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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
奇人の巣食う場所
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第1話 【刃】たち

 目を覚ますと、抱きしめていたはずのヴィオラが居なかった。

 甘い色のカーテンの掛けられた窓から白い光が差し込んできている。外は十分に明るい。ヴィオラは家事でもこなしに行ったのだろう。

 レオナはスリッパをつっかけると、細く開いたままの扉から隣のリビングへ顔を出した。

 ちょうど、ソファから上体を起こしたアレフが欠伸をしながら毛布を丸めている所だった。

「おはよう」

「ああ……」

 声はまだ寝ている。

「ヴィオラさんは?」

「パントリーじゃねえ?」

 部屋の端を指した。

 小さなこの家にダイニングは無い。リビングの窓際に設置されたテーブルで食事をするのだ。そんな狭さだからキッチンもこのリビングに併設されている。

 そのキッチンにあたる部分の壁に設置された扉が半開きになっていた。

 昨日少し見せてもらったが、その向こうには人が一人ようやく入れるほどの小さな部屋があり、壁一面の棚に瓶詰めや根菜類の入った籠が置かれている。所謂食料庫だ。

 ヴィオラがそこに居るという事は、朝食の用意をしてくれているのだろう。

 ウォーゼル料理の心得は無いが、野菜を刻むくらいなら手伝えるかもしれない。

 レオナはキッチンへ足を向けた。


「あら」

 パントリーから見知らぬ女性が現れた。

「おはようございます」

 癖のある栗色の髪の若い女性だ。

「お、おはようございます……?」

 面食らいつつ挨拶を返すレオナににっこり微笑んで、彼女は手に抱えていたトマトをキッチンのカウンターに並べた。

 それを終えると今度は壁際の食器棚に向かい、その前で何度か飛び跳ねた。棚の上に置かれた籠を取ろうしているらしい。だが、標準より少し背の低い彼女には届かない。代わりにレオナが手を伸ばした。

 彼女は差し出された籠をお礼を言って受け取る。

 レオナより少し年上だろうか。だが、零れ落ちそうなほど大きな目が少女チックで可愛らしい。


 きっとこの家のもう一人の住人だ。


 家具や雑貨を選んで小花を生けたのも彼女だろう。

 昨日は先に寝てしまって会えなかったので、挨拶をしようとするが、レオナが口を開く前に彼女が早口で話し出す。

「朝ごはんはパンで良いのかしら。それともオートミール? ミルクはホット? お砂糖は?」

「……ええと」

「あらもしかしてミルクは苦手? ジュースもあるのよ。昨日お隣の奥さんが――」

「ミ、ミルクは好きです。

 あの、すみません。ご挨拶させていただいても良いですか?

 オ……わ、私は、レオナ・ファル・テートと言います。昨日は――」

「あら、嫌だわ。昨日お会いしたのに」

「え?」

「私、ヴィオラです」

「ヴィオラさん!?」

 レオナは彼女の化粧っけの無い顔をまじまじと見つめた。

 ギャザーのよったふんわりとしたワンピースと相俟って、十代でも通りそうだ。

「……だいぶ、印象が」

 控えめに表現した。

 いや、まるきり別人だ。化粧で化けるなんてレベルじゃない。見た目が違うせいか声まで違って聞こえる。

 ヴィオラは昨日の艶っぽい笑みではなく、野の花のような飾り気のない笑顔でにっこりと笑った。

「あれはお仕事用だもの。ねえ、ダーリン」

 ヴィオラがレオナの背後に目をやる。

 すると――いつの間に入ってきたのだろう。気配も感じさせずに現れた男が彼女の腰に手を回して抱き寄せた。

「おはよう、ハニー」

 蜂蜜のように甘い声で囁き、ヴィオラの頬にキスをした。

「いやだわ、お客様が見てるのよ」

 ヴィオラは身をよじるが嫌がってはいない。隣で聞いているこっちが溶けそうなほどとろりとした声で「おはよう」と言ってキスを返した。

 そんな恋人同士の睦みあいをぽかんと見つめるレオナの後ろから、拳を握り締めたアレフが現れた。

「何猿芝居してやがる」

 決して軽くは無い力で男の頭を叩いた。

「あはは、いつもの癖で」

 後頭部を擦りながらこちらに顔を向けたのは、茶色い髪に黒い目の男。

 レオナはその優しげな顔に見覚えがあった。

「あなた、昨日の――」

 アレフとはぐれた時に、親切に道を教えてくれた人だ。

 男は笑って手を振った。

 そんな二人の様子に、アレフが驚きの声を上げる。

「お前らいつの間に!?」

「昨日道に迷った時、騎士団本部まで送ってくれた人だよ」

「なっ」

 言葉を失うアレフに、ヴィオラが楽しげに告げた。

「だから言ったでしょ。あたしだけじゃないって」

「まさか他にも……」

「さあ?」

 アレフが狼狽しているのが余程面白かったらしい。男は腹を抱えて笑った。

 息が切れる程笑った後でレオナの視線に気づき、肩を震わせながら自己紹介を始める。 

「レオナさん、昨日は楽しい時間をありがとうございます。

 僕はルノー。ヴィオラの夫です」

「夫って……」

 奥さんがあんな格好をして出歩いていて気にならないものだろうか。

 それ以前に暗殺者をしていることは知ってるのだろうか。

 戸惑うレオナにルノーは何かを否定するようにパタパタと手を振りながら言った。

「表向きね、表向き」

 ルノーは手首につけていた太いバングルを外す。


 現れたのはヴィオラと同じ烙印。


 そういえば、アレフもいつも革のバングルをつけている。

「ってことはお前も……?」

「……まあ、同業者だな」

 視線を逸らし明言を避けたが、バングルをした左腕を隠すように背中に回したのが答えだった。


 ショックは――思ったほどは無かった。


 ヴィオラの烙印を見た時から、そんな気がしていたのだ。

 それに「死の刃」については悪いイメージは一切無い。


 レオナの胸にあるのは、むしろ「感謝」だ。


 長い事悪政を敷いていた前王を手に掛けたのは暗殺者集団「死の刃」の「男」。機会があれば礼を言いたいと思っていた。

 だからレオナはルノーに聞いてみた。

「あの、もしかして、イーカルの前国王を暗殺したのって、ルノーさんだったりします?」

 アレフが手を下したのでない事は、その時一緒に居たレオナが良く知っていた。

 だからルノーかと思ったのだが、当の本人はきょとんとした。

「え、何それ」

 ルノーに「知ってる?」と聞かれたヴィオラも首を傾げながら口を開いた。

「イーカルは私達にとっては管轄外だもの。たまにアレフが帰省してるくらいで、誰か派遣されたって話も聞かないわ。アレフじゃないの?」

「……俺はあの時レオナの部屋に居た」

「じゃあ、誰かが『死の刃』を騙ったって事かしら」

 それなら誰がなんて誰にもわからないので、その時はそのまま朝食の準備を始めた。



 初めて見る細長い形のパンにとろりと甘いスープをつけながら食べる。

 これはこの国でごく一般的な朝食らしい。

 甘党のレオナは大喜びでおかずを他所に三本も食べた。

 だが、アレフはこれが苦手らしい。スープは端から断り、卵とトマトののったサラダを口に詰め込んでいた。

「そうだこれ、夜中にタイが持ってきた」

 口をもごもごさせながらアレフが封筒を取り出した。

「タイが? ダウィからの手紙?」

 ダウィはよく飼い犬の首輪に手紙を仕込んで運ばせている。これもそうして届いたのだろう。

 レオナは受け取るとすぐに封を開いた。

 上質な白い紙にイーカル語の文字が躍る。

「えーと、仕事が忙しいから今日は会えなくなった……?」

 急用を詫びる内容だった。

 しかし、時間が取れないからと放り投げない所が彼らしい。件の公爵夫人の事を考えてくれていた。「まずは正攻法で面会を求める手紙を書いてみるように」と二枚目以降にはその手紙の書き方と公爵家までの道順を示した地図まで事細かに書いてある。

「あいつ、あんたには甘いんだよな」

 横から覗き込んだアレフは完全に呆れ顔だ。

「誰にでも優しいよね?」

「んな訳ないだろ。これがあんたじゃなくて俺だったら『精精頑張ってみれば?』くらいだ」

「それはお前がダウィに何かやらかしたんじゃないのか」

「あいつは初対面からああだった!」


 ――それはきっと初対面から何かやらかしたんだろう。


 レオナは口に出さずにつっこんだ。

 レオナとの初対面の時だって酷かった。ダウィともそんな最悪の第一印象を残す出会いをしたんじゃなかろうか。

 出会い頭の当身については今でも恨んでいるぞと睨み付ければ伝わったらしい。

 アレフはすっと目を逸らした。


「そういえば……お前とダウィっていつからの知り合い?」

 ずっと聞き出す事が出来なかった話だが、話の流れに任せて聞いてみれば意外にもアレフはすんなり答えた。

「……十五年くらい前か」

「そんなに!?」

 レオナがダウィと知り合ったのは四年前だ。もっと付き合いの長いファズ達ですら六、七年と言っていた気がする。

 てっきり二人はファズに紹介されて知り合ったのかと思っていたが、逆だったんだろうか。

 だがダウィとの関係をはぐらかし続けるアレフは、今日も追及を許さない。

「まあとにかくあれだ。今日はその公爵夫人とやらに手紙を書くんだな」

 詳細を聞けないのは毎度の事なので、ひとつ情報を聞き出せただけでも満足だ。レオナは大人しく引く事にした。

「そうだね。まずは便箋を買わないと」

 一応国を代表する立場な訳だから最高級の紙を使うべきだろう。後は……

 今日の予定を組み立てていくレオナにアレフが言った。

「ホテルを取れって書いてあるんだろ」

「うん。なんかお勧めのホテルが書いてあるね」

 手紙の二枚目をめくると、ホテルの名前と道順が書かれている。

「ああ、こりゃこの街で一番高いホテルだな」

「ぶっ」

 レオナはむせた。

「な、何だって!?」

「ちゃんと読んだのか。面会の返事を貰うために、できるだけ高い所に泊まっておけって書いてあったじゃないか」

 アレフの指差した所には確かに、「相手からの信頼を得るためには安宿ではなく格式の高いホテルを返信先に指定するべき」と書かれている。

「ちょ、ちょっと見逃しただけだよ」

 アレフは疑いのまなざしを向けた。

 字を読むのが苦手なので流し読みをしていたのは内緒だ。

「困るのは俺じゃないけどな。

 まあ、これだけ高級なホテルだったらフロントに上質紙くらい用意があるだろ。まずホテルを取って、そこで紙を貰って手紙を書けば良い」

「なるほど」

「ところで、俺もちょっと――用事ができてな。ついていけねえんだ」

「えー!」

 通訳兼道案内を期待していたのに!

 レオナは抗議の声を上げた。

 ダウィの書いてくれた地図は精緻だが、路地の多い町なのでこれがあってもまた迷うかもしれない。

 肩を落とすレオナを不憫に思ったのだろう。ヴィオラが助け舟を出してくれた。

「せめてホテルまで送っていってあげたら?」

「あのなあ」

「あっちはあたし達が言い包めておいてあげるわ。ねえ、ルノー」

 どうやらアレフの『用事』とやらはヴィオラとルノーも一緒らしい。

 と、いう事は……

「用事って――『死の刃』、の?」

「ええ」

 あっさりと頷くヴィオラの言葉に思わず心が揺れる。


 人の命の奪う事に関してだけいえば、実はレオナの善悪の基準は一般人と比べてややずれている。

 例えば、昨晩の件は明らかにこちらの命を狙っていたから何人が死のうと正当防衛と捉えられるし、心も動かない。

 だが、欲望を満たす為の殺人は良くないと事と考える。特に金銭のやり取りで誰かが死ぬ事を嫌悪していた。後者については暗殺を悪とするというより「他人に手を汚させて安全な場所に隠れている奴が気に食わない」が正しいのかもしれないが。

 レオナの不安そうな目に気がついてルノーが首を振った。

「人を殺しに行くわけじゃないから心配しないで」

「でも『死の刃』って暗殺集団だって――」

「そんな事ないよ。そういう仕事が目立っちゃうだけで、結構色々やってるんだ」


 ――でも、これ以上は内緒ね。


 耳朶をくすぐる甘い声で囁いたのはヴィオラだった。

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