PLAY123 忌まわしい記憶と燃える夢③
ボロボ空中都市の大臣――ディドルイレスは、今まさに視界に入った光景を見て固まっていた。
現在進行形で硬直。
視界に入った光景を見て驚きながらディドルイレスは再度認識を行おうと視界を泳がせていく。
最初に視界に入ったのは半壊してしまった監禁部屋。
監禁部屋は計画のために急遽借りた賃貸の家なのだが、その家の地下があられもない姿になってしまったことには驚き以外の言葉が見つからない。
地下に作られたこともあって木材で張り巡らされた期の壁が力任せにはがれているかのように地面の肌がむき出しになっている。がらりと崩れ落ちていく瓦礫がその壁の脆さを物語っている。
必要最低限の家具も衝撃で壊れてしまったのかボロボロの状態で、もはや原型など留めていないほど壊れているが、そんなのはどうでもいい。
それも結局は必要最低限の家具で、地下の部屋も最終的には埋めるつもりでいたので壊れたとしても支障はない。
最も大事なのは――この場にいる人だ。
今この場所にいる人物達の今の状況こそが、彼からしてみれば最重要確認対象。
つまり……、見て確認しなければいけない項目と言った方がいいだろう。
「っ!」
それを心に刻みながらディドルイレスは視界を泳がせ、視界に入った足を見つけると、視線を足から上に向けて上げていく。
足を最初にした視界の情報をどんどん広げるように、ディドルイレスは視界を上に向ける。
顔を上げ、相手の顔を認識した途端……。
ほっと、胸を撫で下ろした。
大袈裟と言われてもおかしくないような胸の撫で下ろし。
それを行った理由は彼の視界に入った――鬼の姫でもある桜姫がそこにいたからだ。
尻餅をついた状態で、目の前の光景を見て驚きを隠せていないのか、口を中途半端に開けた状態で固まっていた。
否、固まっていない。
鬼の姫・桜姫は今まさに視界に入った光景を見て青ざめ、あろうことか敵前を前にして茫然としている。の方が正しい。
言葉を失い、目の前の光景を見た瞬間時計が止まってしまったかのような顔を見て、ディドルイレスは一瞬何を見てそんな顔をしているのだ? と思いながら桜姫の視線を追う様に彼女が見ているであろうその光景を視界に映した。
瞬間――
「ほ」
ディドルイレスは、小さな声を零した。
息を吐くように零したその声は無意識に出たものであるが、ディドルイレスは視界に入った光景を見て、体の奥から湧き上がる熱を感じながら思った。
ふつふつと込み上げて来る感情に押し潰されそうになりながら、ディドルイレスは思ったのだ。
やった。
と――
なぜ「やった」と思ったのか。
それは簡単な理由であり、それはもしかすると、解放されたことによる安堵から出た言葉なのかもしれない。
しれない。というのは仮定の時に使うものだが、ディドルイレスはこの時、確信をしていた。
だがわからなかったからかもしれないという言葉を使った。
簡単で見ただけでわかってしまう確信。
それが目の前にある。
緊張の糸が切れたこと。安堵。そして目の前にある現実に、ディドルイレスは思わず思ったのだ。
やったと。
そして――
「ふお……ふあ。ふああっはっは」
思わず零れてしまった声。
それは声だけであり、言葉というものではないものであった。
只声を発しているだけではない。それは一定のリズムで、且つ感情を乗せるように発せられている。
「ふあっはっはっはっはっはっは……!」
聞くだけで陽気になっていくような音色。聞くだけでこっちまで笑ってしまいそうな雰囲気。さがその声の雰囲気から発せられるものは……不穏の音色。
ハンナの言葉で言うと、オレンジのもしゃもしゃの中に入り込んでそのまま空気と同化しようとしている黒のもしゃもしゃ。オレンジのもしゃもしゃが黒を包み込むように出ているような、そんな笑いの煙。
そう。声は確かに笑っている。
笑っているのだが、音色も陽気に聞こえてしまうかもしれないが、本質は違っていた。
笑っている本音が違っていた。
の方がいいだろう。
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは! はーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
ディドルイレスは笑った。
声に出して笑い、お腹を抱えてしまうほど彼は笑い、老体で痛くなってしまった腰に負担をかけるように、後ろに向けて伸ばしながら彼は笑った。
笑い、心の底から出て来る感情を表に出しながらディドルイレスは思った。
――やった! これでいい! これで私は……、一歩彼岸に近付いた!
――まさか『崩れる岩、足元に金貨あり』とはこのこと!
…………一応告げておこう。
この『崩れる岩。足元に金貨あり』とはアズールの諺であり、『棚から牡丹餅』と同じではあるが、すこし内容が違う諺と思ってほしい。
アズールにおける『崩れる岩。足元に金貨あり』という言葉の意味。それはこうである。
危機的状況もしくは絶望的な状況になるも、何もしないまま状況が終わってしまう事。またはその状況を脱出できたことでもう一つの幸運な出来事が起きたことを指す。
思いがけない出来事が舞い込む『棚から牡丹餅』とは少し違うかもしれない。知れないが内容は同じかもしれない。
…………少し脱線してしまった。話を戻そう。
ディドルイレスは思った。
視界に写り込む光景を現実として受け入れて、その光景を見て彼は思ったのだ。
――まさか悲願を成就させようと思った矢先、手柄が手元に落ちた!
――こんな幸運はそうそうないだろうっ!
――この幸運に導いたのは私の判断のお陰!
――やはり、あの者達に協力を仰いでよかった! 金を払っておいてよかった! これならば彼岸成就ができずとも、王都への貢ができた!
――『滅亡録』に記載された存在抹消の協力は大きな貢献だ。
――これで大臣という枠から落とされたとしても、これがあればいい!
――よしよし……! これでいいんだ! よしよしよしよし! 私はやはり幸運の存在! 神に守られている存在だ!
――いいや……、いずれはその神……。『八神』を制御するのだが……、な。
――それでも今日は良き日だ!
――こんな幸運が続く日はない! こんな幸運の日にこそ、私が王に成るに相応しい日だ!
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは! はーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」
ディドルイレスは笑った。
大笑いと言っても過言ではないほど笑った。
腹を抱え、大爆笑しながら彼は喜びを声にし、言葉にして表す。
嗚呼なんと良き日だ。
何と恵まれた運命だ。
この運命は自分の味方をしてくれる。
きっとこの先も、ずっと先でも自分のことを守ってくれる。
自分に手を差し伸べてくれると確信して――ディドルイレスは笑う。
今まさに自分の目の前で、血まみれになって倒れている人物――元『六芒星』が一角であり攻撃の要にして竜族と蜥蜴族の血を引いた最強の種族……、蜥蜴竜族という種族で生まれた存在にして、今は冒険者集団『カルバノグ』の一人であり、先代大臣ガルバドレィド・ドラグーンの息子にして『鋼』の魔女、『鋼竜王』のガザドラことを見下ろしながら、ディドルイレスは笑う。
笑い、止まることのないそれを上げながら喜びを露にする。
絶望する鬼の姫を無視し、倒れているガザドラのことを見て呆れのそれを吐いて肩を竦める『血』の魔女のことを無視して――ディドルイレスは笑う。
笑い、笑い、この場を狂気の渦へと誘って行く……。
たった数分しか経っていない状況に歓喜しながら……。
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは! はーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ! あーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは! ひぃーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっっっ!!」
大音量の哄笑。
それはまさに最悪の何かが起きる予兆の声。
そしてこれから起きるであろう未来の警報。
覚えているであろうか。
きっと忘れている人はいるかもしれないのでここで伝えよう。
これは予兆。
災いを呼ぶ鳥のことを話したこと蛾あるかもしれないが、それが現実になる時が来たのだ。
長かったかもしれないが、とうとう来てしまった。の方が正しいかもしれない。
そう――これはきっかけなのだ。これこそが原因なのだ。
ディドルイレスが起こそうとしていることこそ、嵐の予兆なのだということを……。
◆ ◆
更に言っておこう。
この時、時間からしてたった数分しか経っていなかった。
実際の時間は経ったの十分程度。
長い話のありつつの展開であったが故、時間が長く感じられたかもしれないが、実際はそんなに時間はかかっていない。
……否。時間がかかっていたのは確かな事実ではあるが、それはラージェンラとガザドラしか体験していないことで、現実ではたったの十分程度の時間しか経っていないのだ。
摩訶不思議。
一体何を言っているのだろうと思ってしまうだろうが、正しい事を述べていることだけは伝えていこう。
なにせそんなことを突然言われても理解できない人が大半なので、詳しくこの疑問に関して説明をしようと思う。
あの時――ラージェンラがガザドラに対して一騎打ちで倒そうと行動を起こしたのがきっかけなのは覚えているだろうか。
ラージェンラが放った魔法『鮮血劇場』は空間を捻じ曲げてしまうほどの力を持った魔法。要は別の空間を創り上げると言った――言ってしまえば簡単に聞こえてしまうがやるとさりげなくすごい魔法という認識ができてしまう魔法である。
要は空間を創り上げることができる。高度な魔法操作ができると言う事であるが、その魔法を彼女は容易にできてしまったのだ。
容易にと言ってしまえば『あぁ簡単だったのか』と思ってしまう人もいるかもしれない。
天性の業。
熟練の賜物。
偶然の産物等々……。
色んなきっかけがあってやっとできる空間系の魔法なのだが、ラージェンラに至ってすれば、こう言った方がいいだろう。
最初に出来たお気に入りの魔法。
そう、この魔法は彼女が生まれて初めてできた魔法だったのだ。
だから崩れる時の光景が醜悪だったのかと聞かれれば、そうではないと断言できてしまう。
前にも話したが魔女の魔祖は鏡。
自分を映し出す鏡と同じ性質を持っている。
だからこそあの崩れ方も本当の自分に反映している。そして出来た魔法に対してもその鏡が関係している。
出来た魔法がどんなものなのか。その魔法がどのような力を持っていて、なぜ生まれたのかは、本人自身が向き合わないとわからない。
今は語る時ではないのでここでいったん終わらせよう。
時間を今に戻し、話しを聞こう……。
◆ ◆
「これで予定通りに事が進むわ」
はぁっと溜息を吐きつつ、ラージェンラはゆっくりとした動作で立ち上がると、彼女の言葉を聞いてかディドルイレスは「おぉ『血』の魔女!」と意気揚々とした面持ちで、年甲斐もなくはしゃいでいるような顔で彼は言った。
「これは貴様がやったのかっ? 死んでいるのかっ? やったのかっ?」
開口開いた言葉がこれだ。
死んだのか?
やったのか?
それは命を奪ったのかという言葉と同じであり、ディドルイレスは今まさに目の前で倒れているガザドラに向けて……『殺したのか』と聞いているのだ。
血縁があるにもかかわらず、この言葉はあまりにも惨いことこの上ない。
血の涙もないのかと言われてしまってもおかしくない言動だ。
そんな彼の言葉を聞いていたラージェンラは呆れのそれを心の中で零すと、小さく肩を竦めて――
「いいえ――死んでいません」
と、断言した。
はっきりとしたその言葉を聞いた瞬間、ディドルイレスは張り上げながら『はぁっ!?』とラージェンラにその言葉を向けた。
まさに驚きそのものの顔で、素っ頓狂を加えた――一瞬だけ喜劇が起きてしまいそうな顔で彼は驚きを露にしたのだ。
死んでいない。
そんなの普通であれば喜んでもいい事を驚いて発言して――だ。
驚きのディドルイレスの声を聞いたラージェンラは、心の中で――そんなに死んでほしかったのね。と、再度肩をすくめるように呆れのそれを零しそうになる。
零しそうになっただけで、実際は鼻で息を吐いただけのそれをしながらラージェンラは聞く。自分に向かって近づいて来るディドルイレスに向けて、淑やかを表した言動を行いながら……。
「あらぁ? 死んでいなければいけなかったのですか? そうでもしないと不都合な事でもありましたか?」
「あ、あるも何も……、そこで倒れている輩は生きてはいけない存在だっ! 生きていること自体が大罪の存在なのだぞっ? そんな奴を生かしてしまうとは……! 貴様、それでも」
「ええそうですわ。私は『六芒星』が一角――堕天使にして『血涙天族』血の魔女とも言われていますが……、絶対にその者の息の根を止めることは断言していませんし、そもそも私の仕事は……『大臣様のボディーガード』ですよ? あなたの身を守れたのであれば仕事の範囲外ではありませんこと?」
「…………………………」
「そこまでするのであれば……、私達に対してそれ相応の対価を払ってもらわないと」
「ええぃ! わかったわかった! それ以上はいい。次期国王のことを守れただけでも及第点にしておいてやる」
それだけ言い、ディドルイレスはぶつぶつ呟きながら腰に手を添えてゆっくりと体を伸ばしていく。
長い間狭いところに幽閉されていたのか、体が凝り固まってしまったらしく……、伸ばしながらディドルイレスは痛みを訴える声を零した後、ぶつぶつと何かを呟いていた。
呟いている内容までは聞き取れなかったが、きっとガザドラのことだろうとラージェンラはまた肩を竦める。
呆れの溜息も零してしまいそうなほど、この竜人族は扱いやすい。
扱い易ければ易いほど、都合よく動いてくれる。
弱ければ弱いほど都合のいいように頷いて動いてくれる。
本当にいい駒だ。
――ザッドの言う通り、この竜人族は動かしやすいわね。他の竜人よりも年老いているし、ドラグーーン王よりお年寄りだからか、素直に聞いてくれて助かるわ。
――老いの所為でかなり弱くなって、且つ戦場にも出たことがないから、言う事を聞く以外の選択肢がない。
――弱すぎるで評判の竜人族。
――弱いくせにいっちょ前の気位と欲を持っている。悪い意味で有名人の竜人ディドルイレス・ドラグーン。
――自分の手を汚さない。どころか他人の手を借りなければいけないほど力がないから他者に金を渡したり嘘で動かしたりしている。
――全部ザッドの言う通りだった。
「本物のクズは長生きするものなのね」
ぼそりと、ラージェンラは呟く。
一体何を想像してそう言い放ったのかは――今は言わないでおこう。
しかし呟いた言葉に偽りはない。事実を思い出したうえで言っているのだ。
本物のクズは早々死なない。
正直者こそが早く死ぬ。
そう思いながらラージェンラは小さく呟いたのだが、そんな彼女の呟きは――誰の耳にも届かなかった。
年老いているディドルイレスの耳にも、気絶しているガザドラの耳にも、そして…………。
ガザドラを見たまま茫然自失になってしまっている桜姫の耳にも、届くことはなかった。
「! あら? あなた……」
届くことなく茫然としたままでへたり込んでしまっている桜姫の存在に気付いたラージェンラは口元に手を添え、上品な驚きの顔をしながら鬼族の姫でもある桜姫のことを見下ろし、少しの間桜姫のことを観察し、脳に刻みながら見つめる。
ハンナより少し背が高いかもしれないような身長なのだが、へたり込んでしまっている所為で余計に小さく見えてしまう、その額からは白交じりの桃色の角を二本生やし、朱色の目、桃色の腰まであるゆるふわの長髪にその色に見合った小さな花柄の着物の上に角を隠すための上着を着た、まるで作り物かと思ってしまうほど可愛らしい女の子……、否、少女という言葉が正しいような鬼の女がいるのだが、今となっては鬼という言葉も間違いではないのかと思ってしまうほど、彼女は……桜姫は小さく見えてしまう。
鬼のことに関しては少しだけだがかじっている。
かじってはいるが、桜姫の角は今まで見たことがない角の色をしている。
その角を使って大臣は例の計画を行おうとしていた。
例の計画に於いて同胞の角――否、この計画において絶対必要不可欠なものこそが――鬼の姫の角。
というところしか聞いていない。
それを思い出しながらラージェンラは思った。
桜姫と言う情報を見つつ、なぜディドルイレスはこんなまどろっこしい事を率先して行おうとしていたのか、そのことについて考えながら思っていた。
――こんなまどろっこしい事をしなくても、ドラグーン王が持っていた王位継承具――『永劫ナル氷菓剣』があればいいのに……。
――なんでここまで遠回りをしてまでこんなことをしているのか。
――こだわりにしてはなんだかしっくりこない。
――こんなことまでしなくてもいいと思ってしまうのに、どうしてこんな面倒くさい方向に進めようとしているのだろう……。
――何か理由があるのは分かるけど……。
――真相そのものは教えてくれないのよね。
そう思いながらラージェンラは呆れの溜息……ではなく、ただの疲弊の溜息を零して再度桜姫のことを見下ろす。
今もなお彼女は倒れて意識を失っているガザドラのことを見ているだけで、言葉を発するどころか生気でさえ失ってしまったかのような顔をしている。
まさに死んだような目。
生きた心地がしないのではなく、本当の絶望を味わったかのような顔。
内心哀れだと思った。可哀そうだと思った――が、それと同時にラージェンラは思ってしまう。
まだまだこれからなのに……。可哀そう……。
そう思い、憐れむその目を細めたラージェンラは視線をゆっくりと外し、桜姫に向けていた視線をディドルイレスに向ける。
ばさりと身に着けている衣服をなびかせ、少し離れた場所で呟きを続けているディドルイレスに近付くために歩みを進めながら――ラージェンラは言う。
敢えて桜姫に聞こえる様な声量で、且つディドルイレスに聞こえない声量と言う絶妙な声量で、彼女は呟く。
「ごめんなさいね――あなたをエにして」




