第6話 迷子
「* * *」以降、彼らの会話は大陸共通語で行われています。
(今までと逆に、通常の文字は大陸共通語/アルファベット表記はイーカル語になります)
あっけなかった。
先程までの緊張感はなんだったのかという程、すんなりと国境を通された。
いや、関所についた時には槍を向けられたし、最初から最後までこちらを睨みつける数十人の兵士に囲まれていたが、審査自体はあっさりとしたものだった。
おそらくは上層部からすでに連絡が行っていたのだろう。通行許可書の割り印と国王のサインを精査した後は、旅券と簡単な荷物の検査だけで通過することが出来た。
ガラゴロと車輪の大きな音を響かせながら、馬車はイーカル領土内よりもやや整備された坂道を下って行く。
「縛り上げられて軍部にでも連れて行かれるもんだと思ってた」
一番楽観的な予想でも、留置所で三、四日の拘留だった。
殺されても仕方ない状況だったはずだ。
だからこそ他の文官や護衛の同行を断って来たのに、何の条件も無く通された事がいっそ気持ち悪かった。
こっそり後を振り返ってみても、監視の着いて来る気配は無い。
「こんなんで良いの?」
「まあ……良いんじゃねえ?」
そう呟くアレフも拍子抜けたという顔だった。
「ああ、それはともかく、ここからはイーカル語禁止だからな」
「……Esi iminde for-ture」
* * *
王都に着いたのは次の日の昼過ぎ。
小さな国だとは聞いていたが、ここまで小さいとは思わなかった。
町外れで馬車を預けた後、二人が旅の荷物を置くために訪れたのは一軒の民家だった。
住宅街のごく普通の一戸建て。扉には魔よけの意味もあるハーブのリースが飾られ、掃き清められた玄関には、泥を擦り付けるのが躊躇われるほど可愛らしい猫の形の玄関マット。
きょろきょろするレオナを尻目に、アレフはさっさと鍵をあけて中へ入ってしまう。
慌てて後を追い、室内に足を踏み入れて更に驚いた。
可愛らしいレースのカーテン。出窓と食卓に生けられた小花。オーブンの側のカウンターにはどうみても手作りの焼き菓子。
「……ここ、お前の家……じゃ、ないよな」
可愛らしいセンスからして女性が住んでいるのは確かだ。
それから、その人とは別にもう一人。椅子やカップが全て二脚づつ並んでいる。
アレフがここで嫁か愛人と住んでいるならおかしくは無い状況だが、誰か一人に定めるというのはアレフのイメージではない。
「知り合いの家だ。この時間はまだ仕事だろ」
「勝手に入っていいのか」
「いつもそうしてる。向こうもそのつもりで合鍵渡してるんだろうし、気にする事ねえよ。
取り合えず――ダウィに会ってこれからの事を相談すっか」
「ダウィ!? この町にいるのか!」
驚くレオナを他所に、アレフは当然だろうという顔で頷いた。
「騎士団本部はここにあるからな」
「アスリアに住んでるって言ってたから、てっきりそこまで行くのかと」
「あー……うん。行くんだろうな」
「へ?」
「あいつの嫁さんが、お前を連れて来いって騒いでいてな。
ここでの用事を終わらせたら、帰る前に連れて行かれると思うぜ」
ダウィの嫁といえば魔術師連盟のコーディネーターだ。本人が魔術師なのかまでは聞くのを忘れてしまったが、会ってみたいと思っていた人物の一人である。なにせダウィの言葉を信じるなら、美人で明るく聡明で、それでいて少し子供のような所のある女性らしい。「そんな完璧な女いるか!」と長年思い続けてきた相手。話の種に見てみたい。
いや、今までは絶対嘘だと思っていたが、先日婚礼を済ませたばかりの王妃様がまさに絵に描いたような「お姫様」だっただけに、広い世間には一人ぐらいそんな人がいてもおかしくないかもしれないと思い始めている所なのだ。
思わず唇の片端が上がってしまう。
「それは楽しみだな」
「……楽しみ、か?」
意外な事に、アレフはこれ以上無いほど渋い顔をしている。
「嫌なの?」
本当に美人で明るく聡明で――な女性なら、喜びこそすれ厭う理由など無いように思えるのだが。
「行かずに済むなら今すぐにでも逃げ帰りたい」
女好きのアレフからは想像できない回答だ。
「……ダウィの奥さんってそんなにヤバいの」
やっぱり身内の贔屓目だったのだろうか。
眉を寄せるレオナを見て、アレフは首を横に振りつつ深い溜息をついた。
「会えばわかる」
* * *
ウォーゼルは商業の国だ。
王都も例外ではなく、大陸中央部と海とを結ぶ交通の要所として、そこを行きかう商人達によって発展した街。どの通りにも大陸各地の商品を扱う店が軒を連ね、威勢の良い声が飛び交っていた。
「うーわー!」
幾度目かわからない驚嘆の声をあげるレオナを、アレフは冷めた目で見ていた。
「田舎者丸出し」
「だって、見たことない物ばっかりだよ!」
「少しは落ち着け」
「アレフ! あれ! 魚!! それも生!?」
「はいはい。後で食わせてやるから」
「食べていいの!?」
川も湖も少ないイーカルでは、王宮で開かれる晩餐会で干し魚が出される程度という超貴重品だ。多少水の豊かな地域で育ったレオナは干していない魚を食べた経験があるが、それでも掌より大きな魚は食べた事がない。
この街にはその魚が溢れるほどたくさん売っている。
木箱に山になった小さな魚、その隣で時折飛び跳ねる透明な川えび、銅色の体に斑点のある魚、そして一抱えはありそうな巨大な赤みがかった魚――
「値段見てみろよ。マス――あの中で一番でっかい魚な。あれ一尾でパン六つ分だ」
「そんなに安いの!?」
「すぐ側に川や湖があるから、物にもよるが大抵は肉より安いな」
そう偉そうに解説するアレフだが、実は彼も初めてここに来るまでは生の魚など見たことが無かった。ぬめった感触や空ろな目に度肝を抜かれたものだ。
魚は極端な例としても、独特な色使いをしたヨシュア王国の敷布や、驚くほど透明なアスリアのガラス工芸品、使い道のさっぱりわからない雑貨――鎖国のせいで他国の文化に触れる機会の無かったイーカル人が興奮するのはアレフにだってよくわかる。
レオナのはしゃいだ声を背中で聞きながら、縦横無尽に広がる巨大な商店街を抜けていった。
「この先を曲がった所が――レオナ?」
振り返ると、そこには誰も居なかった。
* * *
「あ、アレフ――!?」
異国語が飛び交う雑踏の中、レオナは呆然と立ち竦んでいた。
きょろきょろと辺りを見回すが、あの黒髪に黒服の後姿は無い。
――もしかして、はぐれた!?
ちょっと路地の陰に入るような所にあった露天に、変わったナイフが売っていたのだ。
一見ただの折りたたみナイフだが、握りの所に鋏やミニ鋸が隠れているという触れ込みだ。イーカルでは見たことがないものだったので思わず足を止め、アレフに断ってから露天に立ち寄ったのだが……聞こえていなかったのだろうか。
「お嬢さん、どうしたんだい」
露天商の老人が訝しげに声を掛けて来る。
「連れと……はぐれたようです」
「おや。それは困ったねえ。旅行者かい?」
「はい」
「宿の場所はわかるかい。名前だけでも覚えていれば道を教えてやれるかもしれないんだが」
「ええと、ついたばかりでまだ宿は取ってなくて――あ、『辺境騎士団』! そこに行く途中だったんです。辺境騎士団ってどこにありますか?」
「この路地をまっすぐ行くと大通りに出るんだ。そこを東に……左に行くとな、少し大きな公園に出る。それから……ううん。ちょっとわかりづらいんだよな。その公園でもう一度誰かに道を聞くと良い」
「ありがとう、お爺さん!」
レオナは言われた通り、路地の奥へと駆け出した。
その背を見送ると、露天商はにやりと笑い、そそくさと店を片付け始めるのだった。
* * *
レオナが居ないと気がついた瞬間、アレフは全身から血の気が引く音を聞いた。
「やべえ、ダウィに殺される!」
ざっと辺りを見回して周囲にその姿が無い事を確認すると、もと来た道を走って戻る。
レオナにとっては初めての異国だ。日常会話に不便が無くなったとは言ってもまだまだ言葉に不安があるし、何よりレオナはイーカル人である自覚が足りない。
口ではわかったような事を言っているが、この国がイーカル人に対していかに厳しいか理解しているようには見えないのだ。
周囲に目を配りながら人混みをすり抜けて行く。しかし、あの枯葉色をした髪の毛はどこにも見当たらない。
だいぶ道を戻った頃、向こうから知り合いが歩いてくるのが見えた。
「おい、爺さん!」
大きな荷物を背負った老人が、好々爺然とした笑顔で手を振って応えた。
「久しぶりだねえ。何を急いでるんだい」
「爺さん、迷子を見なかったか」
「んー? お前さん隠し子でもいたか」
「違う! 若い女だ! 短い茶色い髪の女!」
「そりゃ迷子じゃないねえ。迷子ってのはほら、精精十歳くらいまでじゃないのかい」
「うるせえ、子供みたいにきょろきょろしてやがるから迷子でいいんだよ!」
「探し人なら、アレに聞くのが早いんじゃないのかい」
「あいつにバレたら殺される!」
「なんだ、アレの関係者か」
「知らねえならいい。とにかく、そんな女を見かけたら俺に教えてくれ。くれぐれもあいつには知られないようにな」
「えーと、短い茶色い髪をした迷子を捕まえたらお前さんの所に連れてきゃいいんだな」
「ああ、頼むな」
アレフは小走りに老人の来た方へと駆けて行った。
「必死だねえ」
その背を見送り――老人はまたにやりと笑った。
* * *
「へえー。配達のお仕事を」
「ええ、だからこの街の道には詳しいんです。どこへでも案内できますよ」
レオナの隣を歩くのは、ウォーゼル人の男だった。
露天商の老人に教えられた公園で、偶然目があった画家に道を尋ねると、老人の言っていたように道順は複雑で幾度も道を折れなければならないようだった。道順を覚えるのも大変なのだが、その目印がまた、早口の共通語でなかなか聞き取れない。途方に暮れている所で声を掛けてくれたのが、この男だった。
休日で公園を散歩していたのだと言う。
年は三十前だろうか。レオナよりも少し暗い茶色の髪と黒い目の――これと言って特徴のない顔をした優しそうな男だった。
「それにしても、この国についてすぐに道に迷うなんて、ついてないですね。連れの方は大丈夫でしょうか」
「連れはこの町に詳しいそうなので迷っている事はないと思います。ただ――心配はしてるでしょうね」
「心配されますか」
「オレは頼りないらしいですから」
「……オレ?」
訝しげな声ではっと一人称を間違えた事に気がついた。
特に女らしい服でもないが、この人はレオナを女と捉えているらしい。
「ああ、ええと、『私』です。『私』! 田舎から出てきたばかりなのでまだ共通語に慣れてなくて」
「なるほど。サザニア帝国の方ですか? いえね、サザニアの西の方から来た友人とお顔立ちが似ているなと思って」
確かに、レオナの生まれたイーカル西部の村から遠くない所にサザニアとの国境がある。その辺なら民族的には同一なのだろう。敵国人と思われることは癪だが、誤解はそのままにしておいた方が穏便にすむ。レオナは曖昧に頷いた。
そしてこの話はあまり突っ込まれると襤褸が出るのも事実だ。アレフには絶対にイーカル人とばれるなと口を酸っぱくして言われているのだからそれは回避しないといけない。
「お、お兄さんはこの街に長いんですか」
話題の変え方としては酷かった。我ながらもっと上手な対応ができただろうと心の中で叫ぶ。
だが、せっかくの休日を不審な外国人の道案内で潰してくれるような奇特な人はいぶかしむ事もしないらしい。
「うん。長いですよ。もう少しで三十年になるかな」
「オ――『私』、用事が終わったら観光とかもしてみたいと思ってるんです。どこか良い所ありませんか」
「そうだなあ……この街へ来た人が必ず行くのはスーゼルク川沿いの公園だけど……いつまでこの国にいる予定ですか?」
「まだ決まってません」
「六日後がね、聖王ラズ・ゲットルの命日なので、川向こうの墓地で式典があるんですよ。
もしまだこの街にいたら是非見に行って下さい」
聖王というのがなんだかわからなかったが、昔の偉い王様なんだろう。
聞けば王族も全員出席するこの国最大のイベントで、運が良ければ国宝も拝めるのだそうだ。
「面白そうですね」
「ええ。僕なんかは屋台料理が目当てですけど。
ほら、この国は商業の国なんていって色んな国の文化が集まるでしょう。だから料理も美味しいんですよ」
「楽しみです!」
俄然行く気になった。
「そろそろ辺境騎士団に着きますよ。旗が見えますか」
指差す先には石造りの堅牢な造りの建物。屋上で見覚えのある模様の旗が風に翻っていた。
そして建物の入り口に目を下ろすと――
「あ、アレフだ!」
「お友達が見つかりましたか。よかった。それでは僕はここで」
温和そうな笑みで別れを告げ、配達員のお兄さんは去って行った。
「ありがとうございました!」
レオナは最後にもう一度お礼を言い、はぐれた旅の連れの下へと駆け寄った。
「アレフ!」
心配してくれたのだろうか、安堵と怒りの入り交じった表情でレオナを睨みつける。
「どこ行ってたんだよ」
「露天を見てたら見失っちゃって」
「これからは絶対はぐれるな」
「はーい」
「――それにしても、お前よく無事にここまで来れたな」
確かに一人じゃ絶対に来れなかったと思う。
「親切な人がここまで連れてきてくれたんだ」
振り返ったが、その人はすでに雑踏の向こうへ消えていた。