PLAY61 重い話し合い――そして決行前夜⑥
ハンナとセレネの会話を見下ろすように見ていた人物。
その人物達は彼女達の近くにいて、いつも助けてくれる人物――
ヘルナイトとアクアカレン、そしてシノブシであった。
二人はそのテントが建てられている場所から少し離れて、セレネ達のことを見降ろせる高い岩の上に立ちながらその光景をじっと見ていたのだ。
元々は見張り目的でその場所にいたのだが、偶然ハンナとセレネの存在に気付いたアクアカレンが岩の上に座りながらその光景をじっと見ていたのだ。
云うなれば――盗み聞きである。
アクアカレンの異変に気付いたヘルナイトはアクアカレンに「やめろ」と言うのだが、その時セレネの張り詰めるような、突き刺さる様な言葉を聞いて、ヘルナイトはアクアカレンを制止することをやめてしまったのだ。
セレネの口から吐き出される光と闇の言葉。それを聞いたヘルナイトとアクアカレン、そしてそのことについて知っているシノブシは、セレネの言葉に耳を傾けてしまった。
そして――セレネと言う存在がどんな存在なのか、それも知ってしまったのだ。
今まで見せなかった彼女の心の奥はとてつもなく暗くてどろどろとしており――混乱しているかのような泥炭であった。
ねちょねちょとした粘り気を帯び、その中から這い出てこれないような粘り気を感じるヘルナイト。
セレネが抱えている闇は相当深いもので、その闇は大きな光によってかき消されていたので気付かなかったが、彼女が抱えている闇は深く、光も輝きを増している。
復讐と言う闇と――救済という光が大きく主張を始めてぶつかり合っている。
これでは口論に等しい衝撃である。
対になる者同士が相対して、反発し合っている。まるで八大魔祖の光と闇のように、反発し殺し合っている。そうヘルナイトはセレネを見て思った。
「ほぁー……、何じゃろうか……。妾もあんなセレネを見たのは初めてじゃ」
「……そう、なのか」
「そうじゃ! いつも凛々しくて彼女の命令には逆らえんからのっ!」
「後者は関係ないと思うが? そして一人の人間族の言葉に操られているのなら、『12鬼士』の名が泣くぞ」
「ほぁっ!? あ、操られておらんぞっ! 妾は操られておりゃんっっ!」
ヘルナイトの言葉を聞いて、アクアカレンは大袈裟に肩を震わせながら手や足をまるで節足動物のように動かして慌てふためく。
最後の言葉も噛んでしまい、その慌てぶりが更に浮き彫りになってしまった。
ヘルナイトはそれを見て、そしてセレネとハンナが話しているその光景を見ながら彼は言う。
この場所にいるにもかかわらず、この場所にいない――矛盾しているような言葉だがこの言葉があっているその口ぶりで、彼は聞いた。
「シノブシ――聞いてもいいか?」
声はしない。が――ヘルナイトはその返答を聞かずに続けて聞いた。腕を組んで、ヘルナイトはハンナとセレネを見降ろしながらシノブシに向かって聞いたのだ。
「お前は昔からサリアフィア様と、仲がいいアクアカレン以外の輩と交流を深めなかった。それはある種――その者にしか従わない絶対的な忠誠ではあるが、逆にお前はそれ以外の者に対しては無頓着……、敵に対しては相手の心を傷つけることも厭わない様な行為をしていた。そのことに関してクイーンメレブはお前のことをこう言っていた。『サリアフィアの狗』と……」
シノブシは答えない。
アクアカレンはそれを聞いて驚いた顔をして「ほあっ!?」と言うと、彼女は綿綿とヘルナイトを見上げ、そしてヘルナイトの足元を見降ろしながら、彼女はシノブシに対して弁解しようとする。しかしヘルナイトはそんなアクアカレンのことを見降ろし、口元に人差し指を添えながら、彼は静止の合図を送る。
それを見たアクアカレンは驚いた目をして、慌てながらも一旦落ち着いて口に手を添える。内心、疑念を抱きながら……、彼女は団長でもあるヘルナイトの言葉に従った。
ちゃんと己の言葉に従っているアクアカレンを見たヘルナイトは、そのまま視線をハンナとセレネに向けて、特にその視線をセレネに向けながら、彼は聞く。シノブシに聞いた。
「だが……、お前はサリアフィア様とアクアカレン以外の人物に心を開いている。一体何があったんだ? ……と言っても、これは私の興味に等しいことだ。答えたくなかったらそれでもいい」
ヘルナイトは聞く。
シノブシに対して、彼の頑固たるその心を動かしたセレネのことや、そしてバラバラになった後――何があったのか。それを知りたいと思ったヘルナイトは、シノブシに聞いてみたのだ。ちょっとした興味本位であった。
因みにアクアカレンは包み隠さず話した。隠さず話した内容を簡潔にまとめると……。
アクアカレンはあの後みんなと逸れてしまい、そして失意と悲しみに押し潰されてしまった彼女は、現実を受け入れたくなかったのか、虚ろな気持ちのままアズールを彷徨っていると、あるところで魔物の大軍に襲われているレン達と出会い、そしてレン達を助けてから――彼女は現在レン達と一緒に行動している。
最初こそ一人で行動しようと思っていたアクアカレンだったが、魔王族であり敗北してしまった『12鬼士』の一人でもある自分に対し、レン達は手を差し伸べた。
『一人だと危ないかもしれないよ。たとえ魔王族でもまだ子供なんだから、こっちも心細いと思っていたから一緒に行こうよ。それでも嫌なら……、あなたの意見を尊重するよ……』
と、彼等を代表して、レンはアクアカレンに手を差し伸べながら言った。アクアカレンはそれを聞いて、無意識に――否、彼女の心のどこかで求めていたのかもしれない。一人ではない他人がいる空間を求めていたのかもしれない。二百年もの間ずっと、彼女は自分に手を差し伸べてくれる人を探していたのかもしれない。
結論から言うと――アクアカレンはレン達の言葉に頷いて、彼女は今現在の『ローディウィル』と一緒に行動することを心に決めた。
次第にレン達の優しさに心を開き、現実を受け入れながら――現在は普段と変わらない姿でレン達と行動している。そして今の目標として、彼女は自分のことを元に戻してくれたレン達に恩返しをするために、彼女は日夜『ローディウィル』のためにその力を使っている。
アクアカレンはそのことをヘルナイトに自慢げに言い、ヘルナイトはそんな彼女の言葉を聞いて安堵の息を吐いて凛とした声で「よかったな」と声をかけたのだった。
閑話休題。
ヘルナイトはシノブシに聞く。なぜ今までアクアカレンとサリアフィア以外の人物に心を開いているのか。そのことについて聞いてみた。これは賭けに近いものでもあった。
シノブシはあまり言葉を発しようとしない。喋れないわけではないが、彼は極端に口数が少ない時もあれば、たまに、ごくたまに喋る時がある。何故喋らないのか。そのことについてトリッキーマジシャンはシノブシに聞いた。すると彼の口から帰ってきた言葉は――こんな言葉だった。
口は禍の元。
詳しい理由までは聞けなかったが、シノブシは大事な時以外はあまり口を開かないのだ。声を聞くことすらレアなケースともいえるくらいだ。彼の声を聞いたものは『12鬼士』の中でもアクアカレンしか知らない。
ヘルナイトはそれを知った上で、シノブシに聞いてみたが、シノブシは無言のままその場所に居座っている。ヘルナイトは己の足元を見降ろし、そいてふぅっと息を吐きながら彼は思った。
――まぁ。突然こんなことを聞かれたら、すぐには喋らないだろうな……。
そう思いながらヘルナイトはシノブシに向かって「聞かなかったことにしてくれ」と言おうとした。その瞬間――
『何があった……、か。簡単な話だ。己はセレネと出会い、そして彼女のためにこの力を使おうと思った。それだけだ』
「!」
ヘルナイトは驚いて自分の足元を見た。アクアカレンも「ほぁっ!?」と驚いてヘルナイトの足元を見て、仮面の中の目をひん剥かせながら――彼女は声を上げた。
「し……、シノブシが……っ! しゃべった……っ!?」
『………己は唖者ではない。己はただ口数が少ないだけだ。『口は禍の元』だからな』
シノブシの言葉を聞いたアクアカレンは、うっと唸って指先同士を小突き合いながらしょんぼりと項垂れてしまう。ほんの少し唇を尖らせて……。
そんな顔をヘルナイトの影の中から見ていたシノブシは、小さく溜息を吐きながらヘルナイトをを見上げる。話し合いをしている時はセレネの影の中からその話を聞き、そして今はヘルナイトの影の中に潜り込みながら、彼はヘルナイトの問いに答える。
『貴様も、そうだったのだろう? 『終焉の瘴気』に敗れ、そして恩君を失い、己たちは失意のどん底にいた。貴様はどうだったのかはわからないが、己は貴様のように心が強くない。それを思い知らされた。魔王族であり、アズールと恩君を守るべき騎士――『12鬼士』が何たるざまだ。そう己は思い、長い間当てもなくこの世界を彷徨っていた。このまま寿命を迎えればどれだけ楽なのだろうと、何度も何度も思っていたくらいだ。守るものを失い、そして黒星を塗った。『12鬼士』ともあろうものが情けない。そう同胞からも、先代からも言われた気がするが、正直なところ、覚えていないのが事実だ。何もかもを失ったかのような絶望の中、己はある時この砂の地である人物達と出会った。それが――己を己に戻してくれたきっかけだった』
シノブシは言う。それを聞いていたヘルナイトとアクアカレンは、一言も言葉を発さずに、シノブシの言葉に耳を傾けていた。
珍しく聞くシノブシの声は、どことなくいい声をしていたことはヘルナイトだけの秘密である。
『そいつらはこの国の――帝国のやり方に対して不満を抱いていた。奴隷にされそうになったこともあったが、そいつらは――いいや。そのリーダーであるセレネは、いつも他者のことしか考えていないかのように行動していた。没頭していた。その姿を見て、ふと――恩君のことを思い出した。恩君を思い出し、そして己がするべきことを思い出した。今はいない恩君のために、守ろうとしたこの地を『終焉の瘴気』から守るために、己は動いた。動いて、その者達を助けた』
「…………ふ」
ヘルナイトはシノブシの言葉を聞いて、どことなく思い出深いことを思い出しながら、ヘルナイトはほくそ笑んだ。
それを聞いたシノブシは影の中で首を傾げて『………………?』と頭に疑問符を浮かべていたが、ヘルナイトはそんなシノブシの雰囲気を察して「いいやすまん。続けてくれ」と促す。
シノブシはその言葉を聞きながら、彼はヘルナイトの影の中で頷きながら続きを語る。
『助けて、改めて礼を言われた。『ありがとう』とな。その言葉を聞いた己は――己の感情に従い、願い出た。己に命令を下してくれる恩君もいない。ゆえに己には己を動かすものが必要だ。だから己は頼んだ。『お前たちと一緒に行動させてくれ』とな……。我ながら滑稽なことだろう。しかしセレネは己の言葉をすぐに肯定し、そして手を差し伸べてくれた。そして……、『もし私が迷ったり、他人が傷ついたとき、シノブシ。お前の力を借りたい。こんな我儘な私だが、それでもいいか?』と言って、セレネたちと己はそれから行動している。それ以来――己はセレネとセレネの仲間を守るためにそばにいる。仲間たちからもセレネのことを守ってくれと言われているしな。ゆえに己は戦う。セレネを守るために。戦っている。それだけの関係で、それだけの縁だ』
安っぽい縁だろう?
その言葉を聞いて、長い長い言葉を聞いたヘルナイトは、シノブシがいるであろう足元を見て、そしてハンナたちのことを一瞥しながら、互いに笑いあっているようにも見えるその光景を見て、ヘルナイトは言った。
「安っぽくはない。誰かがそう決めたから安っぽいというのは大きな間違いだ。自分が思ってそう行動したのならそれでいいと私は思う。生きとし生けるものは本能のままに動くときもある。その本能に従ったのなら、私は何も言わない」
再び無言になってしまったシノブシ。
そんな彼のことを見降ろしながら、ヘルナイトはふっと微笑んでシノブシがいるであろう足元を見降ろした。そして――
ヘルナイトはセレネ達とは正反対の方向をちらりと見る。見て……、そしてすっと目を細めた。アクアカレンも少し前からその方向を見て、心配そうにその光景を見ていた。
二人が見ているその光景――それは……。
レンとキョウヤが横に並ぶように立ちながら、セレネ達と同じ三日月を見上げている光景である。しかしその表情に笑みなど存在しない。今ある存在は――
不安、そして悲しさだけである。
ヘルナイトはその光景を見て思い出す。キョウヤが仮面の男――ハクに対して言った言葉を。
その言葉の中にあった名前を思い出したヘルナイトは、その二人のことを見守るように、静かにその光景を見降ろしていた……。
◆ ◆
同時刻……。キョウヤとレンは、ハンナとセレネのように大きな三日月を見ながら、話していた。が――その表情はあまりに暗く、そして張り詰めるようなピリピリとした空気が、二人の感情を刺激している。
「なぁレン」
「なに…………?」
キョウヤは張り詰めているような顔で、レンの顔を見ないでレンに聞いた。レンもキョウヤと同じように、後ろで手を組みながら、彼女はキョウヤを見ずに返事をする。
それを聞いたキョウヤは目だけでレンを見る。
レンの顔には不安と悲しさが刻まれているような顔で、眉を下げて少し俯いている。
その光景を見たキョウヤは小さく、本当に小さく溜息を吐きながら、キョウヤは再度大きな三日月を見上げて――こう聞いた。
「なんであそこで嘘をついたんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、レンは後ろで組んでいた手をびくりと動かす。そして、ほんの少し強張ってしまった顔で、キョウヤのことを見ずに大きな三日月を見ながら――彼女は……。
「な、何の話? 私嘘をついたことなんて」
「お前……、見たんだろ? 仮面の男」
「………………………………見て、いないよ」
「嘘だ。お前見たんだろ? ダイヤって人とフォスフォのおっさん…………か? も、見ていたんだぞ。それでお前だけ見ていねえってのはおかしい話だ。見たんだろ? お前も……、あいつを」
「………………ない……っ」
キョウヤの話を聞いていたレンは、後ろで組んでいた手をそっとほどき、そしてそのままその手を前に持って行きながら、彼女は己の胸の前でぐっと、握った手を反対の手で握りしめながら、彼女は言う。
震える声で、言う……。
それを聞いたキョウヤはいてもたってもいられなかったのか、はたまたはレンの言葉に対して、無性に苛立ってしまったのか、彼はレンの方を見ながら声を荒げて叫んだ。
なぜ――そんなことが言えるんだ。そんな気持ちを乗せながら……。
「お前ふざけんなよっ! なんでそんなことが言えるんだよっ! 何見て見ぬふりしてんだよ。見たんだろ? お前も見たんだろうがっ! オレだって見たし話した! あいつは――あの仮面の男は……ハクだった!」
キョウヤの言葉を聞いていたレンは、俯いていたその顔を更に俯かせ、髪で顔を見えなくした後、彼女は震える手で己の耳を塞いだ。
もう聞きたくない。その気持ちが表に出て、体で体現されているかのように、彼女は行動に出した。
それでも、キョウヤは荒げて、自分でも混乱して、そして受け入れたくないような事実を、仮面の男のことをよく知って、そして仮面の男のことを特別な感情で見ている彼女に伝えたくて、キョウヤはらしくない顔で、焦って、苦しんでいるような顔で叫んだ。
キョウヤも受け入れたくなかったのだ。
こんな事実を受け入れたくないという気持ちもあって、キョウヤはレンに伝える。
「レン――お前だって心配なんだろ? オレだって二人のことが心配だったさ! なのになんであんなことになっちまったんだよっ」
「やめて……」
「目を背けんなっ! ハクが何で極悪な『バロックワーズ』に」
「――やめてってばぁっっっ!!」
「っ!」
レンの張り裂けるような叫びを聞いて、キョウヤは驚いて体を震わせてから、己がしてしまったことに対して、罪悪感を抱いた。
己の先日をその身で受けてなのか……、肩を震わせながらじっと耐えているレンを見て、キョウヤは「~~~~~っ!」と唸りながら、頭をがりがりと乱暴に掻いて、キョウヤも俯きながらこう言った。
謝った――の方がいいだろう。
「――わりぃ……、責めるようなことしちまって……。レンだって、受け入れたくねえって思っているのに、わりぃ……」
キョウヤは謝りながら内心こう思って己の愚行を悔やむ。
――何してんだよ……。
――なに八つ当たりしてんだよ……っ!
――ハクがああなっちまって、それで心を痛めているのは……、一番ショックを受けてんのは、レンだろう? なに八つ当たりしちまってんだ……っ! くそっ!
そう思いながら、彼は顔を悔しさと悲しさが混ざった顔で頭をがりがりと掻く。掻いて掻いて、掻きまくってキョウヤは、再度レンに向かって「…………ごめん。八つ当たりしちまって……」と謝る。
それを聞いたレンは、肩を震わせながら首を横に振ってそして「いいよ……、恭也くんだって心配だったもんね……。白のことも、私のことも……」と言って、彼女はすんっと鼻を啜りながら、彼女は俯きながら明るい……、否、無理をしている明るい音色で、彼女はこう言った。
「優しいね――そして強いね。恭也くんは」
その気丈で無理をしている優しさが、逆にキョウヤの心を強く抉ってくる。恭也はそれを聞いて、顔を悲痛に歪ませる。
その顔を見てなのか、それとも限界だったのか……。彼女は肩を震わせながら、水を含んでいるような音色で彼女は言う。誰に問うわけでも、聞いてほしいというわけでもないような言葉で、彼女は独り言をごちった……。
「でも、私にそんな強さはない……。そんな真実を受け入れるような、立ち向かうようなこともできなかった。ただ『違う』って思って……、目を背けていた。あれは白じゃない。白じゃない。白じゃないって思いながら背いてきた。違うって思いながら、きっとそっくりさんだと思いながら言い聞かせていたけど……、恭也くんが来て、そしてフォスフォさんやダイヤさんの話を聞いて、恭也君の話を聞いて……、夢から覚めちゃった……っ。覚めたくなかったのに……、現実って、なんでこんなに残酷なんだろう……。なんで白があんなところにいるんだろうって思って……。どんどん嫌な感情がビリビリ来て……、どんどん苦しくなって、悲しくなってきて……っ! もう何がなんだかわけがわからなくなって……っ! もう、もう……、もう……っ!」
レンは少しずつ、本当に少しずつしゃがんでいく。
己の腕を抱きながら、彼女はしゃがむ。それにつられるように、キョウヤもしゃがむ。そして頭を垂らして、髪をカーテンのように見立てて下ろした状態で、彼女は水を含んで、その水が目から零れだすくらいの悲しさを吐きながら、彼女は言う。否――吐き出す。
ぼろぼろと――スカートにシミを作りながら……、彼女は言う。
「そんなの、こっちが聞きたいよ……っ! なんで、なんで白があんなところにいるのか、なんで白が悪党と一緒にいるのか、全然理解できない……っ! 白は……、頑固で不器用だけど、それでもカッコよくて強くて、曲がったことが大嫌いだったはずなのに、そんな白が格好良かったのに……っ! なのに……、なんでこうなっているのかって聞かれても、わかんないよぉ……っ!」
レンの悲痛で苦しい心の声を聞いたキョウヤは、深い溜息を吐いてから頭をがりがりと掻いて、そしてレンの頭に『ぼすん』っと手を乗せてから、彼は落ち着いた音色でこう言った。
「ああ。わかんねぇ。けれど……、あいつはこんなことを言っていた」
キョウヤは言う。あの時――『デノス』で仮面の男――ハクが言っていた言葉を、レンに向かって伝える。真剣な目で、彼は言った。
「レンのためにここにいるんだって、あいつそんなこと言っていた」
「……………私の、ため?」
キョウヤの言葉を聞いたレンは、ゆっくりと顔を上げる。目には涙をためて、瞬きすれば溜まったそれが頬を伝って零れそうなくらい、彼女はその眼に溜めていた。
そんな目の状態で彼女は、悲痛と苦痛、そして悲しさを合わせたかのような顔をして歪ませながら、彼女はキョウヤのことを見上げると――キョウヤの顔を見て、彼女は震える口で言葉を繋げる。
「なんで私のために、『バロックワーズ』にいるの……? それって、どういうことなの? 私のせいなの?」
「違う。レンのせいじゃねえ」
「じゃぁなんで私のためなの? なんで? どうしてよっ! もう何が何だか意味が分からない……っ! どうしてよぉ……っ! なんでこんなことになっちゃったの……っ? なんで、よぉ……っ! ハクゥ……ッ!」
とうとうせき止めていた感情が爆発してしまい、レンはそのまま顔を手で覆い隠しながら泣き崩れてしまう。肩を震わせながら、彼女はしゃくり声を上げながらボロボロと、ぽたぽたと涙を零す。
キョウヤはそんなレンを見て、自分以上に苦しい思いをしている彼女を見て、そっと右手を差し出して、レンの頭に手をやろうとしたが……、キョウヤは触れる寸前のところで止めて、そして空を彷徨わせながら――その手を引っ込めてしまう。
これは決して、彼が触れたくないと思ったからではない。レンの頭を撫で、そして抱きしめる役はキョウヤではないからだ。その役を担っている人物がするべきなのだ。そうキョウヤは思い、そして――大きな三日月を見上げながら、彼は思う。
その役を担っており、そして彼女と生涯を誓い合っている男のことを思い浮かべながら――彼は心の声で怒声を吐く。
――何してんだよ。お前の役目だろうが……!
――何が……、泣かせねぇだよ。十分泣かせているだろうが……っ!
――次会ったら、一発ぶん殴ってでも連れて帰ってやるからな――白っ!
◆ ◆
夜は更ける。それどれの想いを夜の風に乗せながら――更けていく。
セレネの想い。
レンの苦悩と想い……。そして――
◆ ◆
同時刻――
帝宮の窓から覗く……大きく、そして飲み込まれそうな三日月を見上げている仮面の男ハクシュダ。
ハクシュダはその月を見ながら己の仮面に手をやる。そしてそのまま顔から離して、再度その月を見上げる。
仮面の裏の顔は普通の顔ではないが、少し目つきが鋭く、紺色に彩られる四白眼の目には――火の玉のような模様が浮かんでいた。その眼をすっと伏せながら、彼は思い出す。
『デノス』で再会したキョウヤのことを、そして――一瞬、ほんの一瞬だった、目があってしまったレンのことを思い出しながら……。
怒りでらしくもなく怒鳴っているキョウヤのことを思い出し、そして自分のことを見降ろし、驚き、最後に苦痛に歪められた顔を思い出しながら、ハクシュダはぐっと目をつぶる。
瞑って、そして目を開けてから、右手に収まっているその仮面を見降ろしながら――ハクシュダは小さな声で言う。
「――悪ぃ……。恭也、麗奈」
ハクシュダは小さな声で言う。小さく、小さく――自分の弱音を吐くように、吐きたくない。吐かなかった声を吐いたと同時に――あの男がハクシュダの背後に、音もなく現れた。音もなく現れたと同時に――男はねっとりとした音色で、ハクシュダの耳元で囁く。少し音量を上げた声で囁いた。
「――はぁああくぅうううしゅうううううだあああああくぅうううううんん」
ハクシュダの背後に現れた男――顔中に傷と言う傷をつけて、切傷の痕や縫合された痕を目元に残し、黒いマントで体を覆い、そのマントの中はまるで軍服のような濃い緑色を基準とした服装を着こなし、黒いブーツを履いた、メガネをかけ、借り上げた黒髪が印象的な長身の男性――レパーダは、ハクシュダの両肩に両手をそっと乗せながら、彼はハクシュダの耳元で囁きを続けた。
どろどろと、彼の背後にいるそれがレパーダではなく、黒い液体で体を覆った何かのように感じながら、ハクシュダは彼の言葉に耳を傾ける。傾けたくないが、それさえ聞けば少なくとも――
――レンの命が救われる。
そう言い聞かせながら、彼はレパーダの言葉を聞く。
「いよいよ明日、明日だなぁ……。お前とあのお方との完全決別の日が、明日に迫っている」
「………ああ」
「ちゃんと言うんだぞ? ちゃんと――『お前とはもう永遠に会いたくない。俺の前から消えろ』と、ちゃんと、あのお方の前で言うんだ。いいな?」
「………ああ」
ハクシュダは頷く。頷きたくないが、頷く。そうでもしないと、ハクシュダの返答次第でレンの命が左右されてしまうのだ。ゆえにハクシュダは――従うしかない。従うしか選択がなかったのだ。
レンのために、彼は――嘘をつかないといけないのだ。
「お前とあのお方は釣り合わない。あのお方は東大寺の家を継ぐ者にふさわしい。ふさわしいからこそ、あのお方と結ばれる存在はそれ相応の存在でなければいけない」
お前は――麗奈お嬢様とは結ばれない。
「……わかっている」
レパーダの言葉を聞いたハクシュダは、悲しさを隠すようにその顔に仮面をつけて返事をする。
それを聞いたレパーダは『にっ』と口裂け女のような笑みを浮かべてハクシュダの肩からその手を離し、そして帝宮の暗闇に向かって歩んで闇に溶けて消えていく……。
背後の気配が消えたと同時にハクシュダは握り拳を作り、大きく大きく己を照らす三日月を見ながら憎々しげにこう言葉を零す。
「なんで、こうなっちまったんだ……っ」
◆ ◆
かちり。
時計の針が動く。
それぞれの想いと思惑、そして意思が明日に向かって受け継がれ、そして時が過ぎていく。それぞれの想いを胸に、お互いの想いを胸に――一人一人が歩みを進める。
リヴァイヴ、カルバノグ、ワーベンド、レティシアーヌ、ローディウィル。
バロックワーズ、アクロマ、そしてバトラヴィア帝国『盾』。
それぞれが各々の意思を胸に明日を迎え、そして激突する。
帝国を舞台に、長い長い激闘の一日を迎え、それぞれの想いのためにぶつかる。




