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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
近くて遠い国
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第1話 許可書

 今、王都は当代きっての出世株といわれた騎士が、実は女だったという話題で持ちきりだ。


 飛び交う噂と憶測。


 「最近姿を見せないのは性別を理由に王都から追い出されたからだ」という真実に近いものから、「先日王妃を迎えたばかりの国王と恋仲だった」なんてとんでもないものまである。

 これは王都に住むものなら誰しも一度は耳にしたような話だが、そのバリエーションはまだまだあって、酒を出す店で働いている者なら、そんな噂を耳にする機会は更に多い。


 だからヴェラはとてもつまらなかった。


 溜息をつきながら酒瓶を整理する。

 その騎士の為に用意した酒は一月以上前から棚の奥にしまわれっぱなしなのだ。


 せっかく彼――じゃない、『彼女』好みの甘い果実酒を仕入れたのに、味が落ちちゃうわよ。


 愚痴ろうにも、まだ開店していない店には誰も居なかった。

 ヴェラは彼ら専用に用意している戸棚をそっと閉じた。



 * * *



 領地から戻ったその日の夕刻。レオナは馴染みのバーに開店と同時に訪れた。

 カウンターの中で作業をしていた女主人はレオナの顔を見ると飛び出してきた。

「レオナ!」

 女主人――ヴェラは泣きながらレオナに抱きついた。

「久しぶりね! 会いたかったわ! ずっと心配していたの!」

「ありがとう。ヴェラも元気そうで良かった」

 レオナは胸に顔を埋める彼女の、女性らしい柔らかな背をそっと撫でた。

 男装の騎士として一躍時の人となったレオナは、町を歩けば囲まれてしまうため以前のように飲み歩く事が出来なくなってしまった。だから、ヴェラが心配しているだろうとは思いつつも、この店に来れたのも随分久しぶりの事だった。

 ヴェラはひとしきり再会を喜ぶと、言葉を選びながら話し出した。

「それにほら、レオナの所の人たち……大変だったんでしょ?」

 一般人であるヴェラには何があったのかわからない。だが、この一月の間に何かが起きたらしいと言う事は察していた。


 レオナの率いる「イーカル国軍第二連隊」という連隊に所属する軍人のうちの幾人もがこの店の常連だからだ。

 

 一月と少し前。国王の婚礼という国家を挙げた一大イベントを前に、常連達は輿入れしてくる隣国の王女の警護に行くのだと嬉しそうに話していた。庶民であるヴェラも常連達も「お姫様」なんていう生き物を見たことがない。だから「どんな人だったか教えてね!」と土産話を期待しながら送り出したのだった。

 だが、彼らは帰還予定の日を過ぎてもなかなか姿を現さなかった。

 婚礼準備で忙しいのかしらなどと暢気に構えていたら、ある日包帯だらけの副連隊長がふらりと店に現れ、ヴェラの知る幾人かの名前を告げた。そして――死んだ――と。

 男はそれ以上何も語る事は無かったが、ヴェラとてそんなに鈍い訳ではない。輿入れの旅で、緘口令の敷かれるような何かが起きたらしいことくらいは想像できた。


 それが、婚礼を前後して続く貴族達の『粛清』と関係しているらしい事も。


「皆怪我だらけで――ティト君が店に来た時なんて泣くかと思ったわ! あの可愛い顔に傷が付いているんだもの!」

 ヴェラは身振り手振りを交えながら、自分がどれだけ驚いたかを訴えた。

 生き延びた者の中で一番見た目の傷がひどかったのが、その最年少のティトだった。

 命に別状はなく、本人もあまり気にしていないようではあるが、まだ少年のような彼が大きなガーゼで顔の右半分を覆った姿は痛々しくてヴェラには正視に耐えられなかったのだ。

「レオナは、怪我しなかった?」

「うん……ありがとう。オレは別行動だったから、ちょっと擦りむいた位」

 本当はまだ腕に包帯を巻いていたが、長袖で隠れている場所だからレオナは黙っておく事にした。これ以上この人を心配させることは無い。

 安心したと言って微笑むヴェラ見ていると、つられてレオナの頬も緩んだ。

「とにかく、座ってよ。何か飲む?」

「ミルクティーが良い」

「お酒入り?」

「勿論」

 レオナはカウンターの左から五番目。いつものスツールに腰を下ろした。傷は多いが磨き上げられた飴色のカウンター。棚に整然と並ぶ酒瓶。使い込まれたミルクパン――この一か月でレオナを取り囲む環境は大きく変わったけれど、その席から見る景色は何も変わらない。

 お湯を沸かしながら食器を用意する後姿に思わず問いかける。

「ヴェラは聞かないんだね」

「何を?」

「オレが女だって、知ってるでしょ」

 誰もがレオナの顔を見ればその話をするというのに、ヴェラは触れようともしなかった。

「何、聞いてよかったの? だったら聞くわよー。聞きたことはいっぱいあるの」

 ヴェラは作業の手を止めて蠱惑的な笑みを浮かべた。

 彼女は美人だ。仕事柄やや化粧は濃いが元の顔立ちは上品で、それっぽい服を着れば貴族の若奥様と勘違いされそうな容姿だ。

 だからレオナはすっかり忘れていた。彼女がかなり明け透けな物言いをする人だという事を。

「お風呂はどうしていたのとか、トイレはどうしていたのとか、生理はどうしていたのとか、男の人の裸を見放題っていいわよねとか、第二連隊で誰が一番『大きい』のとか、ぶっちゃけ誰かとしちゃった?とか――」

 次第に下品になっていくヴェラにさすがのレオナも引いていく。


 ――そういえば、「そういう話」が酒と料理の次に大好きな人だった!


 強張るレオナを見てヴェラは楽しげに笑う。 

「まあ、興味はあるけど、そんなのそのうち聞けばいいのよ。今はレオナが無事に顔を見せてくれただけで満足だわ」

 その笑顔は先程とは違って、慈愛に満ちたものだった。

「……ありがとう。皆オレの顔見ると変に余所余所しいか質問攻めかだからさ。ちょっと疲れてた」

「有名人は大変ねー」

 そう言ってヴェラはカウンターに湯気の立つマグを置いた。

 イーカル茶というこの国名産のお茶にミルクと砂糖、それに蒸留酒を加えたレオナの一番好きなカクテルだ。甘くて口当たりも良いので気をつけなければすぐに酔いが回ってしまう危険な飲み物でもある。

 レオナはまだ熱いそれにふーふーと息を吹きかけた。

「オレさっき王都に戻ってきたばっかでまだ連中と会ってないんだけど、最近他の奴らは来てる?」

「そうねえ。ガルドーさんとレオ君が一回づつと、ティト君が二回。ペールも一度来たけど、お酒を飲めないなんて言うから叩き返したわ」

 最後の部分でレオナは思わず吹き出した。ペールは生き延びた者の中で一番重症で、まだ医師から飲酒の許可が出ていないはずだからだ。それ以前に出歩く許可すら出ていないのではないかと思う。こっそり抜け出してきたのだろうか。 


 ――カランカラン


 軽やかなドアベルの音が響く。

「あら、噂をすれば」

 振り返ると、レオナの部下である副連隊長のシグマが首を屈めて扉をくぐるところだった。後ろから顔の半分をガーゼで覆ったままのティトも顔を出す。人懐っこい少年はレオナの姿を認めると嬉しそうに駆け寄った。

「レオナ!」

「よう」

 ティトはハイタッチを交わすとレオナの右隣の席を陣取った。壁から二番目のその席はティトの定位置だ。

 そしてもう一人――シグマはよほど驚いたのか入り口からすぐの所に突っ立ったままレオナを見下ろした。

「領地に戻ってたんじゃないのか」

 地を這うような低い声が問う。その上巨体で通路を塞ぎつつ鋭い眼光で睨みつけられるのだから、普通の人間だったら震えだすような迫力だ。

 だが、レオナはこの男との付き合いも長く今更怯えるような関係じゃない。マグに入った温かいカクテルを啜りながら答えた。

「さっき帰ってきた」

「こんな所で何やってんだ」

「お前らが捕まらないから探しに来たんだよ。自室待機中だっつーのに、誰も部屋にいないじゃないか」

「半分くらいは居るだろ」

「ペールしか居なかったよ」

 口を尖らせて文句を言い、シグマも座るようにと促した。

 男はのっそりと体を動かして、左から三番目の席に座った。そこはいつもの席ではない。シグマはいつも四番目――レオナの隣に座る。

 カウンターは元々満席になると肩と肩が触れ合うほど狭いため、巨躯と言っても良い体型の男がひとつ空けて座る事くらいでは不自然な距離ではないのだが、いつもよりひとつ空いた席の分の遠慮が、レオナには少し悲しかった。


 シグマに限った事ではない。

 レオナが女であると知れ渡った日から、レオナの所属する騎士団の面々も、王宮ですれ違う貴族達も、誰もが腫れ物に触るような様子なのだ。長年一緒に死線を潜り抜けてきた第二連隊の隊員たちですら、時折よそよそしい態度を取る事がある。

 仕方ないと、割り切っているつもりではある。

 だが、喪失感は拭えなかった。

 レオナが落ち込んだのに気がついたのか、ヴェラは殊更明るい口調で話し出した。

「ティト君はノンアルコールよね。ちょうどざくろシロップが出来たんだけど、これなんかどう?」

 彼女が第二連隊専用と定めている戸棚から手作りのシロップを取り出す。元々ここは彼らの好みに合わせて仕入れた酒を置く場所だったのだが、最近は酒を飲めない癖に入り浸るこの少年の為、甘いシロップやサワードリンクが充実してきた。ちなみにどれもヴェラの手作りである。

「じゃあ、それでお願いします」

「シグマはいつもの?」

「ああ……いや、ティトと同じでいい」

「え!?」

 思わず全員がシグマを見た。レオナほど味にうるさくないがかなりの酒好きで通っているこの男が酒を断るなどとは天変地異の前触れか。

 だがシグマは表情ひとつ変えずその理由を口にした。

「俺も怪我が治るまでは酒を控えろって医者に言われてんだ」

 ヴェラは腕組みをする。

「ええと……ウチの店ってお酒飲まない人は追い出す方針なんだけど」

「じゃあいつものでいい」

「冗談よ」

 ヴェラは手にした瓶から濁った赤いシロップを注ぎ、柑橘果汁と水で割る。

 カウンターに二つ並んだグラスの片方にはストローが用意された。ガーゼが口まで覆ってしまっているティトの為のものだ。まだ幼さの残る少年は、嬉しそうに口の端にストローを銜えて赤褐色の液体をすすり上げた。

 シグマも一口含んで――甘い、と顔をしかめた。

 すぐグラスをカウンターに置いてしまったのだから口に合わなかったのかもしれない。

「ところでお前、さっき俺たちを探しに来たって言ってたよな。何かあったのか」

「うん。ちょっと留守にするから、挨拶しておこうと思って」

「今日帰ってきたばかりだろ。また領地に戻るのか」

「ファズにはそれを勧められたんだけどね」

 王の側近を務めるその友人には、レオナの性別に関する騒動で今は仕事にならないから、秋までゆっくり休めと言われたのだ。

 確かにレオナは一度はそれに乗ろうと思った。

 だが、自分一人休むわけにも行かないと思い直したのだった。

 今この国は転換期に来ている。国が改革を推し進め、今ようやく国王の――親友の描く理想の国を創ろうとしているのだ。こんな時に立ち止まるのは嫌だった。


 ファズの言うとおり、今のレオナが王都で身動きが取れないというのなら……


「オレ、国外へ出てみようと思うんだ」

 レオナの決意に二人の部下の目が丸くなる。

 ヴェラもジャガイモを切る手を止めてこちらを見た。

「ほら、国王はイーカルを出られないし、側近のファズも国王の側を離れられないだろ。だったら、オレが外へ行くしかないかなと思ったんだ」

「軍を辞める気か?」

「いや、そのつもりはないよ。ファズには何か月か領地へ行って休めと言われているから、その休暇を利用しようと思って」

「当ては」

 シグマの問いはもっともだ。

 この国が鎖国を始めたのはちょうどレオナの産まれた頃の話。レオナの年代の者は国外へ出た事がない。

 けれど幸いな事にレオナには国外に知り合いが居た。

「アスリア=ソメイク聖王国に住んでいる友人が間に立ってくれるから」

「そんな奴いるのか」

「シグマも知ってる人だよ。ダウィって覚えてない?」

「ああ。あの金髪の傭兵」

 シグマはすぐに思い出した。

 五年くらい前から戦の時に時々見かける男だ。なんでも前の将軍とは長い付き合いらしく、彼の養子であるレオナともよく話をしていた。

 愛想が良く常に笑顔なので男を悪く言うものは居ないが、時折不審な行動を取る。腕は立つが得体の知れない男――と、シグマは捉えていた。

「あの傭兵がアスリアに住んでるって?」

「うん。ちょっと共通の知人が居てね。連絡先を教えてもらったんだ。

 だからウォーゼル王国とアスリア=ソメイク聖王国に……」

「ちょっと待て、なんでそこでウォーゼルが出てくる? あそこは二十年位前から国交断絶状態だ」

 シグマはティトをちらりと見た。

 ティトは東方出身者に多いどんぐりのような眼にレオナを映す。

「元々ウォーゼル王国のものだった俺の故郷の辺りをイーカルが占領したんで、ウォーゼルから国交断絶したんだよ。派手な戦争が起こる前にサザニア帝国との国境がきな臭くなってそのままになってるけど、今もウォーゼルが国境を完全に封鎖してるってさ」

「でも、さっきこんなの貰ったよ」

 レオナが懐から取り出して見せたのは一枚の上質な紙。広げて見ればこの国の公用語では無い大陸共通語で書かれた文字が上品に整列している。

「特別通行許可書……?」

 シグマが唖然とした声でつぶやく。

「そう。これを見せれば国境を越えられるんだって」

 隣の席から身を乗り出すようにして紙を眺めていたティトが大声を出した。

「ちょ、ちょっとこれ!」

 指差したのは一番下。

「ウォーゼル国王のサインだよ!?」

 ティトが示すところを覗き込んで、シグマも驚きの声を上げる。

「辺境騎士団長のサインまで入ってんじゃねえか。なんだこれ!」

 辺境騎士団は大陸東岸地方の安定を図るために設立された機関。イーカルは加盟していないが、国境を越えた犯罪の検挙を主な役割としているために、加盟する国の中では様々な特権が認められ、時に超法規的活動すら許されると言う。

「こんなもの……ファズが用意したのか?」

「渡されたのはファズからだけど、ダウィが用意したんじゃないかな」

「――あいつはなんなんだ」

 シグマの眼光が鋭くなる。

 先程とは違って、今度は本気の目だ。

「辺境騎士団の騎士だって」

「はあ!?」

 驚きで目を丸くした後、今度は一気に険しくなった。

「なんでそんな奴が傭兵やってんだよ」

 レオナは気付いていないようだが、辺境騎士団は政治的に中立であるからこそ様々な特権が許されているのだ。だから、辺境騎士団が戦争に介入していたとあればそれは一気に大陸中を巻き込む国際問題となり得る。

「ダウィは『イーカルで育ったから』って言ってたけど」

「そこ疑えよ」

「だってあんなにイーカル語上手いんだよ」

「文法は大陸共通語とあまり変わらないし、似ている言葉が多いから習えばそれなりに話せるようになるって」

 被征服民として占領教育を受けたティトがそう言った。彼は、両親がイーカル語を話せなくても母国語のように扱えるようになった良い例だ。

 危機感の足りないレオナに頭痛を覚えつつ、シグマは聞いた。

「――で、お前はあいつに会ってどうする気だ」

「案内してもらう」

「は?」

「か、観光じゃないよ!」

 呆れた目に気づいてレオナは一息に言った。

「ウォーゼル王家に連なる方にお会いして、それから辺境騎士団長に国王からの手紙を渡して――後は魔術師連盟と三国学問所にもなんとか渡りをつけようと思ってて」

 レオナが挙げた「魔術師連盟」と「三国学問所」も大陸を代表する国際機関だ。辺境騎士団ほどではないとはいえ、これらもまた様々な特権を持ち、重要な役割を果たしている。

 あまりの事に二の句が継げずにいる二人を見やって、レオナが言った。

「幸い、ウチの先代があちらこちらと縁があったらしいから、テート家当主として行ってみるつもりだよ」

 レオナの家――テート家は、実り豊かな領地を持つイーカルの古い貴族だ。鎖国の前には当主が大陸東岸諸国を歴訪した事もあったと聞いている。

 普段、レオナは嫡子ではない事を気にしてあまりその名を使わないようにしているが、この際使えるものはなんでも使うべきだろう。

 シグマは腕を組んで考え込んだ。

「……まあ、ダウィの思惑はわからねえけど、気をつけて行って来い」

 その言葉でレオナは破顔した。

「ああ。留守は頼むね」


 ティトが「旅の無事を祈って、乾杯!」とグラスを掲げた。


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