閑話 ヴィガ
「密談」と「決意」の間の話です。
その日、レオナはマントを片手に屋敷を出た。
雨期に入った王都はいつ突然の雨に襲われるかわからない。雨避けの加工がされたマントは必需品だ。
非番であることだし、制服も着ない。「行く先」の事を考えればそれなりにしっかりした服装を選ぶべきなのかもしれないが、帰りに飲みに行こうと思っているから細身のパンツとシャツ、それにジャケットで勘弁してもらおう。
屋敷からほんの数ブロック先。馬車も先触れも無しで身軽に歩き、「ブラント剣術学校」の看板を横目に門をくぐる。
玄関から出てきた顔なじみの執事に挨拶すると、彼女は屋敷の中ではなく裏にいるらしい。執事の後をついて裏庭へ続く小道を辿った。そこにあるのは、屋敷よりは小さいがレオナの実家なら三つは入るんじゃないかというような大きな建物。
ここがブラント剣術学校の練習場だ。
約束の時間ちょうどに着いたからだろう、目当てのその人は出入り口まで出迎えに来ていた。
「いらっしゃい。レオナ」
そう言って手を振るルティアはいつもの可愛らしいドレスではなく、乗馬をする時のようなシャツにズボンという服装だった。
これは彼女の「お師匠様」スタイル。
彼女こそ、このブラント剣術学校の師範なのだ。
やはり最初のうちは「奉仕精神のアピールだろう」とか「貴族のお姫様の道楽だ」と言われていたという。
だがルティアは本気だった。
陰口にも負けず、王宮付き剣術指南役を務める父仕込みの指導方法で、生徒を徹底的にたたき上げた。そして最初の卒業生が、軍に入隊すると同時に精鋭である第一連隊に配属されるという快挙を成し遂げる。その実績以降誰にも咎められる事無く「お師匠様」に打ち込んでいるのだそうだ。
「今日は私服なのね」
そう言って上から下までじろじろと見られる。
都会の女性――特に貴族の女性というのはとにかく服装に煩い。ルティア曰く、レオナは時々「ありえない」服を着ているらしい。田舎者な事もあって服は暑さ寒さを凌げれば良いが信条だったのだが、顔を合わせる度に服装をチェックされてはさすがに考えを改めざるを得なくなった。といっても、生まれ持ったセンスは今更どうにもならないので、ルティアと会う時だけはメイドのエマにコーディネートを任せる事にしたのだ。当然今日も。
エマの見立てた服だからそこまで文句を言われる事は無いはず――と思いながら、やはり背中には冷や汗が伝った。
緊張の時間はルティアの溜息で締めくくられた。
失敗しただろうか。
今日は先代の服を借りてきたわけじゃないから古臭いとかサイズが合っていないとかは言われないはずだ。けれど、この後繁華街を歩くのにキメ過ぎは嫌だからとチーフ以外の装飾を全部断った。それが不味かったのだろうか。
溜息の続きを首を縮めてまっていると、ルティアがようやく口を開いた。
「はあ……本当に、こんな可愛い騎士さんが居て良いのかしら」
今日の服装は合格だったらしい。ほっと胸を撫で下ろした。
「やめてよ、ルティア」
「だってそうでしょ? 『レオナ』なんて女の子みたいな名前でこんなに可愛くって。とてもじゃないけどたくさん人を殺している人には見えないわ」
「それを言ったらルティアだって、剣術教室なんてやってるように見えない」
「それもそうね」
彼女は良く笑う。
大きな目をきゅっと細くして、口を大きく開けて。
ファズははしたないというけれど、レオナにとっては見ていてほっとする笑顔だ。
それに、ここに来る理由はもうひとつ。
「さあ、中に入って。子供達も喜ぶわ」
お昼の前のこの時間は、十歳に満たない子供達が剣の練習に来ているのだ。
レオナは彼らの笑顔が何より好きだった。だから手土産の焼き菓子も忘れない。今日は大人数でも分けやすいクッキーをメイドに焼いてもらってきた。
籠に詰めたそれをルティアに渡し、レオナは導かれるままに建物に入った。
「あ! レオナ兄ちゃんだ!」
誰かが叫んだかと思うと子供達が一斉に駆け寄って来た。
「レオナ兄、久しぶり!」
「今日はどうしたの?」
「遊びに来たの?」
あっという間に取り囲まれた。
いくら子供好きでも、こんなに大勢をあしらうのは難しい。特に小さな男の子は力加減無く飛び掛ってくるのだから。
「ルティア――」
助けを求めても彼女はにこにこしてみているだけだった。
終いには
「ウチの子達にとってレオナは憧れの人だもの。どうせ今日はもうお仕舞いの時間だから存分に遊ばれて来たらいいわ」
なんて言い出す始末。
「ところで皆、レオナが来たら見せたいものがあるって言ってなかった?」
悪戯っぽい笑顔でルティアが水を向けると子供達の顔が更に輝いた。
「そうだ! あれだ!」
「あれだね!」
「兄ちゃん、行こう!」
小さな手がいくつも腕やシャツに伸び、外へ行こうと引っ張り出す。レオナは、あれってなんだろうと思いつつ、ついて行く事にした。
「レオナ兄ちゃん、こっちこっち!」
屋敷をぐるっとまわって南側へ移動する。日当たりの良い表庭につくと子供達は一斉にレオナを開放して走り出した。
「なんなんだ?」
きちんと手入れされた広い庭を横切り、壁際の子供達の集まっている所へ行くと、年嵩の子が満面の笑みで何かを差し出した。
「レオナ兄ちゃんにコレあげる!」
それは小さな小さな植物の苗。
よく見ると子供達の背後の花壇にはこれと同じ苗がいくつも埋まっていた。
「この子達ね、レオナにプレゼントするんだって言ってわざわざ一つだけとっておいたのよ」
少し遅れてついてきたルティアが子供達と同じ笑顔でそう言った。
両掌に収まってしまうような小さな苗を見て、レオナも頬が緩む。
親指ほどの太さの幹から、接木された細い枝がひょろりと出て、更にその先には小さな葉っぱの芽。
小さな花も赤い実もまだ後数年は先だろうけれど、きっとこの子達を笑顔にしてくれる。
胸に去来したのはほのかな郷愁。
「ねぇねぇ、レオナ兄、この花何か知ってる?」
シャツをひっぱりながら聞いてくる子に、レオナはうなずいた。
「ヴィガ――だよね」
「おおー!」
「兄ちゃんすげえ!」
実家ではこの花の実から酒を造って出荷していた。
葉は毎日のお茶にした。
根は咳止めの薬にした。
故郷に居た時は、レオナの日常に欠かせないものだった。
「ヴィガなんてこの辺りでも手に入るんだね」
「お父様が地方に住んでいるお友達から苗をいただいたの」
貴族のつてというやつだろうか。つい先日まで続いていた社交の季節には領地の名産品を贈りあったりする事はよくあるし。
花は地味な見た目だけれど、果実に似た甘い芳香を持つのでレオナも摘花した花をポプリにしていた。貴族なら室内芳香のストローイングフラワーにでも使うのかもしれない。
「……この苗、どうしようかな」
子供達のはしゃぐ声とそれをいさめるルティアの声を聞きながら、葉の筋を指先で撫でて考える。
玄関の脇に埋めたいけれど、庭師に怒られるだろうか。
それでも、出来る事ならこれを毎日見える場所に置いておきたいと思うのだ。
故郷を思い出すこの花を――
ルティアは説明しても仕方ないと思って触れませんでしたが
『お父様のお友達』は貴族仲間ではなく
若い頃によく酒を酌み交わしていた隻脚の剣士です。
今は田舎で剣術教室を開いているとか……?
その人は農業はしていないので、
ヴィガの苗は近隣で農業を営む『家族同然』の夫婦に頼んで
貰い受けてきたという事です。
この後レオナは一旦屋敷に戻り、苗を置いてから
小雨降る中繁華街に呑みに行っています。
同席した部下に無駄な色気がどうのこうのと言われたとか?
レオナが思い浮かべた「デート」の相手が
ルティアだったのか子供達だったのかは内緒です。
(拙作『イーカル王国王都日記』の『雨の日の再会』部分の話です)