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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
近くて遠い国
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第4話 リン

 

「いよいよですね。二人とも道中気をつけて」


 明日にはこの国を発つという事で、レオナは餞の宴に招待されていた。白い花の咲き乱れる庭で月の光に照らされて食べる晩餐だ。

 だが、ここではそれを「朝餐」と呼ぶらしい。それというのも、この離宮の主は日の沈む頃に眼を覚まし、下々が夕食を食べる時間に最初の食事を取るからだ。

 ここは王兄シー・セアル殿下の住む離宮。

 陽の光に嫌われた貴人がここでの規律の全てだ。


 乾杯を見計らっていたのか、絶妙なタイミングで黒いドレスに身を包んだ少女が現れ、慣れた手つきでレオナの前にスープの皿を置く。

 芋を柔らかく茹でて裏ごししたものだろう。ともすればざらついてしまう舌触りを乳製品でまろやかに仕上げてある。さすが王家に仕える料理人は違うとレオナは舌を巻いた。


 レオナの向かいでは白髪の王兄が、優雅にスープを掬っている。

 その隣では――


「ズズッ ズズズズズッ!」


 耳を塞ぎたくなるほどの音を立ててアレフがスープを啜っている。

 平民育ちのレオナだってもう少し上手く飲めるというのに。

 思わず文句を言うと「熱いんだから仕方ないだろ」と言う。

 

 ……本当にこの男はあのファズの叔父なのだろうか。


 レオナはいつも優雅な友人の顔を思い出し、溜息をついた。


 明朝にはウォーゼル王国へ向けて出立する。

 隣国の知識が一切無く言葉にも不自由するであろうレオナは、このアレフに道案内を頼んでいた。

 心の底から嫌だったが、長い事鎖国を続けてきたこの国に現在の他国の様相を知るものは少なくて「仕方なく」だ。

 しかし、頼んだ時は忘れていた。

 生理的な苛立ちを覚えるほどこの男は行儀が悪い。


 ――これから数ヶ月毎日顔を合わせるとかどんな拷問。

 

 これからの道程を思って思わず目の前が暗くなったが、今更どうこう言っても仕方がない。

 もう諦めて目の前の白濁したスープに没頭する事にした。



 その日のメインは真っ赤な果実のソースがかかった鶏肉のソテーだった。以前絶賛したのを覚えていてくれたのだろう。レオナの皿には特にたっぷりソースがかかっていた。

「あっ」

 気がついた時には遅かった。

 ソテーがフォークからポロリと落ちた。


 たっぷりのソースと一緒に。


「あああ……」

 騎士の真っ白な制服に真っ赤な染みが広がった。

 最初に脳裏をよぎったのは、レオナの屋敷に住む気の強いメイドの顔。

「落ちるかなぁ……」

 溜息をついたレオナに、先に食べ終わってフォークを弄んでいたアレフが言った。

「染みは早いほうが落ちやすいっていうぜ。便所で洗って来いよ」

「そうする。

 殿下。便――その、ご不浄をお借りできますか」

「アイを呼んで洗わせましょう」

「いえ、これくらいは自分で」

「遠慮しなくても良いのですが……ええと、下の階に洗濯の出来る場所があったはずです。――どこだっけ?」

 最後の部分はアレフに向けられていた。

 過去にこの離宮に住んでいた事があるというアレフはその質問によどみなく答えた。

「一度シーの部屋に入って、扉を左に出る。突き当たりの階段を降りてから、二つ目の角を右に、その次の角を左に折れた五つ目の扉の奥だ。

 使用人用の水場だけどな。そこになら洗剤もあったはずだ」



 


 最初が左。その次が右。最後に左、だった。

 だから帰りは最初に右に折れれば良い。その次が左だ。

 そこまでは思い出せたのだが、果たしてそれが何個目の角を曲がるのだったかがわからない。

 二つ目だったか三つ目だったか……


 ようするに、レオナは帰り道で迷子になっていた。 


 階下は使用人の為の場所という事で主の生活するエリアに比べて格段に灯りが少ない。

 長い廊下の端と端にランプが灯ってはいるが、まったく照らしきれていない。角ごとに奥を覗き込んでみても、どこも同じようなつくりでどこを見ても見覚えがあるようなないような、という状態だ。

 誰かに道を聞ければ良いのだが、物音ひとつしない。そういえば、普段からあまりこの離宮には人が歩いていない。レオナは『王兄は人間嫌いで侍女たちを次々に解雇してしまった』という噂話を思い出した。人当たりがよくむしろおしゃべりの部類に入る王兄が人嫌いとは思えないので信じていなかったが、理由はさておき、侍女を次々に解雇したという部分は本当なのかもしれない。


「女……?」


 急に背後から声を掛けられた。

 はっとして振り返ると手を伸ばせば届くような距離に男が居た。

 軍人であるレオナが人の気配に気づかず背後を取られるなど滅多にない。思わず距離をとって半身に構えたが、よく考えれば王家の方の住まいでうろうろしている自分の方が明らかに怪しい。身の証を立てるのが先だろう。慌てて非礼を詫びた。

「す、すみません。道に迷ってあちらこちら覗いてしまいました。

 あの、オレはレオナ・ファル・テートと言います。シー・セアル殿下に招かれて来ました。ええと、汚れた洋服を洗っていたら戻れなくなってしまって――」

 男は弁明するような口調のレオナと、その腕に掛けられた濡れた上着を交互に見て納得したようだ。

「ああ……階段なら一つ手前の角を右に行けばいい」

 そう告げて踵を返そうとする。

 レオナはその背中に声を掛けた。

「ありがとうございます! リン……さん?」

「――なぜ?」

 喉にひっかかったような低い声で問われる。

「前に殿下から、幼馴染もここに住んでいると聞いていて……侍従の方にも見えなかったので……違いましたか?」

「まあ、そんな所だ」

 男は曖昧に頷いて廊下の闇の中に溶けていった。

 レオナはもう一度「ありがとうございました」と声を掛け、教えられたとおりの角を曲がる。

「レオナ――?」

 ちょうど向こうからアレフがやってきた。

「遅いから探しに来た。どうせ迷ってたんだろ」

「うん。でもリンさんが道を教えてくれて」

「会ったのか!?」

 暗闇で表情まではうかがえないが、声に焦りの色が混じる。

「何もされてないだろうな?」

「うん? 道を教えてもらっただけだよ」

「そうか」

 ならいいんだと言い、アレフはレオナの手を引いた。

「こっちだ」

 先に立って歩くアレフは、やはり甥だというファズと同じように長身だ。だからこんなに近くだとどうしても見上げるようになる。レオナはファズの背中を追いかけて歩く事がよくあるから、彼をこの角度で見上げる事は多い。

 二人は身長だけでなく体格もよく似ているのだと気がついた。

 殆どシルエットのように見えるアレフの姿に、記憶の中のファズが重なる。顎から首へのラインや頭の大きさ。肩幅や腕の長さ――


 髪の色だけは違うんだな。


 アレフの髪は真っ黒だ。

 じっと見つめていると、今度はそこに先ほどのリンの後姿が重なった。

 顔は良く見えなかったが、後姿はどこか似ている。


 ――黒髪なんてどこにでもいるんだけどな。


 黒はイーカル族では一番多い髪の色。ダールもそうだし、部下の殆どもその色だ。

「ほら、階段。ついたぞ」

 アレフは握っていた手を離した。

 階段の上からぼんやりとした灯りが漏れてくるのを見て、レオナはほっと溜息をついた。

「ありがとう」

「やけに素直だな」

「本当に、もうここから出られないかと思ったんだ。

 王宮ってどこもそうなのかもしれないけど、すっごく分りづらい造りをしてるでしょ。アレフはよく道に迷わないね」

「俺はここで育ったからな」

 子供の頃はアレフもここで迷子になったりしたんだろうか。まったく可愛げも無いこの男の子供の頃を想像していて、ふと気がついた。

「ってことは、さっきのリンさんとも幼馴染?」

 アレフはいつになくかたい声で答えた。

「あいつとは入れ違いだ。一緒に住んだことは無い」



 * * *



 深夜、草木も眠る頃だというのに王兄の部屋を訪れる者があった。

 読んでいた手紙から目を上げて、シー・セアルは微笑んだ。

 驚く事はない。この男はいつも突然現れるのだから。

 その上話す言葉も唐突だ。

「レオナ・ファル・テートに会った。廊下で迷った、と」

「ああ、あの時」

 シーは愉快そうに笑った。

「どうだった?」

 蝋燭の光の輪の中に入ってきたのは、アレフと同じ顔を持つ男。二人の顔が双子のようにそっくりだという事に気付いているのは今のところ二人を幼い頃から知るシーだけらしい。纏う空気が違いすぎるせいで誰もそれに気付かないのだ。


 それに。


 シーは静かにほくそ笑む。


 粗野を装うアレフ。貴族の坊ちゃんの皮を被るファズ。優秀な跡取りを演じるファズの兄。


 彼らをさして「クレーブナーの男子は素直じゃない所が似ているね」と言ったのはアレフの今の「飼い主」だ。

 それにはシーも同意する。だが彼も知らないだろう。そんなクレーブナーの男達の本質を現しているのがリンだとは。

 リンは装う事も演じる事もしない。

 ただ、そこに在るだけだ。


 リンはレオナの事を思い出していたのだろう。

 少し間があった後、表情筋を殆ど使わずに答えた。

「王のお気に入りだと言う割には細い」

「剣の腕は確かだって聞いたよ」

「あれで?」

 リンは鼻で笑った。

 隙だらけの背中。怯えた瞳。細い腕。別れ際に見せた、警戒心を感じさせない笑顔。

「アイの方がまだマシだ」

「そのアイはレオナの事を気に入ったってさ」

 シーはレオナが来ると侍女のように振舞い食事やお茶を出しに来る少女の話を聞かせた。

「道理で」

「なんかあったの?」

「最近俺の部屋に来ない」

「まだ抱いていないんだ」

「興味がない」

「彼女はあんなに努力をしているのに」

「子供が大人の格好をしても子供らしさを強調するだけだ」

「いつになく能弁だね。

 そんなにレオナ・ファル・テートが気に入った?」

 普段無表情な男が眉を寄せるのを見て、シーの嗜虐心が燻った。

「すねないでよ。

 それとも、レオナ・ファル・テート如きに執着するアレフが許せない?」

「関係ない」


 リンは来た時と同じように闇の中に消えていった。

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