PLAY113 いざ往かん――初めてのお買い物へ!①
ハンナ達の作戦会議から二日後……。
その日は鬼の郷では珍しい満月と言う夜の晴天が鬼の郷、そして鬼の郷を取り囲む山一帯を照らし、朝とは違う明るい世界を魅せていく。
よく絵画と言う世界で見るような月の光の世界。その世界は夜と言う陰を微かに照らし、夜の世界を彩る夜行性の生物達が無音をかき消していく。
『ほーほー』と一定のリズムで鳴く梟に似た鳥『ヤミマトフクロウ』。
『ヤミマトフクロウ』の声に反応して耳をぴくぴく動かす夜色の小さく、黒曜石のようにきれいな毛並みを持つ細身の狼――『黒曜狼』が嗅覚を研ぎ澄ませ、茂みの中から獲物の『ヤミマトフクロウ』の声を音で辿り、匂いで場所を特定する。
同時に『ヤミマトフクロウ』の声を聞いて耳をぴくつかせ、茂みから顔を上げると『ヤミマトフクロウ』の後から聞こえた『黒曜狼』の足音を聞いたと同時にその場から兎のように飛んで逃げる『暗渠鹿』が名の通りの湿った短い体毛を揺らしながら夜の森の世界を駆け逃げるが、その音を聞いていた『黒曜狼』の牙によって首元を噛み付かれ、子犬のような甲高い声の断末魔を上げる。
夜の世界と言う暗く視界と言う強みが使えない世界の中でも食物連鎖と言うものがある。
その声はもしかしたら自然と言う世界の中で過ごしている生物達の現実――人間と言う生物達におけるドラマなのかもしれない。
自然と言う世界の厳しさを人間達に教えているような一幕。
狩る者と狩られる者達が織りなす『生』と言うテーマを使ったドラマ。
そのドラマは人の目では見れないが、その声を聞くことは出来る。
できるからこそ、鬼の郷の櫓で辺りを見渡し見張りを担っていた人物は『暗渠鹿』の断末魔の声を聞いて「お」と声を零し、櫓の枠に腰を落として座ると――一言呟いた。
赤く短い角が印象的で、狐目と思われてしまいそうな細い目を少しだけ開けてからその人物は呟く。
「――今日もいつも通りだな」
と……。
◆ ◆
「――今日もいつも通りだな」
そんな声を呟き、櫓につけられた柵を椅子のように腰かけながらその人物は『暗渠鹿』が叫んだその方角を遠目で見つめた。
額が見えてしまいそうなほど短髪の前髪だが、後ろの髪の毛は腰のところまで伸ばしある程度の位置で一纏めにして黒い紐で縛っているという独特な髪形をしているが若い青年でその青年の額から短くも赤く光る角を生やしている男。
赤を基準にした少しだけ着崩れした着物に、下は少し短い黒のもんぺと包帯を巻いた裸足と言う動きやすさを重視、そして着飾っていないという印象が強い服装をしている人物は自然界の摂理と言えるような叫びを聞きながら溜息交じりの言葉を零す。
本当にいつも聞こえる気がする。
聞こえていない時もあるかもしれないがそれでもほとんど聞いているようなそれを零しながら赤い角の男は言った。
その言葉を零した後、小さく幸せを逃がす息を零し、木で作られた壁がない緑が広がっている世界を見つめながら赤い角の男は呟く。
この場所に机と言うものがあれば膝を付いて頬杖を突きそうな面持ちと雰囲気で、彼は小さく呟いた。
「でも、なんかこの『いつも』も飽きちまうなー。早くボロボの城下町で買い出し行きてぇなー」
なんとなくでなく、無意識の本心を呟く赤い角の男。
溜息交じりに零したその言葉に含まれる気怠さ。その中に潜んでいる言葉はまさしく本心に近いものかもしれない。よく勉強をしている時に零れてしまう『やりたくない』という声のように、彼は鬼の郷と言う中から見える果てしない世界を見て零したのだ。
気怠く聞こえてしまう本心を。
しかしその本心は彼だけの耳に入ったわけではない。
しっかりと聞いている人物がそこにいた。
「ちゃんと見張りしろ――怠け赤楽」
「!」
突然背後から聞こえた声。
その声は櫓と地上を繋ぐ梯子がある方角から――つまり赤い角の男の背後から聞こえた声であり、その声を聞いた赤い角の男……赤楽は驚きの顔を浮かべながら素早く背後を振り向く。
うっかり櫓の柵に腰かけていたこともあってバランスを崩し、櫓の外に転がって落ちそうになったが、そこは何とかバランスを取り戻して体制を戻す。
フーッと一瞬の危機に肝を冷やした赤楽だったが、先程の声の主は『とんとん』と木材特有の音を鳴らして梯子を上っていく。
上る音と共に赤楽に声を掛けた人物は櫓から『ぬっ』と箱から顔を出す動物のように顔を出す。
緑色の角を生やし、吊り上がった目と目が隠れる隠れないかと言う長さの前髪にしている赤楽と同年代の男が顔を出すと、その顔を見て驚きから深い深い安堵の溜息へと変わり、その人物に向けて視線を向けると、赤楽はその人物の名を苛立ちが少し混じるその音色で呼ぶ。
「お前かよ緑陰。突然声を上げるなよ。驚いただろうが」
「いつもこうしているのにお前がいつも呆っとしているからだろ? 毎度毎度驚くこと自体不思議に感じるよ」
そう言って緑の角を生やした人物――緑陰は『よっと』と声を出して櫓の頂上に足を付け、その流れで赤楽の近くまでゆっくりと駆け寄る。
赤楽と同じ服装ではあるが、対照があるとすればくすんだ緑の着物と黒と緑が混ざったもんぺを吐いている姿で、彼は藁で作った草履を履いているその姿はまさに赤垣とは正反対の印象を与え、緑陰は赤楽の言葉を聞きながら歩み寄り、赤楽の横に立つと櫓の柵に寄りかかり、緑陰は聞く。
未だに柵に腰かけている赤楽に向けて、緑陰は聞いた。
と言っても、その内容は常に毎日同じ言葉であるもので、赤楽もそのことに関しては何度も何度も聞いているので、きっと来るだろうなと思いながら彼は緑陰の言葉に耳を傾ける。
同じことを繰り返し、繰り返し言うだけの会話を――
「で? どうなんだ状況」
「いつも通り」
「そうか」
「あ、でも今日は『暗渠鹿』が食われた声が聞こえた」
「へー」
「……最近は聞かなかったのに、なんかあったのかな?」
「自然界で? なんだよその言い方……。まるで近所の物音が気になる野郎に聞こえるぞ?」
「そんなに気にはなっていないって。だた何だろうなーって思っただけで」
「結局気になってるじゃん。そんなの只の食物連鎖だって」
「………そうか」
「うん」
いつも通りの中に今日だけ特別な会話 (自然界云々の所)が出ただけの淡々としている且つ当たり障りもない会話をしていた二人だったが、すぐにその会話も途切れてしまい、次の会話などなく彼ら二人は無言のまま夜の自然の世界を見つめるということしかしなかった。
ただただ、無言のまま見つめるというなんとも息苦しい空間の中で呼吸をするという、呼吸すらままならない苦しさを感じながら二人は見ていた。
苦しいという感覚はその場の空気を感じてなのだが、実際は苦しくない・
苦しくはない。そしてこんな会話などいつも通り。
いつも通りなのだからこれ以上の会話もなく、そのまま次の日の朝になる。
それがいつもの流れ。一種の無いとルーティーンに見えてしまうかもしれない。そんな光景。
しかし今日だけは違っていた。いつもの流れに新たな流れが加わり、新しい流れが二人の空間を支配しようとしていた。
その流れを与えた人物は……。
「そう言えばさ……、最近姫様どうなんだ?」
赤楽だった。
赤楽は緑陰に言葉を投げかけ、その言葉を聞いた緑陰は『?』と言わんばかりの意外と驚き、少々の気怠さを顔に出しながら赤楽のことを見る。
姫様はどうなんだ。
そんな言葉、全然聞かなかったのに。
そう心の中で思いつつも、緑陰は自分が思っていることを赤楽に伝えるため、視線を自然界のその世界に戻し、言葉にする。
淡々とした言葉で彼は言った。
「あー。普通だよ。毎度毎度外の世界に行くために脱走をしては、余所者の輩達に捕まってむすくれている」
「そっか。姫様、諦めていないんだな……。外の世界に行くことに」
「いや諦めるとかそう言う問題じゃないだろう?」
緑陰の言葉を聞いて赤楽は納得した。なんだか安心したと言わんばかりの溜息を吐くと、彼は外の世界の夜空を見上げて言った。
まだ諦めていない。その言葉に対し己の中に渦巻くとある感情を感じながら……。
だが赤楽の言葉に対し、緑陰は徐に策に寄りかかることをやめ、淡々としている音色から少し向きになっている張りのある声にすると、彼は赤楽のことを見て言う。
いい加減にしてくれ。
その気持ちが声に乗っているような、そんな音色で――緑陰は言った。
「桜姫様はいつかこの郷を守るものになるんだぞ? 外の世界の卑しい種族達から俺達を守る存在になるのに、なんでそんな種族達がいる世界に憧れを持って何度も脱走するんだよ。いい加減諦めてほしいくらいなんだ。なんでお前は桜姫様の叶わないくだらない夢の応援なんてするんだ」
狂っているぞ。お前も――姫も。
緑陰の言葉を聞いて赤楽は座っていた柵から降り、今度は柵を背もたれにするように寄りかかると、赤楽は反論とは言い難いような言葉をぶつけてきた緑陰に向けて顔と視線を向け、彼自身苛立ちが顔に出たその顔で緑陰に向けて言う。
反論……、否。もはや抗議と言っても過言ではないような言葉の返しをして……。
「お前な……、それは言い過ぎだろうが。狂っているって言葉、そっくりそのままお前らに返すぞ? お前らだって鬼族として、まぁ他種族の言葉を使うなら人としておかしいし、狂っているのはお前らだろうが。お前も、紫知も、黄稽のおっさんも緑薙おばあさんもお前も狂っているだろうが。姫様ばかりを変人扱いすんなって」
「はぁ? 姫様が変なんだろうが――外の世界に出て世界を見るとか……。あっという間に他種族の餌食になるんだぞ? 金目的でボロボロにされること間違いなしなんだぞ? 緑薙ばあちゃんだって心配して言って」
「その心配している輩が人間族相手にひどい仕打ちをするのか?」
赤楽と緑陰はお互いの言い分に対して異議を唱えるように櫓での見回りを無視し、互いの顔を見て異議のぶつけ合いを繰り出す。
見張りなど二の次三の次と言う後回しをし、二人はそれぞれに対して抱いた感情をぶつける。
最初に異を唱えたのは赤楽だった。
「大体お前達は頭の中が異常なんだよ。昔人間族や他種族にひどいことをされたことは分かる。俺だって嫌だし、俺がその立場だったらそいつらのことを許したくない。でも関係のない奴を笑いながらなじるのは違うだろう?」
「………違わない」
赤楽の言葉を聞いた緑陰はむっとした顔を浮かべ、赤楽と同じように寄りかかることをやめ、赤楽と対峙するように、向き合って対立するように緑陰は赤楽に向けて反論――彼にとっての異議を唱えた。
荒げているわけではない。
しかし淡々とした音色の中に含まれる怒りの荒げはしっかりと声に表され、その表れを赤楽にぶつけるように緑陰は言う。
「祖母ちゃんがしていることに対して俺は正しいとか正しくないとか思っていないし、それにあいつ等だって俺達のご先祖にひどいことをしていたんだぞ? お前こそ悔しくないのか? たまに外の世界に出稼ぎに行っているお前視点で見て、外の世界は憎くて頭がおかしくならないのか? 俺だったらおかしくなる。だってあちらこちらに俺達の祖先を嬲った輩達でいっぱいなんだぞ? それでなんで俺達の方が狂っているってい思うんだよ。俺からして見ればお前の方が相当狂っている」
「狂っている狂っていないで言えばお前達の方が狂っているって思うし、それに外に出て出稼ぎに行くときの方が俺からしてみればすごく楽しみなんだよ。たまにしか行かないからとかそういう事じゃねぇ。お前らの人格を、ジジィ世代の輩の人格を疑うって言いたいんだよ」
「はぁ? 人格って……、まさか、ばあちゃんのこともか?」
「そうだよ。まともと思うのは赫破さんと紫刃さんだけだ。蒼刃様も異常なんだって。実の妹のことを縛って何が楽しいのかわかんねーよ。お前もその一人だ緑陰。いつまでご先祖のことでねちねち非きづっているんだよ。いい加減そう言う復讐やめろ」
「蒼刃様のことは『蒼刃様』って呼べ。いや……、蒼刃様は蒼刃様で考えがあるんだ。実の妹だからこそ失いたくないんだ。お二人の両親は邪な人間族の手に掛けられ、角も何もかも無くなってしまって形見や遺骨もないまま葬儀したんだぞ? その末路を辿りたくないから蒼刃様も桜姫様のことをあそこまで心配しているんだ。お前だって知っているだろ――あの時の葬儀を」
「ああ知っている。でもだからと言って初めて抱いたその夢をあんな風に壊すのはよくないし、それにこんなところで一生を過ごすなんて、それこそ惨いだろうが」
こんなの――束縛殺しだ。
緑陰の意義に赤楽は反論の異を唱え、その反論の意に異議の返しを行う緑陰。これの繰り返しを行いながら彼等は静かな言い合いを行う。
夜の櫓の上で見張りをせず、彼等は延々と己の意見を相手にぶつけていく。
静かに行われているその光景はただ話しているようなそれなのだが、雰囲気がそれではないことを漂わせている。
二人の間に浮かびあがっていく空間の亀裂。それは人の目には見えないものだが、雰囲気がその亀裂をどんどん大きくしていき、いつ割れてもおかしくないような大きな歪となって罅を成長させていく。
窓を何度も叩いて壊す行為は鈍器で一発強く叩いてしまえば割れてしまうが、それよりもこの罅と空間の亀裂は脆く、強いて言ってしまえば氷点下まで下がり水たまりの表面を覆っていた薄い氷の蓋よりもこの空間は脆い。
非常にもろいと言っても過言ではない。
たった一言でその者達の空間が壊れ、変貌し、その者の関係性と共に崩壊していく。
その状況に現在赤楽と緑陰は崖っぷちと言わんばかりに立たされていた。
だがそんな脆い空間の罅は壊れることはなかった。どころか罅割れた状態のまま拮抗を維持していた。の方がいいのかもしれない。
次の言葉が一体どんな言葉なのか。そしてその言葉を放つのはどちらなのか。先に言葉を放つのはどちらなのか。
先攻後攻の後攻に回る体制を取りつつ、相手に選考を譲る様な心理的戦略……のような静寂。
実際彼等は言葉による心理戦などしていない。むしろこれは本音と本音のぶつかり合いで、相手に対して不利になるようなことなど一切考えて居ない。
溜りに溜まった感情が今小爆発を起こしているだけで、大爆発など起きていない。起きていないがたった一言放った瞬間に大爆発を起こし、空間の罅を大きくしていくことは目に見えている。
そのくらい二人の間の空気は歪んでいるのだ。
だが、その歪みは唐突に終わりを告げることになる。
長い長い沈黙の最中――緑陰の言葉を待っていた赤楽と、赤楽の次の言葉を待ちながら無言を徹してい緑陰であったが、お互い沈黙のまま口を開く気配がない。ただ聞こえるのは夜風の音とその風によって運ばれてきた枯れ葉とせせらぐ草木の音色しかない。
遠くから自然界の叫びが聞こえるが、二人には聞こえない。鼓膜を揺らしているだけでそこまで注意深く聞いていないが、それでも鼓膜を揺らしているので実際は聞いている。聞いているがゆえにその声を、音を、せせらぎを延々と聞いていた赤楽は緑陰のことを睨みつけていた視線を伏せ、目を閉じると彼は小さく溜息をつく。
ふぅ――っと、一息つけて腰に手を当てながら赤楽。
視線を下に向けて頭を振るうその光景は、まるで手遅れだと言わんばかりのお手上げの状態。
赤楽のその行動を見て、溜息を聞いた緑陰はむっとした面持ちで淡々とした音色の中に怒りのそれを含ませて『なんだよ』と言うと、彼の言葉を聞いて赤楽は一言――
「いんや――無駄だなって思ってな」
と言い、その言葉に対し緑陰は怒りを殺したその顔の彫を更に深くし、感情のままに赤楽に掴みかかろうとした。右手を赤楽に向けて突きだし、彼の柔らかく肉厚でない首元に五指を喰い込ませようとした。
ぐわりと勢いをつけ、阻止される前に掴もうと試みる緑陰。
生憎自分にはその試みが成功する自信がある。
そう心の中で思いつつ、緑陰は赤楽の首元に向けて右手を向けようと、掴んだ後で拘束しようとした。
が……。
くるんっ。
と、赤楽はその場で一回転しだした。
何の捻りも何にもない。その場で右足を軸にし、両手の力を抜いて振り回すようにただ回転したのだ。自分を竹トンボのように見立てて――くるんっと。
「――!」
その回転を見た瞬間、緑陰ははっと息を呑み、瞬時に彼は思った。
まずいと――赤楽の行動を見て伸ばしていたその手を引っこめようとする緑陰だったが、その行動をするにあたり、緑陰の行動はあまりにも勢いがありすぎた。
よくある話だ。
勢いがありすぎて止まらないという現象であり、これはアニメでよく見る演出だ。現実ではそんなにないかもしれないが、緑陰が行おうとしている行動はまさにそれで、止まらないのだ。
止まれと思っても勢いを殺すことができず、勢いをつけて伸ばされた手がその場で瞬時に止まって引っ込めることなどできない。ましてや突然赤楽が起こした行動を予想することすらできなかったのだから、その場で止まるなどできない確率の方が大きい。
止まらない勢いのまま少しずつ、少しずつ伸びる緑陰の手。
その手が……、手の先が赤楽が回っている空間。触れていないがその範囲内に指の先が入った瞬間――
――じゅっ!
と、緑陰の手の先に熱湯のような熱と痛みが生じた。
まるで素手で触れたような、沸騰しているお湯に指を突っ込んだような、そんな熱と火傷の痛み。
「っ!? 熱っ!」
痛みが信号となって脳に受信された瞬間、緑陰は伸ばしていたその手をやっと引っ込め、左手で右手を隠すように握ると、彼は痛みで歪んだ顔で赤楽のことをギッと睨みつける。
緑陰の顔を見ながら赤楽は回っていたその動作を緩めていき、どんどん勢いがなくなっていく回転の中赤楽は言う。
自分の力によって火傷をした緑陰に向けて赤楽は言った。
「お前がやろうとしていることなんてお見通しなんだよ。武力行使で黙らせようったってそうはいかねぇ。俺だってやる時はやるし、もしお前がまた襲い掛かろうとすれば、火傷で終わらせる気はない」
お前らしいやり方だな。
そう言いながら赤楽は緑陰のことを見て回転が止まった体制のまま緑陰のことを見て続きの言葉を言い放つ。
何度も何度も体験し、何度も何度も彼の力によって翻弄されたことを思い出しながら……。
「お前は風の魔祖を使うことができる鬼だ。風って言う幕の中に潜り込んで風と共に歩き、風と同じになって相手に近付いて不意打ちを打つ。それは同年代の鬼であれば知っているし、緑薙さんのように鎌鼬めいた技でなくても十分脅威に思えるよ」
「………………………」
「でもその力を使う前の俺の『火』の魔祖――一回転した瞬間に俺を守るように出る火を出せば怖くなんてねーんだよ」
「やっぱか……。お前の魔祖も魔祖で厄介だよな……。回れば回るほど威力が増すんだから」
「違う。俺は踊れば踊るほど威力を増すんだよ。まぁ回転も踊りに含まれるから同じかもしれねーか。使い方を間違えちまったら味方もろともだけどな」
「だな」
そう、緑陰の魔祖は風。
風の力が一体どんなものと想像すると、一般的に攻撃面に考えてしまう人が多いかもしれない。もしかするとそうでない人もいるかもしれないが、殆どの人が風の力は攻撃の力と思ってしまうだろう。
しかし緑陰の力は風の魔祖であるが攻撃の力など全くない力。
赤楽の言う通り風の中に入り込んで隠れるという身を隠す力こそが緑陰の力なのだ。
いうなれば風と言う名のカーテンに隠れて身を隠し、相手の懐に入り込む。と言った方がわかりやすいだろう。
簡潔に言うと――身を隠す力こそが緑陰の力なのだ。
身を隠す力は便利に見えてしまう技であり、不意打ちと言う分野において絶大な力を発揮する。
そう――発揮すれば身を隠す力は無敵に近いかもしれないが、その力を使う前に攻撃されてしまえば無敵の鍍金が剥がれてしまうのと同じ。
つまり……、発動しなければ結局は無力なのだ。
その無力になるところに入り込むように、赤楽は己が持つ火の魔祖の力を使い――回転をすればするほど炎の威力が増す……ではなく、彼の場合踊れば踊るほど威力が増すという特殊ではあるが威力が増していくという攻撃力を持っている魔祖を使って緑陰の力の発動妨害をしたのだ。
赤楽からしてみればこうもうまくいくとは思わなかったのも本音なのだが、珍しく感情的になった緑陰のお陰でこの賭けも成功することができた。そのことに関しては赤楽も来琴の中で緑陰にお礼を述べたことは――彼だけの秘密。
指先を火傷し、その手を覆う様に隠していた緑陰のことを見て赤楽は言う。
先ほどの言葉……『いんや――無駄だなって思ってな』の言葉に対して感情的になった緑陰の真意を汲み取り、その心意を見て呆れた視線を向けながら赤楽は言ったのだ。
「お前……、正直思うけどよ。俺が言っていた無駄は『これ以上何を言っても無駄だな』っていう諦めのそれなんだけど、お前が思うようなこと俺は言ってねぇよ?」
「!」
「お前さ、本当は気付いてるんじゃねえの? こんなことをしても無駄だって。憎しみの思うが儘に動いても無駄な事だって、もう気付いているんだろう?」
赤楽は言う。
言葉通りの意味を――自分達がしている外道で異常なことに対しての答えの先を言葉にして、己の祖母がしていること、他の鬼族がしていることに対して違和感……、そう。無駄であることを理解しているのではないのかと聞くが、赤楽の言葉を聞いた緑陰ははっと息を呑むその面持ちを表に出すが、言葉にせずそのままそっぽを向いて小さく舌打ちを零す。
気付いている。そのことに対して答えたくない。言葉にしたくない。
それを体で体現し、口を噤んでしまう緑陰のことを見て、赤楽は小さく息を吐き捨て、緑陰に言葉をかけようとした――
その時だった。
「?」
赤楽は一瞬に己の右の視界の端に写り込んだ何かに気付き、目の錯覚かと思いながら右の方角――鬼の郷が一望できるその場所を見つめた後、赤楽は近くに置かれていた望遠鏡を手に持ち、とある場所に向けて望遠鏡越しに覗きを――確認のための覗きを試みる。
「? どうした?」
突然行動しだした赤楽のことを見て立ち上がり、首を傾げながら聞く緑陰だったが、そんな彼の言葉を無視して赤楽はとあるところに向けて望遠鏡越しに見つめ、震える呼吸を零しながら彼は言った。
「…………マジか」
「は?」
赤楽の言葉に緑陰は首を傾げる。一体何がマジなのか。一体何が起きているのか。そのことをたった一言……、たった一文字の言葉で首を傾げて聞くと、緑陰の言葉に対して反応したのはそれから数十秒経った後で、赤楽は望遠鏡から目を離し、鬼の郷の空を茫然とした面持ちで見た後、緑陰のことを見るために振り向き、そして一言――彼は言った。
引き攣った顔が印象的だが、その引き攣りにどことなく喜びが感じられるような顔で、赤楽は言ったのだ。
「――姫が脱走している。もう門の近くだ」
「――はぁっっっ!?」
この時、緑陰の喉から生まれて初めての大声量が放たれ、その声が櫓どころか鬼族の郷中に広がったのは言うまでもない。
そして、赤楽の言葉も嘘偽りなどではないことも、この時同時に知った。
緑薙ぎの視界に入る小さくて黒い何かが門のところに向かって走っているのを……。




