PLAY97 アサシン・エルフ①
「で? 大臣様。いいえ――未来の王様ぁ。この剣どうするのぉ? 見た限りかなり高価そうな剣だけどぉ……」
なんとも妖艶で、更にこの状況の中でも普通の気持ちを維持している『六芒星』が一角――ラージェンラは男を魅了するような首の傾げをしつつ、いつの間にか隠れていたディドルイレスに向けて彼女は言葉を零す。
その手にある物――この国の王が持つ王としての証……、王位継承具『永劫ナル氷菓剣』を血まみれの手で持つ。
王としての証でもある剣を血で汚すと同時に、己の体に、髪の毛にたくさん付着しているその血を拭うこともしないままラージェンラが言うと、その言葉を聞いたディドルイレスは大袈裟と言わんばかりに肩を震わせ、その震わせと同時にディドルイレスはラージェンラに向けておそるおそるという形で歩み寄りながら……。
「な、何を言い出すんだっ! 売るなっ! それは私は王になるために必要なものであり、これを使わなければ封印なんぞ解けんのだぞっ! 簡単に換金なんぞするなっ!」
と言いながら辺りに巻き散らかされている赤いそれを『けんけんぱ』をする要領で飛び越え、重く動きにくい体でなんとかラージェンラのところに着くと、ディドルイレスはラージェンラが持っている王位継承具『永劫ナル氷菓剣』を乱暴に奪い取る。
ばっと――無理矢理引っ手繰る様にそれを奪うと、その衝撃を受けたラージェンラは「きゃぁ」と妖艶に、明らかに大袈裟な声を上げながら叫ぶと、それと同時に王位継承具を持っていた手首をもう片方の手で押さえてその箇所を覆うように押さえると……。
「いったぁ~いっ。そんな乱暴にしなくてもいいじゃない。私こう見えてもか弱い女なのにぃ」
なんとも大袈裟と言わんばかりの甘い音色で、彼女は痛い仕草をしながらディドルイレスのことを見る。
手首を持っている手をさすさすとさすり、その箇所がとてつもなく痛いかのような表情をしながら彼女はディドルイレスに向けて訴えると、その言葉を聞いていたディドルイレスふんっと鼻をふかし、苛立ちを剥き出しにした舌打ちを零すと同時にラージェンラに向けてこう言った。
「ふんっ! 何かか弱いだっ! そんな血まみれで何が言えるっ。はたから見ればかなり常軌を逸している光景だぞ! 悍ましいっ。そんな汚い手でこの剣に触れるなっ! 鬼女めがっ!」
「ひどぉい。そんなこと言わないでよ。そんなこと言われちゃうと、泣いちゃうわよ?」
ディドルイレスの言葉ははたから聞くと当たり前に聞こえる言葉でもあり、彼が言っている言葉はこの場所にいる達と比べるとかかなり真っ当にも聞こえる。
そんな言葉を放ったディドルイレスに対し、ラージェンラは目元にゆるく握った拳を寄せ、その拳で目元を拭う動作をすると、あたかも『大泣きです』と言う演技をして猫撫で声を出す。
そんなことはない。あんたのせいだ。
と言わんばかりの言葉でラージェンラが言った瞬間、それを聞いていたロゼロとフルフィドは呆れるように溜息を零すが、溜息を零さず、あろうことかディドルイレスに向けて反論をする人物がラージェンラの前に躍り出ると、その人物はディドルイレスに向けて『びしり!』と指を指して荒げる声でこう言った。
「ちょっとそこのデブ蛇っ! あんた何ラージェンラ様に罵声を浴びせているのよっ! ラージェンラ様のことを鬼女ってバカにした罪は重いからねっ! 謝りなさいよ! 『お美しく聡明で美貌と言う名の罪を抱えてしまったあなた様に対して汚らしい罵声を浴びせたことをここに謝罪します』って、土下座してでも謝りなさいっ!」
その言葉をディドルイレスに向け、あろうことか土下座を強要するように言い放った人物は……、ラージェンラの腹心にして幹部補佐の地位にいるラランフィーナだった。
ラランフィーナは仮面越しで怒り心頭の雰囲気を出し、敵意と言う名の殺意をディドルイレスに向けて放ち、その殺意を言葉にするかのように言った瞬間、それを聞いたディドルイレスはその殺意に対し反抗をするように――「喧しいぞ小娘っ! 私は蛇ではないっ! 私は竜だ! 万物の種族でもある竜人族であるぞっ! 貴様こそ私に対して敬意を払えっ!」と、弱腰の体格になりながらラランフィーナに向けて放つ。
竜人ディドルイレスと『六芒星』ラランフィーナは互いの目を見ていがみ合うように睨みつけ合う。バチバチと彼等の視線の先で火花が飛び交うような漫画の光景が謁見の間に広がり、空気を染め、そしてその光景と共になんとも場違いに見える様なそれが辺りを包み込んだ。
そう――場違い。
この光景が繰り広げられる前、謁見の間はまさに戦場ともいえる様な状況が繰り広げられていたのだ。
ドラグーン王に向けて己が抱えている後悔と言う名の真実を言い放ったアクルジェドの件。
その話が終わった後で突如として謁見の間に入ってきたディドルイレスと『六芒星』。そんなディドルイレスが放った一言の件。
その剣に関して王の言葉。
王の言葉に対して最後の仕事を全うしようとしたアクルジェド。
『六芒星』相手に殺さずに倒そうとしていた件の後で……。
そんな王とアクルジェドに対して追い打ちをかけるようにして襲い掛かってきたラージェンラとロゼロ達。
そんな状況が繰り広げられた謁見の間は、謁見の間ではなかった。どころか前にハンナ達が見たような神聖さを醸し出していたそれの雰囲気を一切なくし、今となってすればその光景も全く別の喪に変貌を遂げてしまっていた。
神聖な場所から――惨状へ。
そう。辺り一面に広がる剣の切り傷の痕。斬られてしまった絨毯と謁見の間の天井に吊り下げられていた幕が乱雑に切り刻まれ、その残骸が床にちりばめられ落ちてしまっているが、その絨毯や幕にも赤い液体が付着している。
真新しいものもあれば赤黒く変色をしているものまで、さまざまであったが、その惨状も小さな惨状。大きな惨状と言えるものは謁見の間の中央に広がっている。
そう……、中央には意識を手放してしまい、頬骨が砕けてしまったのかその箇所だけ凹んでしまって白目をむき、口から白い泡が噴き出しているドラグーン王と、己の体の周りに赤い血だまりを作り、ピクリとも動かずうつ伏せに倒れてしまっているアクルジェドが、謁見の間の中央で、あろうことかディドルイレス達の雑談のような光景が繰り広げられている足元でそれが行われている場所で、二人は倒れていたのだから。
雑談をしているディドルイレス達はなんとも穏やかに見えそうな言葉、雰囲気、そして和んでいるかのような空気の中で、彼等は雑談をしていたのだ。
はたから見れば惨状ともいえるような状況の中で――だ。
この光景を想像できる人がいれば、こう思うであろう。
異常。
反社会的思考の集団なのか。
と――
反社会的思考。それはサイコパスと言う言葉の方がしっくりくるかもしれないが、まさしくこの状況を言葉で表すのであればサイコパスと言っても過言ではないだろう。
血まみれの空間。遺体や重傷者が転がっている空間の中で雑談めいたことをしているディドルイレス達は、初めて見る人でも異常者だ。
そんな光景を見ていた冒険者は、唯一曝け出している目元をすっと細め、ラージェンラとラランフィーナ、ディドルイレスのことを見て、呆れるような空気を纏いながら彼は思った。
三人の姿を見て、その光景をとある風景と重ね合わせ、その光景と一緒であると認識した途端、冒険者の青年は思った。ちっと――舌打ちを零すように呆れるようなその表情をしながら青年は思ったのだ。
――どいつもこいつも、中途半端の達成で大喜びしやがって。まだこの計画も完全達成してねえだろうに、なんでこんな第一段階でこんなに気持ちを緩ませるんだろうな。
――まだ計画の核でもある段階を突破してねえだろうが。ったく……、これだからゲームの世界の住人は嫌なんだ。
――作られた人間の知識で作られた人格、性格で話し、行動する奴らは所詮、人形。操り人形の人間なしで動くAI人形だ。この段階で喜ぶということをインプットされている存在。そしてこの世界のイベントをスムーズに動かす存在でもあるこいつらにとって、この行動もインプットされている行動。
――だからこそ、イラつく。
――あいつらと同じだ。たった小さなことで大満足して、それ以上の快感を求めることなく小さな快感に縋りつき、あろうことかその快感を何度も体験したいがために引きずり、その体験が慣れて刺激を感じなくなった途端にそれを手放す。
――まだ何も完遂もされていないのに、それでもその小さなことで喜んだりしている奴らがとことん嫌気がさしてしまう。
――まだ、まだ完遂されていないだろう? 早く、早く俺を連れて行ってくれ。早く案内をしろ。
俺の快感が、この行き場のない快感が発散できる――快楽の世界へと。
冒険者は思った。
己の心の奥底に秘めて、秘めまくったせいで膨らみ、爆発しそうなくらい膨らんでしまった感情を押さえつけるように右手を胸のところにやり、そのままぐっと衣服を巻き込むようにその胸の位置で握り拳を作る。
その感情の起伏を感じると同時に、ディドルイレス達の行動に対し呆れと苛立ち、更にはこの世界への苛立ちを押し殺すようにぐっと握りしめる。衣服にしわができる程、冒険者はその胸の辺りを握りしめて少しの間その姿のまま固まってしまう。
自分が得たかったものはこんな小さなものではない。
自分はこんな小さなことで満足できるほど小さな器を持った人間ではない。大きな器を持った、生まれるべき存在。そして――自分は世界を動かす存在なのだ。
その存在は志を大きく持たなければいけない。小さなことで満足をしてはいけない。こんな小さな成功に喜びを見せるな。
喜びを見せるその時は、己の計画が完遂されたその時だけなのだ。
だから許すな。気を緩めるな。完遂するまで――己の信条のレベルを下げるな。
そう心の中でその言葉を――とある人物から受け継いだその言葉を己の脳内に何度目になるかわからないような刻みの念を打ち付け、冒険者は更に衣服と胸を握る力を強めた。
その瞬間だった。
――ごとっ。
「?」
突然、冒険者の耳に何かの音が飛び込んできた。
機械質でもなければ風によって放たれた音でもない。その音は、人為的に引き起こされた音――つまりは……。
何者かの手によって動いた瞬間に鳴った音であった。
簡単に言うと、足元に木箱が当たってしまい、その音が大きく響いたそれと同じで、その音が冒険者の耳に入ってしまい、冒険者は音がした方向……、謁見の間の唯一切り裂かれていない幕をじっと見つめた冒険者は、その光景をじっと見る目た後、握りしめていたその右手の力を緩める。
するりと――衣服が爪の摩擦と同時にかすれる音が聞こえるが、その音など無音に等しい。それと同時に、その時冒険者の脳内を支配していたのは――今までの苛立ちではなく、確認しなければという思考のみ。
つまり――冒険者の青年は幕の裏にいる何かが一体何なのかを確認することを最優先に切り替えたのだ。
ここで、誰もがこの膜の裏にいる何かが一体何なのか知っているかもしれない。いいや、知っているであろう。そう――この裏に隠れている存在は……、ドラグーン王の肩から何とか逃げ、そのまま身を隠すように縮こまりながら体を震わせているナヴィなのだが、青年はそのことを知らない。
ではなく、知っていたのだ。
ラランフィーナやフルフィド、ラージェンラやロゼロ、ディドルイレスはナヴィの存在をあまり注意して見ていないが故、その存在などもう逃げていると思っているが、冒険者の青年だけは違う思考回路で、彼だけはその物音がした瞬間、今までの思考をシャットアウすると同時に行動に移す。
ざっざっざっ! と、物音がした幕に向けて大きな歩幅の歩みを進めながら――彼は歩む。
理由は明白であり、彼にとってそれこそが最優先事項の一つでもあったから、彼はそれを完璧にこなすために行動に移したのだ。
幕の裏側にいるナヴィを――この手で殺す行動に。
ディドルイレス達はナヴィのことなど忘れているかのように、ドラグーン王を倒したという興奮と順調でもある企てへの喜びを剥き出しにしながら次の計画の話をしていた。
興奮が最も大きいのはディドルイレスであり、彼自身この計画がすべて成功できれば、自分は晴れてこの国を支配することができるのだから――その喜びは人一倍だ。
ディドルイレスの興奮冷め止まぬ顔を見て呆れている顔をしながら腕を組んでいるラージェンラと、興奮しているディドルイレスのことを見て鬱陶しそうに舌打ちが零れそうな顔を仮面越しにしているラランフィーナ。その中には謁見の間の前の通路を守っていた兵士達の亡骸を『収納』の瘴輝石に入れて戻ってきた指先から手首にかけて赤く染めてしまったフルフィドと、ぞぞぞっと黒いそれを己の体に吸収して収納の如く吸い込んで近付いて来たロゼロがいたが、誰も冒険者の青年の行動に目を向けることはなかった。
彼等のそんな行動を無視しつつ、冒険者の青年はそのままずんずんっと唯一切れていない幕に向かって歩みを進め、どんどんとその距離を縮めていく。
ざっざっざっ!
何の迷いもないような足踏みでどんどんと幕に向けて距離を詰めていく冒険者の青年。その脳内では白いモフモフの生命体――ナヴィのことをどのように使おうかと何通りの試行錯誤と長考を行っていた。
脳の活性と同時に、ナヴィを利用する価値を見出すように、計画完遂のためには徹底的に利用することを大前提にしながら、冒険者の青年は歩みを進める。
ざっざっざっ!
何の迷いもなく、利用する試案を何通り、何十通り、何百通り、何千通り、何万通り脳内でシュミュレーションしながら冒険者の青年は歩み、そして……。
ざっ! と――彼は唯一無傷であった幕の目の前に立ち塞がった。
仁王立ちになり、幕の下の方を鋭い眼で見降ろしながら、彼はその幕の向こうにいるであろうナヴィに向けて――声を掛ける。
「おい、そこにいる奴。いるんだろう?」
冒険者の青年は声を掛けるが、幕の背後にいるであろうナヴィは声を出すことはなかった。
いいや――これは普通に判断でもあり展開でもあるだろう。
なにせ――ドラグーン王やアクルジェドを殺そうとした輩相手に素直に『きゅぅ』と声を出すのか? いいや、普通の思考回路の人間であれば、普通の思考回路のナヴィであればそんな声は出さない。
出した瞬間に殺されるのであれば、このまま声を出さずにやり過ごす方を選ぶ。
それこそが普通の思考回路だ。
だが、今目の前にいる冒険者の青年は生憎正常な思考回路を持ち合わせていない。
反社会的思考の持ち主ではないが、計画と言う企てを完全に完遂することに対して異常な執着を持っている存在である。
そして、その計画のためならば、どんな犠牲であろうといともたやすく使う躊躇いの無さ、その計画を阻害する存在を抹殺する残虐さも持ち合わせている。
いうなれば――完璧な主義を重んじている男。
その男が今まさに、自分の弊害となる存在、そしてもしかすると利用できる価値があるかもしれない存在と今対面している。
もし弊害となれば殺し、利用できるのであればとことん利用してその後で殺す。
結局……、殺す結末しかない状況。その状態に陥ってしまったのが、ナヴィであり、青年は無言を徹しているナヴィに向けて続けてこう言い放つ。
「聞いているんだぞ? 俺は、聞いているんだ。『おい、そこにいる奴。いるんだろう?』って。もう一度聞くぞ。『おい、そこにいる奴。いるんだろう?』」
冒険者の青年はもう一度と言わんばかりに言葉を放つが、その言葉にはどことなく重く、そして鈍器のような鈍痛が来るような音色と重みを発している。その音色はまさに極道のようなそれを思わせる。
声色と目つき、そして雰囲気がそれを物語っていた。
が……、その言葉に対してナヴィは応えない。無言を徹するかのように答えない。
ナヴィの無言の足掻きに対して多少の苛立ちを覚えた青年は、頭を爪の装甲がついていない手でがりがりと掻きながら呆れるように溜息を零し、いっそのことこのまま排除しようかと思ってしまったが、先走った判断は実を結ばないということをさんざん言われてきた青年は、そのままかぶりを横に振ってもう一度幕に向けて視線を戻す。
戻した後で青年はナヴィがいるであろう幕の下を見降ろしながらこう言った。
「言わないか。言わない名ならそれでいいがな……、お前がそんな小さな小さなちいーさな足掻きをしたところで、何かが変わるとか思っているのか? 俺は断言できる」
変わるわけねえだろうか。変わるのは計画完遂が近づくだけ。
冒険者の青年は言う。
前にもこんなことを言ったな……。
そんな昔のことを思い出しながら青年は続けてナヴィに向けて言う。今度は仁王立ちの行動から、一歩、足を踏み出すような行動をして青年は言う。
「ちんけな姿をしているお前でも分かるように説明するとな……、この世界っていうのは、正直者のような善が蹴落とされ、ずる賢い存在でもある悪が上層へと上り詰める様な世界なんだよ。努力が実るとか、自分が不幸になったのだからきっと幸せが訪れtるなんてことは絶対にない。結局幸せを掴む輩は全員が全員ずる賢い輩。そしてそのずる賢い輩達は努力してるやつの結果を甘い汁をすする様に奪っていく。まるで樹液を貪ろうとする虫。その弱者は地面の草しか食べられない――飛べない虫。俺達は昆虫で、その他は虫だ」
だがな――と言って、青年は続けて言う。
がしりと……、ナヴィが隠れているであろうその幕を掴み、そのまま下に向けて力を入れながら、青年は言った。
「俺は知っている狡賢い奴にも、努力をする奴にも、必ずと言って良いほど利用する価値を備えている存在がいる。俺は、そんな存在を引き抜いて来た。何度も引き抜き、相手を欺いて生きてきた。それは俺のことを育ててくれた奴にさんざん言われた――この世界を生きていく方法。それは利用することに対して貪欲であることだ。努力する輩はそんなことをしないで己の力だけで努力をして技術を磨くが、それができないものはできる奴を言葉巧みに引き入れて利用する。そうだ――とことん利用するんだよ。計画を企てたらなおのこと――利用に力を入れる。己の計画のために、何でも利用できると考えたらそれを利用する。それが俺のやり方」
そう言いながら、青年は幕を下に向けて引っ張る力を強め、上から聞こえる金属片が取れるような音と、布切れが裂けるような音が聞こえる中――青年は続けてこう言う。
きっと、幕の背後でがくがくと震わせて泣いているであろうナヴィのことを思い浮かべ、そんな存在であろうときっといい利用価値があると思った青年は言う。
「そしてお前は選ばれたんだ。俺が見据えた利用価値として。選ばれたことに感謝しろ」
青年の言葉がそこで区切られる。その区切りと同時に男が幕を掴んでいた手に力を入れ、そのまま引き抜くような力を込めるように腕に力みを入れると、男は幕を掴んでいたその手に力を入れ、思いっきりその幕を――引きちぎる。
ブチブチィッッ!
そんな音と共に幕が一瞬謁見の間の空中をはためかせ、ふわり、ふわりと謁見の間の床に――血が零れているその床に向かってゆらゆら揺れながら落ちていくと、柔らかく床に幕が落ち、赤いそれにまた赤い液体が染み込んでいく。
ジワリと染み込んでいくその光景は、まさにその下に何かがいるようなそれを彷彿とさせ、申請ともいえるような空間で生きた惨状をまた植え付ける様な光景でもあった。
だが、青年はそんな光景を見ることなく、幕の背後にいるであろうナヴィに向けて視線を落とし、すぐにナヴィを捕まえようとその姿を、一瞬だけしか見なかったその存在を拝めようとした。
利用できるか、殺されることしかできない存在に値するか――それを定めるために。
結果は………。
「ち」
青年は発した。と言っても……、それは一言でもない一文字のそれで、男はその光景を見降ろした瞬間、目元を苛立ちで歪ませ、それと同時に舌打ちを小さく、小さく零しただけで終わってしまい、掴んでいた幕もそのまま手放し、その光景を再度体制を変えて、仁王立ちにするように見降ろした。
青年は思った。幕の背後を見降ろし、その光景を見た後で、彼は思ったのだ。
――まさか、俺は今の今まで独り言を発していたのか。
――こっぱずかしいにもほどがある。そして、まんまと騙された。
そう。
結論から言って、幕の背後にナヴィの存在はなかった。
その場所にあったのは、乱雑されてしまった金属片や、付着している血痕。そして……、白いフワフワした毛が何本か抜け落ちていた。それだけ。
それだけの状況を見て、そして肝心のナヴィの存在がないことに、青年は一瞬驚きはしたが、それと同時に理解してしまったのだ。
あの時発していた音は、ナヴィが逃げる時にうっかり出してしまった音。その音が偶然自分が隠れていたところの近くで発せられたので、青年はそれを幕の裏で隠れているナヴィが音を発したと誤認したのだ。
その誤認のお陰で、ナヴィは何とか謁見の間から抜け出すことに成功し、敵の目を欺くことができたのも事実である。
だが、その事実と同時に、青年は苛立ちを剥き出しにせず、心の中でその怒りをふつふつと膨張させ、そのままパンのように寝かせるようにそっとしておく。
今はこんな些細なことで怒る場合ではない。この怒りはいずれ、向けるべき相手に向けるべきだ。そう思いながら、彼はその怒りをストレスの蓄積として寝かせることにする。
すると――突然背後から声が聞こえた。
「アシバ様」
「!」
青年――アシバに対して声を掛けたのはフルフィド。フルフィドはアシバがいつの間にかその場所にいることに対して疑念を持ち、なぜそこにいるのかと思いながら彼は声を掛けたのだ。
フルフィドは聞く。首を傾げつつ、ふくよかなその体系とは裏腹の冷静な面持ちで、彼は聞いてきた。
「何をしているのですか?」
「………………………何でもない」
フルフィドの言葉に対し、アシバは無言を徹して答えないでおこうかと思っていたが、その行動をしてしまえば信頼と言うの名の利用する機会を失ってしまうと思い、計画完遂のためにそれだけはしてはいけないと思ったアシバはフルフィドの言葉に対し初めて言葉を発した。
アシバノ初めて聞くその言葉にフルフィドは驚きの顔を浮かべたが、そんな彼のことを無視し、アシバはずんずんと大きい歩幅の歩みを進め、ディドルイレス達に近付きながら彼は言葉を発する。
「それで? 次の計画遂行のための場所は――どこだ?」
アシバの初めての声。言葉。
彼の初めての二つを聞いた一同は驚きの顔を浮かべると同時に、ラランフィーナの小さな「……男らしい声」と言う声を残し、一同はそのまま一瞬と言う名の時間の間、沈黙を貫いてしまう。
彼等の驚きに紛れ、アシバの声とその意志が込められた目を見て、ロゼロは鉄の仮面越しに邪悪な笑みを浮かべていたことに対しては……、誰も気付くことはなかった。
そして……。
◆ ◆
「きゅっ! きゅっ! きゅっ! きゅっ!」
ぴょんこ。ぴょんこ。ぴょんこ。ぴょんこ。
「きゅっ! きゅっ! きゅっ! きゅっ!」
ぴょんこ。ぴょんこ。ぴょんこ。ぴょんこ。
すっかり深夜の時間帯となってしまい、辺り一面暗い世界と化してしまったボロボの街中を白い体毛で覆われた生命体が可愛らしい跳躍音を出しながら必死でもあり、あまりの恐怖で泣き出しそうな顔をしながら惨状が起きた場所から逃げていた。
その生命体と言うのはナヴィであり、ナヴィは大粒の涙を流し、えぐえぐと嗚咽のような鳴き声を出しながらどんどんとボロボの港に向かい、そしてその場所に着いた瞬間――ナヴィは己の体を力ませ、体中を白く発光させる。
カッと眩い光が深夜の世界を明るく照らし、その光を感じた竜人族の住人が「なんだ?」と思いながら目を擦り、そして発光したその場所を見ようと窓のカーテンを開けたが、その場所には何もおらず、その光景を見ていた竜人族は首を傾げながらカーテンを再度閉め、そしてもう一度寝ようとベッドに横になった時――
ナヴィは白い体毛で覆われた竜へと姿を変え、大急ぎと言わんばかりの勢いで翼を羽ばたかせる。
大急ぎである場所に向かうために、ナヴィは飛ぶ。
ハンナ達が向かうであろうその場所に向かって――一一心不乱に、がむしゃらに、そして……。
一刻も早くこの事態を、ボロボに起きるかもしれないことをクロゥディグルに伝えるために。
「ぐぎゃああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!」
けたたましい叫びが夜の雲の世界に響き渡る。
静かな世界に広がったその騒音を聞く者は一人もいなく、それはディドルイレス達にも届いていなかったのが幸いであった。
だがその声など聞こえない距離にいたにも関わらず、ハンナだけはその声が聞こえたかのように背後を振り向き、その方角に向けて――彼女は呟く。
心配でもあるが、どことなく不穏なそれを感じる様なもしゃもしゃを感じながら、彼女は呟く。
「………………………ナヴィちゃん?」




