PLAY71 BATORAVIA BATTLE LOYAL!Ⅹ(麗奈と白)④
ザァァァァァァァァァッ!
滝のような雨が麗奈の体に向けて落ちていき、彼女の体を濡らし体を冷やしていく。
長髪と服にどんどん浸透していく水分が彼女の体を少しずつ重くしていき、それに比例して彼女の気持ちを重くさせていく。
催促されているかのような気持ちで、麗奈はぼぅ……。と、生気のない目で地面に向かって落ちていく雨のリズムを見る。
ただただぼうっとした目で、彼女は見た……。
頬に残る赤い痣を残し、そこから来る鈍痛を感じながら、麗奈はその雨にうちつけられていた……。
あの時、あの光景の後のことはきれいさっぱり途切れており、覚えていない。どころがごっそり抜け落ちたかのように、記憶が全くない。
思い出せば思い出すほど、恐怖と頭痛の激しさが増す。
だが――麗奈は無意識のうちにある場所に足を踏み入れようとしていた。その場所は――図書館。
白と一緒にいたあの図書館である。
麗奈は茫然としながら、頬の激痛に耐えつつ、ゆっくりとした動作で図書館のドアに手を伸ばす。伸ばして……、そのドアを開けようとした瞬間……。
「麗奈? おいお前……、大丈夫かよっ! どうしたんだそのほっぺ!」
突然声が聞こえた。その声は友達である涼音の声ではない。男の声だ。
声がした方向に目を向けると、麗奈は目に僅かな生気と、今更ながら込み上げてきた恐怖と苦しみのそれを雨と一緒に流しながら、彼女は黒い傘をさして驚いた面持ちでいる彼を見た。
傘を差してきたのは――白。白は麗奈の状態を見て驚きを隠せず駆け寄り、彼女の肩を掴みながら白は聞いた。
「おい大丈夫か? 誰にやられたんだっ? まさかあの野郎か……っ!」
白は麗奈のことを殴った人物が豹田ではなく、あの時麗奈の手を掴んできた男のことを思い浮かべながら怒りを露にして、麗奈から視線を逸らす。
逸らして、苛立ちをむき出しにしながら言う姿を見た麗奈は込み上げてきた恐怖よりも、安心よりも、苦しさよりも先に……。
麗奈は白に抱き着いた。白の胸板に寄りかかるように、麗奈は縋った。
「――っ!? あ、お……っ!」
白はいきなり抱き着いてきた麗奈のことを引きはがそうと、肩を掴む。傘を器用に持ちながら彼は麗奈の細い肩を掴んだ。
だが――、白はその手を止めた。止めて、手から感じ取れるくらい震えて、嗚咽を吐きながら声を漏らしている麗奈のことを見降ろす。
べったりと肌に付く湿った服越しに感じた、麗奈の震え。そして零れる声。その声も雨のせいでかき消されてしまう。しかし白の耳にはその声は届いていた。
それを聞いてか、白は引きはがすことをやめ、麗奈の好きなようにさせた。いうなれば――抱き着く行為を承諾した。の方がいい。
もう濡れて役に立たないかもしれないが、せめてもの優しさとして――白は麗奈の頭上に傘をさす。自分の背中が濡れることを嫌がらず、白はただ……、麗奈のことを思いながら麗奈の好きなようにさせた。
そんな白の優しさを肌で感じ、心で感じた麗奈は、今まで抱いたそれがなんなのか――確信を得た。泣きながら確信を得て、そして自分の気持ちと向き合って、彼女は想う。
――そっか……。そうだったんだ。
――今までわからなかったけど、今まで曖昧で終わらせていたけど……、私はしていたんだ。
――お姉ちゃんや涼ちゃんが憧れていたことに、私は気付かない間にしていたんだ。
――私は、好きになっていたんだ。
――白のことが好きになっていて……、ずっと一緒にいたいって思っていたんだ。
それから、麗奈の記憶ははっきりしている。あの後家に帰ることを拒んでいた麗奈を見た白は、やむなく自分の家に招き入れて一晩泊めた。本当に泊めただけで……、それ以上のことも何もない。ただ泊めただけである。
部屋の構造としては八畳の部屋に簡素なベッドと小さなガラス製のテーブル。骨組みが黒い鉄製でできているものは中央に置かれており、黒いカラーボックス二つに灰色のカーテン。そのボックスの中には本や写真立てがある。写真の映像は笑顔の家族写真だ。
その八畳の部屋と、狭い台所と洗面所。そして玄関と言ったよくあるワンルームマンションの風景を彷彿とさせる。だが、その部屋には白の匂いが所々に漂っており、麗奈の心をどんどんほぐしていく……。
そんな部屋で一泊し、冷静になった麗奈は予め持っていたスマホで帰らなかったことを父と母に告げ、豹田のことについても話した。
母も父も、直哉も奈緒もそれを聞いて、薄々察してはいたが、そこまでいくとは思っていなかったらしく、母と奈緒は電話越しで泣き崩れながら『ごめんね』、『ごめんなさい』を謝罪の言葉を述べていた。
直哉も神妙な音色で『……気付いてやれなくてごめん』と謝罪をした。
父は静かな怒りを込めた音色で『豹田にはこちらからきつく言っておく。だから麗奈。その有栖川君と一回話がしたい。いいかな?』と言った。
それを聞いていた麗奈は、心配する白に気を使いながら言って来てほしいと言うと、白は麗奈が食べれるものを一通りコンビニで買い、それをテーブルに置いた後――白は自宅のドアに鍵をかけて走って行ってしまった。
そんな背中を見つめ、その光景を思い出しながら、麗奈は再度、部屋にある匂いを鼻腔に入れる。
すぅ…………。と部屋の匂いを嗅ぐと、体中にその匂いが染み渡り、麗奈は小さな幸せを噛みしめながら、再度白が寝ていたベッドに横たわる。
――いいにおい……。そう思いながら、麗奈は格の帰りを待っていた……。
それから起きたことを簡潔に話そう。
豹田は事実上退職を言い渡された。そして麗奈に近づくことを禁じられ、豹田は姿をくらました。
どこにいるのかなど、麗奈は知りたくもないし、史郎などしなかった。麗奈は精神的に傷を負ったこともあって、今の時代でよくある『PTSD』を発症してしまった。
その治療のため、彼女はRCが運営しているMCOにログインし、心の療養に専念した。もちろん彼女一人ではない。
父の説得もあってか、麗奈が最も心を許している存在――白と一緒に行動し、麗奈はそんな白と一緒に行動しながら心の傷を少しずつ、本当に少しずつ癒していく。
最も心を許す存在と一緒にいるからか、麗奈の心に光が見え始め、麗奈の顔に笑顔が戻ってきた。麗奈本人もそれに関しては驚いていたし、もっと驚いたのは――白の友達でもあった白船恭也……、キョウヤと出会い、三人はのちに一緒に行動することになる。
ゲームの世界では三人で、現実では涼音と一緒に行動しながら (涼音はVRゲームに興味が全くないので、彼女はプレイしていない)、麗奈は心の傷を少しずつ、少しずつ楽しさと言う薬で治していった。
治しながら麗奈は友に恵まれ、そして白に対してまだ胸に秘めていることを告げようと心に決めていた。
それが――アップデートが起きる三日前。その三日後にその事件が起き、麗奈と白、恭也は逸れ離れになってしまった。それぞれ別の場所に飛ばされ、麗奈はレンとして、ボロボ空中都市のギルドに飛ばされてしまった。
その時数百人の中にレンは戸惑いながらあたりを見回し、一刻も早く白――ハクシュダやキョウヤと合流しようとした時……、レンはそのとき偶然鉢合わせたノゥマと行動することになった。
ノゥマ曰く――
「一人はもうつまんないし、二人になったら確か……、知恵が二つになるとか。そう言った諺日本にあるよね? だから一緒に行動しよう?」
ということで、ノゥマの提案にレンは、ほっと胸を撫で下ろしながら彼に――否。この場合は彼女と言ったほうがいいであろう。
彼女に向けて、レンは笑みを零しながら告げた。
「ふふ……。それはきっと『三人揃えば文殊の知恵』だね。こちらこそ喜んで、一緒に行動しよう」
その言葉を聞いたノゥマは、レンの手を握って、二人は共に行動をし、それから砂の国でボジョレヲとセスタと出会い、アクアカレンと出会い……、楽しい時間に心を埋め尽くしていき……。
ハクシュダと目が合い、キョウヤと再会して……。
現在――彼女は恐怖のどん底に陥っていた。楽しい記憶が洗い流されてしまったかのように、恐怖で埋め尽くされながら、レンはレパーダから逃げようと、奮起していた………。
長い長い東大寺麗奈の回想――終了。
◆ ◆
そして現在。
「いやだぁ……っ! いやだぁっっ! 離して……っ! 離してぇ!」
「いいえ離しませんよ。麗奈お嬢様。あなたにはきっちりと話をつけたいと思っていたのですからね」
「やだ……っ! やだぁ! やだやだやだぁっっ!」
レンはレパーダの言葉を耳にし、その声を聞きたくないといわんばかりに足をばたつかせて、レパーダの拘束から逃れようと必死に足掻く。
髪の毛を掴まれているせいで、毛根から悲鳴が聞こえる。プチプチと言う音が二人の耳に届いたが、そんなのお構いなしに、レンは逃げようと必死になる。
そんな光景を見降ろしていたレパーダは、溜息交じりの言葉を吐きながら首を横に振るう。
なぜこうなってしまったのか、なぜこのように腑抜けてしまったのか。それに頭を悩ませながら、レパーダはレンに向けて言葉を発する。
彼女からしてみれば、存在自体が怖いそれであるにも関わらず、レパーダはそんなことなどお構いなしに言葉を発したのだ。
「麗奈お嬢様――そのように暴れないでください。もう手遅れなんですよ? あなたの敗北。そしてあの少年の死……、あ、いえ――ログアウトですね。もうそれは決まっております。もう観念してください」
「やだやだやだ! まだ終わっていない! まだ恭也君は生きているっ! まだ私……、白に会っていない! 会うまで……、諦めたくないっ!」
恐怖に縛られ、屈服されそうになっているレンだったが、彼女は一抹の希望を抱きながら足掻いていた。それは――ただ一つの願い。
ハクシュダに会う。白に会う。それだけを胸に、彼女は抗い、そしてレパーダから距離をとろうとした。
もう彼女もただ怯えているだけの彼女ではない。心に傷を負ったとしても、彼女はその恐怖に打ち勝とうと必死になっているのだ。ただただ必死になって抗い、白に会うために生きる。
目の前にいるレパーダを何とかしよう。それだけを胸に秘めて彼女は頑張っているのだ。
だが、その光景を見ていたレパーダは、無表情の中に隠した怒りをふつふつと沸騰させ、いまだに足掻いているレンのことを見降ろしながら――彼は大きく、大きく……。
舌打ちをした。
そして――
「いい加減になさってくださいお嬢様ぁっ!」
レパーダは声を荒げ、血走った目でレンのことを見降ろしながら前かがみになって彼女のことを見降ろす。その最中――髪をきつく掴みながら、逃げるという選択肢を強制消去させる心理戦を企て行動に移しながら……。
レンはそれを受け、髪の毛から来る痛みに声を上げて動きを止める。眼に溜まっていたそれが地面を濡らし、彼女の今の心境を深く深く物語っていた。
その光景を見ていたレパーダだったが、レパーダは己の悲願を最優先にし、レンの気持ちなどそっちのけで、彼は言った。
レンから聞けば、黒くてどろどろとした音色で――レパーダは言ったのだ。
「そんなわがままではいけませんよぉっ!? あなた様は東大寺家の当主となる存在! 奈那子さまはおっしゃっていました! 『麗奈は逸材だ! 必ず東大寺家を繁栄に導く』と! そしてあのお方は私に託してくれました! 『麗奈を頼む』と! それすなわち――私に託してくれたのです! 東大寺家の繁栄を! そして麗奈さまを完全なる当主に育て上げる! それを私に奈那子さまは託してくれたのです! 一人の執事でもある私に、奈那子さまはぁ! 託してくれたんです! 託してくれたのですから……、私がすべきことはたった一つでしょう? あなた様を立派な当主に育て上げる! それこそが奈那子さまの悲願でもあり私の宿願っ! 現当主様や奈緒さまのような劣等とは違う! あなた様が東大寺家の未来を」
「そんな……、風に……っ! お母さんと、お姉ちゃんを……、悪く言わないで……っ!」
「っ!?」
突然麗奈がレパーダの言葉を遮った。震える声で、彼女はあの時、レパーダに対して恐怖を抱いたあの日の様に、彼女はレパーダの言葉を遮りながら、唇をかみしめて言った。
「お母さんも……、お姉ちゃんも……っ! 東大寺家にとって大切な、存在……っ! なの! おばあちゃんは、確かに……、家のことが大事みたいな、人だった……っ! けど、けどね……っ! 豹田、さん……っ! あの人は……っ! 豹田さんが思っているような人じゃ……、なくなったんだよ……っ!?」
「――っっ! 何をわかったような言い方をしているんだぁああああああああああっっっ!」
レパーダはレンが言ったことに愕然、困惑、そして激昂が入り混じるそれを顔に出しながら、レンの後頭部を掴んで地面に押し付けながら、彼は顔を近付ける。
怒りが入り混じるその黒い顔を、きつく目を閉じて耐え忍んでいるレンに近づけると、彼はその顔の状態のまま麗奈の耳元で、大きな声量で彼は言ったのだ。
「あのお方の何がわかるんですかっ!? ずっとずっと避けていたくせに何を知っていると言うんですかっ!? 奈那子さまのすべてを知っているのですかっ!? 知りませんよねっ!? あなた様はずっとずっと避けてきたのですから、知らないんです! ですからあのお方に関して知ったかぶりは大概にしてくださいっ! そしてあなたたちが勝つという選択肢はもう消えたのです! 見たでしょう!? あの蜥蜴の男が倒れる姿を! そしてあなたが望んでいるその白と言う男は――ここには来ませんよ! 私達『バロックワーズ』の仲間なんですから! 敵なんですから来ませんっ!」
「くる……っ! 来るよ……っ! 来るから……っ! 諦めないっ! だって、まだ白に伝えていないことがあるもん……っ! それを伝えるまでは諦めたくない……っ! 絶対に、会うんだから……っ!」
「伝えていないこと――ですか…………。やはり! やはりそうですか!」
レパーダはレンの言葉を聞いて発覚したのか、血走った目を歪ませ鋭い弧を口元で描くと、レンの耳元に口元を寄せながら彼は鼓膜が破裂してしまうのではないかと言うくらいの声量で、彼は言った。
「麗奈お嬢様――あなたが何を隠していたのか、私は気付きましたよ。ここに来てから、『バロックワーズ』に入ってから、彼と出会ってから! 私は気付きました! あの時お嬢様が隠したかったことが一体なんなのかを! お嬢様――あなた」
有栖川白に焦がれていますね。
その言葉を聞いた瞬間、レンの心がひどく恐怖で高鳴り、見たくないはずだったレパーダの顔を見ながら、レンは驚愕に顔を染める。
その顔を見たレパーダはその顔が正解と言うことを呑みつつ、レンの心を崩すように、彼は畳み掛ける。
思い入れ、未練、感情など一切合切なくすように、彼はレンを壊しにかかる。
レンの興味を前のように当主修行にだけ向けるように、それだけを生き甲斐にさせるように彼は言った。
黒くドロドロとした音色と笑み、そして空気と、僅かに込み上げて来る怒りを醸し出しながら彼は言った。
「やはりそうでしたか……っ! お嬢様、なぜあのような輩がいいのですかっ!? あなたには東大寺家にふさわしい婿養子がいます! その候補がいるというのに……! なぜあなた様はあのような輩に心をいとも簡単に奪われるのですかっ! あなた様は東大寺家の逸材! それを穢す輩は即座に排除しなければいけませんっ!」
まるで――悪いことをした子供をしかりつける大人のように怒鳴り散らすレパーダ。
しかしそれを聞いていたレンは、押し付けられる圧迫に耐えるように、腕の力で押し出しながらレンは言う。
レパーダの言葉に対して怒りを覚えながら、レンは叫んだ。
「逸材逸材って……っ! 私は……、ものじゃない! 逸材だからって、お姉ちゃんやお兄ちゃんはちゃんと愛する人と結婚した! 涼ちゃんだって好きな人と彼氏になりたいって言っていた……っ! 私だって、好きな人と結婚して……、ウェディングドレス着たい……っ! その気持ちが何でダメなの……っ!? なんで私だけが駄目なの……っ!? 私の――勝手でしょっ!」
「勝手も何もございませんよっ!? あなた様は特別なのです! 孫所そこらにいる輩とは違うんです! あなたは東大寺家を動かす存在なのです! 希少と言っても過言ではないのですよ!」
「違う……! 私は、麗奈……! 私は麗奈! ただの麗奈! お母さんは言っていた……っ! 『お空を飛んでいる鳥の色が違っていても……、みんな同じ空を自由に飛んでいる……! それは私達も同じ……っ! みんな違う。一人だけ特別なんていない……っ! みんな一緒なんだって……!』そう言っていた! おばあちゃんだってそう思っていたかもしれない……っ! 今は分からないけど、きっとそう思っていた時だってあった……っ! だから私は……、豹田さんが思っているような、『特別な私』じゃない! 私は――ただの麗奈! だよぉ……っ!」
「~~~~~っっっっっ!!」
レンの言葉に、レパーダはビキビキと顔中に血管を浮き上がらせながら怒りを露にしていく。
だが、これはレパーダにとってすれば当たり前かもしれない。
レパーダは奈那子と言う存在に心酔している。それは話したかもしれないが、それは逆を表すと、彼女の言葉に反することは――忠誠を誓っている彼にとってすれば最大の侮辱なのだ。
だからレパーダは、レンに対して怒りを覚えた。
覚えたからこそ、レパーダはもがいているレンの首根っこを反対の手で掴み、そのまま地面に押し付けるように力を込めていく。
「――ひゅぅ!」
レンの喉から詰まったような声が奏でられ、彼女の気道を狭める。
その光景を見て、そしてレパーダは一旦レンの耳元から顔を離して、彼は深く深呼吸をしながら怒りを抑え込む。
――落ち着け、豹田。私はお嬢様のために、奈那子さまのために東大寺家の未来を導かなければいけないのです。落ち着きなさい。
――強情に言ってはいるが、麗奈お嬢様は結局は子供。精神的に半人前。あの言葉を放てば……、麗奈お嬢様もあきらめて負けを認めてくれる。
そう思ったレパーダは、小さくふぅっと息を吐き、落ち着きを取り戻しながら彼はレンの後頭部を見ながら言う。
先ほどの怒りとは裏腹のひどく落ち着いた音色で、彼は言ったのだ。
レンがすぐに諦めてくれるような、鈍痛――否。この場合は即死のような言葉を、彼はかけた。
「ただの麗奈。ですか……。そう思うのでしたらそれでいいです。あなたの思考を変えたのはその有栖川白と言う男でしょう。柳並涼音はさほどの効果などない。なので麗奈お嬢様。あなたにとってすれば……、有栖川白はあなたの精神の要。支え。でもね……。当の本人はそう思っていません」
「え?」
レパーダの言葉にレンは目を見開き、瞳孔に宿っていた光をどんどん失っていきながらレンは言葉を漏らす。
すでに首を絞めるような圧迫はない。後頭部の押し付けもない。しかし――レンは上にいるレパーダのことを振り払わず、ただただ呆然としながら、地面をじっと見つめていた。
そんなレンの行動と声を聞いたレパーダは、にやりと狂気の笑みを浮かべながら、彼は畳み掛けるようにして言う。
「ええ。そうです。当の本人はあなた様に好意など一切抱いておりません。ただの弱い女。友達です。そんな一方的な想いを相手にぶつけるという行い。果たして……、有栖川白はそれを望んでいるのでしょうか?」
レンは言わない。しかしレパーダは言う。ガンガンと――言葉の岩を投げつけながら、彼は言う。
「望んでいません! 私は――聞きました!」
「う……う」
「嘘! ではありませんよ! あなたと有栖川白は――もともと不釣り合いな存在です。東大寺家と有栖川家は不釣り合いな存在。もともと交わらない存在! それがただの出来事で一時的に繋がっただけの――浅はかな因果なのですっ! そんないつ切れてもおかしくない因果に囚われていてはいけません! それは有栖川白も理解しています! ゆえに彼は言っていましたよぉっ?」
茫然と、どんどんと目の光を失っていくレンをしり目に、レパーダは彼女のことをじっと見降ろし、下劣に笑みを浮かべながら彼は言った。
内心、こう思いながら……。
――これで、麗奈お嬢様は未練なく当主として人生を全うする。
――奈那子さまの悲願が……、やっと、やっと成就される! その成就に近付くことができる!
――私の勝ちだ!!
「――『もうあいつとは関わらない』って、はっきりと、きっぱりと言っていましたよぉっっっ!」
◆ ◆
その言葉が、辺りに響き渡った。刹那だった――
――ひゅるんっっっ!
何かが空気を切る音が聞こえた。それもレパーダの耳元で、それは聞こえた。
それを聞いたレパーダは、はっとして音がした横を見ようと振り向こうとした。本当に、少し首を動かした瞬間、彼は己の首元に違和感を覚えた。
「――っ! あ、がぁぐっっ!」
レパーダは喉を詰まらせたかのような声を上げ、そして己の違和感となっている首元に手を近付け、その違和感を取り除こうと首の肉に指を食い込ませる。
がりがりと、まるで背中を掻くように、彼はそれに指を引っかけようとした。
――なんだっ!? この圧迫は! なんだ!? どうなっている! どうなって……っ! これは……っ!
レパーダは己のみに起きている現状を把握し、自分の首に巻き付いているそれが何なのかを理解した。
それ――と言うのは、レパーダの首に巻き付いている透明なワイヤーだった。
幸い、絶命するような強さではないが故、呼吸もかろうじてできる。
しかし急な圧迫に驚いたレパーダは一刻も早く解こうと必死になる。レンの髪から手を離し、両手でそれを引きはがそうとしながら。
「あ! がぁ! ぐぅ……っ! うぅ! があああっ!」
レパーダは叫ぶ。叫ぶ。叫びながらごろんっと後ろに向かって転がり、そのまま地面をごろんごろんっと転がってのたうち回る。首に巻くきついているそれを引きはがそうとしながら――彼は足掻く。
――なぜこのワイヤーがっ!? しかも私の首元に!
――こんなことありえないっ! あいつはここには来れないはずだ!
――接触を避けるためにわざわざここを選び、あの場所を選ばせた! なのになぜこのワイヤーがっ!
困惑が入り混じりながら、彼はワイヤーから逃れようと必死になって足をばたつかせ、首元に食い込む指を強くする。
すると――
「――っ!?」
レパーダは驚きで目を丸くした。当たり前ではあるが、レパーダにとってすればありえないような事態がこの時訪れたのだ。
彼の右横を通り過ぎる赤黒い何か。それを見たレパーダははっとして、仰向けになった状態で顔だけを上げて、状況を把握しようとした時には――遅かった。
その人物はレパーダが押さえつけていたレンを横に抱えて、そのままレパーダから距離をとって走っていた。そしてある程度のところでその加速に急ブレーキをかける。
ぎぎっ! と、靴底を使って速度を落としつつ、レンを抱えている反対の手の――左手の人差し指と親指をくぃっ! と折り曲げ、更には中指と薬指、小指を遅れてくぃ! と、折り曲げる。
瞬間――
「――! ぷはぁっ!」
レパーダの気道が正常に確保される。首元から『しゅるんっ!』と言う音も聞こえた。
と同時に――少し離れて倒れていたキョウヤが何かによって引き寄せられるように、宙を浮き、弧を描きながらレン達のところに引っ張られていく。
その光景を見たレパーダは、はっと気を呑みながら引っ張られていくキョウヤを目で追い、そのまま近くに下ろされたキョウヤと、地面にそっと下されたレン。そして――目の前にいる人物を見て、彼は起き上がって地面に膝をつけながら、唸る。
「ぐぅううううっっっ! なぜ、ここに来たんだ……っ! なぜここに来て、私に対して敵意を向けたんだ……っ!」
レパーダは唸りながら、ぎりぎりと歯軋りをして言う。
薄紫色の癖がひどく、ぼさついている髪で前髪に一部が少し長い。服装はボロボロだが汚れていない灰色のローブに、赤黒いズボンにブーツ。両手首には重そうな機械をつけて、それと連結されているのか指先に固そうな指嵌めをつけている。黒いバツ印の仮面をつけた白いバングルをつけた男に向けてレパーダは怒鳴った。
現在は仲間ではあるが、今はもっとも会いたくない人物に向けて――彼は怒鳴った。
「なぜここに来たんだ――! なぜおまえがここにいるんだっ! 答えろ――ハクシュダッッ!」
そんなレパーダの言葉を聞いていた仮面の男――ハクシュダは仮面越しで目を細め、怒りを露にしながら彼は立つ。
背後で尻餅をついて、ハクシュダのことを見上げながら茫然としているレンのことを守るように。
未だに倒れてはいるがかろうじて息をして、かろうじて動ける体を少しずつ動かしながら立ち上がろうとしているキョウヤを守るように。
ハクシュダは――静かにレパーダのことを睨みつけていた。




