PLAY71 BATORAVIA BATTLE LOYAL!Ⅹ(麗奈と白)①
――なんだこれ。
体中の激痛を体感し、所々から膨れ上がる体温を感じながらキョウヤは思った。思いながら彼は自分の右腕に突き刺さっている矢を見て彼は目を疑う。
全てに於いて黒く、鉄のように冷たい矢を見て、じくじくと信号を鳴らして赤いそれを流しているその手を見ながら彼は思った。
――マジかよ……。なんでこうなっているんだ? てか、なんで矢が? つか……、左肩も左膝も……尻尾も痛ぇ……っ!
そう思いながらキョウヤは体に違和感を覚えつつ……、冷静に思考を巡らせ、痛みを緩和させながら激痛が集中している所に目をやる。
目をやり、自分が一体どのような現状になっているのかを知ろうとした。
「キョ――、く――! だい――! し――っ! ねぇ――! キョウ――! き――っ!?」
遠くからレンの叫びが聞こえる。
「………、は………! はは………! はは……は! は……!」
近くでレパーダの声が聞こえる。
しかしそれでもさえも朧気で、何を言っているのかよくわからなかった。
だからキョウヤは、今起きている状況を目で確認しようとしたのだ。
未だに健全である目で、彼は確認しようとしたのだ。
キョウヤ自身、ここまで大怪我を負うことはなかった。
今までは己が持っている力を使って防いだり、圧勝完勝したりしていたので、事実上怪我をしたのはこれが初めてかもしれない。そうキョウヤは思っている。
そしてその怪我で大袈裟に驚くほど、彼は慌てていなかった。
逆に彼は冷静になって対処しようと、激痛に苦しんでいる体に鞭を撃って対処しようとした。
「っ! う、ぐぅううっっ!」
唸るキョウヤ。顔中から出る脂汗が嫌にべたつく。それが心底嫌だったが、キョウヤはそれを無理にでも無視して激痛の中心に目をやろうとした。
目をやろうとし、突き刺さっている箇所に目を通す。
右腕、左肩、左足の膝のところに突き刺さっている矢を、ぶるぶると震える視界の中で……、目だけで見るキョウヤ。
「……くっ。ぐぅ……、あ、ぐぅ……、いうぎぃ……っ! いぃ……っ!」
その箇所は三つとも深く突き刺さっており、いうなれば串刺しの状態になっていた。
それを見てキョウヤはどんどん思考も視界もぼやけていく世界の中……、最後の激痛の箇所でもある尻尾を見た瞬間、彼は己の体に起きた違和感に気付いた。
尻尾を見た瞬間……、キョウヤは言葉を零した……。
愕然とした面持ちで、彼は目を見開いた。
尻尾に突き刺さっている矢は他と同様に貫通しているが、その矢だけは地面に深く突き刺さっており、まるで杭を打ち付けられたかのようになっているそれを見て、キョウヤは愕然としたのだ。
――体が動けねえ違和感はこれの所為かよ! くそっ! 貫通して突き刺さって、あろうことか動けねえとか……、マジでありえねえって!
そう思いながら、キョウヤは怒りを露にするように口を開いて、言葉を発した。
「うそ……ひゃろ……っ? っ!?」
だが己の滑舌の異常を察知し、左手で口元を押さえつけながらキョウヤは驚きに顔を染め……。
「あ、が」
と、言葉を零すと同時に、キョウヤはそのまま薄暗くなる視界の中――意識を手放し……、横に傾きながら……。
「――恭也君っっっ!!」
レンの甲高く、そして悲痛な声が貯蓄庫エリアに広がった。
しかし、その声はキョウヤには届かない。
キョウヤはその声を聞くことはおろか、それを聞く前に意識を手放し、膝から崩れ落ちて――『どさり』と倒れてしまったのだ。
それを見てレンは『強固盾』の中からキョウヤに向かって叫ぶ。叫ぶ――叫びまくる。
「恭也君っ! ねぇ! 恭也君! 起きてよ恭也君! いつもの凄さはどうしたのっ!? 起きてっ。お願いっ! どうしたのっ? 恭也君……っ!」
レンは叫んだ。無意味と言われてもそれしかできない。それしかできないから彼女は叫んだ。
叫ぶその光景を見て、卑劣と狂気が入り混じった笑みを浮かべて肩を震わせているレパーダを無視しながら彼女は叫び、そして思う。
――どうして……っ!? さっきまでこんなことなかった! 恭也君が勝つと思っていた……っ! なのに突然こうなった……っ!
――恭也君が攻撃しようとした瞬間、上から矢が……。
「………矢? ――っ!」
と思った瞬間、彼女はすぐに行動に移した。もうタネは分かっているのに。そう思いながら……、レンはすぐに矢が飛んできた方向に目を向ける。向けて、彼女は息を呑みながらその光景を凝視してしまう。
凝視して――彼女は……、「うそ、でしょ……っ!?」と、自分が発動した『強固盾』の中で、彼女はその光景を愕然とした面持ちで、青ざめた顔で見上げてしまった。
レンが見た光景――それは……。
貯蓄庫の屋根に隠れていたのか、四人のバトラヴィア帝国の兵士がキョウヤに向けて金属質の銃口を向けていたのだ。その銃口からは黒い矢の先が顔を出している。それを見たレンはすぐに気づいた。
あれが――キョウヤをこんな風にしたものだと。こんな風にした元凶なのだと。そう思った瞬間だった。
「よくやった! これで後が楽になる! 感謝するぞ!」
レパーダは突然大声を上げながらよろめきつつ立ち上がった。キョウヤによって傷つき、折れてしまった右脇腹を押さえつけながら、彼は立ち上がり、貯蓄庫の上にいる兵士四人に向かって叫んだ。
それを聞いたレンの驚きをしり目に、一人の兵士がレパーダに向かって――
「あ、ああ。だがこれ以上の助太刀はしないぞ。ルール上これは反則なんだからな」
と言うと、それを聞いたレパーダは肩を竦めて目をすっと閉じてから彼は「ああ、そこは分かっているさ」と言いつつ、彼は続けてこう言う。
「でもセシリなんとかと言う女も奴隷を使って戦おうとしていた。これもれっきとした反則じゃないのか? なら俺だってしてもいいじゃないか。それに――お前達だってこの方がいいんじゃないのか? 反逆者がいなくなって、帝国も安息が戻ってくるんだ」
「そ、それは……」
「ああ、でも――もう必要ない。更に言うと――俺は麗奈お嬢様とお話がしたいんだ」
と言った瞬間だった。
レパーダは手に持っている『KILLER』を、貯蓄庫にいる兵士四人に銃口を向ける。その光景を見ていた兵士四人は「「「「へ?」」」」と、呆けた声を出して首を傾げていたが、レンはその光景を見て思わず目をきつく閉じる。
ぎゅっと目を閉じて、レパーダが絶対にするであろうことから目を逸らすために、彼女はきつく、きつく目を閉じた。
閉じると同時に――レンの耳に響き渡ったのは……。
――ばんばんばんばんっ!
「ぎゃぁ!」
「あぎゃぁっ!」
「い、いでえええええっっ!」
「ひぃいいいいっっ! あ、あぐぅうううっ!?」
四つの銃声。そして……、四人の兵士の悲痛に満ちた声。そして呻き声。のたうち回る声がレンの心を傷つけていく。レパーダの行いが、彼女の心をへし折っていく。
「っ!」
その声を聞きながら、レンは肩を震わせる。
何もできない自分に苛立ちを覚えるが、できないという矛盾を感じながら、彼女はその声から目を逸らすように……、きつく、きつく目を閉じる。閉じて……、『回復』のスキルをかけることもできずにいた。
……もし、この場にハンナがいれば、彼女はすぐにでも兵士たちに向けて『回復』スキルをかけていたかもしれない。ハンナは見た目に反して他人の安否に関しては極度に敏感である。怪我をしているのであれなその人を優先にスキルをかける。
傷つくところを見たくないという彼女の意思がそうさせているのだが……、レンはそこまでできた大人ではない。できた人間ではない。
レンはこの時――ハンナのように他人を優先にする余裕などなかった。レパーダのせいで、彼女の心に余裕は消え去っていたのだ。
キョウヤがいれば、少しばかりは心に余裕があった。しかし今は全くない。張り詰めるそれを抑え込むことで必死になっていた。だから、兵士を助ける余裕などなく、その声を聞くだけで精一杯だった。
「いでぇ! いでぇって!」
「なんで、なんで撃ったんだっ!?」
「協力したのに、こんなのあんまりだっ!」
「畜生……っ! 畜生……! 畜生めが! 帝王の恩を仇で返すかのように撃ちやがって――このままで済むと」
「あーあーあー。うるさいな。撃ったくらいでいちいち騒ぐな。生きているんだからいいだろうが」
兵士の声をかき消すようにレパーダの声がどんどん大きくなって聞こえてくる。
ついでに足音も大きく聞こえてきて、レンの耳に深く深くその声と音が記憶に刻まれ、脳のしわとして残っていく。
――聞きたくないのに、会いたくなかったのに……っ! なんで、こんなことに……っ!
そう拒絶しながらレンは思い出す。
最も思い出したくない記憶を脳裏中に映し出し、フラッシュバックのように映し出されるそれを消そうと頭を振りながら、レンは思った。消そうとした。
ぶんぶんっと頭を振って、レンはその記憶を一時的に消去しようと奮起した。
――忘れて! 忘れて! 忘れて! 忘れてっ!
そう思って首を横に振っていると……。突然危機は訪れた。
――バンバンバンッッ! と言う発砲音が聞こえたと同時に、『ばきんっ! パリンッ! バリンッ!』と言う音が、レンが放っていた『強固盾』から大きく響く。
三つの罅割れた音が彼女の耳に届くと同時に、レンは「ひぃ……っ!」と言う驚きの声を上げると目を開けた。
真っ暗な世界からクリアな視界になる世界。その世界を見た瞬間、レンは、言葉を失った。
失って、その光景を目に焼き付けた。
彼女の目に映った言葉を失う光景――それは……、彼女が放っていた『強固盾』に、三つの小さな穴が開いていたのだ。よくある窓に銃弾の跡が残っているかのような跡が残っていたのだ。
「…………………っっ!? えっ!?」
レンは困惑して、その『強固盾』の穴を凝視する。
凝視しながらレンは困惑――なぜ穴が開くのか。『盾』スキルでも、物理的に硬い強度を誇っている『強固盾』に穴が開くなんて、ありえない。そう思いながらレンは言葉を零す。震える口で、言葉を零した。
「な、なんで……。こんなことに……なって」
「それはですねぇ」
レンの困惑の声に返答したかのように、レンの背後から声が聞こえた。キョウヤではない――レパーダの声が、不気味に、耳元で囁かれているかのように聞こえてきた。
レンの耳元で――レパーダは不気味に囁きながらこう言った。
「あのような事態になってから、ゲーム上のシステムが変わったらしいんですよ。前まではランダムで受けてしまう状態異常も、今となっては全く異なったシステムでかかる確率が上がったり下がったりするんです」
「っ」
レンはその声を聞きながら、震える呼吸を押さえながらレパーダの声を聞いてしまう。
聞きたくないのに、彼女はそれを聞いてしまう。レパーダは続けてこう言った。レンの肩に己の手を『ずるり……』と乗せながら、何かがべたついているかのような手の乗せ方をしつつ、不気味な微笑みを刻んで、囁く……。
「それは――神力。モルグの中にある神力が、状態異常付加率とスキルの成功率と発動効果を揺らすんです。低ければ低いほど揺れも激しく、そしてスキルの強度も高価も薄れてしまう。もちろん、状態異常の付加率も上がり、付加強化の付加率も大きく下がってしまいます。運と並列している『窃盗』も、神力が高ければ成功など無に等しくなります」
「……………………………………っ。あ、ひ」
「それは――麗奈お嬢様の『盾』スキルもそうなのです。神力が低ければ低いほど、強度も岩から紙程度のそれになってしまいます。まぁお嬢様は心が未熟すぎるが故、今の状態はいうなればティッシュ程度でしょうね。いとも簡単に――砕けました」
「あ、ああ……、あああああっ」
レンはその言葉が脳の皺に刻まれず、恐怖だけに支配されながら声を震わせ、体を震わせた。
恐怖に顔を染め上げているレンとは対照的に――レパーダは不気味に微笑んで、レンのことを離さんばかりにぎっちりと肩を掴む。
――ぎりりっ。と……、指が肩の肉に食い込むくらい、彼はレンの肩を掴む。痛みが伴うくらい、彼はレンの肩を掴んで、そして耳元に近くにあった唇を更に近付けながら、彼は言った。
不気味な笑みと共に、彼は言った。
「――やはり、麗奈お嬢様はまだまだお未熟ですね。これでは当主として自立することは到底不可能です。あのお方のように――奈那子さまのような当主様になっていただかないと」
「――いやぁあああああああああっっっ!」
レンは青ざめた顔で絶叫し、背後にいるであろうレパーダを手で振り払いながら彼女は背後を振り向き、後ずさりをする。
後ずさりをした瞬間、レンの背に罅割れた『強固盾』が当たり、そのまま『強固盾』はいとも簡単に砕け散ってしまう。『バリン』と――冷たく悲痛なそれを鳴らしながら……。
「あ、わ。きゃっ!」
レンは突然無くなってしまった『強固盾』に驚きながら、背後に持たれようとしていたからか彼女は後ろに向かってバランスを崩し――そのまま尻餅をついて倒れてしまう。
ドテンッ。と、転びながら彼女は背後にいたであろうレパーダのことを見ると……、レパーダはそんなレンのことを見て「はははははっ」と優雅さと不気味さが合わさった哄笑を上げながら、つかつかとレンに向かって近付く。
背に手を組んで、レンとの距離を詰めるために、彼は近付く。
対照的に、レンは顔中を青く染め、がくがくと震える体を無理矢理鼓舞させながら……尻餅をついた状態で後ずさりをしながら距離をとる。
あまりの恐怖に腰を抜かしてしまい、立つことができなくなってしまったレン。
『ひゅっ。ひゅっ』と言う声と共に、彼女は震える声で言葉を紡ごうとするが、それもできない。
――なんで、そんなに遠くにいるのっ? さっき触っていなかったっ? 私の肩を掴んでいなかったっ? なんでそんな遠くにいて、なんで私に近づこうとしているのっ? やめて! 来ないで――っ! 来ないでよぉっ!
「あ、ひっ! あ、あぅ……っ! ああああ……っっっ!」
そんなことを切実に願い、そして困惑しながら、彼女はへたり込んだ状態で後ずさりをする。
「あははは。なんともお労しい。しかしそれは己の甘えの結果ですよ。麗奈お嬢様」
その光景を嘲笑うように見て、ずんずんっとレンとの距離を詰めていくレパーダは、くつくつと喉を鳴らしながらレンのことを見降ろす。
事実として上げるのであれば、彼はレンに触れていない。
ただ彼女が張っていた『強固盾』の外から言葉を発していただけ。ただそれだけなのだが、レンはそれを背後から、耳元で囁かれているかのような状況になっていると――思いこんでしまったのだ。
一種の幻覚だが、これは――レンの恐怖が生み出したまやかし。
否。
彼女の心の傷が生み出してしまったものなのだ。
そんなレンのことを見降ろしながらずんずんと近づいて行くレパーダ。がくがくと震え、目の端に涙をためているレンのことを見て、心底呆れたかのような顔をしながら溜息を吐き――そして彼は言った。
「ふぅ……、なんとも見苦しいものだ。麗奈お嬢様。そのような幼稚な精神状態ではあなた様のお家を継ぐことはできません。奈那子さまも夏未さまも、隆盛さまもこの精神的訓練を経て――」
「お願いだから……っ! 来ないで……っ! 来ないでってばぁ!」
レンは傍らに転がっていた小石に手をやり、それを手に取るとすぐさまレパーダに向けてその石を投げつけた。
ぶんっ! と言う音と共に、レパーダの頬に石が『どんっ』と当たり、石はそのまま地面に向かって落ちて言った。
それを受けたのか、レパーダは突然笑みを消し、無表情と共に無言の状態で足を止めて、レンのことを見降ろす。
じりじりと、石が当たった頬を指で撫でながら、彼はレンのことを見降ろす。冷たい目で、感情などないような目で、彼は見降ろす。
「……………………あ、ご、ごめんなさ」
感情的に動いたレンは、はっと、すぐに自分がした過ちに気付き、青ざめて肩を震わせながら謝罪の言葉をかけようとした。瞬間……。
レパーダはレンのことを睨みつけた。ぎろりと……、恐怖を植え付けるかのような目で、彼はレンのことを見降ろし睨みつけた。
それを見たレンは、甲高い悲鳴を上げて、四つん這いになりながら逃げようとしたが、その前にレパーダの右腕がレンに向かって伸び、そのまま彼女の青い長髪を鷲掴みにして地面に叩きつける。
がんっ! と、大きな音を立てるように、レパーダはレンの顔を地面にこすりつけたのだ。
「あぁっ! くぅ……っ!」
レンは悲痛の叫びを上げ、顔に来た痛みに涙を流して――自分の髪を引きちぎらんばかりに掴んでいるレパーダの手を弱々しく掴む。話し手と言わんばかりに、レパーダの指を引きはがそうとするが、非力な女性と常人の男の腕力。差がありすぎる。
レパーダはそんな無駄に見えるような足掻きをしているレンに向かって、彼は言う。感情など籠っていない。冷たい音色で、冷たい目つきで、レンの髪の毛を強く掴みながら――彼は言った。
「何ですかお嬢様。今の行動は? 今の行動は反抗としてみなしていいのですか? なぜ私は真摯になってあなた様を立派な家族の一員にしようとしているのに、なぜあなた様はそこまで家族の一員になることを拒んでいるのですか?」
「あ、やぁ! 離して……っ! 離してってば……っ! はなしてぇ……っ!」
「あなた様は歴代の当主以上の逸材なのです。奈那子さまがそうおっしゃったのに、なぜあなたは妄想に取り憑かれているのです? そんなことをしても、あなたは幸せにはなりません。そんな小さな妄想よりも、確実に幸せになる現実を受け入れてこそ、あなた様は真の幸せを掴むのです」
「やだ……。やだ……っ! やだやだっ! やだぁ!」
「なぜ――あなた様は東大寺家の命運を背負っているのに、なぜそのことに気付かないのですか? なぜその運命を受け入れないのですかっ?」
「あ、あ、ああああ………。やだぁ……。やだぁっ! 白……っ! 白……! 白ぅ!」
「なぜ――そこまで平凡と言うものに憧れるのですか……っ!? あなた様は、あなた様は――」
レパーダは、どんどん焦りが込み上げてくる目でレンのことを見降ろし、脳裏に浮かぶ厳格そうな老婦人のことを思い出しながら、彼は地面に突っ伏されているレンに向かって――怒鳴りつけた。
子供を叱る時の怒声ではない。私情の怒りしかないそれで、彼はレンに向かって怒鳴った。
「東大寺家初の逸材でもあるあなたが、なぜ平凡と言う人生に憧れるのですかっっっ!」
◆ ◆
レパーダが言うその平凡と言うものは、レンにとって憧れでもあり……、レンをレンにして解き放ってくれる大きな要因。
それは、レンにとって現実の家族の暮らしは――呪縛であり、その呪縛はレパーダが仕掛けたものであった。
なぜそこまでレパーダはレンに対して固執するのか、なぜレパーダはそこまでレンに執着し、そして必死なのか。それは彼の半生と、ある人物の言葉が彼をこのように変えてしまったのだ。
少し短いが、彼の回想を語ろう。
レパーダもとい……、豹田盈は元々、『世界三大富豪』の右翼――東大寺家に代々仕える使用人であった。彼が使えていた東大寺家は、日本にとっても、世界にとっても絶大な力を持っている家柄であった。
『世界三大富豪』
それは言葉通りの意味を成し、世界を揺るがすほどの事業を立ち上げた人物達の総称である。
イギリスの富豪でもあり、セレネがその一族の末裔の左翼クゥエッゼルム家。
アメリカの富豪にして、最も世界を動かす力を有していると云われている核のカフィーセルム家。
そして――日本の大富豪東大寺家。
その東大寺家に使えていた豹田は、心の底からその仕事に対して、初代を雇ってくれた当主――東大寺奈那子に忠誠を誓っていた。
その忠誠は心酔にも近いもので、彼女が言うことは絶対の誓いを心に刻んでいるほど、彼は、奈那子に対して絶対の忠誠心を持っていた。それは――他の使用人が見ても異常と言えるほど……。
ゆえに彼にとっての回想はほんの少ししかない。彼にとって――奈那子の存在がすべてであり、奈那子の言葉が大事な記憶。幼少や学歴など二の次三の次。否――不要物なのだ。
ゆえに彼の回想は短い。
彼にとって――奈那子こそが存在意義で、それ以上のものなどいらないから。
そんな彼に対して、奈那子はあることを言ったのだ。
己の命が消えゆく二日前に、椅子の腰掛け、窓から差し込む光を一望しながら――彼女は豹田に向かって言ったのだ。彼の記憶に残る威厳がある音色ではない。
弱々しく、奈那子らしくない音色で、彼女は言った。
最後の、伝えたい言葉を――言ったのだ。
「豹田。長い間私に使えてくれてありがとう。こんな老いぼれの我儘を聞いてくれて、感謝しかない」
「っ な」
「喋るな。今は私が語っている」
「っ」
奈那子は口を開き、そして言葉を紡ごうとした豹田に対して、静止の喝を入れる。威厳と鋭さが込められた刃の声を立てながら、彼女は豹田を黙らせた。
その言葉を聞いて、豹田は口を噤んでしまう。無意識に、背筋に力が入ってしまう。
それを見ずに、空気で察したのか――奈那子は窓の外を飛ぶ一羽の烏と数羽の白い鳥を目で追いながら……、力なく微笑んでこう言う。
「すまないね。どうもこう言う風に言うことしか、教育されていないから……、怒ったわけじゃないんだ。ただ、最後の老いぼれの言葉に耳を傾けてほしい。そんな我儘を貫きたかっただけなんだ」
許せ。
そう言って奈那子は言う。
彼女らしくない音色で彼女は言ったのだ。
「豹田。私は……、正直なところまだ生きたい。生きたいんだ。人間こう言う時に弱虫になってしまう。私も一人の人間。生きたいって何度も思ったが、もう限界なのかもしれない。限界だから、生きたいって言う願いが叶わなくなったからこそ、豹田。お願いがあるんだ」
奈那子は告げる。
豹田を見ずに、豹田に自分が成しえなかった最後の願いを彼女は告げる。
「――麗奈を、頼むよ」
「――仰せのままに。奈那子さま」
豹田はそれを聞き、奈那子の背に向けて深く、深く頭を下げながら彼は誓う。
「あなた様の悲願、この豹田が成就させましょう。あなた様の望む未来のために――」
その言葉を聞いて奈那子は口を閉じる。閉じて、窓の外を自由に飛び回っている数羽の白い鳥と黒い烏を見ながら、彼女は豹田の言葉に耳を傾ける。
傾け、豹田に己の想いが届いていることを信じながら……、奈那子は生涯を全うした。
それから――豹田はすぐに行動に移した。奈那子の悲願を成就させるために、東大寺家のために彼は動いた。
これが豹田の豹変の原点。
そして――レンこと……、東大寺麗奈の苦しい生活の始まりが始まったのだ。
豹田盈の回想終了。
そして――東大寺麗奈の回想に続く。




