第3話 示唆
「何故?」
笑顔以外の表情の無い男の顔に変化があった。
口元はそのままだが、目だけが鋭くなる。
ファズはこの男の表情を変えた事に少しの満足感を覚えたものの、背筋が薄ら寒くなるのを感じた。
だがここで引くつもりはない。生唾を飲んで切り込んだ。
「貴方は、玄関ホールの階段が応接室のある棟と繋がっていないことを知っていました」
そう、見た目にはほとんど分らないが、この屋敷は三十年程前に建て増していた。
勿論古くからある部分と建て増し部分は行き来が出来るように壁を壊して繋げてある。
――この応接室のある二階を除いて。
ファズは漆喰で塗られた壁を見た。
そこには壁一面に巨大な壁画。豊穣の女神が空を翔る太陽神を見上げるという神話の中でも有名なシーンだ。
この画こそが、二階の壁を壊せなかった理由だった。当時の主は名画を残すために増設部分との行き来を諦めた。
だから今でも、ここへ来るためには玄関ホールにある階段を上がるのではなく、一階の廊下を進み、奥にある旧館の階段を使わざるを得ない。
だが先程、ファズがその事を説明する前にダウィはまっすぐに奥の階段へ向かった。目の前の階段の途中にファズが居たにも関わらず。
それはこの家の造りを知っている――つまり過去に来たことがあるという事だ。
「ああ……迂闊だったな」
珍しくダウィが眉間に皺を寄せた。
「一度来たことがあるよ。十五年くらい前だけど」
「何の用で?」
「困ったな」
本当に『困った』という顔だった。
じっと見つめあう時間は数分だったろうか。ファズに引く気が無い事を察するとようやく口を開いた。
「……ヒントをあげる。それで勘弁してくれる?」
「それを聞いて僕が勝手に調べるのは」
「構わない」
これまでの経験から、これ以上粘っても譲歩のラインは変わらないだろう。ファズは仕方なく頷いた。
ようやくダウィがいつもの笑みに戻った。
知らぬ者には安心感を与える――ファズにとっては表情を読み辛い不敵な笑顔。
* * *
「……大昔、暗殺者として成り上がったクレーブナー家は、王の側近となると同時に暗殺稼業から足を洗った。だけどその暗殺技術は代々受け継がれ、王族を守る刃として君のような従者を生み出してきた。
そして君はダールの従者になれ――そう言われて育った」
「良くご存知で」
ヒントと言われてこの話題は意外だったが、これは公然の秘密だ。特に隠すつもりもない。
ファズの産まれたクレーブナー家では、王家に子供が生まれると、一族の中から年の近い同性の者を従者に選び王宮に上げる。
それはその王子または王女の身辺の世話をしながら護衛を務める者となるため。
ファズもダールの生まれた五歳の時から王宮にあがり、側に仕えながらあらゆる教育を受けてきた。いざという時には王子を身を挺して守れるようにと拷問のような訓練にも耐えてきた。それがクレーブナー家に産まれた者として当然の事だった。その人生を疑問に思った事すらない。
けれどダウィの話はそこでは終わらなかった。
「ダールに君が居るように、前王にも他の王子にもクレーブナー家の従者が居る。
では、第一王子の従者は?」
「兄です。王子が亡くなってからは領地に戻っています」
「第二王子は幽閉されてるんだっけ」
「人聞きの悪い。身体が弱いので外に出てこられないだけです」
日光に当たると肌が荒れ、頭痛や吐き気に襲われる病だという。だから日中行われる行事に姿を現せないだけだ。幼少期こそ寝込んでばかりだったが、光にさえ当たらなければ問題がないと分かり、昼夜逆転した生活という手段を身に着けてからは健やかに過ごされているそうだ。ファズが知っているのは彼の君が成人された頃からだが、夜に会うその人はとても健康そうに見える。
「じゃあ、その人についている人は?」
一瞬、ファズは口を閉ざした。
だが不自然な間は駆け引きに好ましくない。だから平静を装って答えた。
「殿下と一緒に離宮に篭っています。父の一番下の弟です」
その答えにダウィは満足そうに笑った。
「その人は――リン、と呼ばれている」
「……ええ」
動揺を抑えながら頷いた。
それは表舞台に顔を出さない第二王子と共に、離宮に篭りきりの叔父の名だ。それも本名ではない。
「リンというのは、クレーブナー家に引き継がれる、本当の当主の名前」
動揺は明確な疑惑に変わった。
何故知っている。
表向きの当主である兄は飾りに過ぎず、本当の主は別に居ることを。
この男は――知っているのか。
クレーブナー家の本当の当主が、この国の『影』の仕事をする者達を束ねている事を。
ファズは目の前の異邦人を睨み付けた。
「貴方は国家機密まで知っているんですか」
「正直言うとね。やりあった事があるんだ。クレーブナー家のリンと」
それ自体も聞き捨てなら無い事ではある。だが……今一番問題にすべきは情報漏洩の元だ。
「本人が教えたんですか。そんな事を」
「うん。一代前の『リン』がね」
「祖父が――?」
「違うよ、その間」
様々な感情に揺れるファズの目を楽しげに見つめ返しながら、男は言う。
「従者は王家に子供が生まれた時に本家の中で年の近い者から選ばれる。
君は二十四歳でダールは十九歳。五歳の時からダールと一緒にいたんだね。ところで、王兄シー・セアル殿下は何歳だっけ?」
「……三十二歳だと思います」
答えながら、気がついてしまった。
「今のリンは?」
「今年、三十に……」
ダウィも周章するファズに気がついたのだろう。
口を閉ざした。
――従者は「王家に子供が生まれると」選ばれる。
王兄殿下だって、生まれてすぐに従者が選ばれていたはずだ。
だからそれは年下ではあり得ない。つまり本来の従者はリンではないという事だ。
――それは誰か。
兄はその時すでに第一王子についていた。姉達は性別が違うので対象にならない。後に残ったのは叔父達だ。
ファズはその顔を思い浮かべ、必死で否定しようとした。しかし、リン以外で兄よりも年下の叔父といえば……
「アレフ、が……?」
表情の読めない異邦人は、肯定でも否定でもない笑顔を向けた。
「ヒントはお終い」