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PLAY74 BATORAVIA BATTLE LOYAL!FINAL(仮初の終り)③

 そんなハンナ達の会話が繰り広げられている頃……。


 真っ暗に近いような階段を、『かつんっ。ぺたっ。こっ。ぺたっ。ととっ。かつんっ。ぺたっ。かつん。ぺた』ともたつく様な足音と、ぺたぺたとカエルのように壁に手を付けている音が無音に近いような階段に響き渡る。


 壁に音が反射し、反響するようにその音が降りているその人物の耳を刺激し、苛立ちを加速させる。


「ぜぇ……っ! ぜぇ……っ! ぜぇ……っ! ふぅ……っ! げふっ! へほっ! げふんっ! うう……っ! ふぅ……!」


 息を切らし、年相応ではない身体に鞭を打ち付け、止まるな。止まるな……。そう念を体に向けて飛ばしながら降りていた人物――Drは階段をゆっくりと駆け下りていた。


「げほっ! ごほっ! うぇっ! ふぅ……。ふぅ……。ひぃ……」


 Drは息を切らし、悲鳴を上げてびしびしと軋む音を立てている己の体のことを無視し、ゆっくりとした足取りで階段を駆け下り、壁に手を付けながら彼は着々と最深部へと足を進めている。


 ぼたぼたと流れる汗を階段に落とし、零れ出す乱れた息を不規則ながら整えて、Drは着々と向かって行く。


 この帝国に丁重に祀られ……、ではなく、丁重に幽閉されている砂の国・バトラヴィア帝国の守り神にして『八神』が一体――『土』のガーディアンがいる最下層へと――


「ふぅ……っ! うぅ……っ! ぐぅ……っ! なんとも長い階段じゃ……っ! この老体ですいすい降りることは不可能じゃ……っ! くそぉ……っ! こんな時――颯がおれば楽じゃったのに……っ! 使えん奴じゃ……っ!」


 Drは舌打ちをしながらゆっくりとした動きで、重くなってしまった体で永遠に近いような暗闇へと足を進めながらDrは降りて行く。


 激痛を持ち始めた腰を拳の甲で撫でながら、ゆっくりと、体の支障を大きくしないように……。


 因みに言っておく。


 Drは御年で九十を超えるご老体。ゆえに激しい運動はできない。且つ運動もしていないのでなおのこと。


 心こそは狂気的な好奇心にまみれた人格ではあるが、体は正直。この世界でもそれは共通で、激しい運動をすると動悸が激しくなる。


 当たり前な話ではあるが、九十のご老体に体では、激しい運動は過酷な重労働と同じなのだ。


 ゆえに、Drは極力運動をしなかった。


 颯の背に乗り、階段を下りたり登ったりしてその苦を逃れていた。


 老体であるが故、若い颯の手を借りながら生活をしていたということである。


 しかし――激昂による戦闘攻撃は別で、Dr自身も自身のオーダーウェポンでの戦闘をしたのは初めてであり、あのように激しく動いても動機一つもしなかったことに対して、驚きを隠せなかった。


 今更ながら……、己の体を駆け巡った何かの沸騰に、Drは己の感情の可能性を今更ながら知った。


 戦っている最中は、別のことで頭が一杯であったが故――そのことに関して頭が回らなかったのだ。


 そんなこんなで――Drは思っていた。いや……、心の声が声になって口から零れだした。


 ぶつぶつと、ぶつぶつと、Drは零す。


 髭に隠れた口をもそもそと動かしながら……。


「なぜあの戦闘の時はあんなに動けたんじゃ……っ? 人間の底力と言うものか? いいや……、感情の起伏によるアドレナリンの影響でなったのか……? 脳が一時的に混乱したということなのか……? となると、感情と言うものはやはり儂の想像を超えるものを持っておる……っ!」


 ぶつぶつと呟くように言った言葉を言った後、Drは今まで疲れで垂れていた口元を――わずかに緩く上げた。


 にやりと……、下劣に笑みを浮かべるようなそれを無意識に表し、零れだすくつくつ声に気付かないまま、Drは膨れ上がるそれに驚きつつ、膨れ上がる好奇心を再熱させながら、Drは思う。


 否――心の声を声にして、零す。


「やはり……っ! 感情と言うものは面白い……っ! 面白いぞっ! 興味がそそられるぞ……っ! 喜怒哀楽で彩られる感情の世界! 宇宙のように広がる感情の世界っ! そしてその宇宙に散らばる一個人の感情の星……っ! おぉ……っ! おぉ……っ!」


 脳内に浮かび上がる広大な宇宙。その宇宙に散らばる武骨な星。


 その星は透明で、くるり、くるりと回るたびに、その透明の星の中の映像が変わっていく。幻想的で美しさを持っているように聞こえるかもしれないが、Drの脳内にあるのは、そんな美しいものではなかった。


 その星の中にあるのは――()()()()()()()()()()()()()()()()()


 アクロマの絶望の顔。絶句の顔。


 セレネの悲痛の顔。怨恨の顔。


 ハンナの恐怖の顔。


 そしてこれは初めてであろう……、Drしか知らない――Drにとってすれば不必要に近いような黒髪の女性の怒りと悲しみに満ちた顔。そして悲しみだけで俯いてしまっている黒髪の女性。


 そんないろんな人達の感情が、Drの脳内宇宙を彩り、Drの脳内を刺激していく。激突するように、Drの心を興奮へと導いて行く……。


 その興奮を肌で味わい、心のざわつきを堪能しながら……、Drは体中の温度が上昇していること。そして己の心が温かくなる感覚を、Drは味わっていた。


「こんな感動……っ! 今の今まで体感したことがない……っ! こんな興奮、今まで生きてきた中でも最高度のそれじゃ……っ! おぉ……っ! おぉ……っ! 興奮のあまりに体中の発汗が異常じゃ……っ! 手汗がひどい……っ! おぉ、おぉ……っ! おおおおおおぉぉぉおぉぉぉぉぉぉおぉぉおおおおおおおおおお………っ!」


 Drは言う……。心の声を声で代弁するように、彼は言う。


 暗転しかない階段の天井を見上げ、その天井に向けて手を扇ぎつつ、それを受け止めるような動作をしながら、Drは言い続ける。


 おおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおおぉぉぉおぉぉぉおおお。と、彼は言い続ける。


 眼鏡越しから滝のような涙を流し、その感情と対面したことに対して感動している。そしてその感動を感じている己の感情に歓喜しながら、Drはその場で少しの間佇んでいた。


 その感動が消え失せるまで、彼は先ほどの焦りなど忘れたかのように……、その感情に対して快感、感動、歓喜を体の芯まで堪能する。


 今まで芽生えなかった己の感情の誕生を、喜びながら……。



 ◆     ◆



 ここで、誰もが疑問に思うであろう。誰もがずっと気になっていたかもしれない。


 なぜDrはここまで『感情』と言うものに対して深い執着を抱いているのか。『感情』と言うものに対して頑固ともいえるようなこだわりを見せているのか。


 他人の人生を壊すほど、その感情を優先にするDr。


 コノハの言葉に対して想像とかけ離れたことを聞いて怒りを覚え、『そんなことを期待していない』、『その感情が見たかったのではない』と訳の分からないことを言い出すDr。そんな激昂が嘘のように、己の欲望を優先にしてカグヤ達を捕まえようとしたDr。


 はたから見れば変なおじいさんと言う認識である。はたから見ればやばい思考を持ったおじいさんと言う認識かもしれない。もっとその認識があるかもしれないが……、それでもDrは、己のことをこう思っていた。




 普通ではあるが、何かが欠落した人物。




 と……。


 自分でも認識しているが、それでもこの行動をやめることができない。否――やめてはいけないと悟りながら、Drは今も探求し続けているのだ。


 己の体から元からないそれを探し、それを取り戻そうとしながら……。己の一勝を費やしている。


 今から語ることは、Drにとってすれば書いてはみたが、しっくりこずにくしゃくしゃに丸めてしまった紙屑のようなもの。いうなれば不必要なもの。


 そんな不必要なものだが、それを開いて語ろう。


 Drという人物の――ドクトレィルの欠落したそれを探求し、それを知ろうとする知識欲と欲求、そして狂気に満ち溢れた一生の物語を……。



 ◆     ◆



 彼は――幼き時期は『神童』。そして歳を重ねるごとに、その称号も『不廃天才』と言う名でこの世に名を残してきたこの世の天才。


 その名も――ドクトレィル・ヴィシット。


 二つの天才の名を持つドクトレィルは、小さい時からその優秀さを露見しながら生きてきた。


 スクールの成績も一位しかとっておらず、大学も名門のところに入学した。勉学に関して言うと、彼はそれほど苦労も努力もしていない。


 強いて言うのであれば何もしないで天才に上り詰めた。


 教師はそんな優秀で天才なドクトレィルのことを褒め称えた。憧れる人物もいた。陰口を言う人物もいた。しかしそんな人間関係でも、ドクトレィルは何も苦とは思わなかった。


 ただ――こんな人間なのだと思いながら見ていた。だから苦というそれを感じなかった。


 否。そうではない。


 ドクトレィルはそんな苦を苦として認識できなかった。何を考えているのだろうと思いながら、彼はその顔を見ていただけなのだ。


 一言で言うと………。


 ドクトレィルは――()()()()()()()()()()()。理解することができなかったのだ。


 なぜ感情が理解できないのか。それを理解することができないのか。それは当の本人でもわからない。強いて原因があるとすれば……。


 彼の環境。


 だったのかもしれない。それも明白ではないが、憶測として、それを上げることにする。


 彼の環境ははたから見れば普通の家庭だった。普通に厳しくも優しい父と、普通に優しくて温かくドクトレィルのことを抱きしめてくれる母。そんな両親と一緒に、ドクトレィルは暮らしていた。近くに住んでいる人たちも、そんなドクトレィル家族のことを見てこんなことを言っていた。



『まるで絵に描いたような家族図だわ』



 と。


 しかし、それは他人から見たことで、現実はそうではなかった。それはドクトレィル自身も理解している。なんとなくだが……、理解している。と認識している。


 外を出れば確かに絵に描いたような家族かもしれないが、家に入ってドアを閉めると同時に、その魔法も解けてしまう。


 厳しくも優しい父も、優しく温かくドクトレィルのことを抱きしめてくれる母も……、家に帰ると……。




 豹変したかのように無表情のそれになった。




 まるで――仮面を取り去ったかのような無表情の素顔。その素顔の状態で、家族は生活をする。そんな光景見ながら、ドクトレィルは己の本当の家族の絵を見続けてきた。


 外では仮面をつけて偽物の感情を見せる――仮面夫婦の顔を。


 何の揺れもない。なんの波もない。温もりも、冷たさも、ぎすぎすした空気も、冷たい空気も、苦しくなりそうな空気も、一切ない――まるで、ドールハウスのような光景がドクトレィルの日常だった。


 外では感情の仮面をつけた家族の顔。しかし家に帰るとその顔をはぎ取って本当の顔――無表情のそれを曝け出す。ドクトレィルはそんな家族の姿を見て暮らしてきた。感情もないその光景を見ながら、彼は過ごしてきた。


 ()()()()()()()()をひっそりと感じながら……。


 なぜこの夫婦がこうなってしまったのかはわからない。


 どのような経緯でこの夫婦がこのような仮面夫婦になったのは――謎のままである。


 しかし謎のままでいいのだ。どころか解明するということをしなかった今のドクトレィルにとってすれば、もう亡くなってしまったのだから不必要な情報として認知しているので、その心意は誰もわからない。


 簡単に言うと――迷宮入りの謎ということになる。


 そんな感情もない家族で、はたから見れば異常な光景かもしれない。


 しかし家族としての体は形を成しており、喧嘩、いざこざ、家族の問題など特にない。むしろ問題など一切提示されないような過程で、平和そのものに見えるようなそれであった。


 だが……、そんな光景がいい光景に見えるであろうか? 


 答えはいいえ。


 無表情で感情のない家庭など、最初から問題があるのと同じだ。そんな環境の中、ドクトレィルは異常な日常を過ごし、そして彼は――あるものに対して興味を抱き始めた。


 それは――誰もがあるものに対しての欲求であり、このような家庭で過ごしてきたドクトレィルにとってすれば、疑念に近いようなそれを見たような刺激を受け、彼は興味を持ち始めたのだ。


 彼が言うそれとは――のちに彼の生きがいとなっている……。





            感  情。





 である。


 自分と両親が魅せたことがないその感情は、外を出るたびに色んな人達がその顔のそれを見せていた。


 微笑むそれや、ぐちぐちと言葉を発しながら目を細めながら声を張り上げるそれ、そして溜息を吐きながら目を伏せるそれも、感情が乏しいドクトレィルにとってすれば――新鮮そのもの。


 彼にとって外の世界は――刺激の海だった。


 そんな海を浴びつつ、そしてその感情に対して彼は興味を抱き始め、ふとドクトレィルは思った。



 ――なぜこの人達はあって、自分にはないのだろう。



 この時のドクトレィルは十二歳となり、今まで抱いていなかったそれがふとしたきっかけで発芽することだってある。その状況にドクトレィルはなっただけであり、それを抱くと同時にある感情も抱き始めた。


 胸のところがぽっかりと開いたかのような――空洞感覚。


 それを感じたドクトレィルは……、ぽっかりと開いているにも関わらず、その穴を中心に苦しさや気持ち悪さを抱きはじめて、そして気付く。


 ――これは、欲求だ。と……。


 ドクトレィルはこの時、己にはないが他人には当たり前のようにあるものに対して、喪失感を抱き始めたのだ。


 己にはないが他人には当たり前のようにある。


 自分よりも小さい子供や赤ん坊も、その感情を持っている。


 自分にはない。父と母は仮面上それを被り装っているが、表面上は持っている。


 ドクトレィルはこの時――己にはない感情に対して、欲望を抱いた。





 ()()()()()()()()





 誰もが顔に表しているその感情が欲しい。自分も口を動かしたり目から涙を流したり吊り上げた目で声を張り上げてみたい。


 そう心の底から思った。純粋にそう思った。そう思ったからこそ、ドクトレィルはその感情が欲しいと、純粋な気持ちで思ったのだ。


 この欲求をきっかけに、ドクトレィルは『感情』に深いこだわりを抱き、そして追及するようになってきた。己の生涯をかけて、ドクトレィルはその感情を欲した。喉から手が出るくらい――欲した。


 欲しい、欲しい、欲しい――!


 自分にはない。親にもないその感情が、いくつものの色の光が飛び交うそれを手にし、誰もが当たり前に出して感じているその感情が欲しい。知りたい! どうなっているのか知りたい! そして自分のものにして探求していきたい! 


 そう思ったドクトレィルは二十歳になると同時に両親との絶縁を宣言。そのまま一人暮らしを始めた。


 このことに関して両親は無表情で何も言わずに、渋々と言った形でもなければ悲しむこと、怒ることもせず、無表情でそれを承認した。


 一言、こんな言葉を添えながら……。



「そうか」



 それだけ。


 それだけを言って、両親はドクトレィルの独り立ちを無表情で承認した。


 そんな両親の顔と返事を聞いたドクトレィルは、今まで暮らしてきた家を出る時ふとその両親のことを振り向きながら見て――こう思った。


 ――あの両親は不要だ。何の価値もない。何の探求も感じられない。あの親の元で暮らしてきたから、自分はこうなってしまったのか、それとも元々の人格だったのか……。それも知ることもできないが、そんなのもうどうでもいい。


 ――今は……、自分にないこの穴をふさぐために、『感情』を得るために、探求しないといけない。


 ――この生涯を懸けて、追及していかないといけないんだ。


 そう思い、その決心を刻んで、ドクトレィルは探求の人生を歩むことになり、これが……、のちの『不廃天才』の狂喜を加速させる原因を作り、罪もない人達を巻き込み、その息子、孫を巻き込んでいくことになるとは、この時のドクトレィルは想像もしていなかった。


 どんな道に歩むのかすらわからない徒労の道。


 そのゴール無き道を歩んでいるかのように、ドクトレィルはその道に足を踏み入れ、歩みを進めることを決心した。その道が――間違った道だとは気づかず……。


 両親のもとを去ったドクトレィルは、とあるところでアパートを借りてお金を貯めながら過ごし、そして……、毎日外に出ては、行きつけと化していく喫茶店でブラックコーヒーをたしなめながら、道行く人たちの顔を見ながら常に観察をしていた。


 感情の探求と称し、彼は喫茶店の大きな窓から道行く人々の顔を――表情を、感情を観察し続けた。


 窓越しにすれ違う人の顔をそれとなく伺いながら観察を続け、それを分析してきた。


 自分にはないその感情の揺れを、感情の高ぶりを、見て学習し、最終的にはそれを物にしてきた。


 体で慣れろ。


 それを目標にして、普通の人ならば普通に出せるようなそれを、感情のない環境の中で生きてきたドクトレィルは、それを学習して物にしてきたのだ。常人ではありありえないような思考である。


 その感情――喜怒哀楽の基礎が備わってきたある日、ドクトレィルは二十五歳となり、その日もいつものように糸の顔を見ながら喫茶店で観察を続けてながらブラックコーヒーをたしなんでいた。


 基礎を築き上げ、普通の人並みの感情を出すことができるようになったドクトレィルだったが、なぜこのような観察を続けているのか。


 それは簡単な話――


 ()()()()()()


 喜怒哀楽のそれを理解し、それを体現して、街を歩く人のように表情を表現することができるようになった。だが――これは処世術として。根本的な心理には近づいていないのだ。


 単純な喜怒哀楽は分かった。しかし何かが足りないのだ。それを察知したドクトレィルは、喫茶店のコーヒーに口をつけながら思った。


 ――喜び、悲しみ、怒り、楽しみは目に穴が開くほど、体がもう飽きたと言ってもいいほど慣れさせた。生活に支障が出ない程度の処世術を学ぶと思い、それを慣れさせた……。だが足りない。何かが足りない気がする……。


 ――あの無の環境にいたから (ドクトレィルはこの時、自分がいたあの家族の環境を『無の環境』と例えていた)、その足りないものが何なのかがわからない。


 自分にはいったい何が足りず、そして私は何に欲を欲しているのか、探れば探るほどわからなくなってきた。


 コトリ。


 コーヒーカップをテーブルに置き、肘をテーブルに乗せて考える仕草をしながらドクトレィルは思考を巡らす。無表情で、氷のような視線を革製の靴に向けながら、彼は試案を続ける。


 何が足りないのか。


 それだけを頭に入れながら――その答えに辿り着くために、彼は思考を巡らせる。


 ――私は私に問いたい。いったい私は何を欲している?


 ――私はこれまでいろんな成功を収めてきた。その成功を喜びに変えて協力してくれた人と一緒に分かち合った。だが……、何かが足りない。その時も思った。何かが足りない気がして、笑顔が崩れそうになった。


 ――何が足りないのだ? 何が足りないのだ? 何が足りないから、私はなぜこんなに頭を抱えているんだ? 街ゆく人達が魅せる感情が、こんなに歯がゆく、そして難しく、追いつけようとしても追いつけないものだったのか……?


 ――何なんだ? 感情とは……。


 ――何が、足りないというんだ……。私には……。


 たとえ彼が『不廃天才』だとしても、今まで培ってこなかったことを大人になってから学習する。ましてや普通の人ならば培っているそれを一から学習するようなものなのだ。普通ならば思ったことを感情に出して言えばいいことなのだが、それがドクトレィルにはできなかった。


 否――わからないのだ。


 どのようにして顔に出せばいいのか。どのようにして顔にそれを出せばいいのか、わからなかったのだ。あの環境にいたことが悪影響であったのか、ドクトレィルはそのことに対して、人生最初の難所に立たされていたのだ。


 ――……頭の酷使は支障をきたす。一旦頭をすっきりさせよう。

 

 そう思いながら、ドクトレィルは一つため息を零し、老いたコップに手をかけて、そのままもう一口飲もうとした。


 瞬間……。





「――いい加減にしろっ!!」





「――っ!?」


 突然の怒声。


 それを聞いた瞬間、ドクトレィルは飲もうとしていたコーヒーを口から『ブッ!』と吹きそうになったが、さすがにそれはしてはいけないと思ったのか、ごくんっと口に入っていたそれを一気に呑み込んで、目を見開きながら声がした方向を見る。


 その方向にいたのは――一組の男女。しかも若い二人だ。


 金髪のロングヘアーで派手な服装を着ている女性と、茶髪の短髪が似合う筋肉質の男が、何やら口論を繰り広げていた。近くにいた人たちはその光景を見て嫌そうな顔をして、店員も困ったような顔をしていた。


 しかしその二人はそんな視線など気にも留めず、ギャーギャーと騒ぎながらテーブルを叩いたり、怒声を浴びせていた。時には置いていた水が入ったコップを投げつけて水浸しにしたりもしていたが、当人達は怒りをぶつけながらお互い引く気などさらさら見せなかった。


 どころか……、その怒りを相手にぶつけるように、口論を続けていた。


 その口論を見ていたドクトレィルは――無言と無表情のそれでその光景を見ていたが……、今回も観察のつもりで見ていたが。


 今回だけは――違った。


「…………っ!」


 その光景を見て、その感情の表れを見た瞬間、ドクトレィルの心の中が疼いた。


 体中の熱が膨張していくような、背中から溢れ出す汗をきっかけに全身の熱と汗が噴き出すような、楽しいものを見たかのような、そんな感覚。


 今まで正常だった呼吸も荒くなり、口から零れだす唾液も出始め、どくどくと心臓が高鳴るそれを感じ、それをスーツ越しで握りしめて止めようとするドクトレィル。


 しかし……、その時の彼はその体の変化に対して嫌悪を抱いていなかった。むしろ――心地よいような感覚だった。今まで味わったことがないような……。


 高揚感だった。


 ドクトレィルは未だに口論を続けている男女の光景を見つめ、その光景を目に収めながら男女に流れる感情の揺れを観察し、すぐに彼は至った。


 ――なんてことだ! こんなにも簡単なことを、私は気付きもしなかったのか! これもあの環境にいた悪循環の遺産! やはり外は刺激が多すぎる! そして、足りないものを知ることができた!


 ドクトレィルは思う。


 何かが足りないと思っていたそれが何なのか。


 それを順を追って整理するように彼は思い続ける。


 ――この私が『足りない』と思っていたものは……、あの男女が表しているもの……っ! 己の本当の感情を曝け出すこの瞬間っ! この瞬間こそが、感情が最も輝く瞬間っ! この瞬間こそが私が求めていた感情! 如何なる何にも囚われない己の本性! これこそが私が求めていたものなんだっ!





       これが――私が求めている欲求なのだ!





 そうドクトレィルは思い、陰ながらその喧嘩を己の脳内に刻むようにじっと見つめていた。


 興奮しながら傍観して……、彼は男女が織りなす感情のぶつかり合いを好奇心旺盛の子供のような目で――ずっと見つめていた……。



 ◆     ◆



「ひゃっはっは……。ひぃっやっはっはっは……っ」


 Drはそんな昔のことを思い出しながら歩みを進め、口から零れだす力ない笑みを向こうが見えない世界に向けて飛ばしているが、それは虚しく地面に向かって落ちて行く。


 そんな状態でも、Drは笑みを浮かべ、今まで出会ってきた感情の宝庫を思い出しながら、ゆっくりとした動きで階段を下っていく。


 着々と――最下層に向かって、下っていく。


 感情の宝を思い出しつつ、まだ終わっていない己の人生を再生させながら……。


 それから――Drもといドクトレィルは、感情のことに関して狂気的に求めるようになったのは。


 その求めをさらに追及し、その欲求を満たすために、彼は今日(こんにち)まで、生涯を感情に費やそうと誓い、彼は『不廃天才』の名を我が物にしながら数々の偉業を成し遂げ、この偉業を成し遂げている間、彼は気付く。


 これは彼が気付いたことであるので、人それぞれ言い分があることではあるが、それでも彼はあることに気付く。


 感情は心の本音の一部。


 声に出せばその本音が曝け出されるが、感情はその心の本音の一部でもある。そう思ったドクトレィルは、その心に何かしらの変化があれば、何かしらの感情が露になる様なきっかけがあれば、もっと色んな感情が見られるかもしれない。


 そう思ったドクトレィルは、即行動に移した。移すと同時に、一人暮らしをして少しして付き合い始めたアクロマもといアルクレマの母と()()()()で結婚した。


 しかしすぐに離婚をして、数年経った後でコノハもといコリーンの母――コリシャと再婚をしたが、そのコリシャはドクトレィルの本性に気付き、ああはなりたくない。アルクレマの母のようになりたくないと思い、ドクトレィルに楯突いた。


 その際彼の頭に傷をつけたことをきっかけに、体中から噴き出す――マグマのような何かが湧き立ち、ドクトレィルはコリシャの命を奪った。


 奪った後で、彼は己の胸に手を当て、己のぽっかり空いたところから出てきたそれを再度思い出しながら思った。


 これが……、心の底から噴き出た感情……、『怒り』を体感した時、ドクトレィルはコリシャに感謝のそれを奪った後で述べた。何を言ったのかは今となっては思い出せない。しかしそれでも……、心の底から感謝をしたのは今でも鮮明に覚えている。


 その感情を感じ、自分にもこの感情があると確信したドクトレィルは、己の感情を取り戻さんばかりに色んなことをし……、そして、その天才の力を思うが儘に使い、RCにその腕を買われて現在に至っている。


 己の手を赤く、そしてべったりと染めながら、他人の幸せを犠牲にし、己の欲求を何年も、何十年も満たしていった。


 更に言うと、こうなった状況に対して――ドクトレィルは心の底からRCに対して、理事長に対して、CEOに対して感謝をしている。深く会釈をしたいくらい彼は感謝をしている。


 なにせ――こんなにも見たことがない境遇を抱えている人たちがいる世界に、感情が豊か過ぎる世界に閉じ込めてくれたのだ。外の世界よりもより良い質のある刺激を持っている世界閉じ込めてくれたことに対して、ドクトレィルは感謝しかなかったのだ。


「は……はは……っ! ひぃっやっはっはっは……っ! っはっはっはっは!」


 感謝、感謝、本当に感謝しかない。


 そう思いながら、Drは歩みをゆっくりと進め、そして階段の終わりとなったその場所で足を止め、目の前に広がるその風景をまるで神々しく見つめ……、手を広げながらDrは――


 眼鏡越しに涙を流して――老人とは思えないような張り上げるような声を上げて、叫ぶ。


 目の前に広がる鉄の世界。楕円形に上る縦の巨大空間。その中央にそびえ立つ――いいや、色んな銀色の管によって繋がれ、動けない状態になっている岩石の巨大モンスターが仁王立ちの状態で立っていた。


 その巨大さは見上げたとしても顔が見えず、まるで巨大な怪獣と出くわしたかのような大きさだ。全長五十メートルと言っても過言ではないほどの巨体。見た目は重厚そうな鎧を身に纏っているそれであるが、ところどころに苔が生えている岩石の体。


 そんなモンスターを見上げながらDrは叫ぶ。


 いいや――モンスターを見上げているのではない。その世界の空を見上げるように、Drは叫んだのだ。



「これは儂の感情の研究を完遂するために設けられた運命っ! この運命に儂は感謝しかないっ! ミスタートウマ! 儂はお前さんに一生のそれを捧げたいぞっ! このような世界を作り上げ、そしてその世界を儂の手で作らせてくれて、且つ儂をこの世界に閉じ込めてくれて――本っ当に感謝する! おかげで色んな感情を見てきた! 儂の感情もどんどん豊かになってきた! こうなったのも――お前のおかげじゃっっ! ミスタァァァーッッッ! トウマアアアアアアアアァァッッッ!!」



 その叫びを終えたと同時に、Drはけたけたと、げらげらと一人で涙を流しながら哄笑を浮かべる。




 ひぃっやっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!




 その笑いがそのモンスターを拘束している場所に木霊し、階段にも木霊して響いて行く。


 その響きを無視しながら、気にも留めずに――Drは笑い続ける。


 目の前にいるモンスター――『八神』が一体、バトラヴィア帝国を治めている守り神……『土』のガーディアンのことを見上げながら……。

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