裕がない状況だからか、彼女の肩に手を乗せているヘルナイトのことにも気付いていない。
ハンナが考えを巡らせている時、すでに肩に手を置いていたヘルナイト。彼女のことが心配で、気を紛らわせることができればと言う些細な事で手を置いたが、その行動も無駄に終わってしまった。
そこまで集中している考え。
それはヘルナイトも理解していた。
彼自身、穴だらけの記憶の状態だが、その穴が一つ埋まったのだ。
赫破の言葉を聞いて、赫破の言葉をきっかけに思い出したのだ。
あの時、あの人物に言った言葉の裏にあった真実。
そしてその真実の伏線となる言葉を聞いたのだから。
「アノウン大地の鬼……」
ヘルナイトは呟く。
自分が思い出した言葉と赫破の言葉を聞いて……、彼は小さく言葉を空気に向けて、小さく、そよ風のように放つ。
「あいつが……」




