PLAY27 世界(アズール)の動き⑥
私はそっとヘルナイトさんに近付きながら、ユワコクの外の風景を見る。
外は日本の風景そのもので、視界に広がった世界を見て私はなんだ心が高鳴るのを感じた。
だってそのキラキラとした明かりが、まるでお祭りのように見えたから……。
「ハンナ。眠れないのか?」
ふとヘルナイトさんが聞いてきたので、私は見上げながら頷いて――
「ちょっと、寝付けなくて……」と言ってから、私も質問してみた。
「そう言えば……、ヘルナイトさんは寝ないんですか?」
するとヘルナイトさんはその言葉を聞いて少しだけ考えた後、申し訳なさそうな音色でこう言った。
「その、だな……、魔王族は何年も寝なくてもいい一族で、私も例外ではない。かれこれ五百年は寝ていない」
「………眠くないんですか?」
「眠い……と言う概念がないな。ただ体の傷が癒えなくなってきたら寝る。そんな感じだ」
「……癒えるって、どういうことなのかよくわかりません……」
「? 魔王族は普通腕が折れても一日で治る体になっている。それが一週間経っても治らなかったら寝る。どういう仕組みなのかは、正直私もわからない」
ヘルナイトさんの話を聞いて、人間……。じゃない。魔王族の神秘を垣間見た気がした。人体の神秘的な感覚で……。
そんな話を聞いて、ふと肌寒くなったので腕を抱えながら擦っていると……。
ふっと暗くなる。影が私を覆った。
その違和感を感じて見上げると……、そこにいたのは当たり前だけど、ヘルナイトさんはマントを私の肩にかけるようにしゃがんでいた。
それを見て私はなんだか心がこそばゆく感じた。ヘルナイトさんは優しい声で凛とした音色でこう言った。
「寒いのか? 私のマントでよければ……」
と言っているヘルナイトさん。私はそのこそばゆさを感じ、頬に感じる熱を感じていると……、そのぬくもりのおかげで緊張していた気持ちが溶けて行くのを感じた。
それを利用して……意を決してヘルナイトさんに聞いた。
「あの……、ヘルナイトさん」
「? どうした?」
「…………。まだ……。記憶、全部戻っていないんですか?」
……なんとか逆撫でしないように、よくキョウヤさんが言っているオブラートに包むようにして尋ねる私。
それを聞いてヘルナイトさんは一瞬、ほんの一瞬黙ってしまったけど、すぐに「ああ」と言って……。
「まだ完全ではないな」と、申し訳なさそうにして答えた。更に――
「何分その場所に来てから思い出すんだ。早く全てを思い出せば……、ハンナ達にとってしても、その方がいいのだろうな」
まるで自嘲気味に言うその言葉を聞いて、私はぐっと胸の奥が締め付けられる感覚を覚え、マントを持っている手を見た。その手をよく見ると……。
黒いグローブに白銀の鎧。でも……、そのグローブにはいくつもの切り傷。鎧にもあり、すでにボロボロと化している手があった。
その手で……ヘルナイトさんは色んな人を守って、戦って……、傷ついて、苦しんで……、耐えてきた……。
そう私は自分の解釈でそう思った。
違うかもしれないけど……、ヘルナイトさんの性格だ。きっとそうだろう。そう思いながら……私はその手を両手で包み込んだ。
優しく――私からぬくもりを与えるように。
「ハンナ?」
ヘルナイトさんの疑問の声が聞こえた。
でも私はその声を無視 (ごめんなさい) して、その手を取って、自分のところに持って行く。
そのせいで、マントから手を離したヘルナイトさん。でも、背中から腕を回しているので、きっとヘルナイトさんはつらいだろう。体制的に。
そのことを思った私は、一回手を離して、背後にあるヘルナイトさんの腕の下から潜ってからもう一回両手で包むように掴んで、そして、目の前でその手を見た。
「……どうしたんだ?」
ヘルナイトさんが聞く。その音色には、少しだけ戸惑いが見える。
それでも、私はその手をじっと見た。
大きくて、温かくて、ごつごつしているけど……。傷だらけ。
グローブ越しだけど、その凸凹具合がわかるような手触り。
それを感じながら、今度はヘルナイトさんの手と重ねるように、頬にそれをあてる。
片手で包むように、もう片方の手で逃がさないように。
頬に感じる熱を、目を閉じて感じていた私……。
「……一体どうしたんだ?」
あまりに唐突な行動を見て、少し驚きを隠せなくなったヘルナイトさんは、少しだけ戸惑いながら聞いてきた。
私はそれを聞いて、そっと目を開けると、ヘルナイトさんは開いている反対の手で、私の顔を見て、更に驚いた顔をしていた。
ヘルナイトさんはそんな私の顔を見て……頭に手を乗せながら撫でて……心配そうな音色で「何があったんだ? 言ってくれ。力になれるかもしれない」と言ってきた。
それを聞いて、私はその言葉に甘えるように……、ぽつり。ぽつりと……。言葉を紡いだ。
「あの、私気付いたんです……。というか、思い出したというか」
「?」
その言葉に、ヘルナイトさんは首を傾げた。そして私は、小さく、僅かに自分の手が震えたことに気付かないで……。言葉を繋げる。
「私……。家族の記憶が、お父さんやお母さんの記憶が……、全くないんです」
それを聞いてか、ヘルナイトさんは何も言わずに、私の言葉に耳を傾けた。
私はそれをいいことに、言葉をどんどんっと、つなげていく……。
「おばあちゃんとの記憶はあるんですけど、お父さんとお母さんだけ、まったく記憶にないんです。顔も、どんな人だったのかすらわからない。声もわからない。ノイズが邪魔して聞き取れない。見えないんです」
「………………………」
「思い出したいのに、思い出せない。それって、ヘルナイトさんと同じだって思って……、記憶がないってこんなに怖いことだなんて、思わなかったんです。すごく……、そこだけぽっかりと空いている感じがして、怖くて、つらくて……」
すごく、怖かった。
すごく……、苦しかった。
大切なはずの記憶が、無くなっていることに、今まで気づかなかった私も私だけど、思い出そうとするたびに頭が痛い。
そう……。
ヘルナイトさんと同じ……。それが、毎度毎度起きるそれに耐えて……、記憶を取り戻そうと頑張っているんだ。
そう思えば思うほど、記憶がどれだけ大切なのかが、身に染みて……、そして……。
亡くなった時の悲しさと痛みが、胸に沁みた。
「たった一個だけの記憶なのに……、それでも怖いのに……、ヘルナイトさんはその記憶が全くないのに、怖くないのかなって思ったり、苦しくないのかなって思ったりして、どんどんぐちゃぐちゃして……、それで……」
なぜだろう……。目の辺りが熱い。
そして胸が苦しい。心が『痛い』って叫んでいる。
手に力がこもってしまう。その手のぬくもりから離れないように、放さないように、私はヘルナイトさんの手に、しがみついていた。
「……、ずっと、こんなに苦しかったのに……。どうして、人のために戦えるんですか? なぜ、こんなに、傷ついてまで……、戦えるんですか? 記憶がないのに……、なんでそんな風に、優しくできるんですか……? もっと、自分を優先にした方がいい。そう思ってしまいました……。その方が、きっと」
何を言っているのか、よくわからなくなってきた。それくらい、私も混乱していて、苦しくて八つ当たりしてしまったのだろう……。
苦しいはず。怖いはず。痛いはずなのに……。
それでも、私やみんなを守るために、前に出て戦うヘルナイトさん。その背中は頼もしいけど、この傷を、このことを知ってしまった時……、私はどんな顔をしていればいいのか、わからなかった。
ただ、その強さに、妬んでしまっていたのかもしれないけど、それはわからない。
でも、一つだけ。わかったことがあった。ううん。感じたことがあった。
「!」
突然だった。
頭に乗せていた手が、私の後頭部に添えられ、そのままぐっと、ヘルナイトさんは私を抱き寄せて、背中をさすって、頭に置かれた手をポンポンっと、優しく叩いたのだ。
それを感じた私は、アムスノームの前の……、あの腐敗樹の時を思い出した。
あの時も、ヘルナイトさんはこうして、私を慰めて、一緒にいてくれた。
そのぬくもりを感じながら、その鎧の胴体に手を添える。とてもじゃないけど、冷たい。でも……、温かい。そう感じてしまった。
ヘルナイトさんは私を抱き寄せながら、凛とした音色で、私を慰めるような声色でこう言った。
「たしかに、私も、最初は記憶がないとき、不安に駆られた」
「!」
「記憶にない場所。記憶にない人達が私に声をかけ、そして、罵倒したり……、励ましたりしていた。しかしぽっかりと空いてしまった記憶だけは戻らなく、『終焉の瘴気』に負けてから二十年、恐怖で押し潰されそうになっていた」
「……………………………………」
「きっと、ハンナから見て、私はとても頼もしいと思っていたのだろう。記憶がなくても、日常生活に支障がないとは言えど、やはり私も一人の魔王族。最強と謳われたとしても……怖いものくらいはある。それが……、記憶を失った。すべての記憶が。無くなった――これ以上の恐怖は、無いだろう。今だって思い出せないことが怖い」
ヘルナイトさんの声は、いつもと同じ凛とした声。でも……、聞く内容では、想像がつかなかった。
いつも頼もしいヘルナイトさんが、私と同じ気持ちでいたことに……、気が付かなかった。ヘルナイトさんも、怖かったんだ。昔は怖かったんだ。それを聞いて、私ははっとした。
だって、ヘルナイトさんが一生を賭けて守りたかった人のことが、思い出せなかった。
命を懸けて守ろうと誓った人が思い出せない。
それは、私にとっての、お母さんとお父さんが思い出せないのと……、同じだ……。
ううん。それ以上だ。なのに私は……、自分の不安を人に押し付けて……、最低だ。そう私は思った。思って、馬鹿と自分を自分で罵った。
「……ごめんなさい……。私……」
「気にするな。誰にだって、怖いものは必ず一つはある。怖いものがない種族など、この世にはいない」
そう言って、そっと私から離れて――それでも近いところで、ヘルナイトさんは私の頭を撫でる。そのぬくもりと優しさに、私はこそばゆさを感じて身をゆだねていると……。ヘルナイトさんは私の顔を見て……。
「ハンナ」と呼ばれた。
私はヘルナイトさんを見る。ヘルナイトさんは私の背と頭にあった手を、そのまま流れるように、私の両頬に手を添えて、ふにっと優しく挟める。
それを感じた私は、驚きながら「ふぇるふぁいとひゃん?」と挟まれながら言った。
それを聞いても、ヘルナイトさんはじっと私の顔を見たまま、黙ってしまっている。
すると――不意に近付いてきた。顔が、私の顔に向かって。
私はそれを見て、驚いて目を瞑ってしまった。よくある光景をするのかと思って、驚いてしまったのだ。でも……、来たのは――
――こつん。
「?」
額に感じた小さい衝撃。
それを感じて……、そっと目を開けると……。目の前に広がるのは――
ヘルナイトさん……。の、甲冑。
客観的に見ると、その光景を見たら、誰もが歓喜の声を上げる光景だと私は思う。要するに……。
ヘルナイトさんは、私の額に、自分の額を重ね合わせていた。
それだけなのに、それだけ……、なのに……。なんだろう……。
胸が、熱くなって……。心臓が、とくとく言っている。顔も、熱い……。
「もし――」
「!」
突然言われた言葉に驚きながら、私はヘルナイトさんの言葉に耳を一生懸命傾けた。ヘルナイトさんはそれを見ても、平然としているようで、これを見て普通に接していることがわかるけど……、心臓に悪い気がする。
でも、ヘルナイトさんは言った。私の額に、己の額をつけながら。
「君がもし、辛く――苦しいと思うのであれば、私は君の支えとなる、君の傍にいる。それで苦しい思いが溶けるのであれば、私はこのぬくもりを与える。一人が怖いのであれば、私やアキ、キョウヤに手を伸ばして叫べ。その手をしっかりと掴もう。そして……」
と言い……、凛とした音色でヘルナイトさんは私に向かってこう言った。
「どんなことがあろうと……、私は――君を守る鬼士として、君が愛する者たちを守る鬼士として……私は君と、君が愛した人達のために命を賭す。君の笑顔を守るものとして……、ハンナ。私は君を守ろう。そして――」
君を――一人にさせない。
その言葉に私はデジャヴを感じたけど……、そんなこと関係なかった。
その言葉を聞いて、私は込み上げてくる温かい気持ちに驚いて、混乱していたけど、素直に顔に出していた。
それを見てか、ヘルナイトさんは頬に添えていた手を頭に変えて、優しく、慰めるように……、撫でてくれた。それだけで、私は嬉しくて……。なんだろう、でもわかることはある。
その言葉を聞いて、私は嬉しくて……、泣いていた。
思い出せないことも怖かったけど、私がもっと怖いことがある。
それは……、一人で取り残されること。
孤立が怖いとかじゃない。ただ……、暗い世界で一人でいると……、不思議とそう思ってしまうのだ。なぜそう思ったのか、なぜそうなってしまったのかはわからない。
でも……、今はこのぬくもりに甘えよう。
互いに悩みを抱えている私とヘルナイトさん。
記憶を失っている範囲が違うけど、怖いという感情をわかってくれたヘルナイトさん。
それが何より嬉しくて……、そして、私に誓ってくれた。
だから――私も。
「……私も……、誓う」
「?」
私はぐっと目を擦って、ヘルナイトさんを見上げて……、自分が立てた誓いを言う。
「私も、ヘルナイトさんの記憶が戻る手伝いをしたいです……。なんでもいいんです。できることがあれば……、支えてくれた、助けてくれたヘルナイトさんに、恩返しがしたいんです……」
駄目、ですか……?
最後らへんはだんだんそれがかなわないと思ってきて、小さくなってしまった結果である。でもヘルナイトさんはそれを聞いて……、凛とした音色で――
「……ああ、その時は、手を貸してくれ」
その言葉を聞いて、私はまた込み上げてきた嬉しさを隠すように目を伏せて、そして黙りこくってしまった。それを見てかヘルナイトさんはふっと小さく笑って、私を包み込むように、頭と背に手を回して、額をつけながら少しの間そこにいた……。
一緒に、いた。
□ □
その時まで、私は自分の心の奥で動いていたその感情の名称を知らなかった。
知りもしないというか、実際体験するのは初めてで……、あまりにも唐突なことで混乱した。
でも、きっとこの時からだろう……。
私のその感情が稼働し始めて……、段々とだけど、記憶が動き出したのは……。
思い出さなくてもいい……、嫌な記憶が、稼働してしまったのは……この時からだった。
◆ ◆
ハンナが出て行ってからすぐ、シェーラは起き上がった。
じっとハンナが出て行った襖を見ながら、彼女は頭を掻きながら思った。
――まぁ、あんなことがあったら眠れないわね。
事実――彼女も眠れなかったのだ。
理由は、今日話した師匠の事、家族のことで……、彼女はそれと同時にいやなことを思い出してしまったのだ。それを思い出して、彼女は寝つけなかったのだ。
ふと、ナヴィが寝ている場所を見る。
スピーッと規則正しく寝ているナヴィを見て……、彼女はそのふわふわの体に指を突き付けて、ふにっと触れた。すると……。
「きゅきゃへ~……」
こそばゆくにへらっと笑ったナヴィだったが、すぐにすぴーと寝息を立てる。
それを見て、シェーラは少し……、否、すごく……。可愛いっと思ってしまった。実のところ、彼女も女の子だ。可愛いものには目がない。ナヴィのその顔を見てしまったシェーラは、もう一度見たいと思い、すっと指を突き付けて、触ろうとした。
「なにしているのかな? シェーラ」
「っっ!?」
突然だった。彼女の背後から聞こえた、聞き覚えがある声。
その声を聞いて、彼女は寝ているナヴィを抱えて、だんっとその場で跳躍して、その人物から離れるように飛び退いたのだ。もちろん、置いてある武器を手に取って。
そしてダンッと畳に足をつけて、浴衣が少しはだけているがそんなことお構いなしに、シェーラはすらっと剣を抜いて、その人物に突き付けてこう言った。
刹那。ぱちんっとナヴィが起きた。「キャッ!?」と、声を上げて……驚きながら。
シェーラは腕の中にいるナヴィを見て、ほっとした。無傷であることに安心したのだ。
しかし――シェーラの背後にいた男は、すっと立ち上がった。
顔は夜であるが故、影に隠れて見えないが、体だけは見えている。黒い服装で、黒い長めのマフラーを巻いている、両手に装備された少し丸みを帯びた手甲が印象的な、忍びのような服装をした男だった。髪が一つに縛っているようで、腰までその黒髪があった。
シェーラは聞いた。
「何しに来たのよ」
その言葉はまるで、知り合いに語りかけるような言葉だった。
それを聞いていた男は「いやねー」とひょうきんに、肩を竦めながら腰に手を当てて、少しだけ体を曲げながらこう言った。
「心配になってきたんだヨー」
「そんなの信じられないわ。目的は何? この裏切り者」
「裏切り者って、ひどいなー。俺ってそんなに悪役顔かな」
「ええ。現在進行形で、行動や顔つきがね」
そう言うシェーラだったが、内心一体どうなっている? と、困惑していた。
――私は確かに、戦うことはあったけど……、こんなことはなかった。
――寝起きを狙う行動……。こんなの初めて……。
そうは思っていたが、シェーラはナヴィを抱えながら、目の前にいる知り合いの男にこう聞く。
「まさか……、勘でここまで来たの? そうなるとすごいと褒めてあげるわよ?」冗談半分の言葉を言うと……、男はけらっと笑って――
「まさかぁ。そんな魔法じゃないんだヨ? 俺がここに来たのはネ……」と言って、男は飄々とした音色から……、真剣で、少しだけ悲しい音色で、悲しい笑みを浮かべながらこう言った。
「――ここにシェーラがいるって、ギルドの通達があって、来ただけだヨ」
「? っっ!」
それを聞いた瞬間、一瞬何を言っているのかわからなかったシェーラは首を傾げた。しかし……、すぐに理解して、逃げようと足を動かそうとしたときだった。
がたりと、布団が入っていた押入れから――グワッ! と、四本の手が出てきたのだ。
否、四本の手ではなく、二人の人間。
二人とも、この旅館の人だった。
シェーラはその行動に、そこに隠れていたのかと驚きつつ、自分の甘さに嫌気がさしそうになりながら、彼女は窓の外に逃げようと、窓枠に足をつけた。
が――
ぐっと、浴衣の裾を掴まれ、そのままシェーラはがくんっとバランス崩してしまうシェーラ。そして長い髪を掴んでくる旅館の人。
そのままシェーラは部屋に吸い込まれるように――ずたんっと押し倒され、手足を拘束されてしまう。
その時、「きゃ!」と鳴いて、ころんころんっと転がったナヴィ。転がっていくと、その小さな体を掴んで持ち上げる黒い男。
シェーラはその男を見上げながら……、ぎりっと歯を食いしばって、その男を睨みながら、彼女は叫んだ。
「こんの……っ! 卑怯者が!」
「卑怯ってのはネ……、悪役が最も嬉しがっちゃう褒め言葉だヨ? それ言ってはいけない。これアドバイス」と、口元に人差し指を添えて言う男。それを見たシェーラは、更に苛立ちを募らせて怒声を吐く。
「私をどうするつもりよっ! 殺すならここで殺しなさいっ! 死ぬ覚悟は決まっているわっ! そのつもりでここまで来たんだもの!」
「捨て駒を用意して?」
「っ」
男の言葉に、シェーラはぐっと言葉を詰まらせる。
男は二人の旅館の人達に、笑みを浮かべながら「ありがとうネー」と、飄々とした顔で笑いながら手をひらひらと振っていた。それを見て、旅館の二人は頭を下げて……礼を述べた。
ここはユワコク。アクアロイアの観光名所。
そして唯一ギルドがある場所にして――アクアロイアと深いつながりがある。ゆえに……、情報の報告は必ずする。『弱肉の臆王』が総べているアクアロイアだ。『六芒星』が根城にしているアクアロイアで……。
彼女が狙う『ネルセス・シュローサ』の息がかかった場所でもあった。
当然、情報などすぐに拡散する。拡散して、アクアロイアにいる、彼女を敵視している『ネルセス・シュローサ』にも、情報が漏れる。
結局何が言いたいのか? 簡単な話。
シェーラは、詰めを甘くしてしまった。
このまま居座らなければ、きっとこうなることはなかった。
甘かった。自分でもそう思ってしまったシェーラ。己の甘さに、苛立ちを覚えてしまったシェーラが押し倒され、四肢を拘束されてる状態のまま彼女は自分のことを見降ろしている男を見た。
そして聞く。
目の前にいる……顔に刻まれた――大きな傷を持っている少したれ目の男に向かって彼女は聞いた。
「私を……どうするの?」
すると――傷の男はこう言った。にっと、悲しい笑顔を向けて――
「決まってるヨネ? 君を捕まえるんだヨ――アクアロイアの雨の監獄街マドゥードナに連れて行く」
それだけだヨ。
男はそう言うとシェーラを拘束している男達を引かせて……、彼女の腕をガッと掴み上げた。
◆ ◆
世界が動く。
オルゴールのように、円盤のようにぐるぐると動く。
だがその動きは歪に歪んでいる。それでも止まることを知らないそれは動き続けるしかないのだ……。
シェーラがいないことを知ったハンナ達はその日の明朝――すぐにユワコクを発ち……、走ってアクアロイアに向かった。
長かったアクアロイアの旅が……、佳境に向かって動き始める……。