第29話 詮索
「こんばんは」
「こんな時間に何? 夜這い?」
「僕は他人のものには手を出さない主義です」
「あら、私は独り身よ」
いつものやり取りをしながら、ファズはルティアの待つ部屋に迎え入れられた。
主が何も言わなくても応接室ではなく居間に通され、濃い目のイーカル茶に砂糖が添えられて出てくる。年頃の男女だというのに、口やかましいメイド長すら退室する。それが十五年という長い年月で培われた「幼馴染」という関係だった。
「毎日毎日――忙しいんじゃなかったの?」
榛色の大きな目をした令嬢は、呆れきった表情でファズを見上げた。
小柄なルティアの身長は背の高いファズの胸の辺りまでしかない。それゆえいつも上目遣いになるその表情は一般的には庇護欲をそそられるものなのだが、気の強さを知ってしまっている身には何の誘惑にもならなかった。
だからいつも通りルティアの横をすり抜けると、勝手にソファに座り、ティーカップに角砂糖をぽとんぽとんと落としていく。
「そりゃあもう、忙しいですよ。
婚礼衣装のサイズ直しに、宴の食事の打ち合わせ、招待客の名簿の管理から、警備の――ああ。王女が襲撃された件でパレードは中止にしましたけど、移動中の警備の変更で余計に手続きが増えたんです。
そもそも、襲撃事件の粛清が予想よりも大掛かりになってしまった為にそれ自体の事後処理も終わってない」
わざと嘆くように言って見せてもルティアは冷たかった。
「じゃあここに来る時間ももったいないと思わない?」
「恐れ多くも国王陛下から直々に最重要案件と言われていますから」
「だったら直接聞いてらっしゃい」
「それができないからここへ来るんでしょう」
そう言ってファズはソファに座りなおし、ようやくルティアの顔を見た。
「――今日、レオナはどうしていました?」
「昨日と一緒よ。午前中は前夜祭で披露する騎士団の行進の練習。
好奇な目で見られるのはだいぶ収まったらしいけど、腫れ物に触るようだって。雑談すら混じれなくて居場所がないようね」
「午後は?」
「襲撃の事後処理。私も一緒に王宮へ行ったわ。
捜査結果に関してはファズの方が詳しいでしょ」
「結果はどうでも良いです。レオナは何を?」
「あれこれ確認させられてサインしただけよ」
「何か言っていませんでしたか?」
「……叙勲は断ったとは言ってたわ」
「他には」
ルティアはその問いには答えず、足音も荒くソファまで来ると、両手を腰に当ててファズを見下ろした。
「あのね、ファズ」
「はい」
「自分の知らない所でぐちゃぐちゃ言われるのってかなり嫌だと思うわよ」
「……まあ、そうですね」
「それがわかったら直接――」
「近づき方がわからないんです」
ファズは徒にスプーンでカップの中身をかき回しながら言った。
「レオナは僕達に何も言わず、断罪される方を選びました。
――僕達はその程度の存在だったのでしょうか」
初めて聞く幼馴染の弱気な言葉に、さすがのルティアも少し怯んだ。
だがすぐに自分らしくないと気付いたのだろう。ファズは繕うように笑って見せた。
「すみません。思わず」
「……何それ。気を使ったつもり?」
ルティアはどすんと音を立てて向かいのソファに腰を下ろした。
「全部話していきなさい。ここには誰もいないわ。
エレナの代わりにはなれないけれど、私だって貴方の幼馴染なのよ」
そう言ってルティアは砂糖の入っていない自分用のカップを持ち上げた。
「黙って一人で全てを抱え込む事も貴方には大切なことなのかもしれない。だけど、話すと楽になるっていうこともきっとあるわ」
「レオナの友人の中で――ダールも僕も、ルティアと同じくらいレオナに近しい存在だと思っていました」
ぽつりぽつりと口をつく言葉は、ファズにしては珍しく計算の無い言葉だった。自分の言葉が相手にどういう影響を与えるのか、どんな反論が返ってくるのかといった事も考えず――それ以前に、きちんと文章として成立するのかすら考えずに言葉を口にするのは子供の頃以来のことだった。
「ダールはあんな性格だから、兄にでも甘えるように何でもかんでも話していましたし、僕も……レオナは安心してダールの警護を任せられる、唯一の相手でした」
以前のファズは誰も信用していなかった。
だから武術に秀でた騎士にも、裏切ることは決してないであろう親族にすら頼ることはせず、ずっと一人でダールを護ろうとしてきた。
幼馴染にはもう知られてしまっているから隠す事も無いが、実はファズが一人でふらふらと出歩くようになったのは――生涯たった一度の恋をした時を除けば――レオナが来てからの事だった。
それだけファズはレオナの事を信用していたのだ。
「だから、レオナが一番の悩みを僕達に何も話してくれなかった事がショックでした。
他の誰かならわかります。例え辛さを分かち合う事ができたとしてもこの国の法律までは変えることができない。
でも、ダールは国王で、僕は国王に我侭を言える人間です。僕達ならいつでもレオナを救えたはずなんです。
だから、そう思ったらレオナの望む僕らとの距離がわからなくなりました。
……近づき過ぎて傷つけるかもしれない事が、怖いんです」
「レオナは私にも何も言ってこないけれど、以前のように話しかけて貰える事を望んでいるんじゃないかしら」
ルティアは昼間見たレオナの寂しげな顔を思い出しながら言った。
「彼女はね、自分が貴方達の事を裏切ったと思っているから、絶対に自分からは話しかけないと思うわ。
関係修復を望むなら、貴方達が動かないと何も変わらない」
ファズは黙ってティーカップに口をつけた。
難しい顔をしているが、ルティアはファズの纏う空気が少し柔らかくなったのを感じた。
「――それで? 聞くだけ聞いて行くつもり?」
「何が知りたいんですか」
カップを手に持ったまま目を上げるファズは、もうすでに笑っていた。
ルティアが聞きたいことなど聞かなくてもわかっている、という顔だ。
「ダールはどうしてるの?」
「毎晩、三人でお茶会しているようです」
「三人?」
「ユリア王女と、侍女のカーネリアさんと」
「……なんで侍女まで」
「二人きりでは、王女の心はほぐせないと思ったらしいですよ」
「奥手というより、子供ね」
「手厳しい」
「女性の気持ちを尊重しようという姿勢だけは評価してあげる。
で、どこまでいったの?」
「ようやく、時々敬語を忘れるくらいまで」
「何それ」
「彼なりに格好つけているんですかね。まだ『俺』じゃなくて『私』とか言ってますよ」
ルティアは思わず吹き出した。
「そんなダール、見てみたいわ」
「僕もいつも笑いをこらえるのに必死です」
幼馴染の二人は顔を見合わせてまたくすくすと笑った。
「……ルティアの言うとおり、話せば楽になるんですね」
「でしょう?」
「ダールが、王女にレオナとの事を話したと言った時に、やけにすっきりした顔をしていたのを思い出しました」
そこまで言うとファズは目を逸らし、早口で告げた。
「僕も少し楽になりました。ありがとう」
帰り際、玄関まで見送るルティアにファズは子供の頃によくしていた表情を見せた。
「そうそう。ダールがマザコンだということがわかりました」
悪戯を思いついたダールの背後で、諌めるフリをしながら悪ノリする時の顔だ。
「初めて王女にお会いした時から、なんとなく顔立ちが彼の母上と似てるとは思っていましたが、まさか遺品を分解するとは思っていませんでした」
ルティアは小首を傾げた。
「どういう事?」
「オアシスが足りないんだそうですよ」
「オアシスが?」
さっぱり意味がわからないという顔をするルティアを見て、ファズは楽しそうに笑った。
「政略結婚だとか言ってましたけれど、本気でユリア王女を口説こうとしているみたいですね。彼は」