PLAY119 鬼姫、絶望④
アダム・ドラグーン王が持っていた『永劫ナル氷菓剣』を桜姫の目の前で掲げ、まさに今見ている光景こそが現実であることを高らかに告げた。
最悪の想定でさえも現実として伝えて――
「この私が――次の王となったのですよぉ! 鬼の無知姫様ぁっっ!!」
薄暗い室内で告げられた残酷で慈悲無き言葉。
その言葉を聞いた桜姫は絶望の青ざめをしながら尻餅をつきそうになる。なるがそこは何とか耐えることに成功した桜姫。
ただよろけるだけで終わり、そのまま後ずさりをよろけながらして再度ディドルイレスのことを見る。
どくどくと急かすように心拍を繰り返す心臓に手を添え、湧き上がってくる不安の感情をどうにか押さえつけようと荒い深呼吸を繰り返しながらも、桜姫は目の前に広がる現実としか言いようのない光景をもう一度見つめる。
見たくない。
現実じゃない。
これは夢だ。
そんな逃避の言葉が彼女の脳を刺激していくが、目に入る世界はまさに現実。現実という名の残酷な真実しかないのだ。
ディドルイレスが手にしている美しい剣――『永劫ナル氷菓剣』というボロボの王しか持てない王位継承具を見て、桜姫は聞く。
嫌いという印象しかない彼に向けて、震える唇を必死に動かし、言葉にするようにしながら彼女は聞いた。
「そ……、それって、王様が持っていた剣……だよね? なんであなたが持っているの?」
「んん?」
桜姫の言葉を聞き、ディドルイレスは大袈裟と言わんばかりのきょとんっとした顔をして桜姫の顔を見ると、彼女のことを見て、顔を凝視するように見つめて記憶に刻んだ後、ディドルイレスは竜特有の口の端を『ぐにぃ』と弧を描くような笑みを零すと、驚いて震える面持ちをしている桜姫に向けて彼は言った。
絶望の顔を見せている彼女のことを滑稽と思いながら見つめるも、すぐのその感情を押し殺して (押し殺しているが顔が緩んでしまい隠しきれていない)ディドルイレスは言う。
「何を訳の分からないことを言っているのですかな? そんなの簡単な事でしょうっ?」
という言葉を皮切りにし、ディドルイレスは掲げていた王位継承具『永劫ナル氷菓剣』を桜姫の目の前に突きつけ、焼き付けよと言わんばかりにそれを見せながら彼は言った。
至近距離で見ている所為でピントが合わないが、そんなことお構いなしにディドルイレスは宣言をする。
物的証拠があること。
そしてこの物的があるがゆえに自分はなれなかった何かになれたという快感も相まって、ディドルイレスは恍惚の笑みに邪悪さを含ませたそれで言ったのだ。
「これは王しか持つことができない武器であり、王の証! 王にしか使えない王位継承具なのですよっ!? あなたならその小さな小さな皺のない脳味噌でもお勉強くらいはしているでしょうっ! 微かでも覚えているでしょう? 覚えていないのであればここで復讐でもしてください! あなたのためでもありますのでねぇ!」
「っ!」
あまりにも豹変した強気で威圧を込めた言動。
邪悪と恍惚がディドルイレスの感情を、悪い感情と言わんばかりのそれらがきっかけで、ディドルイレスは今までにこやかで抑え気味だった感情を爆発させるように……、いいや今まで言いたかったことを言う様に、ディドルイレスは告げるのだ。
狼狽し足を止めてしまっている桜姫にどんどん近づき、突きつけている『永劫ナル氷菓剣』を至近距離まで近付けて強制的に角膜に焼き付けるような行動をしながら――ぐいぐいと彼女の頬にそれを押し付けながらディドルイレスは続ける。
「アルテットミア公国の王が持つ大海原の怒りとも云える水の王位継承具『錠海ノ三又槍』と同じように! アムスノーム王国の王が所持している黄金の杖――たった一振りで大地を隆起させ、大地に亀裂を生じさせる力を有していると伝えられている『地母神ノ要杖』と同じように! アクアロイアの王が所持している黄金の銛――その大地には大きな稲妻が落ち、その世界を黒く染めてしまうとされている避雷針の如く――雷と言う声明を殺すことができる力を有しているアクアロイアの王位継承具『雷轟ノ鎖銛』と同じように! 砂の国バトラヴィア帝国……! いいえ今は共和国と言うもので日和ってはいるが、それでもバトラヴィアが遺した砂時計――『継ギシ砂ノ枷』も然り! 時計の力は風を操る力を有し、風が起きた瞬間竜巻と共に相手を永遠の砂の地獄へと――砂と言う名の牢獄へと突き落とすと言い伝えられている代物と同じように! 雪の大地の元王『戦乱の軍王』モトミヤ将が所持していた炎のように赤く光を帯び、たった一振りで炎の柱ができてしまうといわれている刀――『南京焔刀』と同じように! アノウンの魔の大地唯一の人類『孤高の無王』と言われているナム王が所持している光り輝く聖剣……如何なる邪悪なものをなぎ倒してしまう力を持っていると言われている『聖ナル封剣』と同じように! 天界フィローノアにあるは禍々しい邪気の剣――如何なる聖なるものを邪悪なる闇のように黒く染めてしまう力を持っている『邪ナル封剣』と同じように! 王都に存在しているとされているまだ見ぬ王位継承具と同じように! 私が持っているこれは正真正銘ボロボの王位継承具――『永劫ナル氷菓剣』だぁ! 見てわからないか? そのくらいお前は信じられないよが、私の手にあるということはそう言う事だ! いい加減に理解しろ無知姫ぇっっ!!」
長い長い威圧の言葉の数々。
罵倒も踏まえた言葉を聞いていた桜姫。
否、彼女はその罵倒の数々に対し反論の言葉も出せないほどの衝撃を受けてしまい、絶望に染まっていたその中に、僅かに残っていた希望が消えてしまったことで言葉を失ってしまったのだ。
反論など無くしてしまうほどの崩壊。
希望に縋っていた感情を壊され、絶望しかない面持ちのまま彼女は目を見開き、瞳孔を丸くして固まってしまうほど、衝撃と絶望の応酬。
まさに人を壊すことを目的とした言動であった。
桜姫は何も言わない。いいや何も言えない。言えないからこそ彼女は尻餅をついたまま俯き、絶望の青ざめのまま何も言い返すことができずにいた。
言い返すことができない。
それはまさに『無言は肯定と見なす』のと同じ意味合い。
言い返すことができないということは理解したと言う事。
脳では理解もしたくもないし信じたくないが、事実はそれを告げ、その事実を捻じ曲げることができない桜姫にとって足掻くことなど無駄な事。
それを痛感してしまった桜姫は言葉で返すことができず、暴力という名の小さな足掻きすらできなくなってしまったのがこれというだ。
そんな絶望のそれを見下ろしていたディドルイレスはにやりと恍惚のそれを崩さず、どころかその恍惚さを増したような笑みを浮かべ、『永劫ナル氷菓剣』をそのまま腰に挿して携えると、ディドルイレスは桜姫に近付く。
ずしっ、ずしっ――と、竜人族特有の重みにある歩みを響かせ、時折威力を失いもはや飾りと化してしまった尻尾を床に向けて『べしっ』と叩きつけながら歩みを進めていくディドルイレスの歩みは、どことなく軽く感じてしまいそうになるほど微かな軽快を含んでいる。
心の奥底から言い切ったという喜びを体現しているかのようなその歩みとは正反対に、桜姫は尻餅をついたまま微動だにしない。
立ち上がることも、尻餅をついたまま逃げる素振りすらしない。
軽快なディドルイレスとは正反対の、絶望という静止を行っている桜姫。
今まで拮抗という名の距離ある抗争を行っていた二人だったが、その拮抗もディドルイレスの言葉がとどめとなってしまい、優勢に立ったのは――ディドルイレスになってしまった。
歩みを進め、桜姫の後頭部を見下ろすディドルイレスの顔に浮かぶ優越。
その接近を許してしまい、それでも逃げることも何もできなくなってしまった桜姫の顔には絶望の喪失。
夢を与えてくれた人がきっかけで外の世界に憧れを抱いた者。自分の野心の邪魔となるものを壊し、悲願がやっと成就される高揚感を抱いた者。
この場合――前者を抱いたものが最後まであきらめずに抗う事こそが王道の展開かもしれない。しかし桜姫はそこまでうまくできていない。
人生経験の中で最初で最大の絶望を痛感している彼女にとって、すぐに切り替えることなどできなかった。心の準備すらできずにいた。
この状況で――すぐに行動できる状態であったディドルイレスの策略にまんまと嵌ってしまったことになる。
そう、この先も。
ディドルイレスは優勢に立ったことを知るや否や――桜姫のことを見下ろし、その状態のまま彼は顔をどんどんと桜姫の頭部に向けて近付けていく。
ずぃっ。
と言わんばかりの速度ではなく、ゆっくり、ゆっくりとした動作で顔を近付け……、桜姫の後頭部をじっと見つめた後ディドルイレスは再度にやけに拍車をかけるように歪ませる。
ぐにっと――よく聞く都市伝説の女のように、裂けるような笑みを浮かべながら (と言っても竜人は口が裂けているような笑みを浮かべるので、この場合はそれ以上に裂けていると思ってほしい)桜姫の頭に顔を近付けていくディドルイレス。
そのまま近付き、笑みを浮かべた状態で彼は桜姫に向けて言葉を零した。
笑みとは正反対の――無に近いような淡々としているそれで、氷のように温もりすら感じないそれで彼は言ったのだ。
「さて――王としての最初の命令でもしましょうか」
この国を私の国にするためには時間と労力が足りなさすぎる。
そう言ってディドルイレスは徐に右手を上げ、その手を桜姫に向けて伸ばすと――ディドルイレスは桜姫のことを呼んだ。
いいや――厳密には『桜姫』ではなく『無知姫』という名でなのだが、その名を呼ぶと同時にディドルイレスは彼女の頭をガシリと掴み、今まで深くかぶっていたフードを破り捨てるように剥いでフードの被る部分を乱暴に部屋の端に投げ捨てる。
シェーラが桜姫にあげた『国境の村』で作られたフード――全体的に灰色がかった白をベースにしたもので短い体毛で覆われ、フードもついているけれどそのフードには二つの可愛らしい兎の耳は付いているようなフードなのだが、そのフードがディドルイレスの所為で剥ぎ取られてしまい、彼女の顔を隠すものが無くなってしまい、桜姫の髪の毛が、顔が露になって行く。
ふわりと優しい雪崩が起きたかのように落ちていく桃色の腰まであるゆるふわの長髪。額からは白交じりの桃色の角を二本生やし、朱色の目、一見すれば人間ではない種族の姿。その色に見合った小さな花柄の着物を着た、まるで作り物かと思ってしまうほどの少女が驚きと喪失の目を浮かべてディドルイレスのことを見上げていた。
見上げてきたその目を見て、その後すぐに視線を彼女の額から生えている角を見つめた後――ディドルイレスは歪ませていたその笑みを更に凶器へと歪ませていき、しまいには目元までも歪んでいくという狂気の沙汰の光景を桜姫の目の前で見せた後、彼は剥ぎ棄てたフードを掴んでいた右手を再度桜姫に向け、そのまま乱暴に彼女の顎を掴み上げる。
「っ!」
ぐぃっ! と優しくもないそのやり方に痛みを感じたのか、桜姫は小さな悲鳴を上げてディドルイレスの手首に両手を伸ばし、離せと言わんばかりに掴むも、その力も非力で何の妨害にもならない。
どころかその妨害を見ていたディドルイレスは「がははははっ!」と、今まで見せたことがない下劣な笑いを上げて――
「それは何でしょうか無知姫様ぁっ? まさかその手を使って私の手を引きはがそうとしているのですか? そんな小さな虫でも殺せないほどの力では私の手は離れませんよ。どころかこんな老いびれの手すら引きはがせないとは、一体どんな教育を受けてきたのでしょうねぇ無知姫様。無知姫様は力も非力で、まさか小さな小さな『ガリムバチ』相手でも勝てないかもしれませんなぁこれは! ほれほれどうしましたかなぁ? 早くこの手を離さないと私はあなたに対しひどいことをしてしまうかもしれませんよぉ? あなたの声が届かないこの場所で私はあなたにひどいことをしてしまいそうですよぉ? いいんですかぁそんな非力でぇ?」
「――っ!?」
ディドルイレスの言葉を聞いた桜姫は目を見開き、顎を掴まれた状態でディドルイレスの事を見上げる。
目に映る驚愕のそれを浮かべた状態で、彼女は言葉を発しようとしたが言葉を発することもできず、むしろ発するための顎が動かない状態で彼女は見上げるという唯一の行動をしてディドルイレスに訴えかけた。
あなたの声が届かないこの場所。
その言葉を聞いた瞬間桜姫は小さな声で『まさか……』と言葉を零した。
震えるその口で、何とか紡いだその言葉を吐くと、彼女の必死で絞り出すその言葉を嘲るようにディドルイレスは顎を掴み上げている指に力を入れて――笑い、叫んだ。
「そうですよぉっ! ここは誰にも知られていない! つい先ほども言ったはずですよぉっ? 『この部屋は誰も使っていないんです。というかこの家自体が使われていない空き家だったんです。それをできる限り使える範囲に改築しました。廃墟だった家屋を使えるくらいにするのに骨などおれません』とぉ! つまりここは空き家で誰も使っていない且つ忘れ去られている場所と言う事! 『フェーリディアン』の者達はおろか竜騎士団の殆どが知らない僻地みたいな場所に作られた場所! あなたを探そうと思っても無理なんですよぉ?」
声が届かなければ誰も来ない。
あなたの声が届かない限り――あなたを助ける者など……いないっ!!
吐かれていく言葉と共に吐かれてきたのはディドルイレスの構内に溜まっていた唾液――唾。
放たれていく言葉の追撃のように放たれた唾は桜姫の顔にかかり、美しい髪にも付着して彼女を汚していく。生理的にも受け付けたくないものであるが、彼女は――桜姫はその受付でさえも停止してしまうほど絶望の奈落へと落ちている最中だった。
桜姫の脳内に駆け巡り、リレーのように何度も何度も往復していく言葉。
ここは誰にも知られていない。
誰も来ない。
助けに来ない。
たった三つの言葉のはずなのに、何度も何度もこの言葉が駆け巡っている所為で数千もの言葉が脳内で細胞群列をしているような感覚に陥ってしまう桜姫。
つい先ほどの言葉だけでも絶望であった彼女の心にさらに圧し掛かって来る絶望。
二重のそれを感じてしまい、桜姫は思わず息を殺してしまった呼吸を吐き、心で『嘘だ』という言葉を何度も何度も吐き捨てながら己を保とうとした。
これは夢だ。
夢なんだ。
これは悪夢だ。現実であってもみんな必ず見つけてくれる。
そう心の中で己に激励を与え、己を保とうとした。
保とうとした……。
「! ん? ふふ! ふふふふふふ! ふふふははははははははっ」
桜姫の僅かな抗いの最中、ディドルイレスは彼女の顔を見て何かに気付いた。気付き、彼女の顔を見てディドルイレスは一瞬鼻をふかすと、そのふかしを皮切りにディドルイレスは笑った。
哄笑でも何でもない。ただおかしくて笑ったのだ。
げらげらと笑い、ぎゃはははははと下劣に聞こえてしまう笑いを上げながら――ディドルイレス彼女の顎を掴んでいる右手に力を入れ、逃がさんばかりに彼女の顔に顔を近付けると、再度下劣な笑いを上げてディドルイレスは言う。
彼女の顔を見て――彼女の抗いを見透かしているように……。
「おやおやおやぁっ!? いかがなさいましたかなぁ無知姫様ぁ! まさかここに人が来ないことに絶望しているのですなぁっ? ここに人が来ないことに対し信じたくないが、来ないと言われた瞬間怖くなって泣いてしまうとは……! 他種族のことを恨み生きている鬼族とは思いませんなぁっ? こんなみみっちい絶望に対しそこまで大泣きするとは思っても見ませんでしたぞぉっ? そんなにこわいんですかなぁ~?? 怖くて怖くて声を出して泣き出してしまいたいのに……、おぉ、おぉ可哀そうですなぁ。可哀そうですなぁ。可哀そうですがこれはあなたの運命なんですよぉ? 恨むなら鬼族を恨んでください。鬼族を恨み、己の血を恨みなさい。己の生まれを恨みなさい。こうなったのは全部――」
あ な た の 選 択 な ん で す か ら ね ぇ。
………………………。
そう、桜姫は泣いていた。
ボロボロと美しい瞳から大粒の涙を零し、嗚咽を口を閉じた状態で吐きながら、彼女は泣いていたのだ。
着ている服を濡らし、床を湿らせ、ディドルイレスの手を濡らしていたが、そんな彼女の顔を見てディドルイレスは更に笑いを上げる。
心では抗い、そんなことありえないという微かな希望を捨てない彼女の顔を見て、彼は言った。
嗚呼、滑稽だ。
滑稽でおかしくなってしまう。
笑わせるな無知姫。
色んな言葉が彼女に向けて放たれたが、そんな長い文章今の桜姫に聞き取ることなどできない。できないくらい彼女は自分に対しても絶望してしまい、悔しくて悔しくて仕方がなかった。
心では抗っていた。抗っていた――というのは、自分の想像だったのだと知り、桜姫は自分に対して愕然とし、絶望してしまった。
こんな嘘に縋らないと自分を保つことができなかったのかと。
そしてその嘘も曖昧なもので、曖昧だからこそ見破られ、馬鹿にされてしまった。
滑稽だ。
おかしいと言われてしまった。
ディドルイレスの言葉を聞いて一瞬は苛立ってしまいそうになった。否定しそうになった。
だができなかった。
本当だから。
本当に自分はディドルイレスの言葉を聞いて絶望してしまった。しまったから本当のことなのだ。
本当のことに嘘をついて虚勢を張ることなどできない。虚勢を張ったところでまた馬鹿にされるのが目に見えている。
いくら諦めの悪い桜姫でもわかってしまった。
希望という名の芽は――もうないのだと……。
「っ」
ないことに気付いてしまい、それを肯定してしまった桜姫は流れに流れる感情の雨を止めることなく流し続ける。
抗いの顔を浮かべてはいるものの、その顔から零れるそれを本音を隠すことができず、あべこべのような顔をディドルイレスに向けていた桜姫。
絶望まみれで、どうすればいいのかわからない心境のまま桜姫はディドルイレスに向けて抗いと言わんばかりの睨みを利かせる。
ぎっ、と弱々しいそれを。
しかしそんな彼女の抗いを滑稽として認識したディドルイレスは彼女のことを見て鼻で笑いながら『そんなもの――怖くないな』と言って、彼は徐に左手を桜姫に向けて伸ばす。
伸ばして、彼女の視界にディドルイレスの顔と左腕が自分に覆い被さった瞬間――額に何かを感じた。
「…………………………?」
何かを感じた瞬間、背筋を這う寒気。
ただ額を触られただけなのだが、それでも彼女の血がそれを感じたのか、危険信号のような危機感を感じ、不安に苛まれる気持ちに桜姫は困惑しながら瞼の開閉を何度も行い、視界を何度も何度もクリアにしていくが、不安も危機感も取り除けていない。
どころか継続している。
一体何なのかわからない状況の中、ディドルイレスは彼女に向けて一言、前置きとして『さて無知姫様』と言ってから彼は一言桜姫に告げた。
これで締めくくりと言わんばかりに、買い物を頼むような物言いで彼は桜姫に告げたのだ。
彼女にとって……、いいや、鬼族にとって最悪の言葉を。
「――あなたの角をください」




