第9話 拉致
不穏な言葉に肩を震わせた。
わき腹に硬い物が触れる感触と同時にさりげなく右腕を取られる。
「一緒に来てもらおう」
周囲からは恋人同士か親しい友人がじゃれているくらいに見られる姿だが、握られた部分には相当な力が籠められている。
レオナの力では振りほどけそうにない。
視線を巡らすと周囲には他にもこちらを見ているものがいる。
決して好意的とは取れない視線で。
舌打ちしつつ引っ張られるままついていく事にした。
どこをどう来たかわからない。
表通りからは決して見えない路地の奥の倉庫に連れ込まれた。
ドンと背中を押されて倒れこむと、ひんやりした感触が膝と指先から伝わってくる。
窓もなく、入り口側に置かれた小さな蝋燭一つでは内部を完全に把握する事はできないが、実際に倉庫として使われている場所らしく壁沿いに木箱が並んでいるのはわかる。
そして背後には三人の男。正面には――
誰か、居る。
目を細めて探ると青白い肌が暗闇に浮かび上がって見える。
最初に襲撃を受けた際、アレフと渡り合っていたサザニア人だ。
背筋を冷たいものが流れた。
武器も無ければアレフたちも居ない。
手元にあるのは硬質な素材の楽器ケースだけ。
これを振り回したところでこの場を切り抜けるのは難しいだろう。
「……お前は」
男の声が狭い倉庫の中で反響した。
「石を持っていたな」
「知らない」
「嘘をついてもわかる。お前からはあの石の魔力が匂う」
何を言いたいのかわからない。
匂うってなんだ?
そもそも魔力は匂いがするものなのか?
「今は身につけていないだろう。だが、何日か前まではそこにあったはずだ」
節くれ立った指が一本、レオナの腰の辺りをさした。
確かに、魔術師連盟でイネスに渡すまではそこにあるポケットに入れていた。
――なんでわかるんだ?
「さて、アレをどこへやった?」
男が右手をあげる。
長袖のシャツの袖が重力で少しだけ下がり、手首が見える。
アレフと渡り合えるような剣の使い手の割に、太くは無い手だ。
それに――
感じた違和感の正体に行き着く前に、男がその手を中空に円を描くようにまわした。
円の中に青みがかった光が浮く。
――魔術!?
理解はしたが、初めて見るそれに咄嗟に体が動かなかった。
男は石を投げるような仕草で腕を振る。と、同時にその光が目を見開いたままのレオナに向かって一直線に飛んで来た。
「レオナ!」
誰かの声がした。
ドゴン! パラパラパラ……
何が起きたのかわからない。
突然の爆発音と小さな粒が散るような音がして、気がついた時には――倉庫中に砂煙が舞っていた。
目を瞬かせると、いつの間に現れたのかレオナのすぐ側……手を伸ばせば届きそうな距離に見慣れない民族衣装を着た少年が立っていた。布をたっぷりと使ったローブに似た服を纏い、頭にターバンのようなものを巻いている。
少年は男を見据えていたが、ゆったりとした動作で半身をひねり、レオナの後に居並ぶ男の仲間にも睨みを利かせた。
男達は一様に、突然現れた少年に警戒を見せていたものの、正体がわからず動くに動けないという表情だった。
最後にレオナと目があった。
レオナの無事を確認したからといって表情を緩める事もなくすぐに正面の男の方へ居直る。
イーカル国王ほどではないが少しきつい目付きで、白い肌に細い顎。顔立ちは男達とそっくりだ。
――つまりはサザニア人。
レオナを守るような位置に立ってはいるが、それだけでは敵であるのか味方であるのか判別ができなかった。
「――ツィ――」
上ずった声を上げたのはあの魔術を使った男だった。
怯えたような困惑したような顔で少年を見つめている。
「へえ……そんなに似てる?」
からかうような声で言い、少年は一歩踏み出した。
その動きで我に返ったのだろう。男は少年から距離を取り、剣を構えた。
しかし、その表情からはまだ焦りの色が消えていない。
「な、何故ここに!? ガニメデに亡命したはずでは――」
剣先が震えている。
その様子を見て取って、少年は一度周囲に視線を巡らせた。
「他に俺の顔を知ってる奴はいなそうだな。――じゃあお前を連れて帰ろう」
少年が右手をあげる。
先程男が魔術を使った時のように。
だが、その手がそれ以上動かされる事はなかった。
――ダン! ダン!
何かがぶつかるような音が響いた。
中からじゃない。倉庫の外からだ。
誰かが扉をこじ開けようとしている?
全員の視線がその音の方向に集まった。
――ダンッ!! ガキッ!
一際大きい音と共に、鍵が破壊されたようだ。
扉が開かれ、一気に光が溢れこむ。
同時に入り口付近で身構えていた男達が次々にその向こうにいる人影に襲い掛かった。
光の中から駆け込んできたのは、黒い服の大柄な男と林檎色のワンピースの女。
三対二と人数では男達に分があるが、どう見ても彼らの方が強かった。
レオナは背後の安全を信じ、当面の危険――魔術を使った男の方へ向き直った。
「居ない!?」
見回すと、奥の木箱の影から僅かな光が入り込んでいる。
そこに裏口か何かがあるのだろう。
同じ方向を見ていた少年が舌打ちした。
「ちっ! 逃げられたか」
少年は一度振り返ってレオナを見下ろした。
外からの光を受けて、琥珀色の目と胸元の何かが光る。
紐に通し、首から下げられたもの。
――指輪?
それが辺境騎士団の指輪と酷似している事に気付いた時には、少年は身を翻して裏口と思しき扉のほうへ駆けて行った。
「レオナちゃん、無事!?」
戦闘体勢を解除したヴィオラがレオナの両腕を掴み、怪我が無いか確認する。
後ではアレフが一人を押さえ込み、ロープで縛り上げている所のようだ。残りの二人は――すでに事切れている。
「オレは大丈夫。助けてくれてありがとう」
「たまたまね、レオナちゃんが連れ去られるのを『仲間』が見つけて教えてくれたの。間に合って良かったわ」
もう一度ヴィオラに礼を言ってから、縛り上げた男を地面に投げ捨てたアレフにも礼を言う。
「アレフ、ありがとう」
「……ああ」
その一言だけを残し、アレフは一人扉から出て行った。
「あれ?」
どうやら置いていかれたらしい。
追いかけたかったが、縛り上げたとはいえまだ動ける男をそのままにしてここを離れるわけにもいかない。
迷っているとヴィオラが困ったような声で言った。
「『仲間』が辺境騎士団にも知らせに行ってるから、そろそろ誰か来るわ」
「そっか。また事情聴取かな」
「お疲れ様。私も誰かが来る前にいかないといけないんだけど……」
「うん。わかってる。もう一人でも大丈夫」
手を振ると、ヴィオラは立ち去りかけた足を止め、レオナに向き直った。
「ごめんね。アレフったら昨日私が余計な事を言ったものだから拗ねちゃってるの」
昨日の話とは、アレフが急に態度を変えた時の事を言っているのだろう。
「……あれって、どういうこと?」
確か、アレフが前当主だとかなんとか言っていた。
だが前当主であるファズの父は二十年以上前――ちょうどファズの生まれた年から三年前まで当主を務めていて、三年前に現当主と交代した時にはレオナもテート家当主として祝いの品を贈っている。
だからその言葉の意味が理解できないし、アレフが拗ねる理由もよくわからない。
ヴィオラは悲しげな表情でレオナを見つめた。
「アレフに聞いた方がいいわ。っていうか聞いて欲しい。
あんなに誰かに入れあげるあいつって初めてみたの。それに、あなたは強いから――あなたなら、あいつを受け入れられる」
ヴィオラの言う意味は良くわからないが、籠められているニュアンスはわかる。
「その話って、恋愛的な意味だよね」
「ええ」
「オレ、あいつにそういう気持ちは無いよ。
もしあいつがそう思ってくれたとしても、オレは応えられない」
「そう……ごめんなさいね。それなら深入りしないほうがいいわ。
でももし、気が変わる事があったら……彼の過去と今を全て、受け入れてあげて」
そう言って、ヴィオラは裏口の方へ歩を進めた。
「アレフってね。なんのかんの言って坊ちゃんなのよ。悪ぶっても悪くなりきれない子。
結構――いい子よ」