第8話 情報部隊
「要約するよ?
三日前の夜、サザニア人に絡まれた。『ウォーゼル在住のイーカル人』と『その友人』が窮地を救ってくれた。その場から立ち去る時に妙な形の石を拾った。
宿泊先で知り合った男に石を見せたら、魔術の道具だと言うので魔術師連盟に預けた。
そして昨日も妙な男達に『石はどうした』と絡まれた。やはり『ウォーゼル在住のイーカル人』と『その友人』が助けてくれた――合ってる?」
アレフたちの事も体よく伏せられているので、ダウィの簡潔なまとめに異議は無い。
「――レオナはそのサザニア人に心当たりがないかな。例えば、他の場所で会った事があるとか」
「無いよ。戦場以外でサザニア人に会うのは初めてだし」
そう言いながら、少しだけ考えた。
会った記憶は無いが気付いた事が無いわけでもない。
「最初の襲撃の時居た、やたら強い男」
アレフと渡り合った相手。あれだけは別格だった。
「そいつ、なんか特殊な奴じゃないかな。巧く言えないんだけど――」
必死で言葉を探すレオナをエルネストが見つめていた。
確かエルネストは情報部隊の出身だと言っていた。母国のそれとは違うかもしれないが、まあどこの国でもやる事などそう変わらないだろう。
「例えば、エルネストさんの居た情報部隊って特殊な訓練を受けた人とか居ませんか」
「特殊な訓練とは?」
「普通の剣技じゃなくて、暗器とか体術に特化した……極秘裏に邪魔者を始末するような人」
「……サザニア帝国にそういう部隊があるという噂は聞いた事があります。真偽はわかりませんが」
自国の話はするつもりは無いようだ。だが腹の探りあいに来たわけじゃない。ニュアンスが伝われば十分だ。
「戦い方からそんな印象を受けました。情報部隊に所属する暗殺者」
「有能な軍人として知られるレオナ・ファル・テート殿の意見なら、暗殺者もしくはそれに類する訓練を受けた者という見立ては正しいのでしょう。
ですが、何故あえて『情報部隊所属』としますか」
個人に雇われる暗殺者もあるだろうし、軍属としても独立した特殊部隊であったとしても良い筈だと言った。
だがレオナとて無根拠で言っているわけではない。
クレーブナー家について詳しかったからだ。
アレフの短剣の構え方で流派がわかるのは実際にその戦闘を見たことがあるからだろう。だが、常に王族の周囲に居て前線に立つ事など殆ど無いクレーブナー家の戦い方を知っているとすれば、それはかなり限られたケースになる。
例えば王族の暗殺に失敗した時。例えば間諜が正体を見破られて制裁を受ける時。
男はかなりの剣の使い手だった。命を奪われる前に逃げおおせたとすれば説明がつく。
実際、代々王の側近を務めるクレーブナー家が各国の情報部隊からマークされていて、それらしい者が屋敷周辺で捕らえられては地下牢に放り込まれているのをレオナは知っていた。
何より――
「同じイーカル人ですら知らないような人物の名を口にしたからです」
「どういう事ですか」
「そのままの意味です」
男は離宮から出てくる事のないリンの名を知っていた。
軍人であり貴族でもあるレオナが存在すら知らなかった彼の名を平然と口にし、更にクレーブナー家の詳細な情報を握っていたのは、情報の集まる場所に居た証拠だろう。
「その人物とは」
「オレの友人の友人です」
にっこりと笑ってその先を口にするのを避けた。
離宮とはいえ王家の方が住む場所に居る人だ。これ以上は黙秘を通させてもらうと線を引いた。
「サザニア帝国の情報部隊ねー」
ダウィが面倒くさいという顔をした。
国宝を他国の軍人が奪ったというなら国家間の問題になってしまう。
できればそんな事態は避けたいというのが彼らの本音だろう。
一通りの事を話し終えると書類を纏めるダウィの隣で、眉間に皺を寄せたエルネストがティーカップに手を伸ばした。
――いまだ。
タイミングを窺っていたレオナがしれっとした顔で口を開いた。
「ところで、その『ちょっとした事件』って【萌花の欠片】が盗まれた事件?」
ガチャッ!
予想よりも派手な反応が返ってきた。エルネストがソーサーから半ば浮かせたカップを取り落としそうになったのだ。
レオナは内心の笑みを隠せない。
だって一方的に聴取を受けるなんて負けた気がするじゃないか。
だから、気が緩んだところを狙って一矢報いてやろうと思っていたのだ。
「なぜ、それを?」
エルネストはこちらを睨みつけている。
だがそんな殺気、戦場で経験した鬼気迫るものに比べれば大した事無い。
レオナは普段のダウィを真似てにっこりと微笑んでみせる。
「当たりだったんですね」
慌てて冷静さを取り戻そうとしているようだが、レオナはもう満足していた。
一番の満足の元は、僅かとはいえダウィの表情を変えられた事だったが。
「レオナ。それ誰に聞いたの?」
さすがにエルネストほど慌てていないようだが、それでも驚きの色を隠せないでいる。
「オレを魔術師連盟に連れて行ってくれた人から聞いたんだ。その人は魔術師連盟のイネスさんから聞いたって言ってたよ」
その名を聞いてダウィがちらりとエルネストに目をやった。
「イネスさんって今回の警備に加わってたよね」
「一応口止めはしたんですけどね……さすが『自由の魔女』」
「いくら彼女でも、ぺらぺらしゃべったりしない程度の良識はあったと思うんだけどなあ。
ん? そういえば、レオナの拾った石の事をリークしてきたのも彼女だっけ。
もしかして、そのレオナを魔術師連盟に連れて行った人ってイネスさんの知り合い?」
「そうみたい。仲良さそうに話してたよ」
「名前知ってる?」
「えーと、トリカさん? トリカ……なんだっけ?」
変わった名だったのは覚えているが、ずっとファーストネームで呼んでいたのでファミリーネームの方は次の日には忘れてしまっていた。
「トリカ!? まさかトリカ・プフロップ!?」
「う、うん。その人」
今度こそダウィが顔色を変えた。レオナが【欠片】の事を口にした時以上の驚きっぷりだ。
「知ってるの?」
「その前に本人かどうか確認していいかな。どんな人?」
何かまずい事を言っただろうか。
レオナは考え考え彼の特徴を口にした。
「この辺の国の人っぽくない顔をした人だよ。色黒で……えーと、濃い顔っていうの? 目も鼻も口も大きくて……あと、町のこととかすっごく詳しいんだ。建築様式とか教えてくれたよ。あ、それからイーカル語を喋れた」
「……本人だな。先月までロトガスで大人しくしていたはずなのになんでこんな所に」
「商談でアスリアから来たっていってたよ。休暇も兼ねて二ヶ月くらいのんびりするとかって」
「あいつが商談? いったい何を売り買いする気だ」
商売については詳しく聞いていなかったからレオナは首を横に振った。
考え込むダウィの顔は忌々しいとか苦々しいとかそういった類のものだ。
エルネストもトリカの事を知っている様子だが、ダウィほどは動揺が見られなかった。
「トリカ・プフロップがこの事件に関係していると?」
「いや、あいつが関与してるならもっと巧くやるよ。無駄に頭が回るから。
レオナと知り合ったのはおそらく偶然だろう。
そうだな――トリカ・プフロップが最後に外国に現れたのは、二年前のヨシュア王国が最後のはずだから、休暇というのも嘘ではないかもしれない」
なんだか不穏な空気だ。
「トリカさんって何かしたの?」
「露見するような犯罪は犯してないよ。――欲しいもののためなら手段を選ばないし、将来有望な若者の芽を平気で摘み取る外道だけど」
さらっと恐ろしい事を言った。
「そんな怖い人には見えなかった」
「見た目は紳士だから」
「本当にいい人だったよ。その拾った石のことを調べていたら、図書館で本を紹介してくれたし、魔術師連盟に連れて行ってもくれたから」
ダウィは眉間に手を当てた。
「……レオナはあいつに本名を教えた?」
「教えてない」
「この国に何をしに来たのかは」
「言ってない」
「あいつは――君になんて名乗っていた?」
「トリカ・プフロップ。経営者って言ってたよ」
「嘘じゃないところがあいつの腹黒い所だな」
空を仰いで溜息をつくダウィなど初めて見た。それもかなりの言われようだ。トリカは余程の事をしたのだろうか。
「それにしても……君は妙なのばかりひっかけるなあ」
* * *
「古道具街……ってこっちかな」
辺境騎士団を出る前にダウィに描いてもらった地図を再度確認する。
道を間違えていなければこの角を曲がった先にあるはずだ。
辺境騎士団へ行った時にも思ったが、この町は本当に入り組んでいる。慣れるまで随分かかりそうだ。
「帰国する頃には結構詳しくなれそうな気がするけど」
意外と長くなりそうな滞在を思い、ため息交じりにつぶやいた。
古道具街を構成する店の種類はいろいろだ。
扱う商品が新品でなければ何でも良いらしく、古さに価値を見出すような骨董品店からまだ使える中古品の店までひしめき合うように並んでいる。
そしてその商品のラインナップも、なんでもござれと手広く販売する店もあれば、何かに特化した店――例えば家具の店、食器の店、金物の店、調理器具の店と、通りを見回すだけでもそれぞれ趣の異なる商店を見ることができる。
今レオナが探しているのは鞄だ。
だがそれがどんな店で扱っているのかわからなかったため、とりあえず古着屋を覗いてみたり革製品の店を見てみたりするのだが、希望するサイズのものはなかなか無い。
諦めかけた時、あらゆるジャンルの商品が雑然と並べられた店の前でそれを見つけた。
たらいの陰に立てかけられていたのは、両手を広げたくらいの長さの硬質のケース。長さの割に幅は広くなく、肩にかけるベルトもついているようだ。
金属の留め金をパチンパチンと二箇所外して開いてみると、底面に細長いくぼみがあり、蓋面に何かひっかけるようなフックのようなものが数箇所ついている。よく見れば簡単な蓋のついた小物入れまであるようだ。
「なんに使うんだろう?」
首をかしげていると奥から店主が出てきた。
「ザッカスのケースですよ」
「ザッカス?」
「ああ。旅行者の方ですか。それだとご存じないかもしれませんねえ。
この辺りで古くからある弦楽器です。
細くて長い共鳴胴が特徴で、弓で擦って音を出します。地面に立てて使うんですけど、大きさは……ちょうどこれくらいの高さですかね」
店主は鎖骨の辺りに手をかざした。
地面からそこまでというと、随分と大きな楽器だ。形状も独特なようなので音色の想像すらつかないが、まあそれはどうでもいい。ただ、形が探していたものに近い。その事が重要だ。
「これ、いくらですか?」
「え、それはケースだけで中身が入ってませんけど……」
「良いんです。ちょうどこれくらいのサイズの入れ物を探していたので」
主人は顎に手を当てて、しばし考え「銀貨五枚」と答えた。
楽器ケースの相場はわからないが、素材から考えるとだいぶ安くしてもらっているのだろう。レオナはお礼を言って財布を開いた。
無事に用事を済ませる事ができてほっとしたら、急にお腹が空いてきた。
なんだかんだで時刻はもう昼を大きく回っていた。
どこからかパンを焼くような良い匂いが漂ってきたのでふらふらとそちらに向かって歩をすすめる。
するとすぐに石像を中心に据えた広場に出た。それなりに大きな広場でざっと見まわしただけでも食事をとれる店が数軒ある。そのうち、一人でも入りやすそうな店というと広場に面したカフェのような店か軽食を売るスタンドか……
レオナは石像の台座に寄りかかりながら見比べた。
古道具街に来るのはやはり地元の人間が多いらしく、どちらもいい意味で庶民的な印象だ。
ホテルの手の込んだ食事などより、この国の文化を感じる事ができる食事ともいえる。
しばし迷った後、カフェのメニューが書かれたボードに魅力的な一文が書かれている事に気がついた。
『ランチはお茶とクッキーがつきます』
レオナは心を決めて、一歩足を踏み出した。
その時、頭の中はすっかり甘味に占められていた。周囲に目を向ける事を怠っていたともいえる。
「動くな」
不意に耳元で低い声がした。