PLAY95 嵐の前の数時間前⑤
アクルジェドは話す――ガルバドレィドのことを追いつめる前の出来事を。
その時、ボロボでは不規則で起きていた殺人事件が起きていた。
それもガルバドレィドの失踪と同時に不定期に起きていたことでもあり、ドラグーン王はその時正体不明の殺人事件についての捜査もしていたのだ。
他国には秘密裏に――でだ。
今まさに活気に溢れそうになっているボロボ空中都市にとって、この事件が知られてしまうと他国からのイメージダウンが危惧される。
ゆえにこのことは秘密裏に解決をしようと提案をしたアルダードラの提案に則り、この捜査を極秘裏に行った。
そのくらいこの事件はあまりにも異常なものであり、多くの犠牲を出した事件でもあった。
不規則とも云える様な殺人事件の捜査はボロボのことを統べる王と、クロゥディグル達が所属するボロボ空中都市憲兵竜騎団の、戦闘に特化していない竜騎団三部隊を中心に行われていた。
ボロボ空中都市で起きていた殺人事件。
いいや、この場合人の殺人ではないので殺竜人事件とでも言っておこう。
そのことを話していたアクルジェドの話を聞いて、ドラグーン王もそのことに関してはよく覚えている方で、その話を聞いた瞬間王はこう言った。
あの時の事件は、本当に悲しい事件だった。と――
その事件の概要に関しては伏せておくが……、ボロボで起きた殺竜人事件の被害者が全員ボロボの街に住んでいるもので、老若男女問わずのものだった。
その犠牲者は捜査が行われる前は五人。
捜査が行われ、終わる前の間に四人と、総計で九人もの犠牲者を出した――まさに凄惨な事件でもあった。
ボロボ創成期から今の時代になるまでの間、その事件は歴史に残る様な事件と言っておこう。
事件と同時期にガルバドレィドの失踪が発覚し、殆どの民達がガルバドレィドが失踪した理由がその事件の犯人で、雲隠れを目論んだがためにこうなったのだと推測をしていたほど、彼への容疑はどんどんと深まって言ったのも、今でも覚えているドラグーン王。
そしてアクルジェドの話を聞き、事件のことを思い出していたドラグーン王はだんだんとアクルジェドが話したいことが何なのかを紐解いていた。
少しだけだが、何が言いたいのかを察したの方がいいのかもしれない。
なにせ、アクルジェドにとってその事件は忘れたくない。忘れたくても忘れられないような事件でもあり、彼の心に変化を持たらしたきっかけでもあったからだ。
その事件は確かにガルバドレィドが失踪した時と同時期に起き、民の誰もがガルバドレィドのことを疑っている状況の中でも、アクルジェドはそれでもガルバドレィドのことを信じていた。
クロゥディグルやアルダードラ、そして最も信頼と無実を信じていたドラグーン王と同じように、彼もガルバドレィドの無実を信じていた。
信じていた。
そう……、信じているではなく、過去形でもある、信じていた。
アクルジェドは確かに最初こそガルバドレィドの無実を信じ、きっと何かに巻き込まれていると思い、疑うどころか彼の安否を心配していた。が、その希望も、気持ちもいとも簡単に崩れ去ってしまった。
殺竜人事件――四件目の被害者でもあり、アクルジェドの従兄弟でもある元ボロボ空中都市憲兵竜騎団第三部隊隊長が殺されるまでは……。
事件を知った瞬間、その事件の被害者となってしまった従兄弟の無残な姿を見た瞬間――アクルジェドは一瞬にして頭も心も真っ白になってしまった。
その光景を共に見ていたクロゥディグルとアルダードラは、アクルジェドをその現場から遠ざけ、アクルジェドを医務室へと運ぶ。
その後のことはアクルジェドもあまり覚えていない。
あまりに喪失感、あまりにも唐突であまりにも異常でありえないような光景を見てしまったせいなのか……頭を動かすということもろくにできなくなっていたことだけは覚えている。
それでも喪失感はどんどんと大きくなるばかりで、その事実を受け入れようとするたびに、心が拒絶をする。
本能が、本心が、気持ちが――彼の心をどんどんと黒く蝕んでいく。
その時の心境に関して、今のアクルジェドはこう述べた。
「まるで全部が灰となってしまった感覚でした。それと同時にその灰となってしまった空洞を埋めるように、憎しみや殺意が私の心を支配していました。しかしそれでもその時の私には多少の善意はあったのでしょう。信じたいという希望がまだあったのでしょう。ですが、それでも私は諦めたくなかったのでしょう。自分のことをここまで鍛え上げてくれた――兄のように慕っていた従兄弟が殺されてしまった。両親と言うものがいなくなってしまった私にとって従兄弟は憧れでもあった。ボロボ空中都市憲兵竜騎団第三部隊隊長の座を持った従兄弟の後を継ぐことによって、誇りでもあったのですから。そのきっかけを作ってくれた従兄弟が死んだ。いいえ……、殺されてしまった。受け入れることなど、できなかったのです。ただただただただ……、殺意しかわかなかった。だからでしょうか……、その心の隙間に入る様に、あの男は、ディドルイレスは私に近付いたのでしょう」
その言葉を聞きつつ、ドラグーン王はアクルジェドの長い話に耳を傾ける。まだ続くかもしれないがそれでも聞き入れる覚悟を持ち、王は聞いた。
憧れでもあった従兄弟の死に直面し、殺意が膨張すると同時に善意の証でもある涙がボロボロと彼の目から零れ、鱗を濡らし、そして衣服や彼の居住の部屋を小さく濡らしながら茫然と、失意の日々を過ごしていたアクルジェド。
その姿を見た誰もがアクルジェドの傷心に、そして彼の従兄弟の死に心を痛めたがどうすることもできず、ただただ時が心の傷を癒してくれるのを待つことしかできなかった。
誰も心の傷を癒すことは出来ない。時と時間がその傷を癒してくれるのを待つしかない。いくら医療技術が発達をしていたとしても、心の傷までは癒すことは出来なかった。ゆえに誰もが点に祈ることしかできなかった。が……、その考えが仇になったのだ。
アクルジェドはその間にも失意と同時に膨れ上がっていく殺意を鼻でも愛でるように、じっくりと時間をかけて育てていた。そのおかげもあってか、アクルジェドの心の中にどんどん芽生え始める――疑念、そして犯人への憎悪。
そう……、ガルバドレィドへの憎しみが風船のように膨れ上がり、今にも爆発するのではないかと言うくらい膨張をしていた。今まで信じていた者に対しての裏切り、そして失ってしまった悲しみが憎しみへと変わり、アクルジェドは今まで信じていたその気持ちを消し去り、同時に芽生えた憎しみに身を委ね始める。
遺族としてできる唯一の方法として、復讐と言うそれを選択し――
その選択をしたアクルジェドの心の隙間に入り込むように、まるでこうなることを予測していたかのように、奴が現れたのだ。
ガルバドレィドの弟であり、アクルジェドに今回の事件のことについて教えた張本人でもある――ディドルイレスが、まるでこのことを予測していたかのようにアクルジェドの前に現れ、そしてアクルジェドの復讐に協力することを宣言したのだ。
勿論――ボロボの殺竜人事件を止めるという面目で、だ。
ゆえにアクルジェドは言ったのだ。ガルバドレィドに向かって、今まで信じていた大臣に向けて言ったのだ。
「貴様のような種族をこのまま野放しにできないっ! 今ここで、俺が裁いてやる! 俺の手で! お前を処刑してやるっっ!」
その言葉を聞いたガルバドレィドは何が何だかわからなかったが、ディドルイレスはその言葉の心意を知っている。いいや、むしろこうなることを想定していたから……いやいや、そんな百発百中の予測などあてにならない。そんな運任せのようなことを信用するほどディドルイレスは甘くない。
むしろこうさせるために試行錯誤をしたなど、誰も気付きもしない。
だからだろうか、ガルバドレィドはこの時気付いていたのかもしれない。アクルジェドがディドルイレスの言いなりになっているということに、気付いていたのかもしれない。
今にして見ればその気持ちもわからないままとなってしまったが、それでもそのことを思い出していたアクルジェドはそう思っていたに違いないと推測することができた。そうでなければ、自分に対してそんなことを言うことなど絶対にありえない。
知らなければそのようのことなど言わないだろう。
知っていたからこそ――言ったのだ。
◆ ◆
号泣とも云える様な豪雨の中――自分のことを殺す勢いで突きの攻撃をし、そして薙ぎを繰り出しているアクルジェドの攻撃を避けているガルバドレィドは、まさに猛攻ともいえるような攻撃を切り出しているアクルジェドに向けて平静の音色でこう言ったのだ。
「なんと滑稽だ。何と愚かだ。それでも血の繋がりがない兄からその座を受け継いだのかアクルジェドよ。ボロボ空中都市憲兵竜騎団の名が泣くぞ」
「黙れ異常者! よくも国の者達を騙し、あろうことかあいつを殺しやがって……っ! 自分が加害者ではないような口ぶりだなっ!」
「当然だ。そのような事件が起きていただなんて知る由もなかった。犠牲者も何もかも、すべてのボロボの情報を遮断をしたほどなのだからな」
「………べらべらとしゃべりやがって……っ! 何偽善者ぶっているんだっ! そんなことをしたところで許されると思うなっ! そこにいる他種族との避航も、今回の事件の件もすべて償ってもらうぞ――その命を対価としてなぁ!」
その言葉を言った瞬間、アクルジェドは手に持っていた槍を地面に深く、深く突き刺す。
石で作られた地面に槍や剣などの刃物を突き刺してしまえば、一瞬のうちに刃に罅が入るかもしれない。そう想像するものがいるかもしれないが、生憎アクルジェドが持っている武器は特別な鉱物――封魔石ではないが、そこそこの硬度を持っている鉱物であり、石で作られた地面でも突き刺すほどの鋭利さを持っていた。
ゆえに、アクルジェドは己の足元に槍を深く、深く『ざすり!』と突き刺し、その槍を主軸としてそのまま彼は槍の耐久性を信じるかのように徐に足を地面から離す。
離す――と言ったが、正式にはそのまま離すという雑技をしたわけではない。
地面に深く突き刺し、簡単に抜けないようにしたあと、アクルジェドはその槍を支えにするようにしっかりと掴むと、そのままアクルジェドは槍の周りを駆け回る様に足を動かす。
だだっと――アクルジェドから見て時計回りに回り、そのまま槍を中心にするように駆け出すその光景を見た瞬間、ガルバドレィドは即座に行動に移した。
前に行くのでもなければ横に向かうのではない。ごく普通の回避方法――後ろに向かって跳躍するようにアクルジェドの攻撃を回避しようとする。
勿論……、背後にいる己の妻のことを流れる様な動作で横抱きにし、一緒にアクルジェドの攻撃から避けるように後ずさりの如く跳ぶと、その光景を見ていたアクルジェドは回っていたその行動を止めず、どころかそのまま勢いをつけるように槍を支柱にし、そのまま槍を中心とした回転を繰り出す。
ぐるぅんっという音と同時に繰り出されるアクルジェドの体を使った――いいや、この場合は体など関係のない事だ。この時アクルジェドが使おうとした攻撃方法はもっと別のところにある。
そのことに気付いたガルバドレィドは驚きと同時に抱えていた女蜥蜴人の妻を再度己の後ろに隠すように降ろし、己が盾のように前に出てその攻撃からの回避の構えをとる。
時計回りに繰り出される攻撃――体ではない、アクルジェドの鉤爪による足の薙ぎから逃れるために、その攻撃を防ぐために、ガルバドレィドは自分から見て右の方角からくるその攻撃を右の腕で防ぐように、徐に顔の横に向けて上げる。
雨のせいで足元が覚束ない中、それでもガルバドレィドはアクルジェドの攻撃を止めることに専念をするかのように腕を上げて防御をしつつ、攻撃を受けないために体の中心を少しだけ後ろにずらす。
真っ直ぐの姿勢から、少しだけ前のめりになる様な屈み方をしての回避。
その光景を見たアクルジェドは驚きながら息を呑むと同時に止めることができないその足の攻撃を空振りであろうと前屈みになったガルバドレィドの頭上を通り過ぎるように放つ。
ぶんっ! と言う音がガルバドレィドの頭上で聞こえ、その後すぐに来たもう一つの風圧の音を聞いてガルバドレィドは安堵のそれを小さな吐息として吐き捨てる。
それもそうであろう。
なにせ、アクルジェドが繰り出した攻撃はガルバドレィドが大臣であった時代の時のよく見た攻撃手段でもあり、今回もその攻撃を――片足だけではない、両足を使った二段攻撃を避けることに成功したことに、この時ガルバドレィドは思っていた。
何せ彼の体は身体能力はかなりの割合で劣ってしまっている。
今の体では攻撃をしたところで致命傷など与えることもできない。
拘束の術を向けたところでたった三分で振りほどかれてしまうだろうと思っていた。が、今の除けのおかげでなんとか危機を脱することに成功した。
だから安堵のそれを吐いた。
が――
――がごぉんっ!
「――っ!?」
瞬間的に来た衝撃と突き刺さる様な激痛。
そして突き刺さったものが骨を貫通するような感覚も残り、それを感じた瞬間その衝撃に耐えきれずに左の方向に吹き飛ばされてしまうガルバドレィド。
激痛の熱と左側に付着した雨の冷たさが双極のそれを味合わせ、それを感じながらガルバドレィドはばしゃりと地面に転がり倒れてしまう。
「あなたっ!」
「おぉおぉぉぉ! モロだったなぁ! これは痛いぞぉ~!」
ガルバドレィドの倒れるその光景を見て、妻の蜥蜴人は愕然とした面持ちで鱗の肌を青く染めてると、そんな彼女とは対照的にディドルイレスは兄の傷つきようを見てげらげらと膨れ上がったお腹を叩きながら大笑いをしていた。
はたから見てもディドルイレスの行動を見て虫唾を走らせてしまうが、今のガルバドレィドにはそんな余裕などなかった。
「う……! くぅ……! かふっ!」
倒れてしまったガルバドレィドは朧げな視界の中、右半分が真っ赤なそれに染まり視界と言う情報収集能力ができなくなってしまった状態の中でも、彼は膝を付きながらも起き上がり、そしてドロドロと地面を水で薄まってしまった赤い液体で己の体を彩るそれを見て、彼は察した。
右側に来る鈍痛と激痛の二重奏。
それを感じ、そしてアクルジェドのことを見た後で、彼は理解した。
ずぼっ! と地面に突き刺していたその槍を徐に引き抜き、そして再度その槍を構えたアクルジェドのことを見て、彼の尻尾に付着している赤いそれを見た瞬間、理解してしまった。
――なるほど……、あの蹴りは嘘だったのか……。本命は、そう言うことか……!
そう思いながらガルバドレィドは見る。
彼の視界の先に広がる――槍を構えながら自分のことを睨みつけ、それと同時に己の一部でもある返しがついている血まみれの尻尾をフリフリと揺らしながら彼は理解した。
本命の攻撃が蹴りではなく、己の一部でもあるその尻尾なのだと。
理解すると同時にガルバドレィドはとある感情を抱いた。悔しさや攻撃を受けてしまった焦りもあった。それと同時にここで死んでたまるかと言う気持ちもあったが、その時ふと抱いた感情に対しては、その感情を出したガルバドレィドも驚きを隠せなかった。
どころか……、こんな状況の中でもこんな感情を抱くのかとと言う己の思考の異常に対して心配してしまいそうになったが、ガルバドレィドはその感情に対して否定などしなかった。
むしろ――そうだと受け入れてしまっていた。
「う……、まさかのフェイントとはな……。驚いてしまった」
「それもそうだろうっ! お前のような反逆者はどんな手を使うかわからない! その懐にナイフや魔導具! もしかすると瘴輝石を紛れ込ませている可能性も高い! それに、俺はお前を殺すためにここに来ているんだ! 甘い判断はないと思えっ!」
「はは。そうだな。確かに、私は国の責務を無視し、あろうことか己の判断で逃避行をしてしまったのだ。反逆者として罵られるのも無理はない」
「ああ、ああそうだな! そして悔い改めろっ! お前が起こした罪の重さを! そして、死んでしまった皆の無念への謝罪を述べろっ!」
ガルバドレィドはアクルジェドに向けて静かに、怒りなどこもっていないような音色で言うと、その言葉を聞いていたアクルジェドはぎりっと歯を食いしばり、槍の刃の先をガルバドレィドに向けた状態で怒声を浴びせる。
お前は死んで当然だ。
お前のような反逆者を信じた俺が馬鹿だったんだと告げながら、アクルジェドは今まさに絶体絶命のガルバドレィドに向けて最後の時間を与える。
今まで殺してきた者達へ、謝罪と言う名の懺悔の時間を。
その言葉を聞いた女蜥蜴人は、むっとした面持ちでアクルジェドのことを睨みつけ、よろけて尻餅をついてしまった状態から徐に立ち上がると、彼女は荒げる様な音色で、己の気持ちを剥き出しにするように声を上げた。
「っ! さっきから何を言っているのですかっ! 彼が同族でもある竜人を殺したっ? そんなことありえませんっ! 事実彼はずっと私と一緒にいました! それに彼は同族殺しを嫌悪しているんです! そんな優しいこの人がそんな……、そんな悍ましいことを……」
女蜥蜴人は言う。荒々しく声を荒げながら言う彼女の言葉に、ガルバドレィドは彼女の優しさと、そして自分のことを信じているという嬉しさも相まって笑みを零しそうになりながら小さな声でその女性の名を言おうとしていた。
が、その時のアクルジェドはそんな彼女の言葉に対して聞く耳など持たず、どころかその彼女の言葉を、証言を無視するかのようにアクルジェドは言った。
もう彼の中にあるのは憎悪しかない。そんな思考が真っ先に浮かぶような激昂のそれを剥き出しにして、彼は言ったのだ。
「黙れ蜥蜴の女っ! そんな証言なんぞ、身内で話を合わせて置けばすぐに出来上がる付け焼刃だ! それに他種族の言うことなんぞ信じられるかっ! お前達はそろいもそろって大馬鹿な犯罪者だ! こんな奴のことを信じていた自分が情けなく思えてくるっ!」
「何をふざけたことを言っているのですかっ!? 頭がおかしいのではありませんかっ? ただ姿形が違うだけなのに、なぜそこまでこの人が殺したと決めつけるのですかっ? 何か理由があって仰っているのですかっ!? 証拠なんて――」
「ああ! 証拠はある! ディドルイレス様が見せてくれた! 教えてくれたんだっ!」
剥き出しのアクルジェドと、怒りの形相の女蜥蜴人。
言い合いにも見えるようなその光景を一時的に傍観し、濡れる衣服の感触を感じながら怪訝そうに顔をしかめるディドルイレス。ガルバドレィドに至っては右側に来る鈍痛と意識の混沌が出始め、ふらつきを見せ始めるガルバドレィドを無視して、女蜥蜴人はアクルジェドに向けて告げる。
証拠などないくせに。
そう言った瞬間、その言葉を聞いたアクルジェドは怒りのままに叫ぶと同時に、彼は懐から手を差し入れ、すぐにその懐から手を取り出した瞬間、手に持ったそれをガルバドレィド達に見せつけた。
見せつけられたものに対して首を傾げながら一体何なんだという顔をして見ていたガルバドレィド夫妻であったが、ガルバドレィドだけはそれを凝視するようにじっと目を凝らし、そして彼の手に収まっている……、いいや、彼の手の中にあるそれを見た瞬間、ガルバドレィドは驚きのあまりに言葉を失った。
それもそうであろう。
なにせ――アクルジェドの手の中に納まっていた物は……、以前、ガルバドレィドが長い間大切に使い、そしてこの失踪と同時に無くしてしまっていた大事な大事な物……。
血濡れてしまった万年筆がアクルジェドの手の中にあったのだから。
「これでも、まだ嘘を貫き通すと言うのかっ?」
アクルジェドは言う。その手に収まっている渇いてしまった血まみれの万年筆を手にしながら、雨に濡れても流れることがないその万年筆をぐっと、握り潰さんばかりに掴みながら彼は言う。
震える音色で、怒りを抑えることが不可能になりつつある状況の中、アクルジェドは驚いて鎌溜まってしまっているガルバドレィドのことを睨みつけながら、彼は言ったのだ。
「これは、俺の従兄弟が殺されてしまった場所で見つけた唯一の証拠。そう――犯人の所有物を、証拠を手にすることができた! 兄貴はこんな高価な物を使うことなんて絶対にない! どころかこんなもの兄貴の家にはなかった!」
「………………………」
「こんな高価な物を買えるのは、王族か、あんたのような大臣職についていた者だけ! つまり! これが落ちていたということは……、お前が犯人であるという決定的な証拠だ! ディドルイレス様は言っていたぞ! ちゃんとお前の名前も刻まれていたってなぁ!」
「………………………なるほど」
アクルジェドの言葉を聞いた瞬間、いいや……、それよりも前に、ディドルイレスのことを見ていたガルバドレィドは全てを理解してしまったのか、はっと渇いたような笑みを零すと同時に、徐にその場で立ち上がりながら、彼はアクルジェドのことを見て、怒りに任せるのではなく、静かに、落ち着いているような音色で言ったのだ。
右半分の顔面が激しく村生じているにも関わらず、その命の危機を知らせないような堂々とした面持ちをアクルジェドに、背後でその光景を観賞しているディドルイレスのことを見せながら、ガルバドレィドはすっと右手の指を上げ、その状態でアクルジェドが持っている万年筆に指をさしながら彼は言った。
「アクルジェドよ。確かにそれは私が持っていたものだ。失踪する前に無くしてしまってな……。見つけてくれたのか。ありがとう」
「何が……、何がありがとうだっ! お前は本当の馬鹿だったんだな! 何自爆しているんだっ! 結局お前が殺したんだろうっ!? この事件の犯人がお前であることが証明されたんだっ! 現場に残されたこの私物が、お前の犯行を物語っていたということだ!」
「………………………」
「よくもまぁあんなにも残K辱なことができなぁ大臣! いいや! 元大臣! 無視でさえ殺さないような美女であろうと化けの皮をはがせばこの通りだ! お前もその輩と同じだ! 結局、歯向かう輩に対しての報復だったのだろうっ!? その罪の重さに耐えられなくなり失踪とは! 哀れだガルバドレィド・ドラグーン! よもやその異常な思考が更なる血迷いを起こしてしまうとはなっ!」
滑稽だ! 滑稽だ! 滑稽だ!
その言葉を連呼しながら叫ぶアクルジェド。そんな彼とは対照的に静かな面持ちで指を指した状態でいるガルバドレィド。視線の先をアクルジェドにした後で、そのまま流れるようにディドルイレスのことを見つめる。
ディドルイレスはその光景を見ながらニタニタとした笑みで、下劣に笑みを浮かべているだけで何もしてこない。
その光景を見ながらガルバドレィドはすっと目を細め、再度アクルジェドの方に視線を移した後で、彼はアクルジェドのことを見てそっと口を開く。
アクルジェドの言葉に対して怒りを覚えている妻のことを諫めながら、彼は言う。
「そうだな……、本当に、お前は滑稽だ」
「………………………あぁ?」
ガルバドレィドは言った。
自分が滑稽なのではない。お前が滑稽なのだと――そう言った瞬間アクルジェドは突然引き攣ったその顔に変え、それと同時に込み上げてくるマグマのような感情と共に、顔にそれを浮き上がらせて低い音色で放つと、それを聞いたガルバドレィドは続けてアクルジェドに向けて言う。
「滑稽だと言ったんだ。アクルジェド・ナード・ヴィルデドよ。そんな浅はかな言葉に振り回され、己の意志に従うのではなく、相手の意志に従い、そして服従する。まるで操り人形だ。何の感情も考えも持たない人形の様だ」
「に……、人形だぁ……っ!? 何を言っていやがる……っ! 殺しの分際でぇ……!」
「確かに、お前の言う通り私は殺しをしている存在に見えるかもしれないが、私はそんなことができない状態にあった。そもそもそのような事件が起きていること自体知らなかった。いいや、そんなことを今は言い争っている場合ではない。私が言いたいのは変だと思わないのかと言うことだ」
「変……? それは、お前の頭だろうがっ! お前の頭の異常性のせいで、色んな奴が犠牲になっちまった! 小さな餓鬼までもが犠牲になったってのに、どんだけ自由に縋りつきてぇんだよっ!」
「縋っているのではなく――私は聞いているんだ。なぜお前の従兄弟の事件が起きた時にその証拠が出たんだ? どう考えても変だろう? 変としか思えないだろう? 確かにそれは私の物だが、それでもそれがお前の従兄弟の家にあること自体おかしいと思わないのか?」
「う、うるさい……っ! うるさい……っ!」
「今までの事件では証拠と言うものは出たのか? それとも出なかったのか? 出ていないのならば今回の証拠こそがおかしいだろう? よく考えて見ろ。自分の意志で、幾多の言葉にも流されずに考えて見ろ。見えるはずだ。アクルジェド」
「五月蠅い! 五月蠅いっ! 五月蠅いっっ! 黙れ犯罪者っっ!」
「背けるんじゃない。これは――私からの最期の命令だ。よく聞けアクルジェド・ナード・ヴィルデド。自分の力で考えろ。それができなければ、お前は操り人形だ。永遠に考えることができない――弟の人形だ。それだけはだめだ。お前でなくなってしまう。だからアクルジェド」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れっっ!!!」
アクルジェドは叫ぶ。叫ぶと同時に持っていた万年筆をそのまま放り投げ、それと同時に槍を持つ手を両手に変え、そして力を加えながら彼は駆け出す。
ばしゃり! と地面を蹴ると同時に舞い上がる水飛沫。そしてそれと同時に地面にクルクルと回りながら放物線を描いて落ちていく万年筆。その光景を見ていた女蜥蜴人は声を荒げながらガルバドレィドに逃げてくれと叫び、ディドルイレスはそれを見てガッツポーズを出すような動作をする。
すべての行動がスローモーションになる中――己の思考ではなく、己の感情で動き、そして意思を貫くように駆け出したアクルジェド。そんな彼のことを見て微動だにしないガルバドレィド。
雨が降るその水滴でさえもスローモーションになるかのような空間の中、すべてが遅く聞こえる様な状況の中アクルジェドは駆け出し、そして目の前にいる犯人に向けてその刃を突き刺そうとした。
これですべてが終わる。そう思った時――ガルバドレィドはアクルジェドに向けて、逃げも隠れもしないまま彼は言ったのだ。
あと数ミリで槍の刃が胴体を貫通する。そんな絶体絶命の中――ガルバドレィドは言ったのだ。
はっきりとした音色で――彼は言う。
「お前は――どうしたいんだ?」
――ざすっっっ!




