PLAY123 忌まわしい記憶と燃える夢②
溶けていく世界が一瞬の崩壊と共に消えていく。
それを肌で感じ、感覚がその肌から得た情報を脳へと送り込む。
ドロドロに溶けてしまった世界はまさに夢で見たことがある甘い世界そのもののような光景で、現実で言うとチョコレートの世界が広がりそうだが、残念ながらそれはない。
この世界で溶けているものは血であり、流れ落ちているだけのもので、その光景を見れば一瞬トラウマが芽生えてしまいそうな光景になるだろう。
思い出したくないという感情が出てしまいそうな光景を上から、しかも零れ落ちていくその光景を見上げながら飲みこまれようとしているのだ。一種のトラウマになってしまってもおかしくない。
そんな世界を見ていた女性――この世界を、血の世界を生み出し壊した張本人ラージェンラは飲みこまれそうになる状況の中でも冷静な面持ちで見上げ、落ちながら彼女はその時を待って見ていた。
横になった状態で飲みこまれる瞬間を見届けるように……だ。
見届けながら彼女は言った。
汚い溶け方だと。
なぜこんなに汚い溶け方なのか自分自身でも理解できない。
理解できない且つもっときれいに崩壊すると思っていたこの光景がもう見慣れてしまい、何度やってもこの姿で溶けてなくなる。
その光景に、情景に嫌気どころか呆れを感じてしまうラージェンラ。
溶け方を見ながら彼女は溜息を吐く。
どんどん視界が赤黒いそれに占拠されながら、彼女は赤黒い面積をじっと見つめながら思い出してしまう。
思い出したくもないのに思い出してしまう。
一種のフラッシュバックのように、考えたくもないのに思い出してしまう――己の記憶を見て……。
――気色悪い……。――
思い出した最初の光景は、まさに彼女が彼女になるきっかけとなる光景。
一人の天族の少女に言われた言葉。恐ろしいもので見たかのように後ずさるその光景を見て、ラージェンラは思い出す。
(そう言えば……あの子は知り合い……。いいえ。友達という関係だった女の子だったわね……。なんでこんなこと言われたんだっけ……? どうしてこんなことを言われてしまったんだっけ?)
思い出したその少女のことを認識すると、ラージェンラはそっと目を閉じて声を拾う。
耳で音を拾い、それを脳に刻んで再度記憶していく。
一度――冷静になるために息を吸って、吐いて……。
――この異端者!――
「!」
突然聞こえた声にラージェンラは息を呑むように声を零し、反射的に目を開けてしまう。
開けて、赤黒い面積が自分を覆う光景に目を向けると、その世界に広がったのは――記憶の流れ。記憶という名の歴史がどんどん流れていき、そして彼女の視覚を刺激し、脳に刺激を与えていく。
あの時聞こえた『異端者』という言葉の光景は大勢の中から聞こえた声の様で、彼女のことを見下すように複数の者達は彼女のことを見ていた。
嫌悪剥き出しの顔で中央の男が指をさし、もう片方の手で彼女の髪の毛を乱暴に掴みながら、その男は言った。
――お前は天族だろうっ? 我々と同じ聖なる人格を持ち、聖なる加護の元正しき道へと導かなければいけない! なのになぜそんな思考に執着するっ?――
――そんな思考は天族の面汚しだっ!――
――矯正だ! 矯正して正しい思想へと我々が導こうっ!――
――このままでは悪に染まってしまう! 野蛮な思考は災いの種だっ!――
――早めに摘まねばっ!――
「っ」
それはまさに彼女の記憶の光景。
記憶であるのだが、今まさにそれを受けているかのような恐怖をラージェンラは感じている。
そう、現在進行形で感じているのだ。
あの時は弱く、何もできない最中無理矢理を強いられ天族の矯正を受けた彼女。それを仕切っていたのは傷を持った天使で、秩序を守るために仕えている者達だ。
その者達がか弱いラージェンラのことを暴力という名の強制でどこかへ連れていこうとしている。
連れて、『矯正』しようとしていることに、彼女は背筋に悪寒を感じ、全身に寒気を感じた。
電気が迸る様に寒さが身体中を駆け巡り、その寒さのせいで痙攣に近い震えを発生させる。
「あ、ああ……、あああ……、あああああああ」
がくがくと電気信号の故障でも起きたかのように、不規則且つ異常ともいえる様な震えを起こしたラージェンラ。その顔に浮き出ているものはまさしく恐怖そのものであり、今まで見せたことのない恐怖の顔から零れる液体は――彼女の本音を指しているようにも見える。
あまりにもぐちゃぐちゃした顔は彼女の美しさを壊しそうなほどの威力ではあるが、それが止める気配はない。どころか悪化の一途をたどり、彼女は反射的に己の肩を抱きしめ、その状態で体を丸めていく。
布団の中で見を縮こませ、耐えようとしているかのように……。
否――迫って来ているフラッシュバックに対し、何の対策もできないまま受けながら彼女は耐えることしかできなかった。
怖い。
こんなの思い出したくもない。
思い出したくないのにどんどん思い出されて、イライラする。
イライラするのにその気持ちを逆撫でるようにどんどん思い出されていく。
最も見たくない映像を一部始終ではなく最初から最後まで見るように、彼女は目の前の光景を見つめる。見つめてしまう。
背きたくてもできないという矛盾を感じながら、彼女は思い出していく。
自分がこうなってしまった原因の過程を――
――異端よ! 清めだ!――
――清めるためにその体に流れる命を流せ!――
――流し尽くせ! 流し尽くさないとお前は穢れたままだっ!――
「やめて……っ。お願いぃやめてぇ……っ」
――泣きわめくなっ! これはお前のためでもあるんだぞっ? なぜ泣くのだ!――
――天族は清く美しい存在! その存在が穢れていては示しがつかんだろうがっ!――
――お前はあのお方の姉だろうと容赦はせんっ!――
「やめて……っ。お願いだからぁ……っ! なんで……!」
――あの女『矯正』を受けたらしいわ――
――『矯正』っ? 本当なのっ? まさかあの女もあの輩達と一緒の……っ?――
――らしいわ。あぁ汚らわしい……っ! こんな穢れたものが近くにいただなんて……っ――
「私はけがれていない……っ!」
――あの女って確かあの穢れの姉でしょ? 姉妹揃って穢れているとは思わなかったわ――
――妹が妹なら姉も姉ってことね――
――そもそも繋がっているからこそ穢れも伝染するのよ――
――あの子達の両親も穢れで『浄化』されたのよね? と言う事は、そう言う事ね……――
――手遅れだったのよ。穢れてしまえば『矯正』でも修正できない。いっそのこと『浄化』をしなければいけないのに……、どうしてあのお方はあのような決断を?――
――お優しく、そして信じていたからこその恩赦だったのよ。それを仇で返して……、本当に異質なものは異端ことしか考えない……――
「私はけがれていない。おとうさんもおかあさんもけがれていない。わたしはけがれていないもの。ただしいもの」
――『矯正』者よっ! まだ思想を改めないか……! ならば更なる穢れを取り除こうっ! ここまでしたくなかったのだが、お前が悪いのだからなっ!――
「あああああああやめてぇ……っ!」
――おいおいこいつは天の罰を受けた女じゃねえか?――
――ああそうだ! きっとそうだ。漆黒の翼……、まさに穢れた天族の証だ――
――へへへ……! なぁおねぇさん。ちょっと俺達と暇潰さないか?――
――ん? 嫌なのか? なぁに手荒なことはしねぇよ。ちょっとカードゲームでもしようかなとか思ってな……――
「あああぁぁぁっああああああああっあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ」
――まさかここまで穢れてしまうとは思いもしなかった……!――
――ああ、ここまで穢れてしまってはどうすることもできない……――
「けしてよぉ! けしてよぉ! いやだよぉこんなのぉ!」
――『矯正』すらできないほど穢れてしまっている……――
――心だけであれば『矯正』出来たが……、まさか良からぬ者達の所為で……!――
「けしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけしてけして」
――嗚呼……! 姉様……。まさか、『浄化』されてしまうのですか……? わたくしを置いて……、嗚呼何てこと……! なぜ姉様がこのような罰を……! 悪いのはそれを行った輩のはずなのに……どうして……!――
「わたしがしりたいわよそんなのどうしてわたしがこんなしうちをうけなければいけないのわたしはわるくないのにどうしてわたしのことをばっしようとするのやめてほんとうにやめて」
――身も心も穢れてしまったのであれば……、お前をこの場所に置いておくわけにはいかない。女神の恩赦を汚した面汚しめ。有難くその命を捧げ、次なる命に転生して戻ってこい――
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
――穢れの堕天使めっ! こっちに来るな! こっちまでも穢れてしまうっ!――
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
――穢れている天族は天族じゃない。汚らわしいその姿を見せるな――
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
――身も心も思考も穢れているくせに、なぜ生きている?――
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
――お前天族なのか? そんな奴がなんでこんなところにいるんだよ? もしかして暇なのか?――
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
――穢れているのか? なら心の底まで穢れようぜ? 悪くねーよ?――
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
――ぎゃははははっ! おい逃げるなっ! よぉ!――
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
彼女の記憶が、フラッシュバックが滝のように襲い掛かる。
身を丸め、亀のように丸まる彼女に対して幾度となく攻撃という名の思い出しを与えるそれは、一体何なのか……。
彼女自身の不安?
彼女自身の後悔?
彼女自身の……、生い立ちからの恨み?
どれか。
ということは分からない。そして何がきっかけでこうなってしまったのかもわからない。更に言えば……、正解がこの中にあるのかすらわからない。
わからないが、それでも理解できることがある。
彼女の恨みはこれに起因し、これがきっかけとなって今の彼女になったのだ。
だがそのきっかけを見ることすらできないほどラージェンラは乱心していた。
乱心し、乱れに乱れてしまった心は彼女のことを傷つけるように記憶を見せ、そして体の自由を奪う。
いやだ。
たった三文字の否定の言葉を壊れてしまったレコードのように何度も何度もつぶやきながら、彼女は己の腕を抱き、その腕を爪で切り裂かんばかりに力を入れて傷を残す。
がりがりと掻っ切る爪に食い込んでいく赤いそれと人体の薄い皮。そして微かな痛みが伴うが、それでも彼女は掻っ切り続ける。
腕から鮮血が零れ落ちようとも、お構いなしに流し続け、掻っ切り続けて彼女は呟く。
いやだ。
本当にいやだ。
その気持ちがどんどん膨れ上がる。
どんどん体の奥から何かが沸き上がっていくような、爆発してしまいそうな何かに耐えながらも彼女は呟く。
いやだ。
いやだ。
いやだ。
「あなたは正しい」
「!」
突然聞こえた声。
その声は聞いたことがある声で、声を聞いた瞬間覆い尽くそうとしていた血の雪崩が一気に水蒸気のように爆ぜて消えてしまい、彼女のことを苦しめていたフラッシュバックも爆発とともに消え去ってしまった。
今までの苦しみが一瞬にして消えたかのようなぽっかりとした感覚。
そしてぽっかりに新たな何かが入り込むような明るい世界。
光さえ通さない深海に人工的な光を灯すように、自分のことを照らすスポットライトのような光を受けたラージェンラは驚きながらも視界に突如入った光を反射的に遮ってしまう。
驚きもあるが、今まで感じてきた不安や嫌な気持ちが嘘のようになくなったのは事実で、困惑しながら彼女は声がした方向に向けて――光が照らされているその光景に視線を向けると……。
「思考、思想を強制統一することは正しくないことです。誰に憧れるのもあなたの自由。そしてあなたを穢した輩が正しくないのです。あなたが我慢する必要はない。我慢を強いるなんて……、なんて腐っている方々なのでしょうか……。そもそもあなたにも自由という選択があるというのに、それを選択させない輩は一体何を掲げて自由としているのでしょうか? あなたは自由がない世界の中――苦しみながら生きてきた。傷つきながら生きてきた。あなたの体に流れる血、そして傷こそ、あなたのことを苦しめてきた数なのです」
「…………………………」
「その傷を残したまま、あなたは息絶えますか? このまま苦しみから解放されて、あなたは清々しく、心残りなく召される。と思いますか? できませんよね? できるどころかこんなところで死んでしまったら、あなたは残せないままになってしまう。あなたを残すためにも、戦うべきです。勿論あなた一人ではありません。我がいますよ。一緒に戦いましょう――」
世界を――変えるために。
その言葉が脳内で響いた瞬間、ラージェンラの意識は一瞬にして真っ暗になり……。
◆ ◆
「――っ!」
一瞬。
一瞬にい感じてしまう様な感覚を感じた瞬間彼女は勢いよく目を覚ます。覚ました後で勢いをつけt起き上がり、辺りを確認するために見渡す。
左右に首を動かし、微かに聞こえる骨が鳴る音を聞きながら彼女は見渡した。
その場所はガザドラと鬼の女、そしてボロボの大臣ディドルイレスがいた場所――否、そこはディドルイレスが鬼の女を監禁していた小屋の地下なのだが、その場所はもうすでに地下と言えるような空間ではなくなってしまい、どころか地下と言えなくなってしまっている状況にラージェンラは呆れるような笑いを上げながらその光景を見ていた。
笑ってしまうのも無理はない。
地下という空間とは言い切れないほど壁は半壊しており、はがれた壁からは地面と云う色が丸見えの状態。そして周りに残る攻撃の痕がこの場所で起きたことを物語っている。
もしこの場所に人が来てしまえば完全に事件があったと思われてもおかしくない。
おかしくないのだが、そんな状況の中でも彼女はその場に座った状態で見て、笑っていた。
肩をすくめるように、呆れるようなそれを表しながら彼女は小さく呟く。
「まさか……、こんなにも予定が狂うとは思わなかったわぁ。邪魔なんて入らないと思っていたのに、厄介な邪魔者が入って来るとは思わなかった」
呟きながら彼女は視線を足元に向けて……、否、足元の先を見つめながら小さく言葉を零す。
足元の先で、血まみれになった状態で倒れているガザドラと、そんなガザドラを見て固まったまま驚き、顔面を青く染めた状態で尻餅をついている鬼の女――桜姫、その二人を見て大きく拳を握ってガッツポーズをしているディドルイレスがいる光景を見て、彼女は小さく零した。
でも。
その言葉を呟いてから彼女は言った。
「これで予定通りに事が進むわ」
◆ ◆
運命の時間まで――あと四時間。
運命の時。
それは――




