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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
奇人の巣食う場所
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第10話 朝餐

 トリカは今朝も同じ時間に現れた。

 いつもと同じように、笑顔で。

「おはようございます」

 レオナが先を制する前に挨拶を受けた。共通語だったのが幸いだ。

「お、おはようございます」

 少し笑顔が引きつってしまったのを、トリカは違う意味で捉えたらしい。

「お疲れですか?」

「ちょっと、寝不足で」

 適当に言って誤魔化す。

 トリカは気にも留めずレオナの向かいに腰を下ろした。

 今日の朝食メニューは揚げ芋と腸詰のサラダのセットか、ワックルーの塩焼きとスープのセットとある。

「わっくるー?」

「この近くの川や湖に住む淡水魚です。淡白で癖がないので魚料理に慣れない方にも好まれます。

 ワックルーは近縁種が多くてとても分類が難しいのですが、俗にスーゼルク・ワックルーと呼ばれるこの地域のワックルーは山から流れる栄養分と湖で温められた水の中で育った為、他の地域のワックルーより大ぶりで身が柔らかいと言われています」

 説明は小難しいが、ようはお勧めだという事だろう。

 レオナはそのワックルーの塩焼きに決めた。ウェイトレスを呼ぶと、トリカもいつものように「同じものを」と言う。

「もしかして、オレに合わせてくれています?」

 レオナは毎回好きな物を勝手に注文しているが、レオナが知らないだけでこちらの国には同席者と同じものを食べなければならないというようなマナーがあるのではないだろうか。それでトリカが我慢をしているのだったら申し訳無い。

「いえ、私はここの料理は一通り食べていますからどれでも良いのです。

 ――ただこういうのに憧れがあって」

「憧れ?」

「今は休暇中だからこうしてのんびりしていますが、普段の食事は三食とも机で書類をめくりながら食べます。

 子供の頃を思い出しても、父は忙しくてあまり家に戻りませんでしたし、母が亡くなってから……もう五十年以上殆ど一人で食事をしています」

 四十代かと思っていたらまさかの五十代以上だった。

 東の国の人は本当に若く見えるなあと話とまったく違うところで感心してしまう。

 トリカは皺もたるみも殆ど無い頬に恥ずかしげな表情を浮かべた。

「これまで家族に恵まれなかったものですから、誰かと毎日同じ食事を同じテーブルで食べることを渇望していたというか――

 だからレオナさんと食事ができたこの数日間は、すごく楽しかったです」


 ――やっぱり、この人が悪い人には見えない。


 レオナは目の前の真っ黒な瞳をじっと見つめた。

 そしてそれを問う決意をした。


「ダウィって知ってますか」


 オブラートに包んだ言葉など潔くない。

 だからストレートな言葉を選んだ。

 すると大きな目を更に大きく見開き、その後妙に納得したように頷いた。

「レオナさんとも知り合いでしたか――相変わらず顔の広い男だ」

 苦々しい表情だったダウィとは違い、トリカはどこか嬉しそうだ。

「私のイーカル語は彼に習ったのですよ。

 文字や文法は書籍を読めば幾らでも学ぶ事ができますが、発音ばかりは現地の方に教わらないとなかなかものになりませんから。

 ほら、よく『外国語を学ぶ時はその国の人と恋をすれば良い』なんて言いますよね。だから私が発音になれるまで一月ほど彼と一緒に生活をしてみた事もありました。そういえばあの時はなんだかんだ言って一緒に食事もしたなあ――残念な事に恋はできなかったですが」

 さすがに最後の部分は冗談だよなと思ったが、ダウィはどこか人形めいた顔立ちでかなり整った容姿をしている。それでなくともトリカとは本好きな所など話も合いそうだからそういう趣味があるなら対象としてもおかしくはない。

 恋という発言が本気かどうかわからなかったので、次に「どういう関係か」と聞こうと構えていたのを少し躊躇った。

「彼とは……どういうお知り合いなんですか?」

「仕事上の知り合いでしょうか」

「トリカさんって経営者でしたっけ」

「あはは。尋問みたいですね」

「すいません……そんなつもりじゃ……」

 レオナは素直に謝った。

 トリカに多少の不信感を抱いていたのは事実だが、そもそもはダウィがトリカを悪く言う事が信じられなくて問いただそうと思っていたのだ。

 決して彼を不快にさせたかった訳じゃない。

「彼と知り合った時の私は経営者でした。

 でも、今はまだ休暇中です。その間私はただのトリカ・プフロップ。

 だから仕事の話はいずれまた――そう。次に朝食をご一緒する時に、お話しましょう」

 言葉の意味を理解する前に、トリカは更に言葉を続けた。 

「明日は仕事で朝が早いんです。だから食事はご一緒できないかもしれません」

「それは……残念です。明日は聖王ラズ・ゲットルの式典があるというから、それについて聞きたかったのに」

「今からでよければお話しますよ。これまでにも何度か来た事がありますから、多少はお役に立てるかもしれません。

 本当は、今晩の前夜祭にお誘いしようと思っていたのですけど……」

 トリカは言葉を濁した。

「前夜祭?」

「式典に向けて、今日から夜を徹してのイベントがあるのです。

 王宮の晩餐会のような正式のものから市民有志のイベントまで、町中いたるところでやっています。一番盛り上がるのは式典会場近くの公園ですね」

「ああ。料理の屋台が出るとか言う」

「それにお誘いするつもりだったのですが、私の方でその時間がなくなってしまいました」

 図書館や魔術師連盟へ行った時のように案内をしてくれようとしていたのだろう。こちらの意向を確認する前にあれこれ考えてくれる所がやや強引ではあるが、親切心でやってくれているのだから憎めない人だ。

「トリカさんはお忙しいようだから仕方が無いです。また時間のある時にお願いします」

「それが……明日の夕方、一旦ここを引き払う予定なのです。遠方で会議があるので、しばらくウォーゼルを出なければいけなくて」

「……それは残念」

「でも、終わったらここに戻る予定です。また会えたら一緒に朝食を食べましょう」

 ウォーゼルを出るというと、国境まで約二日。数日で帰って来る事は無いだろう。

「トリカさんが帰って来るまでここにいられるかわかりません……オレも、一応は仕事で来ている身なんです」

 休暇中だと言いながら会議に追われるトリカより、レオナの方が明らかに暇を持て余しているが、それでも確約が出来ない立場なのは仕方が無い。

「レオナさんは――」

 おそらくレオナの仕事について聞きたかったのだろう。

 だが、その問いはウェイトレスの持ってきた朝食によって寸断された。



 * * *



「明日からは一人で朝食か」

 そう呟きながら部屋の扉を開けた。

 やはりトリカはダウィの言うような人物には思えない。だから明日から朝食を共に出来なくなる事が素直に寂しかった。

 ダウィもアレフも忙しそうな今、話し相手が彼しかいないというのもあるかもしれない。

「明日はオレも早起きしようかな」

 聖王ラズ・ゲットルの式典には興味がある。

 そこで公開されるはずだった国宝【萌花の欠片】は何者か――おそらくあのサザニア人――に強奪されたから見ることができなそうだが、式典を中止するという話は聞かないので、ルノーの言っていた屋台料理は食べられるだろう。

 それに、トリカの話によると前夜祭というのもあるらしい。

 観光客が自由に出入りできて一番盛り上がるのは、式典会場と川を挟んで向かいあう公園だという。そこでは夜を徹して音楽やダンスのイベントがあり、会場の周囲にルノーの話していた屋台が並ぶ。

 今日も公爵夫人からの返事を待つしかやる事のないレオナはそのイベントを見に行こうと決めていた。

 昨日サザニア人から襲撃を受けたばかりで多少の不安はあるが、回数を重ねるにつれ襲撃者の人数は減っている。おそらく異国という事もあって手駒が少ないのだろう。


 それに、今のレオナにはこれがある。


 レオナは昨日買って来た楽器ケースをベッドの上に置いた。

 古道具屋の主人は細長い弦楽器を入れるためのケースだと言っていた。

 その楽器の事は知らないが、大きささえあっていればそれで良い。

 ケースの手前に、クロゼットの奥に隠していた包みを置いた。

 ぐるぐるまかれた布は砂漠越えで使ったマントだ。そしてその中に入っているのは――

「良かった。錆びてない」

 母国に比べてかなり湿度が高いからこうしてしまいこむ事に少し不安もあった。

 だが剣身には錆びも曇りも無かった。

 久しぶりの感触を確かめるように、レオナは愛剣を握り、数度振った。

 この国に入ってから一度も体を動かしていなかったが、大きな違和感は感じない。

 納得したところで再び鞘に収め、それを楽器ケースの中にしまう。

 やはりサイズは丁度だ。

 レオナにとっては体の一部のような剣の事だから目測でも誤る訳は無いのだが、それでもぴったりと嵌った時には達成感を感じる。

 パチンパチンと音を立てて金具を閉じ、ケースを胸に抱いた。

 これなら街中を持ち歩いてもイーカルの剣とはばれないだろうし、万が一の時には身を守れる。

 安堵とともに様々な感情が一気にあふれ出した。


「――っ」


 気が緩んだからか、急に目頭が熱くなった。

 この国に来て初めて、寂しさに涙が頬を伝った。


 国を出てから……いや旅に出る事が決まった時からずっと、不安と重圧がつきまとっていた。

 言葉も通じない異国で出歩くのは緊張の連続だったし、サザニア人からの襲撃のたびに恐怖も覚えた。


 その間、ずっと、レオナは一人だった。


 異国で感じる疎外感より、初めての外交を一人でこなさなければならない重荷より、身近に迫った死の恐怖よりも、側に縋るものも支えてくれるものもない事が怖かった。

 体の半身がすっぽりと無くなってしまったかのような心許なさ。


 左手が疼く。

 何かが足りないと訴える。

 体の左側に絶え間なく隙間風が吹いているような喪失感。


 いつもそこにあるものが、今は無い。


 レオナは床に膝を付き、ベッドに顔を埋めた。

 守ってくれるものも無いが、見ているものも居ないから。

 

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