PLAY113 いざ往かん――初めてのお買い物へ!②
「おい待てっ! 本当に待て! マジで言ってんのかっ!? 桜姫様がもう門の近くって……!」
赤楽の口から出たその言葉は緑陰の淡々とした面持ちを壊すのにはうってつけの言葉――衝撃の言葉だった。
今までの喧嘩が嘘のようになくなり、二人の周りを漂う空間も同調していき同化して同じ空気へと変わっていく最中――緑陰は赤楽に詰め寄り、なぜそうなっているのかと言う顔を浮かべるとその顔を言葉にして放つ。
放った言葉を聞いていた赤楽は第一発見者――つまりは最初に見た人物でもあったが、それでも彼は荒げる声で、感情のままに彼は言った。
「知らねぇってっ!」
「知らねぇって……。見たんだろっ? 桜姫様が門の近くにいるってっ!」
「ああ俺から見たら近くだったけど、でもあの距離なら……、ああでももしかしたら」
「こんがらがるなっ! 今こそ冷静になるべきだろうがっ!」
赤楽は一体何がどうなっているのかわからない心境の中、心の声が駄々洩れと言わんばかりの言葉をボロボロと足元に落として頭を抱えてしまう、
うんうん唸るように零し、頭を抱えたまま辺りを徘徊するようにうろつかせ思考を巡らせるが、結局は混乱して正常な思考など定まらないので無駄な事。
混乱している赤楽のことを見て呆れ半分怒りも半分だが、その中に含まれる焦りの顔を浮かべて緑陰は彼の肩を掴んで狼狽の行動を制止させる。
強制的な停止を受けてしまった赤楽は動いていた反動で脳と体が揺れるという小さなアクシデントはあったが、それでも赤楽は息を呑み混乱の思考が一旦消える。
まるで冷水でも浴びたかのような衝撃と茫然、その後で来るクリアな思考。
それを受けた状態で己の肩を掴んだ緑陰のことを見ると、緑陰は茫然として固まっている赤楽に向けて言う。
淡々としていない。心は焦っているが冷静な面持ちで彼は告げる。
「今は考えるな。紫知さん達に、祖母ちゃんたちに伝えろ」
きっとお守の人達も来る。
そう言って赤楽のことを見て言う緑陰。真剣で、急いでと言う想いが伝わるその顔で言うと赤楽は一瞬驚きの顔のまま止まったが、事の重大さと緊急性も相まってその硬直もすぐに解け――頷きを緑陰に見せてから彼は行動に移した。
赤楽から見て先ほどまで外の世界を見ていたその場所に近くまで早足で駆け寄り、櫓の天井の板に手を力強く叩く。
だんっ! と言う音が二人の鼓膜を揺らし、赤楽は手を付けたその箇所を見上げる。
見上げたその場所は櫓の雨除けの屋根板――現代で言ところの天井であるのだが、他の板と比べて明るめの木材があり、赤楽はその板に手を付けていた。
赤楽は触れたその板を上に向けて押し上げる。押し上げ、壊れないように細心の注意を払いながらその板を押し上げると、『がこっ!』と音を立てて外れる。
外れて赤楽の手からするりと滑り落ちていく板と一緒に、するりと細い何かが板と一緒に落ちてきた。
板はそのまま櫓の足場に向かって落ちていき、大きな木材の音を立てるが、その音を無視して赤楽はもう一つ落ちてきたものに手を伸ばし、そのままがしっと掴む。
手に収まるか収まらないかと言う大きさで、武骨に角ばっているそれはほんのり黄色と白が混ざっている半透明な鉱物で、その鉱物には細い紐で括り付けられていた。
そう――板と一緒に落ちてきたものはこの鉱物。否、この場合は鉱物ではない。これは聖霊族の心臓ともいえる石……、瘴輝石だ。
瘴輝石を手に持ち、それを櫓の上で掲げた赤楽は、黄色と白が混ざる半透明のそれが見えなくなるように握りしめ、腹に力を入れると同時に赤楽は大きく口を開けて――叫んだ。
「マナ・エクリション――『警報光』っ!」
叫んだ瞬間、赤楽は握りしめていたその手の力を一気に緩め、瘴輝石を掌に乗せるような状態にすると――赤楽の掌に収まっていた瘴輝石は眩い光を放つ。
夜の世界が一瞬にして明るい朝の世界になったかのように天変地異の光景。
その光景は朝の世界を待つように就寝していた者達を一気に現実へと引き戻し、瞬時に悟らせる。
書類整理をしていた紫知も。
煙管をふかしながら夜の満月を見ていた赫破も。
手にしている書物を見ながら不敵な笑みを浮かべている黄稽も。
寝室で休んでいた緑薙ぎも。
洞窟内で体を清めていた蒼刃も。
その他大勢の鬼族達がその光を見て、滅多に使わないであろう聖霊族の心臓の光を見た瞬間、鬼の郷にいた鬼族一同が瞬時に悟る。
櫓から放たれた光が指す合図――緊急事態と言うことを……。
桜姫がもうすぐ脱走することを悟らせる合図を見て!
「合図出したな! 早く桜姫様のところに!」
「分かっている!」
緊急事態の報せの合図を出した光景を腕越しで見ていた緑陰は即座と言わんばかりに角を光らせ、体をどんどん消して……、否、空気と同化していく。
すぅっと消えるその光景はまさに透明人間になる過程に思えてしまう光景であるが、赤楽は緑陰が消えていくその光景に驚くことはなかった。
なにせ緑陰の力は風と同化する不意打ちの力――消えてこそ本領発揮する力なのだ。
姿を隠せ、且つ不意打ちの行動ができるということは、脱走している相手に気付かれることなく近付くことができ、捕まえることができる。
まさにこの状況こそが彼の独壇場。
消えた緑陰のことを見て頷いた赤楽はすぐに彼の後を追う様に、今まさに門に向かって走っている黒い何かを纏った桜姫のことを追う様に櫓から降りようとする。
勿論櫓から飛び降りるということは出来ないので、しっかり梯子を使って彼は一歩一歩しっかりとした足取りで降りていく。
とんとんと駆け下りていき、細心の注意を払いながら赤楽は現在進行形で門に向かってい走っている桜姫のことを見て思った。
見た限り桜姫であるその人物のことを見て、二つの角を生やしている桜姫の姿を見ながら思った。
――あの姿は桜姫だ。
――だけどなんでこんな深夜に桜姫は脱走したんだ? しかも暗いのに更に視界を狭めるようなことをして、自分の姿を隠すためにあんな黒い布を纏って走っているんだ?
――今までこっそりしていた行動をあんなにも大胆に……。
赤楽は思う。彼女がしている行動に対し、桜姫がしている今の行動を見て心の引っ掛かりを感じな柄彼は思った。
なぜあんなことをしてまで脱走をしたのだろうか。
なぜあんなにもデメリットしかないような行動と服装をしながら駆け出しているのだろうか。
一体どんな考えを盛ってあんな行動をしているのだろうかと……、彼は心に成長しつつある引っ掛かりを大きくしていきながらも、目の前のことに集中しようと一旦その引っ掛かりを無いものとして考え、行動に移そうとする。
今は考えても何も生まれない。
今は行動して彼女のことを止めないといけない。
本当は止めたくないのだが鬼族の掟でもあり、呪縛でもあるこの決まりを破るわけにはいかない。
破ってしまえば重鎮に殺される。特に緑薙と黄稽の手によって嬲られて殺される。そうなりたくない。死にたくないから――従わないといけない。
緑陰にはあんなにも自慢げに言っていたにも関わらず、内心はこんなにも弱気になっていることに滑稽さを感じながら赤楽はようやく地面に辿り着き、梯子から手を放すと同時に赤楽は駆け出す。
門がある方角に向けて、桜姫が向かっているであろうその場所に向けて足を動かす。
心では止めたくない。然し止めないといけないという矛盾の心と消そうとしていた引っ掛かりを感じながら……。
◆ ◆
その頃……。鬼の郷の集合住宅――の地下。
地下と言っても食料を保管する地下とは違い、その地下は別の意味で使われる地下でもあり、その地下を知っている者はこの郷でも数える程度しか知らない場所。いうなれば秘密の場所と云われている場所でもあった。
場所の詳細は語ってしまっては秘密にならないので語らないが、その場所を知っているもの達はその地下のことを『鬼の怒りが憑りついた檻』と呼んでいるその場所で、赫破は地下の天井を見上げて感覚を研ぎ澄ませる。
今まで酷使していた視覚と聴覚を聴覚一つに絞り、天井から聞こえる音を聞き漏らさないように耳を澄ませた。
板と岩、そして深く作られたことによって多く積まれた地面と言う厚い隔たりが存在していたが、熱い隔たりと言う障害をものともしないような大きな音が地下に響き、揺らしていたおかげで赫破の耳にも入ってしまったのだ。
『警報光』がなくとも聞こえる音、声、そして地下の揺れを感じた赫破は無言の状態で天井を見上げ、地上の騒々しさを感じながらため息を吐き捨てる。
また何かが起きたのか。
騒々しさとは正反対の温度差で赫破が思っていると、そんな彼のことを見て牢の中の男は「ん?」と零し、牢屋の中の天井を見上げながら男は聞く。
辺りに残るそれらを拭きもせず、放置したままの状態の牢屋の中で不敵に笑みを浮かべ、座敷牢の中にあらかじめ置かれていた藁の寝床に尻餅をついた状態で、裸足の状態で座っている男――ヌィビットは赫破に向けて聞いた。
前と変わらない不敵な笑みで、牢屋内の惨状とは裏腹の無傷の体を動かしながら彼は聞いたのだ。
「んん? 何やら騒がしいな? 鬼族と言うものは常に騒がしくないと眠れないのかな?」
「………こう言う時でもその舌は回るのだな。五月蠅いにもほどがある」
「ああこの舌回しは遺伝だよ。私の父もこんな風に言葉を発していたものさ。まるで癖の如く言葉がどんどん喉から口へと出てくるようにね」
「遺伝か、難儀な遺伝だな」
「あなた方の遺伝子程ではありませんよ?」
ヌィビットの言葉を聞いていた赫破は溜息交じりに関係ないと言う言葉を遠回し言うが、赫破の言葉を汲み取っていない――赫破の心境を察していないのかヌィビットは言葉の応酬を繰り出していく。
もはやいけしゃぁしゃぁと言っても過言ではないような応酬に赫破は呆れるような視線をヌィビットに向けると、彼に向けて赫破は言葉を発する。
皮肉を込めに込めまくった言葉を。
その言葉に対し皮肉で返すという一種の嫌味返しを行ったヌィビットに、赫破は怒りを通り越して呆れも通り越してしまった呆気の顔をしてしまい彼のことを見下ろす。
ヌィビットの言葉が出たと同時に一瞬沈黙と言う名の静寂が地下と言う無音が日常的な世界を包もうとしていたが、地下の天井から聞こえる騒音が無音をかき消し、静寂を壊していく。
どころか騒音がどんどん大きくなるその音を聞いていた赫破は視線を上に向け、僅かに揺れる天井からボロボロと零れ落ちて来る小石や土の屑を見ながら赫破は思う。
地下の揺れ具合と零れ落ちていく小石達を見上げながら赫破は思った。
――これは、相当暴れているな……。
――一体何が起きているんだ?
赫破は思う。自分がいない地上で一体何が起きているのか。それを敷こうとして巡らせながら長考を行う。
赫破は騒動が起きる前からこの地下でヌィビットと話をしていた。つまり地上で一体何が起きているのかなど知る由もない。しかしこの揺れ具合を感じた時、赫破は察した。何かが起きている。
緊急事態めいた何かが起きていると。
地上の騒音が騒動が地下まで伝わるその振動。
それはまさに時間差で来る揺れなのだが、その時間差があったとしても揺れの大きさが尋常ではない。ましてや頑丈に作られた地下が揺れるほどの力が地面に向けられているのだ。
ただ事ではないことは理解できた赫破はすっと目を細めた状態で天井を見上げ、現在進行形で揺れ、どこからか罅割れるような音を聴覚で捉えると、赫破は細めて居た目を更に細めて思う。
――………これは、まさか緑薙達が来ているのか? こんな騒動今まで聞いたことがない。
「……急がんと」
そう小さく言葉を零し、そのまま踵を返してヌィビットから視線を外し外へと続く梯子へと向かおうとしていた。ザリッと草履の音を奏で早足で向かおうとしていた時――
「鬼は大変だ」
ヌィビットが突然声を上げた。
声を上げた。と言う言葉にすると大声を上げたか張り上げるような声を上げたような雰囲気を感じてしまうかもしれないが、ヌィビットは冷静で怒りなど含まれない変わらない音色で彼は外へと行こうとしていた赫破に向けて声を掛けた。
鬼は大変だ。
皮肉に感じるような言葉と真剣でもない音色で言ったその五文字の言葉。
その言葉を聞いた赫破は一旦足を止め、一時停止の如く体の静止を五秒ほどした後、顔をヌィビットに向ける。
向けると同時に赫破はヌィビットに向けて冷ややかな視線で見降ろしながら「何がだ?」と聞くと、ヌィビットはくつくつと喉を鳴らしつつ肩を小刻みに揺らし、ヌィビットは顔を上げ、牢の隔て越しにいる赫破に向けて彼は言った。
普段と変わらない――なんとも不気味な愛想笑いを浮かべている状態でヌィビットは言ったのだ。
「いいや――言葉通りの意味だよ。鬼族は大変だなと思っただけ。率直のそう思っただけなんだ。鬼族の希望と言える存在でもあり希少と言える力を持っている姫を外と言う邪悪な存在達から守るために君達は外への羨望を壊そうとしている。この郷こそが真の理想郷と思わせるように行うその行動はまさに過保護と言ってもおかしくない。いいや――この場合は、過干渉の方がいいのかな?」
「………………………」
「無言は肯定かな? それとも否定したいが否定の言葉が思い浮かばないのか? まぁそのことに関して追及なんてしないよ。急用があるんだろう? 私の言葉なんてただの独り言と思って通り過ぎればいい話だ。ただ私は自分の疑問を言葉にしているだけのことだ。気にしないでくれ」
ヌィビットは言う。
ジルバのような飄々で本心を隠すという処世術を行わず、かといって真剣な話を笑いながらしているわけでもない。一言で言うところの食えない心理をちらちらと赫破に向けて見せつけ、引きつけながら彼は話している。
自分が思っていることを独り言のように、赫破に向けて。
今鬼族がしている桜姫に対する行いは過保護と言う甘い甘いものではなく、縛り縛りつけ……、桜姫と言う人格を自分達の都合のいいように変えようとしている常軌を逸しているこれは過干渉だと告げたヌィビットに、赫破は走って梯子に向かおうとしていたその足をヌィビットの向け、そのまま彼は真正面にいるヌィビットのことを見下ろし、お互いがお互い無言のまま見つめ合う。
見つめ合う。
その情景がもし男女で、場所が明るい場所であればときめきが奏でる恋愛の物語が始まるような情景である。さながらレンとハクのように。
しかしこの場所は鬼族の郷の地下で、老人と変わっている青年が見つめているというのが今の情景。この情景であれば何の物語も始まらない、何も始まらない。
ただ沈黙と言う名の延長戦が始まるだけ。
そんな延長戦の最中――ヌィビットは自分のことをじっと見降ろすように見ている赫破のことを見てふっと不敵な笑みを浮かべた後、フーッと大袈裟且つざわとらしい動作で肩を竦めると、ヌィビットは赫破のことを見上げ、尻餅をついていた状態から足を動かし、膝立ちをするような姿勢にすると、彼は前のめりになりながら赫破に向けて言った。
悪魔族である彼の顔に浮かびあがる人間――否、本当に人間なのかと思ってしまう様な仮面の不敵な笑みを浮かべながらヌィビットは赫破に向けて言った。
「私は、私の部下は確かにあなた方のお仲間を殺めてしまった。そのことに関しては深くお詫びしたい気持ちだ。謝罪をしたところでその者が生き返るなどと言うなんとも奇跡のような展開はないと思っているが故、許されたいとは思わない」
「その言葉に偽りを感じない。本心なんだな?」
「本心なんだなとは心外だ。私がいつ嘘をついて……、あぁ失礼。私は確かに牛を付いていたな。大きな大きな『ドッキン』を浄化の少女たちにしてしまっている。だから『嘘をついたことがあったか』は言わないよ。言わないが私はあなたに対し、いいやあなた方鬼族に対して言いたい」
「儂ら一族にか?」
「そうだ。君達一族に対し、私は異議を唱えたくなった。この異議だけは言ってもいいだろう? 勿論君達鬼族に対しての侮辱ではない。そんなことをしてしまえば更にこの牢屋内が赤くデコレーションされてしまう。私がもしこの牢屋から出てしまった後、この牢屋内を掃除するのも大変だろう? そうならないように侮辱はしないことを宣言しよう。もし気に障ることがあればなんなりと言ってくれ」
「……本当に食えない性格の餓鬼だ。何が言いたいのかはっきりと言ってくれ」
「なに――ただ私は思ったんだよ。君達鬼族は何に対しても度を越しているなと。そう思って見てしまった。それだけ言いたかったんだよ」
ヌィビットの言葉を聞いた赫破は返答もしないまま彼のことを見下ろす。ただ見降ろすだけで言葉を発することはなかった。
ヌィビットが言った言葉――『君達鬼族は何に対しても度を越しているな』と言う言葉に対し、怒りを少しだけ露にして反論をするということをしなかった赫破。
むしろ――反論などできないという図星を付かれた顔を浮かべるだけ。
いつぞやか彼の記憶の話をした時にも話したのを覚えているだろうか。赫破は今の鬼族の在り方に対して異議を抱いている存在である。
それはヌィビットの仲間であるクィンクに手によって殺されてしまった紫刃も抱いていたことでもあり、彼が亡くなった後で赫破自身も疑念を抱いたのだが、ヌィビットの言葉を聞いた赫破は言葉にできない心境に、反論をしよという思考が浮かばず、どころか彼はこう思いながら言葉と言う伝え方をすることができなかった。
その通りだ。
そんな言葉が脳内を支配し、その支配に服従されてしまった赫破は言葉を呑んでヌィビットのことを見降ろすということしかできずにいたが、赫破の心境を見てか同かはわからない。
だが顔を見てヌィビットは不敵な笑みを浮かべ、立ち膝の状態で立っていた状態を膝で歩むという行動に変えた彼は、膝立ちのまま歩みを赫破に向けて近付く。
ずり……、ずり……。と言う引き摺る音を出しながら彼は不敵に言う。
「やはり思っていたのかな? 自分達、いいや鬼族が行っているこの行動は常軌を逸していることを。そしてその常軌はもう伝染しているということを」
「………………………」
「ああこれは私の憶測にすぎないがな……。見たことはあるんだ。この郷と同じような情景を私は見たことがある。詳しいことは話せないが、その場所はとある風習が語り継がれていたんだ。本来なら大昔に滅んでもいい――いいや滅びなければいけない風習なのだが、その風習を風化させないために人々は息子たちや孫たちにその風習を言い伝え、続けさせたんだ。よくある行事のように語り継がせてだ。内容までは言えないな。ここで内容を言ってしまえばお腹の中空っぽになってしまうぞ? そのくらいその場所の風習は悲惨で、思い出したくないものだった。私自身思い出したくないランキングトップスリーに入るものだ。一応言っておくがランキングのトップは五つあるが、その中でもその風習は三位になるな。だがこの鬼族の風習……、いいやこの場合は掟と言った方がいいのかな? それをランキングに加えるとなると――この郷の思い出したくないランキング二位に食い込んでしまう」
それほどこの郷の掟は異常だ。
そうヌィビットは赫破に向けて言う。しかし赫破はヌィビットの言葉に対し反論のそれを述べることなく、ただただ彼の言葉に耳を傾けているだけ。肯定も何もしないその面持ちの顔を見ながらヌィビットは立ち膝のまま近付いていたその動作を止め、足を器用に使ってその場で立ち上がると――彼は赫破のことを牢の柵越しに見て言う。
今まで浮かべていた不敵な笑みと同時に、真剣な音色を奏でるような異質に見えてしまいそうな面持ちと声で彼は赫破に向けて言ったのだ。
最初に――「分かっただろう?」と聞いた後で、ヌィビットはアカハに向けて言う。牢屋の柵に寄りかかりながら彼は続きの言葉を発する。
牢屋の柵から顔を出すように、その裂くの外から赫破のことを見て――彼は言う。
不敵な笑みを浮かべながら……。
「君達が行っていることはまさに常軌を逸し、他人からも分かってもらえないもの。ましてやこの郷で目に入れても痛くないと言っても過言ではない姫を想っている行動がまさかの隔離。過干渉。そして人格の否定。聞いた話だがこの郷のお姫様は夢を抱いていた時期があり、そのことを郷の者達に伝えた瞬間郷の者達全員で姫の夢を壊しにかかった。これは人生において苦労するからと言う理由で言ったものなのかは分からないが、私はこのことを聞いて即座に感じた。これは姫以外の誰もが姫の夢を快く思っていない。いうなれば自分達の好き嫌いを押し付けているようだと思っている」
「………………………確かにな、桜姫に対しての行いは喜ばれるものではない。あの日を境に桜姫は儂等に心を開かなくなってしまった」
「そうだろう? 夢を抱くことはいい事でもあるんだ。叶わない夢であってもその夢に向かって努力することはいい事だ。努力は自分を裏切らないというとある書籍にも記載されているほどなんだぞ? それなのにその夢を修復不可能になるまで壊したその行為は異常だ。その心意を聞いてしまえばより一層異常と見てしまう。どころかお前達の身勝手さが浮き彫りになってしまう。その浮き彫りを姫に向けた結果がこれだ。これでは愛玩動物と同じだぞ? 愛玩であろうとも生き物は生き物。運動させなければいけないんだ。ずっと家で飼うなんてことは出来ないんだ。お前達は姫のことが大事なんだろう? ならば姫のことを間違った意味で閉じ込めてはいけないんじゃないか? むしろその考えをやめた方がすっきりするんじゃないのか?」
もっともと言えるような言葉の数々。特にヌィビットは赫破に対して――いいや、鬼族全員に対して彼は断言をしたのだ。
むしろその考えをやめた方がいいんじゃないのか?
その言葉は一見すると心配しての言葉に聞こえる。赫破自身もそれを聞いた時は内心同意のそれを示そうと思っていたほど、ヌィビットの言っていることは正しい。
正しく当たり前な言葉だった。
しかし、ヌィビットのその言葉は他の鬼族が聞いてしまえばただの逆撫で。この牢屋内を真っ赤に染め上げてしまうほどの怒りを読んでしまう様な言葉になる。
考えをやめた方がいい。
それは復讐を、その憎しみを忘れろと言っているのと同じなのだ。
今までされてきた仕打ちを忘れてのびのびと過ごす。それは鬼族の者達からして聞けば、今まで人間族や他種族達の手によって死んで逝った者達のことを『不幸の事故』として捉えて前に進むということ。
憎しむことをするだけ無駄だと言っているのと同じ。
忘れることは、同胞の亡者への侮辱。
そんなことをするくらいなら死ぬまでこの記憶を永遠と後世に語り継がせるだけだ。
そう緑薙と黄稽であれば言うかもしれないが、赫破だけは違った。
「………………………確かにすっきりするかもしれんな。儂自身もそう思う時がある」
「!」
赫破はヌィビットの言葉に対し返答のそれを口ずさむように零すと、その言葉を聞いたヌィビットは驚きの顔で赫破のことを見ると、今までグラグラ揺れていた天井から一際大きな騒音と揺れが起き、その揺れで天所からは少し大きめの石や小石が零れ落ちていく。
ばらばらと零れるその音を聞きつつ、現在進行形で響く騒音を聞きながら、赫破はヌィビットに向けて「もういいか? そろそろ行かないといけないんだ」と言って、彼はそのまま足を地上へと続く梯子に向けて足を進め始める。
何の迷いもない足取りを牢屋の柵越しで見つめたヌィビットは、一瞬呆気にとられたかのような口の開け方をしたが、すぐに不敵な笑みへと変わった後、その場で尻餅をつくように座り込む。
どすんっ。と重くないものを落としたかのような音が地下内に響くと、ヌィビットはその音を聞きながら岩で作られた地面にごろりと寝っ転がる。
寝っ転がった後でヌィビットは今現在揺れている天井……、否――現在進行形で相当の真っ只中にある地上のことを想像し描きながら思う。
鬼族の暗い憎しみの連鎖。
その連鎖を消さないために語り継ごうとする鬼族。そしてその鬼族の考えを変えようとしている一人の非力姫。
そのことを思い描きながらヌィビットはふっと力なく笑みを零し、不敵に見えない笑みのまま彼は天井を見上げた状態で言う。
脳裏にちらつく小さき己の姿を描きながら……。
「…………語り継がれた因習ほど、解くことが難しいか」
一人ごちるように零された言葉はそのまま空気と化して消えていき、ヌィビットは寝そべったまま一息呼吸を行う。
その行動をしながら彼は未だに揺れ動く天井を見上げ、今日は騒がしくなるなと思いながらそっと目を閉じた。




