第26話 陛下
とても前向きで、優しい方――と、レオナ様は仰っていた。
それがこの、目の前で跪く人……?
ユリアは戸惑いながら、顔をあげてくれるように請う。
その人は繰り返し謝罪の言葉を口にしているが、それが本心からだとはどうしても思えない。言葉こそ丁寧だが、ずっと不機嫌な顔でこちらを睨んでいるのだ。
しかしここでユリアが許すと告げなければこの方の面子も立たない。
だからユリアは震える声で「謝る必要はない」と言い、そしてわざわざ国王自ら出向いてくれた事に対する謝辞を口にしなければならなかった。
それでもその人は、ユリアを睨んだまま薄い唇をきゅっと結んでいた。
その時、控えめに扉が叩かれた。
現れた女性を見て、ユリアは胸に溜めていた息を吐く。緊張のあまり呼吸すら忘れていたようだ。
思わず涙が溢れた。
それはあの時ユリアの身代わりとなり馬車に残ったルティアだった。怪我もない様子で満面の笑みで走り寄って来る。
更にその後には旅の間侍女を務めてくれた二人も居た。本来はレオナの家のメイドだというシアとエマ。二人もユリアを見てやはり涙を流して喜んでくれた。
お互いの無事を確認した後、ルティアがきょろきょろと辺りを見回した。
「レオナは――」
そこに居たのは、陛下と護衛の者の他にはユリアと侍女のカーネリア、それにここまで案内してくれた足の悪い老兵だけだった。
レオナの姿はない。
ユリアはコクリと唾を飲み、一語一語噛み締めるように言葉を発した。
「レオナ様は、追っ手を足止めするとおっしゃって……私をアレフ様に託してどこかへ行ってしまいました」
事実ではあるが、正確ではない。
だがこうして口裏を合わせるのは「あの人」との約束でもあった。
「アレフさんが!」
驚きの声を上げたのはシアだった。「なんでこんな所に来ていたのかしら」と呟くエマもアレフの事を知っているようだった。
「そ、それで……レオナは、無事なのかしら……」
泣きそうな声で呟かれたルティアの問いに、ユリアは答える事はできなかった。彼女が窮地を切り抜けこちらに向かっているらしいと知ってはいたが、「あの人」の存在を匂わせる話はしないと約束したからだ。
ユリアの困ったような表情を悪い方に取ったのかルティアの顔から血の気がひく。
その時、それまで黙って聴いていたイーカル国王が口を開いた。
「ここまでユリア王女が無事にたどり着いたということは、足止めが成功したということ」
そう言って窓の方へ顔を向けた。ちょうどその方角はレオナが駆けて行った方だ。
ここからでは高い城壁の向こうに森を割って抜ける広い街道が見えるばかりだが、その向こうにレオナはいるのだろうか。
その場所からここまではどれくらいの距離があるのだろう。
レオナは、いつここまで戻ってくるのだろう。
――早く、ルティアを安心させてあげて……
ユリアが今にも泣きだしそうなルティアへ手を伸ばしかけたその時。カンカンとやや強めに扉を叩く音が響いた。
国王が諾と返事をし入口の側に立っていた騎士がノブを回すと、転がりこむように入ってきた一人の兵士。
「へ、陛下! 失礼致します!」
「何だ」
敬礼する軍人を国王はやはり不機嫌な様子を隠さず睨み付けた。
「第二連隊長レオナ・ファル・テート殿が帰還致しました!」
蒼白になったルティアの頬に血の気が戻り、メイドの二人が歓声を上げる。
ユリアとカーネリアもほっと胸を撫で下ろした。
しかし、国王は……
「――ッ」
微かな音で、聞き取れたのはすぐ側に居たユリアだけだったろう。
でもそれは確かに……忌々しいとでも言いたげな舌打ちだった。