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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
奇人の巣食う場所
93/107

第7話 聴取

 天地が逆になった視界の隅で、黒衣の男達が闇に消えていくのを見た。


「イネス!」

 泣きそうな声で名前を呼びながら駆け寄ってきたのは長い付き合いの女魔術師だ。

 口の中に溢れる泥交じりの鉄臭い汁を道端に吐き出し、半身を起こす。

「あたしはいい。あんたは魔力を追いな!」

 叫んでやれば、深く刻まれた皺の奥の茶色い瞳に理性が戻っていく。

 ローブをばさりと翻し、彼女は昔より少し頼りなくなった足取りで賊の去った方へ走り出した。

 人が人である以上、寄る年波には勝てない。だがそれでも、彼女の指示を飛ばす声にはまだ張りが残っている。

「エルネスト! あんたもついておいで!」

 比較的軽症の者達が彼女の後を追ったようだ。

 遠ざかる足音を聞きながらゆっくりと瞼を閉じる。

 

 ――これでいい。


 イネスは自らの体に魔力を走らせ、怪我の程度を確認した。

 斬られたのは腕だけだ。それに大して深くはない。

 むしろ踏みつけられた喉のほうが痛みを感じる。

 誰だ。魔術師は喉を潰せば良いなどと言いふらした馬鹿は。

 軽く罵りながら治癒の魔術を自らに向けた。

 呪文の詠唱に支障がない程度に傷を治したら、腹を押さえて苦しむ仲間とそこらに転がる軍人達の治療か――幸い、賊は「品物」を奪う事を優先していたため、命に関わるほどの怪我を負った者はいなそうだ。


「やれやれ。油断したね」


 あんな誰にも触れられないような代物を奪おうとする者など居る訳が無い。そう心のどこかで思っていた。

 だから注意を怠ったのだ。

 突然現れた、たった五人の賊に【欠片】をあっさりと奪われてしまった。


 それでもこの時のイネスにはまだ余裕があった。

 【欠片】に封印の魔術をかけた友人に怪我が無く、本人が賊を追いかけて行けたから。

 老いたとは言え、この国一の……いや大陸一の封印の魔術師と呼ばれた彼女なら確実に自分の魔力を追跡する事ができると信じていたから。


 そう。その時は、まさか途中で「封印の箱」を入れ替えられるとまでは予想していなかったのだ。

 

 

 * * *



 レオナは足を引きずるようにして階段を登った。

 気分と足取りを重くするのは、トリカから聞かされた話。



「レオナさんと魔術師連盟に行った日……やけに魔術師たちが落ち着かない様子だったので、ちょっと強引な方法でイネスさんから聞き出しました。

 さすがに口が堅かったですね。二日も通い詰める事になるとは思いませんでした」


 そんな言葉で始まった、事件の概要はこの国の深部に関わる話だった。

 トリカはレオナがこの国の「敵国」の人間だと知っているはずだ。それなのにどうしてそんな話をしたのかはわからない。

 信用されているからか、それともデマを国に持ち帰らせるためか……やけに頭のまわるこの男に限って、何も考えていないという事は無いだろう。

 どう理解すべきなのかレオナは迷っていた。


 それが真実であるかはわからないが、トリカから聞かされた事件の概要はこうだ。

 【欠片】の奪われた三日前の夜というのは、式典の準備の為に【欠片】を王城から神殿に移送する日だった。

 封印を施しても常に魔力を放っている【欠片】。周囲への影響を考えて人々の往来の少ない深夜を選び、封印の魔術を使える魔術師を中心とした魔術師連盟の数名と軍人達が警護に当っていた。

 しかし、危険物でもある【欠片】を狙うものなどいないだろうという油断もあり【欠片】は数名の襲撃者によってあっさりと奪われた。


 勿論警護の者達も手をこまねいて見ていた訳ではない。

 【欠片】を収めた箱を封印していた魔術師が、自分の魔力の痕跡を辿って追跡した。

 しかし、途中で別の封印の箱に移し変えられたらしく痕跡を見失ってしまったという。


「もしかして、その別の封印の箱っていうのが――!?」


 思わず声が大きくなるレオナに、落ち着くようにと手振りで示し、トリカは頷いた。

 レオナの拾った石と同種の魔術を使ったのだろうと。

 だが同じように考えたトリカがイネスにそれを告げると、イネスは渋い顔をしたという。


 イネスの考えでは、「同種の魔術」ではなく「同じ魔術」なのだ。


 ――あの魔術はね。安全に履行するには六つの石が必要だけれど、魔術師の命を代償にする覚悟があるなら一つ欠けても封印する事ができるのさ。


 そう言って、五つの石で無理矢理その魔術を行った可能性を示唆した。

 ただし、五つの石で封印を安定させる事ができるのは、その術をかけた魔術師の魔力が尽きるまで。

 それがどれくらいかというと、魔術師の格にもよるが長くて一週間だという。


「それで昨日の襲撃か」


 合点のいったレオナがつぶやいた言葉にトリカは首を傾げた。

 レオナは昨晩の襲撃の一部始終を話した。

 勿論アレフとヴィオラの事は「喧嘩の強い友人」とだけ話して誤魔化したが。


 トリカは眉間に指を当ててしばらく考え込んでいた。

 目の前の腸詰とセットのスープがすっかり冷めてしまうまでぴくりとも動かなかった。

 ようやく目を上げた時、彼の漆黒の瞳には強い意志が浮かんでいた。 

「その話、イネスさんにしてもいいですか?」


 

 * * *



 くれぐれも身辺に気をつけるようにと何度も念を押すトリカと別れ、宿泊する部屋のある五階にたどり着いた時、レオナは眉を顰めた。

 部屋の前に人だかりが出来ていたのだ。

 また襲撃者かと階段の陰に身を隠したが、すぐに男達の中に見知った顔を見つけて緊張を解いた。


「ダウィ? どうしたの?」


 振り向いて安堵の表情を浮かべる彼の背後には五人の男。

 二人は辺境騎士団の黒い制服、二人は紺色のウォーゼル国軍の制服に身を包んでいる。

 そして最後の一人は、ウォーゼル国軍の制服に似た服を着ているが肩章や袖口の模様が少し違う。

「あれ? この間の……」 

 見つめあう二人を交互に見て、ダウィが聞いた。

「知り合い?」

「うん。公爵家に手紙を届けに行った時に玄関まで案内してくれた人」

 男は軽く頷いた後、ウォーゼル国軍流の敬礼をした。

「アランバルリ公爵の甥で、軍では伯父の副官を務めますウォーゼル国軍中佐エルネスト・ナシオ・ル・フェンテスです」

「レオナ、です」

「そう……レオナさん。ちょっとお話を伺いたいんですかよろしいですか?」

 ウォーゼル国軍といえば、二十年ほど前からレオナの属するイーカル国軍と戦争を続ける相手だ。

 ついていって良いものかとダウィを見ると、背中を押すように、いつもの笑顔で頷いた。

「もし不安だったら、辺境騎士団の部屋を貸そうか」



 周囲を軍人に囲まれ、市民の好奇の視線に晒されつつ辺境騎士団本部に着くと、すぐに奥まった部屋に通された。

 応接室のようなつくりのその部屋には三人がけのソファが向かい合わせに置かれ、間に白いクロスのかけられたローテーブルが置かれていた。

 レオナは進められるままに上座にあたるソファの真ん中にちょこんと座り膝の上で固めた拳にじっと視線を落としていた。

 向かいのソファにはエルネスト。その後には突っ立ったままこちらを見つめるウォーゼル国軍の軍人が二人と辺境騎士団の騎士が二人。

 とてもではないが落ち着けない。

 何の話が始まるのだろうか。

 あっさり国境を通したがやっぱりイーカル人を自由にして置けないというならホテルからまっすぐ軍に連衡すれば良い。それならそれで最初から言ってくれれば逆らう気は全く無いし、辺境騎士団が介入する必要も無いだろう。


 そう。なんで辺境騎士団に連れてこられるんだ?


 説明を求めても、エルネストはダウィが来てからとしか答えない。

 視線が合えば微笑みを返されるが、向こうからは一切口を開こうとしないのが怖すぎる。

 唯一つ、心当たりが無いわけでもないのは、先ほどトリカから聞かされた【欠片】に関する事だが――


 そこにダウィがティーセットを抱えて戻ってきた。

 テーブルの上に三人分のカップ。

 そして後に控えている者達の為にワゴンの上に人数分のカップを並べたのは、まあわかる。

 だがこれはなんだ。


 張り詰めていた空気が霧散した。


 レオナの前に置かれたカップのもち手は猫の尻尾を模しており、やけに可愛らしい顔が反対側についていた。

 エルネストの物は子供の描いたようなタッチの花と蝶。

 ダウィの手にするのはでっぷり太ったブタとうさぎが鬼ごっこをしている絵だ。

 後の軍人達の分も、細かい部分まではよく見えないが、やはりピンクやひよこ色など可愛らしい色使いだ。場にそぐわない雰囲気のカップを出され、これまでしかつめらしい表情を作っていた軍人たちが思わずといったようにカップを覗き込んでいる。


「で。何から話そうか」

 困惑を隠しきれない面々を前にダウィだけが何でもないかのように振舞っている。

「ええとね。ちょっとした事件があったんだ。

 その事件の責任者がウォーゼル国軍大将オスワルド・テシト・ル・アランバルリ公爵。今日は代理で副官のフェンテス中佐がここに来てくれてる」

 エルネストが顎を引いて軽く頭を下げた。

 決して丁寧でないのに慇懃に見えるのは文官めいた顔立ちのせいだろうか。体つきも後に控える部下達よりは一回り小柄で、肉体労働派というよりは頭脳派に見える。

 ただ、イーカル王国とはそもそも軍のシステムが違うので、階級から実力を推し量る事ができない。それ以前に、彼のその地位が実力なのかそれとも公爵の甥というコネのお陰かも――

「フェンテス中佐は士官学校を主席で卒業して、その後伯爵令息という地位に頼らず情報部隊から実力で伸し上がった立派な方なんだよ」

 ダウィの補足でよくわかった。

 彼はレオナの苦手な「賢い人」だ。

 言葉の裏を探るといった事ができないレオナの天敵。

 この時点でこれからの会話が相当神経をすり減らすものだと確定した。

 苦虫を噛み潰したような表情の意味をダウィは正確に理解したのだろう。笑みを苦笑に変えながら話を続けた。

「本来なら国内で起こる事件はその国の自警団なり軍なり、それに類する組織が自力で捜査し、解決する事になっている。だけど例外もあってね。俺たち辺境騎士団が今回首を突っ込む事になったのは、その事件を発端にもっと大きな事件が起こる可能性があるからなんだ」

 これで確定した。

 ダウィは「ちょっとした事件」と言っていたけれど、あの国宝【萌花の欠片】が強奪された話だろう。

 そう考えれば、レオナがこの国に来た次の日からダウィが急に忙しくなった事も説明がつく。

 それに確か公爵家に行った日、エルネストが執事と「伯父は忙しくて家に戻れない」というような話もしていた。その言葉も彼の伯父――公爵が事件の責任者であるなら納得だ。

 

「それでね。捜査をしていた俺たちのところに魔術師連盟から連絡があって――君、妙な落し物を拾わなかった?」

「……魔術に使う石……?」

「そう、それ。

 今回の事件に関係がありそうだから詳しく話してくれないかな」

 レオナは迷った。

 自身に後ろ暗いところは無いから話す事は構わない。

 だが、全てを話すにはアレフやヴィオラの事に触れないわけにはいかない。

 アレフの正体を知っていそうなダウィにだけなら包み隠さず話す事ができるが、他の者の居るところでそれを話すのは憚られた。

 彼らは二度も命を救ってくれた恩人だ。その上一宿一飯の恩義もあるし、ヴィオラはすでに友人のようなものだった。

 口を閉ざすレオナをエルネストの部下達が睨みつけてきた。

 だんまりは自分の身も危うくするだろう。いっそ彼らを通りすがりの他人という事にしようか――

「いいよ、レオナ」

 いつもの笑みを浮かべてダウィが頷いた。

「市場の路地裏で九体の変死体が見つかった件と、倉庫街で六体の変死体が見つかった件は君の関与がない事を確認した上で『処理済み』だから好きに話してくれていい」

「何のことですか?」

 エルネストが片眉を吊り上げるが、ダウィは向けられた怒気を笑顔でかわした。

「『処理済み』と言いました」

 エルネストはそれで黙ったけれど、彼の部下達は納まらないようだった。

 一歩前に出た。

 しかし、口を開く前にダウィが静かな声で黙っていろと告げた。

「だから彼女は関与してないと言ったでしょう? ――面倒だから、ここは三人にしてくれるかな」

 ダウィが手をふると、辺境騎士団の二人が軍人二人の腕を掴んで部屋から連れ出そうとした。

 軍人達は抗議の声をあげるが、上官であるエルネストが下がるようにと言うのでそのまま隣室へ連れて行かれたようだった。


「さて、五月蝿いのが居なくなった所で話を続けようか。

 エルネスト君。何をどこまで報告するかは君の裁量に任せるけど、彼女の不利になるような事はしないでくれるかな」

「……判断は話を聞いてからです。国益に反する事はできません」

「まあ、あくまで『お願い』だよ」

 二人にお茶を勧めてから、ダウィは自分のカップに手を伸ばした。

 カップを両手で包み込むように持つダウィはあまり気にならないが、上品に持ち手をつまむエルネストの所作はカップのコミカルな絵柄とのギャップで思わず口元が緩む。

 もしかしてこの場に不似合いなカップはこうして緊張を和らげるためにあるのではないかとすら思い始めた。

「じゃあ改めて。

 そういえばエルネスト君にちゃんと紹介してなかったね。彼女は、レオナ。イーカル人だよ」

「レオナ・ファル・テートですね」

「知ってたんだ」

「公爵家で名乗っているのを聞きました」

 彼は立ち聞きを謝罪してから続けた。

「例の事件の直後に警備の責任者の元へ異国人が接触してくるなど奇異な事だったので、関連を疑ってざっと調べさせてもらいました。

 伯母に届けられた手紙も確認しました。添えられていた手紙――伯母がテート家先代当主へ宛てたものも、イーカル国王からのものも本物のようでした。そして、これは他国での噂ですが、『レオナ・ファル・テートが女性である』という話と共に容姿に関する情報も随分と流れていましたからある程度の判断は出来ました」

 最後の部分で敢えて国名を出さなかったのはさすがだ。おそらくはイーカル王国に密偵を放っているのであろうが、明言さえしなければヨシュア王国での噂だとでも言い逃れができる。

 手の内を全て明かすように見せて肝心なところを伏せる手腕に、外交にも情報戦にも慣れていないレオナはぶるりと震えた。

「それで? 彼女が本物だって信じた?」

 もう一人の狸はいつものように笑顔を浮かべたままそう聞いた。

「全てをあわせて考えれば、彼女がイーカル国王の懐刀のレオナ・ファル・テートであるというのは疑いようがないかと」

「彼女が事件に関与していないというのも信じてもらえる?」

「それに関しては、彼女の供述次第――とさせてください」

 二人の視線がレオナへ向けられた。

 レオナの発する言葉の裏の裏を読もうとする灰色の目、穏やかな笑みを浮かべたままの凪いだ琥珀色の目。一見まったく異なる表情だが、宿る光は同種のものだ。


 ――そういうの苦手なんだけどなあ。


 思わず溜息をつきながら天井を仰いだその意味が、付き合いの長いダウィにはしっかり伝わったようだ。くすりと笑う気配がした。

「それでオレは何を話せばいいの?」

「その石を拾った日、君は『ウォーゼル在住のイーカル人』と一緒に食事をした。その後の話を聞かせて」

「……路地を歩いていたら十人くらいの男に絡まれた。オレがイーカル人だと知って絡んできたようだった。

 一触即発の時に、男達の仲間が現れたんだ。確か――『アレが移動し始めた』とか言いながら」

 エルネストの眉が微かに動いた。

 無表情と同義の笑顔よりエルネストの方がまだ表情が読めそうだ。レオナはエルネストに神経を向けながら淡々と事実だけを語りだした。


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