第4話 魔術師連盟
昨日と同じくらいの時間に、ホテルのレストランに行ってみた。
席に通されメニューを眺めていると、店の入り口にこの国ではあまり見かけない独特の風貌の男が現れた。トリカだ。
会釈をすれば、彼はにっこり笑ってこちらへ向かって来る。
またイーカル語で挨拶されてもたまらないので、レオナから先に共通語で声をかけた。
「おはようございます」
「おはようございます」
返ってきた返事も共通語だったので、ほっと息をつき、レオナはまたメニューへ視線を落とした。
朝食メニューは二種類。それにあの黒くて苦い珈琲という飲み物か昨日も頼んだ青花茶がつく。
料理の名前を見てもどんなものだかわからなかったので、トリカと同じ物に青花茶を注文した。後でこっそり聞いてみると、注文したのは卵料理で、もうひとつは具沢山のスープだったらしい。
他愛も無い天気の話などを交わしているうちに料理が届く。
フォークを手に取ったところでトリカが思い出したように聞いた。
「そういえば昨日は調べ物の途中で失礼してしまいましたが、お探しの紋章は見つかりましたか?」
「それが……」
レオナは具がたっぷり入ったカラフルなオムレツをつつきながら昨日の成果について話した。
大陸東岸地方に見当をつけて他にも数冊の本を探したのだが、それらしいものは無かった。
南方にもそれに似たシンプルな紋章を使う国があるようだったが、そちらは調べるのに適した本を見つけられなかった。
つまりなんの収穫もなかったというつまらない報告だ。
だが、トリカはそれを「面白い」と言った。
「あの図書館の蔵書に載ってないような紋章。興味がありますね。見せてもらう事はできますか」
レオナはポケットを探り、ボタンを取り出した。
「ふむ……これは紋章ではないでしょうね」
トリカは一瞥しただけで断言した。
「魔術に使う文字だと思います」
「魔術……ですか?」
「メジャーではありませんが、魔術に使う文字の中にはこういう象形文字――正確に言うならば表象を絵として表現したものを使う事があるのです。
――レオナさん、今日お時間は?」
考える素振りをしてみたが、昨日の手紙の返事を待つ以外に用事はない。
本当は、イーカル国王から伝言を預かっているので魔術師連盟へ行きたかったが、ダウィもアレフも仕事だとかで今日も一緒にいられないのだ。
日常会話ならどうにか不自由なくなってきたとはいえ、複雑かつ重要な話をするのに通訳なしでは心許ない。それで予定をもう一日延ばした所だった。
「暇なので、観光でもしようかと……魔術博物館というのがあるのだそうですね。そこへ行ってみようと考えていました」
「ああ、それは丁度良い」
トリカは手を打って言った。
「魔術博物館は魔術師連盟ウォーゼル支部の付属施設です。一緒に行きましょう」
「はい?」
顔をあげると、真っ黒な目が好奇心に輝いていた。
「魔術師連盟の図書室ならきっと魔術文字に関する本もありますよ」
レオナが頷く前からすでに「どの本になら載ってるだろうか、あの本は古代文字には特化しているけれど、あっちの方が実践的な魔術文字が書かれていると聞くし」などとぶつぶつと呟いている。どうやら断る隙はなさそうだ。
まあいいか。やる事もないし、魔術師連盟を覗いてみるというのは当初の予定に近い。
承諾の返事をしながら「トリカは少し強引だ」と心の中にこっそりメモをした。
* * *
「トリカさんは今日はお仕事無かったんですか」
連れ立って歩きながら、ふと気になったので聞いてみた。
毎日食事は遅い時間に取っているようだし、朝が遅いならその分日中は忙しいのではないかと思ったのだ。
だが、トリカは頭を振った。
「今日は午後から少しミーティングに顔を出せれば大丈夫」
目的地に着くまでの間にトリカは簡単に自分の事を話した。
トリカはレオナが予想した通り、アスリア=ソメイク国から来ているらしい。商談や会議をこなすのが一番の目的だが、この旅は休暇も兼ねているためそんなにスケジュールを詰め込んではいないのだそうだ。
貴重な休暇をこんな事で費やして良いのかと恐縮するレオナにトリカは笑いながら言った。
「こんな面白い謎、追求しない方がもったいないでしょう?」
まるで冒険譚に憧れる少年のような言い方だ。
実際、終始好奇心を隠さない彼は、四十過ぎとは思えない少年のような目をしていた。
二人が辿り着いたのは、初日に見た噴水の側の大きな建物。
極端に窓が少ないが、代わりに壁面に多くの彫刻が施されている。トリカによると三百年程前に流行したなんとか様式という建築様式で、出入り口周辺にあるアーチ状の構造が特徴なのだそうだ。
内容はよく理解できなかったがなんとなく頷きつつ、「小難しい話を嬉々として語る辺り、ダウィと話が合いそうな人だなあ」などと頭の片隅で考えていた。
最後まで名前を覚えられなかった「なんとか様式」のアーチを抜け、扉を開けようとしたところで、中から飛び出してきた女性が先を行くトリカにぶつかった。
「す、すみません!」
女性は余程急いでいるのか、頭を下げてすぐに走り出す。
レオナはその背を見送ってから、魔術師連盟の建物に足を踏み入れた。
魔術師というおどろおどろしいイメージとは違い、中は辺境騎士団のロビーとよく似た役所のようなつくりをしていた。
暗い色のローブを着た人物が行き来している所が「いかにも」ではあるが、昔話で聞くような老婆は居ない。むしろ若い人が多いくらいだ。
ローブを着た人達は皆足早にロビーを抜け、忙しそうに立ち働いている。
きょろきょろとあたりを見回すレオナを置いて、トリカは右の隅にある案内カウンターへ向かった。
「こんにちは。今日はやけに人の出入りが多いですね。何かあったんですか」
「い、いえ何も」
「図書室へ行っても良いですか」
「あー……はい。トリカさんなら大丈夫です。でも今日は付き添いを出来る者が居ないので地下へは行かないで下さいね」
入館許可証だと渡された透明な石のついたネックレスを首に下げ、トリカはレオナを促して建物の奥へと向かった。
* * *
ぱらぱらと流し読みした本をパタンと閉じてトリカが呟く。
「ここにも無かった」
机に積み上げた魔術文字に関する本はすでに二十冊を越えている。
魔術は専門じゃないからわからないと言いつつも、共通語ではない文字や古代文字で書かれたものまで交じった膨大な書籍を片っ端から検索していく能力は驚異的だった。
トリカは深く息を吐き、机の上に置かれた石を指先でつついた。
「やっぱり地下じゃないと無いかなあ」
「地下ってなんですか?」
レオナの問いに図書室の隅の薄暗い階段を指して答える。
「禁書の置かれたフロアです。魔術的な禁書というのは主に取り扱いの難しい魔術の本ですね。後は呪われた本なども置いてあるので専門の魔術師と一緒でないと危険なんです。けれど、先ほど受付の方に地下には行くなと釘をさされてしまいましたから……」
まあ入れないのでは仕方が無い。
とにかく一度本を片付けようかと動き出した時、その地下へ続く階段から一人の女性が上がってきた。
それに気付いたトリカが人好きのする笑顔を浮かべて歩み寄る。
「イネスさん。こんにちは」
「トリカか。また本を漁りに来たのかい。まあ勝手にゆっくりしていくといいよ」
なぜか嫌そうな顔をして彼を見上げるのは、紺色のローブを纏い長い赤毛を後でひとつに束ねた女性だった。
二十歳過ぎだろうか。レオナと変わらない年の割にやけに年寄り臭い喋り方をする。
「今暇ですか」
「急いでるんだ」
「ちょっとだけお時間下さい」
「忙しいって言ってるだろ」
「これなんですけどね」
「相変わらず人の話を聞かない子だね――おい、お前これは」
トリカに渡された石を見て、面倒臭そうに応対していた女性の顔が「魔術師」の顔になった。
濃い睫に彩られた緑の目が細くなり、石の表面に刻まれた紋章をためつすがめつする。
「わかりますか」
「あたしを誰だと思ってるんだい。
これは最近じゃあまり使われなくなった古い封印の魔法陣だね。おそらく六つで一セットになっているうちの一つ。
これを六方――例えば、箱の四つの側面と底面、それに蓋に配置する事で、魔力の少ない者でも強力な封印の魔術が使えるようになるって代物さ」
トリカの見立て通り、魔術に使うアイテムだったらしい。
「だが、これは相当用途の限られる代物だよ。なんで魔術師でもないお前がこんな物を持ってるんだい」
「この子が拾ったんです。
持ち主に返したいと言ってるんですが、魔術師連盟の物ですかね」
「ああ。まあこの街で拾ったってならきっとウチの誰かのものだろうね。預かっておこうか」
イネスと呼ばれた魔術師は石をローブのポケットに収めてからレオナへ顔を向けた。
「ところで、ああ、あんた――名前聞いてたっけね」
「レオナと言います」
「そうか。月の女神の名だね。素晴らしい」
「素晴らしい?」
「月は魔術の力にも大きな影響を与えるもんさ。月の女神の恩寵を受ける魔術師は月の加護を持つ。
だが、見たところあんたは魔術師ではなさそうだね」
「ええ。親戚にも先祖にも魔術師は居ません。魔術師とお話するのも、イネスさんが初めてです」
「ははは。そりゃあんた、本当に恩寵を受けた子だ。魔力を持たずとも力に好かれる子ってのはたまにいるもんさ。極稀にね。
だが、そういう子は『人でない者』にも好かれたりする。気をつけな」
「人でない者?」
「死霊だとか魔族だとかだね」
「――っ」
思わず肌が粟立った。
そんなものに好かれると言われても嬉しくない。
幸いな事に今まで出会ったことがないが、そういう物は大陸東部の国ほどよく出ると言う。勿論、この国においても――だ。
急に感じた寒気にレオナが二の腕をこするのをみて、イネスは笑った。
「――で、レオナ。あんたはこの石、いつどこで拾ったんだい?」
「えーと……どこだろう」
イネスの細い眉が寄った。
「そりゃどういう事だい」
「一昨日この国に来たばかりで、本当によくわからないんです。
着いたその日の夜に、聖王ラズ・ゲットルの像がある公園から――市場の北側?あたりに住んでいる知り合いの家に行く途中で……その、暴漢、に絡まれたんですけど」
「暴漢?」
今度眉を寄せたのはトリカだった。
そういえばこの石を拾った時の状況はまだ話していなかった。
「暴漢って、大丈夫だったんですか?」
「ええまあ……その、一緒に居た友人が喧嘩に強いほうで」
まさか駆けつけた暗殺者がばったばったと毒殺したとは言えまい。曖昧に誤魔化しておいた。
「それで、そこから逃げる時に落ちていたのを拾ったんです。
元々落ちていた物なのか、暴漢が落とした物なのかはわかりませんけど……」
言ってみてから気がついた。
「あ、暴漢の落としたものではないんじゃない……のかな」
「なんでそう思うんですか?」
元は紋章なんて刻んであるから暴漢などではなく高貴な人の落とし物だろうと思っていたのだが、これが魔術的なアイテムならまた別の理由が出てくる。
「絡んで来た奴らはサザニア人だったので……」
サザニア帝国はイーカル王国と同じく魔術師の生まれない国だ。使えもしない物を持っていても仕方ないだろう。
イネスも同じような理由を言ってレオナの考えを支持する。
そして石をしまったポケットを軽く叩いて彼女は踵を返した。
「コレに関してはあたしが責任を持って持ち主を探すよ」
「よろしくお願いします」
ひらひらと手を振って紺色のローブの魔術師は去っていった。