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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
奇人の巣食う場所
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第11話 歌い手

 誰かが吸っていた煙草の匂いがやけに鼻につく。

 アレフは眉をしかめた。

 暗殺者の家系であるが故に、服や体に匂いが染み付く行為は全て避けるべきと叩き込まれていた。例え反抗心以外の感情を抱けないような実家でも、そういう生きていく術をこの身に仕込んでくれた事だけは感謝している。

 長細い机に残されていた灰皿の中身を蓋付きの吸殻入れにざっと空け、水で流す。

 空気を漂う匂いばかりはどうしようもないが、それでもまだマシだ。

 壁際の棚からグラスを一つ持ってきて、水差しから水を注ぎいれる。

「――酸っぱ」

 中身はレモン水だった。

 酸味は苦手だ。

 ある種の毒薬の味を誤魔化してしまうから。


 そこまで考えてから、つくづく自分が嫌になった。


 実家を出た直後は今までの自分を否定する事に躍起になっていた。

 親に定められた生き方に抗おうと、煙草を吸ってみた事もある。香水を纏ってみた事もある。父が避けるようにとしつこく言い続けた酸味や苦味、渋味といった毒の混入させ易い味ばかりを摂取し続けた事もある。


 だが結局、身に馴染んだのは珈琲だけだった。


 今でもそれ以外の毒に似た味の食品は体が受け付けない。

 やっぱり自分は暗殺者なのだ。

 弟のように非情に振舞う事のできない半端者であっても、もうそういう生き方以外は出来ない。 

 いつか誰かが珈琲に毒薬でも混ぜてくれないかと思いながら毎日を生き――生き続けている。


 見上げる壁の真ん中で片翼の紋章がランプに照らされていた。


 今ではすっかり見慣れてしまったけれど。初めて見た時は、伝説と思っていたソレが実在した事に驚いたものだ。

 だが、納得もした。

 父の配下の者達が放つ殺気をものともせず、アレフを自分の物にすると宣言した少年。「つーことだから、貰ってくわ」と言う一言だけでその場を収めてしまった少年の親父を名乗る男。

 只者であるはずが無かった。

 

 なし崩し的に少年の「親父」が所有するこの屋敷に出入りするようになり、ここを拠点に活動する「死の刃」と呼ばれる暗殺者集団の実体を知った。

 いや、ただの暗殺者集団でない事を知った。

 知ってから自ら烙印を押される事を望んだのだから、後悔すべきで無いと思っている。


 思っている、のだが―― 

 

「こんな所に居たの」

 隣にでかい体が割り込んできた。

「……居ちゃ悪いかよ」

 アレフは自分よりも高い場所にある顔を睨みつけた。

 こいつは馬鹿でかい。縦にも横にも。今にも張り裂けそうな桃色のワンピースが可哀想なほどだ。

「悪いわよぉ。だって、狙われてるんでしょ――レオナちゃん」

「なっ」

「なあに? あたしに隠し事をしていたつもりなの?」

 化粧の濃い顔が近づいてくる。

 あまり近づけると顎周りの剃り残しが目立つ――なんて言ったら更に怒られるだろう。

「誰から聞いたんだよ」

「さあ、誰だったかしら」

「――ふん」

「で、あなたはここで何してるの」

「考え事」

「へーえ。あなたが連れてきたのに、他の子たちに任せきりだなんて筋が違うんじゃない?」

「……まあ、それは……」

 レースをふんだんに使った手袋をはめた指が机を叩く。イライラしているのを隠すつもりも無いらしい。

 

 ――説教かよ。めんどくせえ。


 確かにこいつの言葉は正論だ。

 だが、正論だけで片付くなら世の中これほど簡単な事はない。

「行きゃあ良いんだろ」

「待ちなさい」

「なんだよ」

 さすがにやばい気がして目をそらすと、顎を掴んで無理矢理視線を合わせられる。

 こいつは生まれ持った体躯のお陰で腕力だけなら自分以上だ。逆らえば己の血を見る羽目になる。大人しく嵐が去るのを待つべきか――

「あんたね。やる気あるの?」

 アレフへの呼び方が「あなた」から「あんた」になった。

 レースのざらざらした感触が肌に引っかかる。このごてごてした白い手袋は、下に巻いた白い包帯を隠すためのものだ。そして更にその下にはアレフと同じ烙印が。

 おかげで十年以上の付き合いがある。今更遠慮なんて存在しない関係だ。

「やる気が無いなら消えちゃいなさいよ。

 あのね。すっごい私情だけどね。今回あたしはレオナちゃんの味方なの」

「ああ? 何言ってんだあんた」

 筋やら道理やらを重んじるこいつが私情を交えるのは相当珍しい。

 第一、面識が無いはずのレオナに肩入れする理由がわからない。

「これでもあたし、ヨシュアに居た頃は王宮に呼ばれる事もあるような歌手だったのよ。

 姫ちゃんにも随分遊んでもらってねー」

「姫ちゃんって誰だよ」

「ユリア姫よ。えーと、今はイーカル王国のユリア王妃?」

 つい数ヶ月前に国交正常化に際する人質として輿入れした王妃の名だ。

 アレフもその輿入れの旅の中で数日間を共に過ごした。

 穏やかとは言いがたい道行であったが、その分彼女の人となりに接する機会はあったと思う。

 常に周囲に気を配り、庶民を立てる事もできるという王族には珍しいタイプの人物ではあったが、やはり高潔な姫君だった。

 間違っても「姫ちゃん」なんて渾名で呼ばれる人物には見えなかったが……

「姫ちゃんは姫ちゃんよ。

 あのね。あたしは姫ちゃんに幸せになって欲しいの。

 イーカルに嫁いだ姫ちゃんが幸せになるには、イーカルとウォーゼルが戦争してちゃ駄目でしょ。だから仲良くなって欲しいわけ。そのためにはレオナちゃんに頑張ってもらわなきゃいけないの」

 わかる?と言いながらアレフの顎に刺さった爪に力を籠めた。

「だからね――愛だか恋だか知らないけど、そんな卑屈な感情で足を引っ張らないでよね。駄犬」

 そう吐き捨て、あいつは立ち上がった。

 派手なドレスを翻し、ヒールをカツカツ鳴らしながら陰気な部屋から立ち去っていく。

 アレフは呆然と見送る事しか出来なかった。


 どこへ行ってもピンク色のドレスを纏った巨漢は目立つ。


 だから、その影に寄り添う楽器ケースを抱えた地味な男の姿など誰の目にも留まらない。

 アレフは今日もその影のような男が出て行くその時まで、ドレスの背中に隠れるように控えていた事に気付かなかった。



 * * *



 前夜祭が一番盛り上がるという公園は、レオナの泊まるホテルからも比較的行きやすい場所にある。というより、公園の船着場から来る客を目当てにホテルが建てられたのだろう。

 その公園というのが、初日にアレフと連れ立って銅像を見に行った公園でもあった。

 普段より活気付く市場を少しだけ歩くと公園の東門に至る。

「あれ、ここ……」

 見覚えのある景色だ。

 この町に着いた初日に、アレフとはぐれてここに来た。

 露天商のお爺さんや見かけた画家に辺境騎士団本部までの道を尋ねたが結局よくわからず、難儀している時にルノーが声を掛けてくれた場所。

「なんだ。同じ公園だったのか」

 入り口の脇に建てられた地図を見る限り相当奥行きのある公園で、ルノーと出会ったのは東端、アレフと見た石像があるのは西端のようだ。

 これだけ広ければ同じ公園と気付かなかったのも仕方があるまい。


 歓声を上げる子供達がレオナの脇をすり抜け人混みの中へ飛び込んでいった。後から子供の名前を呼びながら追いかけていくお母さんも大変だ。

 レオナは楽器ケースを抱えなおし、公園の中に足を踏み入れた。

  

 入り口近くには小さな露天がいくつも並んでいる。

 脇に店の名前を掲げているものが多いから、普段は店舗で営業している店が祭りに合わせて出張してきているのだろう。ざっと見たところ価格はどれも二割引から半額といったところ。店としてはこの機会に店の名前を知ってもらおうとしているのだろうが、そこに集まる客達もお買い得価格の商品に皆笑顔だ。主婦は野菜やパンを売る店を順に覗き、子供達は菓子類を売る店の前で親にねだっている。

「祭りっていうより市場の延長みたいだなあ」

「でしょう?」

 隣から聞こえた同意の声に驚いて思わず半身引いた。

「ヴィ、ヴィオラさん!」

「ふふふ。私もお買い物」

 表向きは普通の主婦をしているというヴィオラがここに居るのは確かに自然といえば自然なのだが、こうも突然現れられると心臓に悪い。

「この国は商業の国だから、お祭りというと商人の皆さんが張り切るのよね。私も毎年ここでたくさん買い物をして保存食を作るのよ」

 そう言って腕から下げた大きめのバックを示した。すでにオレンジがいくつも入っている。保存食と言っていたからジャムにでもするのだろうか。昼間のヴィオラならジャムをぐつぐつ煮る姿も様になりそうだ。

「レオナちゃんの故郷のお祭りはこういうのじゃなかった?」

「うーん……少しはこういう屋台とかもあったけど、神事が中心だったかな。

 農村だから、秋に収穫祭があって。そこで神官の人が感謝の祈りを捧げて、来年の豊作を祈願して……後は神話に基づいた劇をやったり……」

「レオナちゃんは女神様役?」

「え」

「綺麗な実りの色の髪をしているじゃない」

「……初めて言われたよ」

 人にはよく枯葉色と言われる髪だ。

 黒髪の多い王都に移ってからは目立ちすぎるので自分も黒に生まれれば良かったのにと思った事もある。

 それを綺麗と言って貰うのは、どこかくすぐったい。

「大地の女神の役は、その年成人になる女の子が交代でやるんだ。オレの年は――他に同じ年の子がいなかったから、やった、けど」

「素敵!」

「背が高いから迫力がありすぎるって皆に言われたよ。……胸も無いし」

 ヴィオラの丸い目がレオナの髪から胸に下り、そして自分の胸に移動した。

 娼婦の服を纏っていた時にも思ったが、ヴィオラは胸が豊かだ。そして大地の女神は豊穣の象徴だけあってとても女性らしい体つきをしている。本来ならヴィオラのようなスタイルの女性がやるべき役なのだ。

「お、女は胸じゃないわよ!」

「……ありがとう」

 そうは思うけれど、見た目だけでなく中身にも職業にも女性らしさが欠如してしまった場合はもうフォローのしようがない気がしなくもない。


 ルノーから異国風料理の屋台が出ているという話を聞いたと言ったら、ヴィオラはレオナの手を引いて公園の奥へと案内してくれた。

 そういう食べ物の屋台はメインの広場の周辺なのだそうだ。

 理由はすぐにわかった。


 メインの広場は芸術家達のための場所だった。


 音楽を奏でる者。歌を歌う者。絵を売る者。中には吟遊詩人や大道芸人まで居る。それらが広大な敷地の中で互いに影響を及ぼし辛い距離を保ってパフォーマンスを行っている。

 ルノーの言う料理の屋台は、それらを眺めながら食べるために配置されているらしい。

「表現者の庭っていうのよ。中央のステージでは時間を決めて大きな楽団の演奏もあるわ」

 音楽に合わせて体を揺らしながらヴィオラが言った。右手にはスパイスの効いた甘酸っぱいソースのかかった串焼きがある。ここから北東方向に一ヶ月ほど行った場所にある町の名物なのだそうだ。本来はトカゲ肉の料理らしいが、ここでは鶏肉を使う。「本物よりこっちの方が美味しいわよ」と言うからヴィオラは現地で食べた事があるのだろうか。

 ちなみにレオナの手には麦に似たライスという穀物を突き固めて焼いた串焼きがある。甘いのにしょっぱい、不思議な味のどろりとしたソースが塗ってある。遠い南の海の向こう――船でずっと行った所にある島国の軽食なのだと、変わった訛りの店員が言っていた。まあ、慣れれば美味しいのだが、甘いかしょっぱいかどちらかに決めてほしいと思った。

「あ、ねえ。ベンチが空いているわ。あそこに座らない?」

 ヴィオラはレオナの手を引いて公園の隅へ移動した。

 周りに演者が居ないためかそこは少し空いていた。


 人混みに疲れていたこともあって、腰を下ろすと二人そろって溜息をついた。

「すごい賑わいだね」

「本番の明日はもっとよ。レオナ、明日は式典を見に行くの?」

「うーん……どうしようかなあ」

 正直な所、まだ決めあぐねていた。

 これから長く深い付き合いを望む隣国の、国を挙げての式典だ。見れるものなら見ておくべきだろうとは思う。

 だが、その式典の内容がイーカル軍を蹴散らした国王を賛辞するものだと知れば――母国を敵と見做し国民を鼓舞するものだと言うなら悩む所である。

「気持ち良いものじゃないよね、正直」

「そうよねー……」


 人の流れをぼーっと眺めていると視界の隅に派手なピンク色の影が横切った。

 幾重にも布を重ねたドレスだ。やけに人目を引くのはその色彩だけじゃない。周囲の人達から頭二つ分ほど大きいのだ。やけに大柄な女性だ――いや、物語に出てくる巨人族というのが実在しない限り、あれが女性であるはずが無い。男性だ。それも――

「西ヨシュア人……?」

「うん?」

「ヨシュアの西側地域に住んでる人。黒髪黒眼で体が大きい。真面目で情に厚い人が多いみたいだよ」

「へえー。初めて聞いたわ。ヨシュア人は金髪が多いのかと思ってた」

「それは東ヨシュア人だよ。色素が薄くて温和な人が多いんだったかな。

 ヨシュアには東ヨシュア人、中央ヨシュア人、西ヨシュア人の三つの民族が居るんだって」

「詳しいわねー。あ、そういえばイーカルの王妃様って……」

「ヨシュアの第二王女だった方だよ。だから殿下の輿入れの時にヨシュアについては随分調べたんだ」

 そんな会話をしている間に、そのピンク色の男性は二人から少し離れた木の側に立ち止まった。

 長く延ばした黒髪を揺らし周囲を見回す。仕草は女性的だが、体つきも顔立ちも非常に男性的だ。母国でとても綺麗な女装男性を知っているレオナからすると少し残念な思いを抱くほど。

 だが、その声は意外なほど美しい――女性顔負けの艶やかなアルトだった。

「ここでいいかしら」

 男はドレスの裾を捌いて背後を振り返った。

「いいんじゃないかな」

 返事をしたのは細身で小柄な男性。

 ずっとドレスの男性の巨体に隠れていたため、レオナはそこに人が居る事にすら気付いていなかった。

 小柄な方の男が背中に背負っていたケースを地面に置く。

「あ――」

 それは、レオナが今膝の間に抱えているのと同じもの。

 

「ザッカス!」


 驚きの声が届いたらしい。

 小柄な男がこちらを見た。

 レオナの楽器ケースに目を留めて嬉しそうな顔をする。

「お嬢さんもザッカス奏者かい?」

「い、いえ、これは――」

「駆け出しかな。まあいい。俺たちの演奏を聞いていってくんな」

 男はケースの中から飴色の弦楽器を取り出した。細長いケースそのままに、幅は肩幅の半分ほどしかない。そして長さは足元から男の鳩尾くらいまであるだろうか。その中程までが共鳴胴だ。

 男は更にケースの中から金属の棒を取り出した。古道具屋の主人は地面に立てて演奏すると言っていたが、直接地面に置くものではないらしい。流れるような手つきで棒を楽器の下部に取り付ける。

 ケースの蓋部分にかかっていた弓を手に取り、毛の張り具合を調整するとおもむろに蝋のような固形物を塗り始めた。

 その間にドレスの男は水筒を傾け、喉を潤している。

 どうやら小柄な男がザッカスを演奏し、それを伴奏にドレスの男が歌を歌うというスタイルの音楽家であるらしい。

 二人は簡単な音あわせをすると、目配せしあって正面を向いた。

 楽器を抱えた男が共鳴胴を叩いて合図を送る。


 弦楽器特有の揺らぎのある音が悲しげに響く。  

 ドレス姿のいかつい男が、女声の音域をやすやすと出し、悲恋の女性の心情を音楽に乗せる。

 カウンターテナーかと思いきや、曲調が変わると声を巨体の内側に響かせ、胸の奥に深く浸透する低く深い声で権力によって恋人との仲を引き裂かれた男の嘆きを歌い上げる。

 いつの間にか周囲には人垣ができていた。


 似合わない派手な服を着た男は男女を見事に完璧に演じ分け、たった一人でその空間を支配した。


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