PLAY125 ボロボを掛けた戦いの幕開け⑤
善にとって――それはいつもの光景にしか見えなかった。
◆ ◆
現在、善は得物から手が離せない状況になり、現在進行形で攻撃を受ける……。攻撃される瞬間に陥っている。
普段の時間であれば、あっという間に善は顔にいくつもの穴を作り、喉を貫通して声は愚か息すらできない状態になり――確実な死を体感するであろう。
だが人と言うものは恐ろしい生き物だ。
人は知識と言うものがある。そして人間と言う本能を持っている。
今回はその本能は研ぎ澄まされた結果、善が見る世界が遅くなったのだ。
漫画の話しかよ。
そう思ってしまう人もいるかもしれない。
実際世界がスローモーションになることなんてありえない。何がの出来事があり、その衝撃が自分に向けられたとなれば、一瞬で記憶が飛んでしまい、残るのは痛みと理解できない思考回路だけ。
いうなれば置いてけぼりにされてしまうのが目に見えている。
そんな状況こそが現実なのかもしれない。
だが善は見た。
すべてが遅くなるような、亜空間のような感覚を。
まるで、自分だけ別次元に飛ばされてしまったという話しではなく……、同じ空間にいるにも関わらず、別のところにいる様な、そんなあべこべのような感覚。
自分がいる世界とラージェンラ達がいる世界がいつの間にか別れてしまい、それが二重になってしまった。多重空間になってしまったの方がわかりやすいかもしれない。
そんなことを延々と、黙々と無言の状態で考えていた善であるが、彼の思考は冷静そのものだった。
(状況は、まさに絶体絶命。だが確実に死ぬというようなそれじゃない)
善は思う。
思考分析をし、今の状況で自分は死ぬのか、死なないのかを冷静に分析したしたのだ。
ゆっくりになった時間を利用してなのか、善は長考と言えるような思考を行おうとしたが、答えは早く出てしまった。
ゆっくり考えたとしても、結局結果は一つしか出ない。
出ないからこそ彼は結論を出した。
(これは完全にチャンスだ)
そう結論付けた。
死ぬか死なないかの思考だったはずが、まさかの斜め上の結論を出した善。
頭が狂っているかもしれない。今現在進行形でも死ぬかもしれない。否、確実に死ぬかもしれない状況であるにも関わらず、彼は死なないと断定し、しかもこの状況をチャンスとして受け止めたのだ。
完全に頭がおかしい。
そう思う人も少なくない。
しかし善は真面目だ。大いに真面目に考えている。
考えた結果がこれなのだが、それでも彼はこの答えに疑問どころか絶対のチャンスが成功することを確信している。
何故そう思うのか。
普通の人であればいろいろと考え、打開策を練るかもしれないが、善はそんなことはしない。沈着冷静の思考でチャンスの構築を着々と積み上げていく。
よく見る積み上げて消すパズルゲームのように、どんどん思考を確立していきながら善は思う。
(こんなおいしい状況が来るだなんて思っても見なかった)
(元々これは『残り香』相手に使おうと思っていたが、その『残り香』が纏っていた黒い靄の所為でうまくできず、どころか何度も何度も死ぬ羽目になってしまって……、あれの比べたらこの状況なんて運電の差がある。月と鼈のようなそれだな)
…………どうやら善は『残り香』相手の戦いの時に何度も死んでしまっていることから、このくらいの死闘など、絶体絶命など絶体絶命ではなくなってしまったらしい。
何といえばいいのか……、死に過ぎて慣れてしまうというのは悲しい事である。そして、その慣れに対して抵抗も何も感じていないという善の思考に対していささか不安になってしまうのも事実である。
だが、その慣れてしまった思考は今まさに着いたわけではなく、彼の半生の中で見に着いた経験であり、同時に身に着けなればいけないい斬る術でもあるので仕方がない。
だからこそ彼は冷静に考えることができた。
そしてこの状況をチャンスと見なしたのだ。
何故チャンスなのか? なぜこの絶望的な状況をチャンスと見なしているのか?
それに関しては後に明かされることになる、今言えることはこれだけである。
善はエドのチーム『レギオン』の所属『キラー』であり、詠唱を持っている存在であることだけは、明かしておく。
◆ ◆
「そろそろだから」
そろそろ。
その言葉の意味が一体何なのか。一体何がそろそろなんだとハンナはこの時思った。
一体何がそろそろなのかも理解できない状況の中、戦闘と言う時間だけは過ぎていく。
無情にも過ぎていくそれはまさしく時間との勝負を表しているのと同じ。
だが善の思考は正常であり、時間も正常に動いて、進行していた。
冷静に、己の喉と顔に突き刺さるであろうそれを至近距離で見つめながら――だ。
まさに恐怖そのもの。
絶望しか感じられない状況の中でも善は冷静に分析し、そして打開策を練っていた。
今の状況を見て、内心できると思いながら……。
(よし……、これはいける)
(状況は最悪だが、俺のコンディションはいい。神力も減っていないだろう。減っていたらもしかしたらと言う事もあったが、それもないな。十分頭の回転もすこぶるいい)
(こんなの現実の方が難しいが、この敵は自分の力に絶対的な自信を持っている。自分の力に対して過信もしていないが過少もしていない。評価からしてみれば人格者のようだが、そうでもない)
(これは一種の力に魅入られているかのような、催眠にも近いようなもの)
(自分の力こそがすごいもので、この世界を蹂躙するにはうってつけで弱点なんてないと確定しているような感じだ……)
(自分の力を信じている。自分の力があれば何でもできる)
(そんなことはない。絶対に弱点もある。絶対に突破口もあるはずなのに、それを信じない姿はまさに陶酔だ)
(自己心酔に近いものだ)
(どんな奴の力にも欠点だってあるだろう。俺もその一人で、このことを知っているのはレギオンしかいない)
(……自分の声が何だか軟弱みたいに聞こえるから、恥ずかしくて話せないだけだが……、それでもみんな知っている)
(この状況の中、相手にとって俺の『詠唱』は最大の攻撃になることを――)
善は自覚している。
自分にとって得意不得意を理解しつつ、この状況こそ自分の得意を、自分の力の本領を発揮できる時と理解し、その理解が覚悟へと変わった時、善は徐に手を伸ばす。
自分の手にもう片方の手を重ね、両の手で自分の得物を握っている状態にして、力を籠める。
ぐっと――己の手を掴んで放そうとしないラージェンラの手に重ね、その手も離さないように握るように重ねると、ラージェンラも異変に気付き顔を変える。
今までの狂気から驚きが混じる異変のそれに……。
その顔を見て、重ねている手に力を入れたまま善はそっと口を開ける。
己の中に流れるそれを剣先に向けて、突き刺さっている箇所に集中させるように念を込めて――
言い放つ。
「――『粉骨砕骨・散々屈折』」
まるで四字熟語のようにも感じる言葉をつらつらと、舌を噛まずに……。
「?」
言葉を聞いたラージェンラは一瞬不意を突かれたように首を傾げそうになる。
一体何と言ったのかわからない。
一瞬だけ理解できない様な言葉が並んだ気がしたが、それでも理解しようとして思考を優先にし、攻撃の手を一瞬止めずに動かした。
そして――
びたり!
と……、善の喉と顔を串刺しにしようとしていた切っ先を、返しがついている赤黒い……、己の血で創造した武器をなぜか止めてしまった。
善の柔らかく、刃をスライドさせるだけで死んでしまう首元一ミリのところで、眼球に障ってしまいそうな一ミリの距離で止めてしまったラージェンラ。
なぜ止めてしまったのか。
なぜ攻撃の手を止めてしまったのか。それは彼女と善にしか知らない。
知らないが、後に理解することになる。
善が言い放った理解できない言葉の真意を。
自分の身に起きたことがきっかけで、最悪の事態になっていることに……。
全身が痛いのも、内部が痛いのに体から血が出ていないのも、きっとこれの所為だと思いながら彼女はおそるおそる己の体を……、特に上半身を見下ろす。
見降ろして――言葉を失ってしまう。
遠くで声が聞こえているが、それに聞く耳を立てずに彼女は驚きのそれを浮かべる。
なにせ――己の両腕が力ない振子のように揺れ、肩に力を入れても、腕に力を入れても動かない。否――外側の攻撃を受けず、内部で折れている己の両腕を見て、善の狡猾な笑みを見て驚き、善がしたのだと理解したのだから。
「っ! い……!」
だらりと弱々しく揺れる振子になってしまった両の手。
どんなに力を入れても、どんなに動かそうとしても動かない。
どころかそこだけ司令官を失ってしまったかのように脳の伝言を受け付けない。
信号どころか端末も壊れてしまっているかのように、腕だけが別の生き物――いや、死んでしまった何かをくっつけられたかのような感覚。
――これは……、まさか……!
善が言い放った理解できない……、否、言い放った言葉に対して、ようやく理解したと言った方がいいだろう。
ラージェンラ確信した。
善が言っていた長く、四字熟語が二つ付いているような長い言葉。
内容は分からないが言葉の節々に悍ましさがにじんでいるようなそれを思い返し、欲考えれば簡単な言葉の数々と、言葉を理解してラージェンラはやっと理解する。
「あ、んた……! この詠唱……っ!」
苦々しく発したラージェンラの言葉に対し、善は不敵な笑みと共に顔を上げ、ラージェンラのことを見つめて言う。
シロナにしか翻訳できない『ん』という言葉ではなく、ちゃんとした言葉を――
「血を出したら終わりなら――内側をぐちゃぐちゃにしてやったほうが楽だ」
□ □
瞬間――
一際大きな骨折音が辺りに響き渡った。
ごき。
最初は一つの折れた音。
その音は何度も聞いたことがある音で、その音が耳に響くと私は音の根源を追おうと辺りを見渡そうとした。
そう、本当に見渡そうと始めようとした時――追い打ちのように襲い掛かって来る。
ゴキゴキゴキベキメギゴキュベキボキボキボキボキ!
ボキボキボキボキボグンッ!
バキバキゴキンッ!
メギャバキバキゴキキッ!
「っ」
聞いたことがある音と同時に聞こえる嫌な音。
聞いたことがある音も重なって聞こえてきて、正直聞くのも嫌になる様な音ばかりで全身の血の気が引いてしまうのを感じてしまった。
本当に、体中寒くなると同時に汗が熱を逃がそうと脳の誤発信に従ってだらだらと流れていく。
異常事態と言うか、急に緊張が走る様な感覚を私は感じてしまった。
要は――恐ろしい。見たくないという恐怖。
それはナヴィちゃんも感じてしまった……、あ、違う。見てしまっている。泣きそうな声で唸っているからきっと見てしまったんだろうな……。もう顔を背けて泣きそうに眼を潤ませている。
私は丁度ナヴィちゃんの頭で見えなかったから、その後も逸らすようにナヴィちゃんの頭を追いながらナヴィちゃんの頭を撫でて「だ……大丈夫じゃないね。よしよし」と言いながら慰める。
なでなでと撫でていると、隣で見ていたエドさんはその光景を見て――
「いやー、善の『詠唱』はまさに砕きにかかっているねー」
と言って、遠くを見るようにおでこの所に手を添えながら言っていた。
恐ろしく……ではない。なんだか安心と言うか、そんな負の感情なんて一切ないような音色で言うエドさんに、私は彼のことを見下ろし、おずおずと「どういう事ですか……?」と聞くと、エドさんは善さんのことを見るのをやめず、私に向けて――
「そのまんまだよ」
と、静かに、はっきりと断言した。
そのまんま。
捻ってもいない。どころか正直に見たことを言っているかのような、聞いた音はまさにそういう小糸だと言わんばかりに言うエドさん。
しかも善さんの『詠唱』って言っていたけれど……、まさか……。
そう思っていると、エドさんは私のことを見ずに解説を始めた。
前線での変化に目を配りながら――
「善が持つ通常詠唱――『粉骨砕骨・散々屈折』は、その名の通り骨をバキバキに折るだけの詠唱なんだ。いうなれば『部位破壊』を速攻で出すことができる詠唱でもあり、ただ折るだけじゃなくて複雑骨折のように細かく折って、ぐちゃぐちゃにするように折るだけの詠唱なんだ。シンプルで効率よく『部位破壊』ができる実践向きの詠唱。でもそのためには対象に得物を刺さないといけない。通常なのに発動条件がある詠唱なんだ」
「つまり……、敵を刺して『詠唱』を唱えた瞬間、折れるってことですか?」
「そう――ぐちゃぐちゃに、べきぼきに」
オトマトペって言うのかな、その効果音が滅茶苦茶怖い。
最初に思ったことがこれで、次に思ったのが――シンプルだけど怖い『詠唱』だ。
と思ってしまった……。
だっていくつもの複雑骨折を与えるって言う事だよね……? 折れるだけでも痛いはずなのに……、それを何度もって……。
「~~~~っ」
やっぱり、痛いよね……。
思わず自分の型を抱きしめて震えてしまう。寒くて震えているわけではない。痛そうで怖くて震えてしまったのだけど、それを見ていたのか――エドさんは「でもね」と付け加えるように私に向けて言うと、エドさんは戦場を見ながら言う。
淡々としているような目を細めて、ただ言葉を言い放っている――感情なんてない音色で彼は私に言う。
冷たくもない、温かくもない――何の気温も感じないそれで……。
「これは常套手段なんだ。戦いと言う世界の中で、常識とか優しさとかは……、いらない要素になってしまう。勿論回復とかの癒しは必要だ。勿論この世界に於いて『浄化』も必要だ。この世界の人たちは心の底から安息を、平和を願っている。天下泰平と言えるような、毎日がのどかな世界を望んでいる」
「のどかな世界……。それは」
「君は――『浄化』と言う力に選ばれた存在だ。でも描いていた存在とかけ離れているのは……、きっと……」
「?」
きっと。
その後の言葉を詰まらせたエドさん。
何故なのだろうか……、どことなく……、違う。もしゃもしゃがそれを少しだけど漏れ出している。
青くて、冷たいけれど、仄かに温もりが零れているような、悲しいけれど温かさもあるもしゃもしゃを……。
一瞬黙ってしまったことで会話が途切れかけたけど、エドさんは気持ちを切り替えるように頭を振って、再度みんなが戦っている光景を見て言う。
「……君は『浄化』と言う、傷つけない力を手に入れているからわからないかもしれない。これは普通なんだ。戦って、誰かが傷つくことは、戦いの世界において日常茶飯事なんだ。悲しい真実で、痛々しい事に聞こえてしまうかもしれないけど、これは本当に揺るがないことでもあり、みんながしていることは普通なんだよ」
「普通に、戦って勝利する。戦いって言うのはそう言うもので、ゲームみたいな展開なんてありえない。血を流さずに戦いを終わらせて、且つみんなが幸せになることなんて、ご都合主義みたいなこともまずありえない。誰かが傷ついて、誰かが得をする。これが現実で、普通の流れ」
「…………………………」
「痛いとかそんなことを言っている間に殺されるのも。血が流れることも。戦いと言う中では日常なんだよ。善がしていることも戦いを有利にするための方法の一つ。相手も殺す気で戦っているんだから、それに対して応えた結果がこうなっただけ」
痛いとか、相手を労わることに対して完全に否定はしないけど、あまり褒められることじゃない。
その発言は、戦っている人にとって――
侮辱だよ。
エドさんは言ってくれた。
戦いと言う世界を教えてくれた。それは、私が何度も見てきた光景なんだけど、それを何度も何度も痛感させるかのように言うエドさんの言葉に、私は否定どころか、光景すらできないほど聞き入ってしまっていた。
ただ聞くことしかできず、聞くことに徹していたせいでみんなの戦いを忘れそうになってしまう。
……違う。見ることができなかった。見ること知ら忘れてしまいそうなほど、エドさんの言葉は私の心を揺らした。
戦いの世界において、善さんの行動は普通であり、戦いの世界において傷つくことは普通であり、血を流すことも普通なんだと。
死ぬことに関しては何も言っていないけれど、戦いと言う世界では死も背中にくっつている。
死と隣り合わせ。
その状況下でみんな戦っている。
死ぬかもしれない状況の中で戦っているのに、私は戦っていない。そんな戦っていない人が痛がるのはどうなんだ。
きっと、そんな感じで言っているんだと思う。
人が一体どんな気持ちで言っているのか。本心はどんな気持ちで言っているのかは、やっぱり言葉にしないと伝わらない。
今までは自分の感情の思うが儘に行動している人たちが多かったけど、エドさんはそんなの出さない人で、きっとこの時初めて、私に対して本心を言ったんだ。
私の行動はみんなに対しての侮辱だって……。
「侮辱……か」
ナヴィちゃんが私の変化に気付いて振り向きながら弱々しい唸りを上げる。きっと慰めようとしていると思うんだけど、私はその声ですら聴くことができなかった。
ううん。返答ができなかった。
エドさんに言われた侮辱に対し、苛立ったわけじゃない。考えすぎていると言われてもおかしくないけれど……、私は考えてしまった。
私は……。
私は………。
と思った時――
背中から真っ黒くて、吐き気を催しそうな黒いもしゃもしゃを感じた。




