第31話 宴
婚礼の宴は夜遅くまで続いた。
消えること無い王宮の明かりを遠く離れた翠玉宮から眺め、王兄シー・セアルは優雅にティーカップを持ち上げた。
「行かなくて良いんですか?」
レオナの問いに、シーの唇は嫣然と笑みを象った。
「式の時に挨拶はしましたから。権力争いの種になるような私は居ないほうが良いのです。
貴女こそ、行かないで良いんですか?」
「いけませんよ」
「ダールは貴女のお祝いの言葉を一番欲しがっていると思いますけど」
返すべき言葉を思いつかず、シーを見返した。すると黙って聞いていたアレフが口を挟んだ。
「人が誰しもお前みたいに純粋だと思うんじゃねえよ」
何かあったのだろうか。アレフは拗ねたような口調で続ける。
「人間ってのは、そう上手くはいかないもんなんだよ」
「それはそうだろうね。でも分るよ。弟の事だけは。私はずっとあの子を見てきたんだから」
シーはレオナを見た。
「彼はどう声をかけて良いのか分らないだけなのです」
――確かに、ダールにはそういう不器用な所がある。だけど……
「今日こうして一日中この庭で過ごしている貴女も、同じ事を思っているのでしょう?」
見透かしたような事を言ってシーは笑った。
城の様子が窺える翠玉宮のテラス。
確かに、式には体調不良と偽って出席せず、正午に婚礼の鐘を聞いてからはずっとここから眺めていた。シーはその事を言っているのだろう。
でも実はここに来る前には王宮に居たので、神殿に向かうダールとユリア王女の姿は遠目に見た。
イーカル族の民族衣装に身を包んだ二人。短い間ではあったが随分打ち解ける事が出来たのだろう。ダールがユリア王女のネックレスに指で触れながら笑っていて、そんな二人はまるで普通に恋愛をして結婚式を挙げる恋人同士のようであった。
「そういえば……殿下は結婚はなさらないんですか?」
ふと思い立って聞いてみた。
そこらの女性よりよっぽど綺麗な王兄の婚礼衣装姿はさぞ美しいだろう。ただ隣に並ぶ女性は引き立て役にしかなれず一生苦労しそうだが。
そう言うとシーは首を横に振った。
「こんな体では、ね」
日光が苦手だとは聞いたが他にもどこか体が悪いのだろうか。レオナは臥せっている姿をまだ見たことがない。
「それに私は可愛い弟の邪魔になる事は、したくないのです」
* * *
祝福の鐘は王宮の中庭で聞いた。
レオナの周囲には誰も居ない。王宮の中でも、誰もが新しい王妃を、そして幸せな二人を一目見ようと大通りの望める場所へ集まっているためだ。
レオナの前にはダールたちと共に育てた白い花があった。
暖かくなった事で開花が進んだのだろうか。硬かった蕾もだいぶ解け、あと少しで蕊も見えそうだ。
しかし――それを彼らと一緒に見ることはできそうにない。
レオナは鐘の音のする方の空を見上げ、小さな声で祝福の言葉を口にした。
当初、愛の女神の神殿で愛を誓い合った二人は、装飾された馬車で大通りをパレードする予定だったがユリアは命を狙われたばかり。安全を優先させるという事でパレードがなくなってしまった。
だからすぐにこの王宮に帰ってくるだろう。
気まずくてダールと顔を合わせる事を避けているレオナは、王宮から抜け出す事を決めた。
正面の入り口は人でごった返している。東門を出て軍の敷地を抜けるのが一番人に会わずに済みそうだ。そうしたら翠玉宮が近い。王兄は婚礼の儀に出席しているはずだが、アレフが街中は煩くて適わないから翠玉宮に逃げ込むと言っていた。
あんな奴でも話し相手くらいにはなるだろう。レオナはそこまで考えを巡らすと、足早にそこを後にした。
いくらも行かないうちに、ふと誰かの視線を感じて立ち止まった。
国を挙げてのお祭り騒ぎの最中に好んでこんな場所に来る人間はいないはずだ。侍女や何か役割を持ったものならさっさと通り過ぎるだろうし、警備の者なら悪意は感じない。
レオナは左手をそっと剣の鍔に添え、誰もいないはずの中庭をゆっくり見回した。
「――ファズ」
渡り廊下の中程からこちらを見つめる影。見慣れた、しかし久しぶりに見るその姿。
レオナはその時かけるべき言葉を持っていなかった。
それはファズも同じだったのかもしれない。お互い動くこともできず、しばらく見詰め合ったが、先に視線を外したのはファズだった。
黙って顔を伏せ、そのまま歩み去ろうとする。
一歩、二歩。
ファズはすぐに足を止め、思い直したかのようにレオナのいる中庭へ足を踏み出した。
いつもなら笑顔を貼り付けているその顔に、表情は無い。
レオナが女であると告白したあの時から、レオナを見るファズの顔はいつもこうだ。せめて怒りや憎しみでも浮かべてくれれば楽になれるのに。
レオナは拳を握り、萎縮してしまいそうになる心を奮い立たせた。
「ど、どうしたんだ? 式の間はダ――陛下の側に居るんじゃなかったのか」
「警護なら近衛騎士団が鉄壁の警護を敷いています」
「いや、お前、一番の友人だろ。ちゃんと祝ってやらないと」
ファズはピクリと眉を動かした。
「祝福の言葉なら散々言ってやりましたよ。今朝のうちにね」
「でも」
「今日はお仕置きに忙しくて」
「お仕置き――?」
「僕と陛下の可愛がっていた小鳥の鳥かごを、野良猫が倒してしまいまして。小鳥が逃げてしまったのです。だから、猫を捕らえてお仕置きを」
無表情だったファズの眼にサディスティックな光が宿る。
レオナは思わず後ずさった。
「それに、陛下が猫に追われた小鳥を心配するので、探しに来ました。
貴女は――セイダへ戻るのですか?」
レオナは、ファズが『貴方』ではなく『貴女』と表現するのに戸惑った。
「ま、まあ、一度城へ戻ろうとは思ってる」
あの事件以降、レオナが女性であるという話はあっという間に広まり、どこへ行っても好奇の目で見られたり、露骨に避けられたりしている。
そういう意味で城の者たちにも何を言われるか不安ではあるが、この婚礼を見届けたら、レオナは領地に戻ってきちんと説明すると決めていた。
逃げずに自分の役目を果たす。それがダールの配慮への自分の誠意である。そう告げた。
それを聞くとファズはまた元の無表情に戻り、じっとレオナの眼を見た。
「な、何?」
「……そうですね。そのまましばらく領地で静養する事をお勧めします」
その言葉は、レオナの耳に重く響いた。
王都には戻って来るなという意味だろうか。
ずっと彼らの前で偽り裏切ってきたレオナに対するファズの気持ちは、顔も見たくないという事だろうか。
問い質したかったが、口にはできなかった。
決定的な言葉を、聞きたくなかった。
「夏が終わるまでに」
気まずい沈黙を破ったのはファズだった。
「夏が終わるまでには、頭の固い爺さん達を黙らせておきます」
そう言い残し、ファズはレオナに背を向けた。
「それって――帰ってきて良い……って事か?」
春の宵に吹くような穏やかで心地よい風が、レオナの伸び始めた襟足と、満開になったミラティスの花を揺らした。
第5章 「花嫁の騎士」 終
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございます。
この話を持ちまして第1部完結とさせていただきます。
本編は閑話を2本挟んで、第2部「水面に散る花」に続きます。
第2部では鎖国を解いたイーカルから飛び出して、アレフの案内で
商業の国や神話と魔術の国へ旅立ちます。
その途中で明かされるのは、クレーブナー家の暗い秘密と
大陸の禁忌にも関わるダウィの過去……
亡くなった婚約者の事をふっきったレオナには恋の種もちらほらと。
今後ともどうぞよろしくお付き合い下さい。
*第5章「花嫁の騎士」の裏話と後日譚は
第二連隊の新人・ティトを主人公とした「イーカル王国 王都日記」に描かれています。
レオナの事を男だと信じて振り回される彼らを見てにやにや笑って下さると嬉しいです。
少年の恋愛を主軸にしているため(こちらと比べて)かなりライトな小説です。