閑話 更衣室の愚痴
「ああもう、なんだってんだよ!」
怒りを爆発させたのは第二連隊一短気と言われるレオだった。
制帽を取るなり赤毛を振り乱して怒鳴り散らす。
輿入れの為王都へ向かっていた隣国の王女が襲われたのはたった十日前だ。
警備を担当していた第二連隊も少なくない犠牲を出した。レオも命こそ無事だったが、利き腕を脱臼し、腰に酷い打撲を負っていた。
殆どの者が満身創痍な為、表向きは全員に休暇が出され、現在は軍の病院か宿舎の自室で待機と言う事になっている。はずだ。
なのに現在。
隊長不在の第二連隊は、何故か『密命』に追われていた。
副連隊長のシグマや第四中隊長ペールといった深手を負って入院している者を除き、殆どのものが何かしらの役割を与えられて王都中に散っている。
レオもその一人で、先ほどまで連絡役としてお使いに出されていた。じっとしているのが性に合わない彼としては休養の名目でベッドに縛り付けられるより歩き回れる方がマシといえばマシなのだが、それでも腹に据えかねる部分はある。
レオは苛立ちのままに、音を立てて壁を蹴った。
壁には足跡が残っただけだが、蹴った本人は三角布で固定された腕を抑えて蹲る。
「――ってぇ……」
「脱臼してんだ、暴れりゃ響くだろ。馬鹿が」
呆れた様子で見下ろす中隊長に、レオは噛みついた。
「あんたはなんとも思わないのかよ!? 将軍やレオナや、百歩譲ってシグマにこき使われるってんならわかるぜ? でもなんで俺たちがファズのパシリなんだよ!」
「……諦めろ。あいつの言葉は王の言葉だ」
ぽんぽんと頭を叩けば、レオは唇を尖らせて毒づいた。
「ダールに顎で使われてるって思うだけで反吐がでるんだけど」
「おいおい。お前が『粛清』されるぞ」
王の婚礼に沸き、一見平和な王都であるが、国境沿いを中心に国中で粛清の風が吹き始めているのは公然の秘密であった。
切欠は、王妃となるべくこの国へやってきたユリア姫が『盗賊』に襲われた事件。それを手引きしたのが第五連隊の兵だったとされている。この件に関しては、第五連隊長始め三十名ほどが既に投獄されている。しかし事件の規模からして更に後ろに黒幕がいることは確かだ。そして『盗賊』と直接対峙した第二連隊は、王都に戻って来るや否やこの事件の後始末を押し付けられたのだった。
ただし、内密に。
現在のところ公にはされていないが、『盗賊』の半分以上が貴族の私兵であるらしい。
そしてこの件に関わっているのは第五連隊だけではない……らしい。
一応諜報を担当する第四連隊とは密に連絡を取っているものの、現段階で彼らに分っていることはその程度の事だった。本格的な調査に乗り出して三日では、具体的にどこの誰がどのように関わっているのかはまだほとんど見えてきていない。
トカゲの尻尾きりで終わらせずに、陰でのうのうとしている連中まで叩きたいというのがファズの意向だった。
「んー……今回の件は、ヨシュア王国との和平で戦がなくなると困る軍部のクーデター。後ろで糸を引いてるのは軍に影響力を持つ南の貴族様方ってとこだよな。さっさと潰しちまえばいいのに」
「証拠も無いのにそんな事したら先王と同じだろ」
「面倒くせえ」
「ま。お貴族様のことはともかく、身内の膿は出しちまわねえとなあ」
「それにしたって、誰が敵で誰が味方やら」
腹に溜めた息を吐ききると、レオは立ち上がり、壁に掲げられたイーカル国軍の旗へ目をやった。
新国王ダールを飲み仲間と捉えている第二連隊とファズの息のかかった第四連隊はともかく、それ以外の連隊はそれぞれに貴族との利害関係がある。連隊長に貴族の三男四男が多かったり、長く一つの地域に派遣されていればその土地の領主と深い繋がりを持つようになったりするためだ。
一言に「イーカル国軍」と言ったって、その忠誠がどこに向いているかは知れたものじゃない。
「気分が悪いのはわかるよ。身内を疑いたくないのは俺も一緒」
「……ダールもファズも、こうなることは予想できてたんじゃねえの? なんか対策が甘すぎる気がすんだよな……」
「ああ……途中までは慎重すぎる程だったのに」
ダールが王位を継いだ時、前王の悪政のお陰ですでに人心に歪ができていた。軍の内部ではクーデターに対する対策が常に講じられていたほどだ。
そんな中で新国王が人心に副う政策を打ち出したのは当然の事だった。
「前王の恐怖政治を踏襲しない」という宣言は多くの国民に歓迎され、ダールは国民から圧倒的な支持を得る。
それと同時にクーデターの噂も沈静化したように思われた。
しかし一方でその施策を良しとしない人たちもいた。
最初は先王に組していた一部の貴族。だがこの時はまだ不穏な動きがある、という程度だったと思う。
決定的だったのは、ダールが隣国から后を迎え入れ、戦を終結させると宣言した事だった。
「あの辺りから、何かがおかしかったんだよな」
小隊長が何気なく呟いた言葉に、レオは何かひっかかりを覚えた。
「それって雨期が始まる前の……レオナの様子がおかしくなったのと同じ頃だな」
「……レオナか」
彼らの連隊長が、実は女性であったと知らされたのはつい数日前。驚くと同時に笑い出す者が殆どだった。神妙な顔をしていたレオナが呆気にとられるほどあっさりとそれは彼らに受け入れられた。
彼らにとって連隊長というものの価値は戦で命を預けられるかどうかが全てだ。
レオナが連隊長になってから生存率が上がったという事実は確かなものだ。それに、それまでギスギスしていた連隊全体の雰囲気が良くなった事も。
ぽかんと口をあけたまま部下たちを見回すレオナに、副連隊長のシグマが言い放った一言が全てだった。
――お前が男だろうが女だろうが、剣の腕は変わらねえだろ。この中にお前に勝てるやつが何人いる。
もともとキワモノの連隊だ。連隊長が女だって、いっそ面白い。
母親や女兄弟を『女』として見ることがないように、レオナはレオナでしかないのだ。
そんな事を口々に言って、あとはレオナを散々いじって解散した。
「……なあ、あん時さあ。ダールやファズはレオナが女だって知ってるのかって誰か聞いてたよな」
「ああ。俺だよ、それ」
「確かレオナは『ダールの結婚が決まった少し後に話した』っつってたな」
「まさか、それが原因で集中力が切れて対策が後手後手になったとか?」
「さすがにそれは、なあ」
思いつきの冗談ほど真実に近づけると言う事を彼らはまだ知らなかった。