CHIPS 檻の悪は何を語る?
鬼族と言う存在は古の時代から存在している希有な存在。
今の時代の人間族や他種族は魔法と言う力が使えない。
魔法――この世界では『魔祖』と言う名で語り継がれており、古の力。力の祖先、魔力の祖先とも云われ、大昔の者達はこの力を自然の力と呼んでいたが、今の時代は違う。
現在は自然の力を『魔祖』と呼び、自然界の魔祖のことを『八大魔祖』と呼ばれ、火、氷、風、土、雷、水。そして光と闇を一括りにした存在になった。
この力を使える者は限られており、魔王族とその魂を力に変えて使う聖霊族、そしてその力を角に集めて攻撃負荷を行う鬼族しか使えない。
アキ達は属性系の攻撃魔法を使うことができるが、この技はゲーム世界のスキルと言う事でもあり、彼等の設定上は異国の冒険者と言う事なので例外である。
鬼族は今の時代で言うところの唯一魔祖を使える存在として語り継がれ、その角には自然の力が凝縮され、一部では瘴輝石の数倍の力の自然の力が凝縮されていると言われているが、それと同時にその力を悪用する者たちが現れ、鬼族は現在、少数種族となりつつあった。
原因はよくある者達が鬼族を『滅亡録』に記載したこと。そのことがあり鬼族達は壊滅に追われている。
そんな彼等にとって、郷はいうなれば最後の砦。
そう……、鬼の郷は古の鬼族が隠れ住む郷であり、鬼族達にとってすれば最後の楽園なのだ。
いいや――楽園と言う名の砦の方が正しい。
世間という柵から疎遠になっているかのような簡素な集落のような雰囲気。周りを見ただけでも木造平屋の建物があり、水車や透き通っている川。おいしい空気が相まって自然豊かな場所と言う印象が一番に植え付けられると同時に、稲作とか畑作とかで生計を立てているような、昔の日本の田舎のような雰囲気があるとハンナは言っていた。
その表現に対しては正しい。且つハンナ達にとってすればこの郷は懐かしくもあり新鮮そのものの光景であろう。
なにせハンナが言うその光景は都会の人からしてみれば新鮮でもあり都会にはないものがたくさんある。都会と言う便利なものがある世界とは違い、自然に囲まれたこの郷は別世界を思わせる。ゆえにハンナはその光景に魅入っていた。
魅入っていたからこそ、気付くことができなかった。
この郷が最後の楽園でもあり、それと同時に砦でもあることを――
だが、これは見るだけではわからないのでそのことに関してわからないことを指摘することはやめておこう。
今は――この郷の地下で行われていることを話そう。
◆ ◆
深夜の鬼の郷。そんな郷の中心には一際大きな館があり、日本で言うところの木造三階建の建物が建てられている。
集落の中央から道が伸びていて、まるでマンションのようにいくつもの窓と三つほどの入り口がある様な見たことがない作りの建物。一見して見れば旅館のような雰囲気を思わせるがボロボロの外装であるが故、旅館ではなく公民館的な印象が強い。そんな館があった。
その建物は鬼族の者達全員が衣食住を行っている場所でもあり、いうなれば木造のマンションのような鬼族の家でもあった。ハンナが言ったことがあながち間違いではなかった。
その建物の内装はまさに和風そのもので、日本人であれば懐かしい内装でもあり外国人からしてみれば新鮮そのものの内装である。詳しい内装に関して大まかに言うと、三階が鬼族達の寝室。二階が鬼族達の休憩所、室内でできる仕事場、そして古く、そして何とか残った歴史書の保管室。一階は鬼族達の生活ができる者が置かれていたり、食事場もある。
その一階には鬼族の中でも古参でもありこの鬼族の郷の中で一番偉い重鎮達が居座っている部屋がある。
重鎮。
その者達は鬼族の殺生――またの名を『鬼狩り』から生き残った者達のことを表し、彼等は初めて狙われた時からの生き残りでもある存在達でもあり、この郷を作った創始者でもある。
重鎮達の名を知らない鬼族などなく、あのイェーガー王子でさえも知っている存在でもあり、今はいないがティティでさえ知っている――まさに鬼族界の有名人なのだ。
その重鎮達は最初は四人、今は――三人で構成されている。
一人は赤い角を持つ赫破。
一人は黄色い角を持つ黄稽。
一人は緑の角を持つ緑薙。
最後に、もうこの世にいない重鎮最後の一人にして重鎮の中でも強い力を持っていた紫の角を持つ紫刃。
最初こそ四人でこの郷を守りながら暮らしていたが、今は殺されてしまった紫刃がいない三人でこの郷を守り、今に至っている。
そう、紫刃は殺されてしまった。
それも――冒険者の手によって。
◆ ◆
鬼の郷の集合住宅――の地下。
地下と言っても食料を保管する地下とは違い、その地下は別の意味で使われる地下でもあり、その地下を知っている者はこの郷でも数える程度しか知らない場所。いうなれば秘密の場所と云われている場所でもあった。
場所の詳細は語ってしまっては秘密にならないので語らないが、その場所を知っているもの達はその地下のことをこう呼んでいた。
『鬼の怒りが憑りついた檻』と――
そんな地下に続く場所――その場所は真っ直ぐ下に続く階段なのだが地下へと続く通路は階段の幅しかない狭いもので、バトラヴィア帝国の地下へと続く通路よりも狭い。人が一人しか入れず、横に並ぶことができない狭さでできている。
階段は大きさも凸凹具合も違う石を繋ぎ合わせて作ったもので、裸足で歩いてしまえば足の裏が傷まみれになってしまう。
足の裏の皮が厚くなければ足の裏は赤く染まり、赤い足跡を残してしまう。そんな階段を暗闇で先が見えない先に向かう足音が響き渡り、その音は階段しか作れない狭い通路内で寂しく響いていた。
明かりも何もないその雑な造りの石造りの階段を、『ざりっ。ざりっ』と鳴らし、その人物は地下へと続く階段を降りていた。
黒しかない闇の空間の中、一つの淡い篝火が一部を赤と橙に染め、その篝火はどんどんと下へと進んでいき、明るかったその場所をまた闇へと戻す。
まるで人魂のようなそれを感じさせてしまうかもしれないが、幸いそれはない。どころかこの状況を作っているのは――彼だ。
夜と言う寒い時間にも関わらずその恰好は羽織を羽織っているだけのそれで服装は薄い着物。その着物に藁で作った草履を履いた老人――赤い角を生やした赫破は、老人と思わせないような真っ直ぐな背筋で地下へと歩みを進めていた。
シワシワではあるが手の至る所に刻まれている切り傷の手で持っている赤提灯の篝火。その篝火の色と赫破の角の色混ざってしまい暗闇を赤と橙の色が彼の周りを照らし、威圧の目を下に向けながら彼は『ざりっ。ざりっ』と歩みを進め、赫破は地下へと足を進めていく。
なぜ彼がこんな地下に足を踏み入れているのか。そしてなぜこんな深夜に向かっているのか。
誰もが疑問として思うであろう。
その理由は簡単なことだ。彼にとってすれば簡単だが、他の重鎮の二人はそうとはいかない。この二人からして見れば、赫破の行動はまさに異常としか見れないことでもあった。
それを言葉にするのであれば――『何故そんなことをする必要がある』である。
それでも赫破はその場所に向かっていた。何を言われようともその場所に行き、そして聞きたいと思ったからだ。
赫破は地下に向けて歩みを進めていきながら足元に注意をして下っていく。
どこまで続くかわからない暗い闇の中を下り、目的の場所に向かって赫破は足を進めていく。
藁で造られた草履越しに感じる夜と闇の冷たさを微かに感じながら、夜になるとこんなにも冷たく感じてしまうのか。若い時なこんなに感じなかったのだがな。と、今になって自分が老いている自覚を心の中で零した赫破。
正直なところ戦いの面で言うとまだまだ若い人と比べてもまだ現役と思っていたほど――赫破はこの時己の老いを少しだけだが自覚した。
そんなことを思っていた時、彼の視界にやっと段差がない地面が姿を現し、その光景を見た赫破は「お」と言う声を零すと同時にやっと地下の地面に足を踏み入れる。
「まさか見納め以外でここに来るとは思っても見なかったが……、やはりこの場所は、いつ見ても居心地が悪い」
そう言いながら赫破は溜息を吐きながら眉間にしわを寄せ、その面持ちで足を進めていく。
ざりっ。と言う草履の音が地下内に響き、その音を出した後で赫破は手にしていた提灯を上に向けて掲げ――周りを淡く照らし見渡した。
提灯の淡い光に照らされたその光景は、まさに地下牢そのものの。
座敷牢と言わんばかりの古い角材で造られた檻が左右隙間なく造られ、檻の間には階段と同じように作られた角ばった石が組み合わさった地面と、夜と闇の所為で空気が冷たく感じてしまうにも関わらず檻の終わりが見えないほど長い通路の先にも檻があるらしく、その檻の通路を見ながら赫破は暗闇と言う何かが住み着いているのではないか。と言うような暗闇の天井を見上げながら彼は静かに言った。
「本当に、ここは居心地が悪い場所だ」
赫破は言う。ポツリと独り言を言うように彼はその言葉を零した。
が――
「確かに、ここは居心地が悪い。暗い世界の所為か朝なのか夜なのかわからないから体内時計がかなり狂っている感覚でな。今何時なんだ?」
赫破のその言葉に対して反応をするように、少しだけ遠い場所から声が聞こえてきた。飄々としているがどことなくその言葉を聞き逃すことができない。そんな使命感を感じてしまいそうな声を聞いた瞬間、赫破はその声が聞こえたところに向けて歩みを進めていく。
明かり代わりの提灯を片手にし、その提灯を前に向けて歩みを進めていき、そしていくつもの座敷牢を通り過ぎたところで、赫破はある座敷牢の前で足を止めた。
そして止めた後で赫破はその座敷牢に向けて視線を移し、そしてその牢に向けて赫破は――
「最初の潔さはどこへやら。こんな檻に入ってしまえば発狂して緒もおかしくないんじゃぞ? 何故平気でいられる」
と、牢屋の中にいる人物に向けて言葉を返す。
返された言葉を聞いてか、牢屋の人物は赫破のことを見て、不敵に浮かべている笑みを向けながらその人物は赫破に向けて言う。ざりっ。と言う地面と衣服をする音が微かに二人に耳に入り、その音を聞いていた赫破は蝋の中に入っている人物のことを見つつ、辺りに残るそれらを目で間違い探しの様に見つけながら男の話に耳を傾けた。
牢屋の中で不敵に笑みを浮かべ、座敷牢の中にあらかじめ置かれていた藁の寝床に尻餅をついた状態で、裸足の状態で座っている男――ヌィビットの言葉に耳を傾ける。
ヌィビットは赫破に向けて言った。
「言っただろう? 私は平気ではない。気が狂いそうだと言ったんだが? 真っ暗な世界というものは最初こそ『大丈夫』だと思い高を括っていたが、半日経過したところでふと思った。『あれ? 今何時なんだ?』と。それを思うと同時にどんどんと自分の中の体内時計が狂い出していくような感覚が起きて、正直気持ち悪く感じてしまう。あなたも感じたことはないか? この感覚を」
「生憎、儂はそんなの感じたことはない。お前さんは感じたことがあるのか?」
ヌィビットの言葉に対し赫破は溜息を吐かずにかぶりを振るい、そしてヌィビットに対して質問を返すということを行う。淡々としている音色で――だ。
その言葉を聞いたヌィビットは赫破のことを見て「ああ」と頷き――
「あるよ。私はこう見えて不眠を抱えている。そのせいで寝よう寝ようと思えば思うほど目がさえてしまうんだ。その時に時々感じてしまうんだよ。目を閉じて寝ようとしている時、長い時間目を瞑っていると時間が長く感じてしまい、ふと目を覚まして『今何時なのだろう』と思い時間を見てようやくわかる。その時、見るまでの間一時間たっているかもしれない。何時間も経ったかのような感覚を感じていたが、実際の時間を見て体内の時計が正常になる。そんな感覚、私は何度も感じている」
と、長い長い己の体験談を語るヌィビット。
そのことを聞きながら赫破は「ほぉん」と相槌を打った後、ヌィビットの状態を見て、そして辺りの変化を見た後赫破はヌィビットに視線を移した後、ヌィビットが閉じ込められている座敷牢の地面を見て聞いた。
「ここに来るまでの間……、お前さんはきっとじわじわと痛めつけられただろう? それでもまだへらへらして、お前さん……、頭おかしいんじゃないのか?」
赫破は聞く。自分の頭を提灯を持っていない手で小突きながら聞いて来たその言葉に、ヌィビットは目を見開き、そして尻餅をついている状態でヌィビットは己の足を見下ろした。
彼の足は現在靴を履いている状態ではない。座敷牢と言う事もあって裸足である。靴下などないその裸足を見下ろし、そしてヌィビットは理解した。
――あぁ、私は今までひどい有様だったのか。
と思い、暗い世界であったがゆえに見えなかったその世界を見つめるヌィビット。赫破が持ってきた提灯のおかげで見えるようになった世界――視界に映った世界は……、血で描かれた絵画の地面だった。
ところどころに描かれている擦り切れた血の痕。それは時折ハンコのようなそれを残し、座敷牢内を赤く染めてしまっている。まるで己の生命の水で何かを描こうとした画家の様な、そんな光景。
悍ましく感じてしまうと同時になぜなのか、淡い光の所為で美しく見えてしまう様な、そんな光景を見た後、ヌィビットは己の足を見て合点がいった。
ヌィビットの足は現在裸足であり、裸足には何もついていないが、足の付け根と踵の上の部分、くるぶしのところに付着している赤いそれを見た瞬間――
「あぁ、そう言う事か」
と、ヌィビットは零す。納得がいった。それだけの言葉を添えるように。
そしてその光景を見て、ヌィビットの淡々とし、己がどれだけ凄惨な目に遭ったのかを理解した彼の顔を見た後、赫破は零す。
威圧を込めている目でヌィビットのことを見下ろして赫破は言い、そして聞く。
「この地下牢に続くまでの道は敢えてかなり乱雑に作っている。歩いている時凸凹しただろう? この郷に襲撃しに来た輩を捕らえ、この牢にぶち込む時にすんなりと吐いてもらうために施したんだ。簡易な剣山は相当痛いはずだが、まるで堪えてない顔だ。痛くなかったのか?」
「あぁ感覚はあった。チクチクしている感覚はまさに足つぼマッサージの様だと思っていたが、そうか――私の足はずっと傷ついていたと言う事か。納得した。だがその言葉を聞くに、お前達は他種族と言う者に対して相当恨みを抱いているのか?」
「……この状況を見て察しろ。そして付け加えると、他種族を恨むことはないが……、人間と言う種族は憎い。それだけは言っておこう」
赫破はヌィビットに向けて言う。
その言葉には色んな謎が含まれている様子だったが、その言葉を聞いてヌィビットはすぐに理解し、そしてそれ以上のことを聞くことはなかった。
いいや、それだけで十分だった。の方がいいだろう。
ヌィビットは理解してしまったのだ。全部を理解してしまったのだから。
この座敷牢の造りが鬼の郷に侵入して鬼の角を欲しいがために襲撃した者達を閉じ込めるためであり、そして山奥という土地を利用して相手を肉体的にも精神的にも追い詰めるためにわざわざこの場所に郷を作り、自然と言う名の砦を作ったことを、ヌィビットは知ってしまった。
――なるほど、そこまで人間と言う種族が憎い……。と言う事か。
――憎しみと言うものは、絶対に消えることはないもの。だな……。
そう思いながらこの砦が憎しみで出来上がったものだということを知ると、突然赫破の声が耳に入ってきた。
「さて――そんな状態になっているお前さんに聞くのも難儀だとは思う。だがこればかりはこの牢に入ってしまった者達に聞いていることでな、悪く思うな。で――どうだ?」
入ってきた言葉は感想の要求。質問だった。
その言葉を聞いたヌィビットは淡い明りに照らされて影を濃くしている赫破のことを見上げた後、その質問に対して彼は言う。
呆れるような溜息が出そうな音色と面持ちで、ヌィビットは言った。
「どうと聞かれても、私の返答は素っ気ないものだ。足の痛みは微かにあったそれだけだ。それ以上でもなければそれ以下もない。それだけの返答だ。私にそんな質問はナンセンス。とでも言っておこう」
「随分余裕だな。何人もの輩はこの牢に入るまでの間かなり痛がっていた。儂等がすることは異常だとぬかす者もおったが、お前さんは異常だ。前々から思っておったが、正真正銘の異常者の様じゃ。もしかしたら、死ぬかもしれんのだぞ?」
ヌィビットの言葉に対し赫破は呆れるようなそれを零し、そして提灯をヌィビットに向けて伸ばし、その光で彼のことを照らした後赫破は言う。最悪――死ぬかもしれないのにおかしなやつだ。そう言おうとして赫破が言うと、その言葉を聞いたヌィビットは一瞬だけ眉を動かした。
今までの呆れと言うそれを吹き飛ばすような繭の動かしと、真剣さ。
その変化にいち早く気付いた赫破は「む」と極々小さな声を零し、そしてヌィビットのことを見て内心思った。これは直感であり、彼の本能がそれを察知したのだ。
これは――地雷だったか。と。
人には必ずしも言ってはいけない言葉がある。それを人は地雷と例えてその言葉を言ってはいけない言葉として認識をすることがある。その言葉を言ってしまった瞬間、堪忍袋の緒が切れてしまい、何をするのかわからないがゆえに、人はその言葉を使う。
それはヌィビットにもあったらしく、赫破が言った言葉に対し、ヌィビットは明らかに雰囲気を変えたのだ。
今まで放っていた独特に、突き刺すような気持ちを上乗せしたような、明らかに違うものになった雰囲気を放ったそれを見た赫破は思ったのだ。
死ぬかもしれん。
その言葉が地雷だったのか? と。そう思うと同時にヌィビットは赫破から視線を逸らすように俯き、そして三秒後に顔を上げた瞬間――ヌィビットは赫破のことを見上げて言う。
淡々としている音色で、彼は感情を込めていないような音色で言った。
「お前は私に対して、死ぬかもしれない。と言ったのだな? しかしその言葉を聞いても私の返答はたった一つしか出ない。『それも分からん。どころか……、私は生きているのか死んでいるのかわからないから、その言葉に対して的確な返答ができない』と」
「…………?」
ヌィビットの言葉を聞いた瞬間、赫破は驚きが顔に出るよりも、理解できないと言わんばかりの顰めた顔を表に出すことしかできなかった。いいや、それ以外の顔が思い浮かばなかった。の方が正しい。
理由など簡単だ。どころかだれもが思うだろう。ヌィビットの言葉を聞いて、誰もが思ったことだ。
生きているのか死んでいるのかわからない。そんなことを生者でもあるヌィビットが言う事なのか。そしてなぜ生者でもある彼がそんなことをはっきりとした言葉で言うのか。
まるで自分はどっちなのかわからないかのような言い回しをしたヌィビットに、赫破は驚くことしかできなかった。混乱しかできなかった。
心の中で――こいつは、何を言っている? そんな言葉しか思い浮かぶことしかできず、思わず手にしている提灯を落としそうになったが、それを何とか握る力で落とすという失態をなくす。
その失態をなくすことしかできない脳内状態を一旦クリーンにした赫破はヌィビットに視線を落として、言葉を続けるヌィビットの言葉に耳を傾ける。
ヌィビットはそんな彼のことを見ながら淡々としている口調で、何も感じていないような――無に近いような面持ちでヌィビットは語る。
「正直なところ……、私はこうして貴様と話し、そして血を流している。それは生きる人間にしかできんことだ。死んでしまえば語ることができない。ただ血を流し、その屍を晒すことしかできない。それは私も理解している。私はちゃんと脳を働かせ、そして足が傷つくと同時にその傷口から血を流し、悪魔族の力で傷が修復される。それは分かっている。己の体のことは私がよく理解している。が――この世界に、この国に来た時からずっと思っているんだ。何故なのかわからないが、私が私でないような、そんな感覚を感じ取る時がある。何故そう思うのかは私自身わからない。今も生きているのか生きていないのかわからない。そんな感覚に苛まれる。生きているのに、生きているのか死んでいるのかわからないとは滑稽に聞こえるかもしれない。私自身も、何を言っているんだと後々思ってしまうほどだ。だがな、私はそれでもいいかなと思っているんだよ。現実と言う国の中で生きていた私はまさに人形そのもの。飾りと言う名の人形で、私のことを誰を見もしなかった。見てくれたのはあいつだけ。それでもよかった。が、今はそれを上回るほどの気持ちだ。誰もが私のことを見ている。そんなことはなかった。飾りとして見ず、『変な奴』だとか『頭イカれている』とか『サイコパス』と云われて、私は嬉しく感じてしまう。被虐ではない。これは――私を飾りとして見てくれない感謝だ。確実に生きている気持ちがある時よりも、今の方がとてつもなく清々しい。先ほどの言葉は訂正だ。あれは本音として捉えてくれ。今から先程の言葉に対しての返答を答えよう」
長い間独り言のように呟いたヌィビットであったが、それを終える合図として彼は最後の言葉を区切った後、そっと顔を上げ、赫破のことをしっかりと目に焼き付けた後、彼は言う。
小さな明かりの所為でぼんやりと照らされる輪郭、その輪郭と影の塩梅のお陰でヌィビットの顔が見えると同時にその暗闇が薄気味悪さを醸し出すと、ヌィビットは赫破のことを見て言う。
にっ。
と――薄気味悪い笑みを浮かべ、暗闇のお陰もあって更に薄気味悪いそれが協調された顔で、彼は言ったのだ。
「死ぬかもしれん? それは私に対して甘美な言葉だ。死んでいるのか生きているのかわからない私にとって痛みは生きている実感を感じさせる。曖昧な境界線上にいる私だからこそそう感じてしまうことだが、これは私の本音。私の本心だ」
私は――死というものを実感したいな。
「異常者の死かわからん言葉だな」
儂にはわからんな――そんな思考回路。
そう言って、赫破はヌィビットが閉じ込められている牢を後にするように足を進めていく。ため息を吐きつつ、こんな奴と同じ空気は吸いたくない。こんな異常な回路を持っている輩と一緒にいたらこっちの頭もおかしくなってしまう。
ここで同じ空気を吸いたくない気持ちになりながら赫破歯その場を後にし、歩みながら頭を抱えて深い溜息を零す。
脳内にちらつくヌィビットの笑みと――彼が言ったあの言葉を思い出し、赫破は皺がより掘り起こされてしまいそうな寄せ方で顰めながら小さく言葉を零した。
「死を実感……。本当に脳髄が腐っているのかもしれんな。あの男……」
悪魔であろうともそんなこと誰も思わんわ。
そう零し、赫破は地下牢から上へと昇る階段へと足を踏み入れていく。
地下を僅かに照らしていた光がどんどん消え、地下から僅かな光の世界が消え去り、暗闇だけの世界に戻るその光景を見ながら視界に映る世界が黒だけの世界になった後で――誰もない座敷牢の空間。たった一人しかいない座敷牢の地下の空間の中で彼は零す。
くつり――と、笑みを零すその声だけを。




