PLAY123 忌まわしい記憶と燃える夢⑤
ディドルイレスとラージェンラは叫んだ。桜姫が逃げたことに対して叫んでいた。
そして丁度その時――桜姫は絶賛逃げている最中だった。
そう――あの時塞がれていた地上へのドアをくぐって、彼女は今――地上へと続く階段を上っていた。息を切らし、壁に手を付けながら……、必死になって。
「はぁ……! はぁ! っは……!」
桜姫は駆け上がっていた。
石で作られ、人為的で不格好さが目立つ不安定な足場の石造りの階段を駆け上り、周りも急ごしらえと言わんばかりの石煉瓦で作られた壁に手を付けて、彼女は一秒でも早く、一歩一歩足を進めていく。
明かりがない通路で、最悪手元に明かりがなければ見えないほど薄暗い石の階段を影上がりながら彼女は思った。
「はぁ……! ぜぇ! けふっ! げほっ! はぁ……! はぁ……っ!」
急ぎ、呼吸もままならなくなり、息を切らしながら彼女は駆け上がる。ただただ心に秘めていることを心の中で呟きながら……。
早く。
早く。
早く登らないといけない。
早く出口について。
出口見えて。
お願いっ! ここから逃げる時間を頂戴! 神様がいるのは知っている! 神様お願いします! 女神さまお願いします! 私を助けて!
あの二人が言ったことを伝えないと!
このままじゃ……、このままじゃ……!
早くっ!!
「は、早く……! はや……く! しないと……っ」
その意思が勝れば勝るほど喉が渇き、呼吸すらわからなくなってしまいそうなほど苦しくなる。
どころか運動不足がたたったのか、脇腹が痛くなったのは気のせいではない。今の今まで激しい運動をしてこなかったのだ。
しかも武骨な石煉瓦の造りの所為で指の腹や掌から血が零れていく。
少しずつ切れていくような感覚も相まって、痛みの所為で止まりたくなってしまう桜姫。
だが止まってはいけない。
あの二人に掴まってしまったら……、殺されてしまうかもしれない。
その不安が彼女の気力を大きくし、活力となって駆け上がる力を与えてくれる。
要は死にたくないという意地なのだが、それでも桜姫は駆け上がっていく。
息を切らし、手に釣り傷や切り傷を残し、重たくなっていく足を無理矢理に動かしながら、彼女は駆け上がり続ける。
「はぁ……! はぁ! っは……! ひぃ……! はぁ……! はぁ! っは……!」
とんとんっ。
石で作られたアンバランスの階段を駆け上がり、きっと繋がっているであろう出口に向かって駆け出す。
まだまだ闇しか見えない世界に差し込む光を望みながら……。
「……っ! えぐ……! うぅ……!」
無意識に、いいや体からの警告なのか……、桜姫は目から大粒の涙をぼろりと零す。
ぼろぼろと零れていく涙に一瞬驚き、止まりそうになってしまった桜姫だが、止まることをせずに彼女は着ている着物で涙をふく。
乱暴に、目の端が痛くなってしまいそうなほど強く、強く涙を拭きとる。
ふき取った後すぐに目の前を見て、まだ続くことに小さな絶望を体験してしまう桜姫。
まだ続いている。どこまで続くのかという気持ちに駆られ、このまま泊ってしまいたい気持ちに押しつぶされてしまいそうになってしまう。そのくらい道のりは長く、諦めてしまいそうになる。
「っ!」
だが諦めようという気持ちを殺し、彼女は意を決して駆け出す。
走り、一秒でも早く地上につけるように願いながら駆け出していく。
疲れていたとしても、泣いてしまいそうになっても、手の痛みや足の痺れ、脇腹の激痛に耐えきれなくなりそうになっても、彼女は駆け出すことを止めない。
止めるなんてことをしたら、夢どころかこのまま死んでしまう。
死んでたまるか。
死んでこのままこの場所を自分の墓場になるなんて……、絶対に嫌だ。
墓場ならもっとましな場所……、ううん。みんなが弔われた郷の土の中で眠りたい。
ここは寒くて暗い。
みんなが弔われた場所は温かくて花の匂いがあって、寂しくないし、それに……、生まれ育った場所なんだ。私はそこで永遠の眠りをしたい。
ううん。
まだ死にたくない。
まだ私は夢の一歩も歩んでいない。
まだ予行練習でここに来ただけで、全然夢に向かって走っていない。
生きるために走るんじゃなくて、夢のために走りたいのに、こんなところで死んでたまるかっ。
ここで死んだらダメ。
死んでたまるかっ。
早く上について、みんなに伝えないといけないんだ!
この国が……、ボロボが大変なことになることを伝えないといけないんだ!
ハンナ達に、紫知達に、王様に。
そして――郷のみんなのことを第一に考えている……、兄さまにも!
「っはぁ……。はぁ……! はぁ……。あ!」
一体どれだけ走ったのだろう。駆け上がったのだろうか……。
体感時間からして数十分も経っていないようにも感じる時間帯だったが、体がそれ以上の時間を走ったかのような悲鳴を上げ、節々から激痛が迸る。
炎症でもない。まるで関節痛を起こしたかのような痛みを感じながら、桜姫は顔を上げる。
上げた理由など一つしかない。
そう――視界に光が入り込んできたのだ。
視界の先――その先から零れて浴びるように光り輝く白き世界。
それはまさしく光ある世界。地上であることを示している光景だった。
――もうすぐ地上なんだ! やっとここまでこれた……!
今まで切羽詰まっていたせいもあってなのか、桜姫の顔からは三つの無意識が零れた。
まず現れたのが安堵。
そして次に零れたのが――脱力。
今の今までずっと出口に向かって走り、気が遠くなりそうになった時でも彼女は走ることを諦めなかった。どころか気を張り詰め、気力だけでここまで登ってきたのだ。
全身筋肉痛になってしまいそうなほどの距離を駆けあがり、捕まってはいけないという緊張感も相まって、桜姫には余裕というそれがなかった。
あの二人なら逃げたことにすぐ気付いてしまう。
一人は老人だが一人は魔女。しかもガザドラを倒してしまうほどの実力で、何をするかも予想できない存在だ。
そんな二人は彼女のことを利用しようとしている。利用しているから捕まえに来るだろう。
だから今まで張り詰めた緊張の中、止まらずに走った。走ったからこそ今まさに見えた光に対し安心を感じ、安堵と脱力が一気に押し寄せてきたのだ。
安堵のあまりに言葉を失ってしまう桜姫だったが、脱力していた体に対し鞭を何度も入れて体に力を入れる。
入れると同時に一瞬走る痛みは膝の裏から。
それを感じた桜姫は一瞬顔を顰めて、歩きたくないという一瞬の弱音を吐いてしまう。
吐いてしまったらだんだん怠惰に溺れていくのが人間というもの。
今まで走ってきたこともあって、少し、あと少し休みたいという欲望が桜姫のことを襲うが。そんな欲望を首を振るって一瞬かき消し、歩みを進めようと光あるその先に足を伸ばし、階段に乗せる。
とんっと、石を通して桜姫の重みのある足音が響く。
響き、ゆっくりと一定の速度を保ちながら桜姫は再度歩みを――駆け上がる行動を再始動する。
止まってはいけない。利用されてはいけない。掴まってはいけない。
そう心に刻み、ディドルイレスとラージェンラが話していた内容を思い出していく。
座り、失意の中聞いた話ではあったが、それでも彼女は聞いていた。
何かをしようとしていること。そして自分を利用していることを。
何に利用するのかはわからないが、どうしても必要な存在らしい。しかも大臣自ら下さないといけないほど重要な存在になっている。
これは喪失している時に聞いた内容であり、詳しい内容は桜姫自身知らない。
知らないが、それでも彼女は直感した。
きっと――自分はあの時感じた角の痛み以上のことをされると。
何をされるのかはわからない。わからないが直感で理解した。
ここにいてはいけない。逃げないといけない。
逃げて……、伝えないと。
そう思った瞬間、直感を起因に彼女は動かなかった身体を動かし、そしてここまでの行動を起こしたのだ。
「へへ……、へへへ……。へははははは」
何故か変な笑いを零しながら……。
◆ ◆
何故笑っているのか?
それは他者から見れば変に思ってしまうだろう。壊れてしまったのかと思うのが普通だ。今までそんな輩を何度も見てきたのだ。今回もそうかもしれないと思う人もいるはずだ。
だが――今回は違う。
桜姫は壊れていない。壊れていないが笑っている。
心の底から、彼女は喜んでいた。
「すごい……。すごい……。さっきまでは頭が滅茶苦茶だったけど、私……、すごい事に巻き込まれている……。冒険の危険に巻き込まれているんだ。醍醐味を私は体験して、いるんだ……!」
桜姫は喜んでいた。
喜び、これが冒険にある危険であることを察知し、自分はそれを体験したのだと、蒸し器の中で喜びを噛み締めていた。
命の危険も。
窮地も。
失意も。
自分の力で掴む希望も。
繋げる希望も――彼女は一日で体験した。
冒険に於いて必要と言える必修科目を体験したことに、桜姫は遅まきながら喜びを露にしていたのだ。
ただ予行練習としてきただけの行いが、まさかの命のやり取りに巻き込まれるとは思わなかった。そのくらい今回のことは予想外でもあり、正直こうなってしまったらもう外に出ることすら嫌になってしまうだろう。
普通はそうだ。
だが彼女はそんなこと思っていなかった。
嫌だという気持ちはあったものの、恐怖する体験もして、死ぬかもしれない体験もしてきた。
したのだが、彼女の夢が勝手に鎮火することはなかった。
むしろ燃え盛る業火の如く――燃えに燃えていた。
感情で表すのであれば、心なしかワクワクしていた。の方が正しいだろう。
なぜこんな危機的状況の中ワクワクしているのか。なぜ死ぬ思いをしているにも拘らずワクワクしているのか。
それは桜姫自身初めて感じる感情であり、もしこの場所に普通の感性を持っている人がいれば――こんな体験をしてしまった後はすぐ郷に帰り夢を諦めるか夢を抱くことを止めてしまうだろう。
やめてしまう。これは常人の思考だ。
だが桜姫の思考は常人を越えてしまう。まさに考えが理解できない。天才が考える脳味噌と言っても過言ではない。
彼女はこの時、死に危機に瀕していたにもかかわらず――心が躍っていたのだ。
ワクワクと、ドキドキも相まって彼女は理解したのだ。
これが冒険なんだと。
冒険に危険はつきもの。
死と隣り合わせのような出来事が常に起きるような状況の連続なのだ。
それは今の今まで郷という最も安全で命が無くなる様な、痛みを感じるようなことが起きない場所で過ごして桜姫にとって、とてつもない刺激だった。
平和と言う世界の中では確かに安全は絶対保証される。
しかし安全を得ると同時に刺激というものが著しくなくなってしまう。
常に死線を乗り越えては潜っていくハンナ達からしてみればこんなの日常なのだが、桜姫にとってこれは『非』日常なのだ。
戦いという世界の中にいる者達からしてみれば日常も、桜姫と言う安全な世界にいる人たちからしてみれば、これは日常ではない。非日常なのだ。
非日常だからこそ混乱もするし、状況が呑み込めない分状況に流されてしまい、最悪のケースを生んでしまうことが多々だ。
だが、そんな非日常に対し、桜姫は刺激として受け取り――高鳴ったのだ。
危険な目に遭い過ぎておかしくなったのではない。
桜姫は純粋に思ったのだ。
ドキドキして、ワクワクして……、これが――冒険なのだと。
――こんな時にこんなことを思うのは変かもしれない。
――最初こそ怖いとか色んなことを思ってしまって何が何だかわからなかったし、郷のみんなの言う通り危険がいっぱいだ。
――でも、その危険をくぐっていくと、なんだか逆にワクワクしてしまう。
――読んだことがある。
――小さい時に読んだ絵本に書いていた。
――旅人は世界を見るために旅をしました。その道は険しい道ばかりで苦労しかないものでした。
――楽しい事なんてほんの一握り。
――でもその先で見つける世界は広く、綺麗だったのです。
――旅人は思いました。この綺麗な世界を見るために、頑張って来てよかった。これからも頑張って見ていこう。
――ワクワクする世界を体験して、綺麗な世界をその目に焼き付けていこう。と……。
――まさにそうだ。
――私も今、その旅人と同じ気持ちになっている。
――買い物もワクワクしたけど、このワクワクの方がすごい。
――危険だけど、それでもワクワクしている。
――旅に危険はつきものって言うけど、まさにそうだ。
――私、今それを体験している。
――変かもしれないけど、今更なんだけど、なんだかドキドキしている。
己の胸に手を添える桜姫。
本人の言う通り胸の高鳴りは掌越しから出も感じとれてしまうほど脈打っている。
どくどくと、興奮しているかのように心臓が教えてくれる。頬の高揚とぬくもりがそれを教えてくれる。
これは興奮なのだと。
あんな危険な目に遭ったのに桜姫はワクワクが止まらない状況で、一見すると狂っているとしか言いようがない。いいや賛否両論になってもおかしくないだろう。
だがそれでも彼女の感情は本物。
正真正銘狂っているわけではない。
彼女は心の底から世界を見たいと思っていた。思っていたからこそ彼女は覚悟していたのだ。
きっと世界を歩くとなるとこんなこともある。
命の危険に晒されることもある。
それが予行練習で行われてしまっただけで、いずれは体験することなのだと。
だから桜姫は立ち上がることができた。
死んだ方が楽かもしれない。そんな感情を一切出さず、彼女は彼女なりに前向きになって歩みを進めた結果がこれなのだ。
進め、今聞いたことを伝えなければいけない使命感。
そしてこの状況に対してワクワクが止まらない好奇心。
二つの心が彼女を突き動かし、今まさに――その行動が実ろうとしている。
「はぁ……、はぁ……へへ。みんな、こんな思いを今までしてきたんだ……。すごいなぁ」
桜姫は呟く。
少しだけ気味悪そうな笑みを零しているが、面構えは至って普通の顔だ。どことなく羨望のような雰囲気を出しているが間違いではない。
本当に羨ましいと思ったから。本当に……、平和の中で過ごしてきた自分が情けなく思ってしまうほど彼女は笑いが止まらなかった。
心の底からハンナ達がしてきたことが、冒険してきたことが心底羨ましいと思ってしまい、自分もいつかこの体験を何度もして、その先から見える景色を目に焼き付けることができることに期待しながら……。
「待ってて……絶対に、伝えなきゃ……!」
桜姫は鼓舞するように自分に言い聞かせる。
確かにワクワクしていることは事実だが、今は優先事項がある。
それをしない限りは自分の冒険は始まらない。どころかこのまま終わってしまう。
終わって、また刺激のない日々を過ごすなんて御免だ。
ごめんになる前に――私はやるべきことをする!
今私は、やるべきことを持っているんだ!
……多少心配なところがあるが、それでも自分はやるべきことを持っている。
それを自覚した桜姫は重くなってしまい、筋肉痛と化してしまっている足を上げて、出口へとつながる通路の出口に足を踏み入れる。
踏み入れて、視界に広がるであろう外への入り口に手を伸ばす。
伸ばして――きっとその先にあるであろう普通の家の部屋と、その先にあるであろう外へのドアを想像し、ドアに手を伸ばし、取っ手に手を掛けて開ける動作。その先にいるであろうハンナ達や紫知達郷のみんなの顔を思い浮かべて、桜姫は足を踏み入れ――
しゅるんっ!
「?」
一瞬、一瞬だけ感じた左手首の違和感。
それは締め付けられるような違和感で、痛みを伴わないくらいの締め付け。
だが微かにぬめりのような……、湿ったようなそれを感じた桜姫は、恐る恐る……などせず、すぐと言わんばかりに視線を後ろに向ける。
ばっと素早く振り向き、左手首の違和感の正体を視界で確認しようとした時……、桜姫は言葉を失った。
先ほどまであった熱が一気に氷点下まで下がる様な感覚と共に、桜姫は言葉を失ってしまう。
失うと同時に、視界に入った己の手首に巻き付いた赤黒い鞭のようなものと、階段の向こうに佇んでいる女性を見たと同時に悟ってしまう。
追いつかれたと――全身から迸る警報を感じながら桜姫は理解する。
背後で右手の人差し指から血を流し、そこから赤黒い鞭のような物を出しているラージェンラを見ながら……、声を聞きながら……。
「――捕まえた……。もう逃がさないわよ?」
「――!!!」
今日一日でいろんな体験をしてきた。
そして今も体験することになった。
退路を断たれたという窮地に――




