第24話 剣戟
かさりかさりと乾いた草が鳴る。
一歩進むごとにたつ音は木々のざわめきや虫の音と一緒に静寂の中に吸い込まれていく。
ボーレク。山際を巡る街道が川に行き当たる場所。ここからしばらくの間だけ街道は川に沿って進むが、またすぐに川から離れ、バシュタと呼ばれる城のある町へと向かう。
敵が二心あるものなら町や村で堂々と宿を取ることはないだろう。昨晩野営をしていたというなら今晩も野営をする可能性は高い。だとしたら、この辺りだ。川沿いなら平らな土地もあるし、水も容易に手に入るから野営に適している。
案の定、付近の集落から離れた川岸にたき火らしき明かりを見つけた。
レオナは少し迷ってから長剣を近くの茂みに隠す。
代わりに馬車から持ち出した短剣を腰に挟んだ。これくらいの大きさのものなら村人でも兎を捌くのに使ったり護身用に持ち歩く事がある。それから……と、短い髪を隠すスカーフをもう一度きつく結び直した。
* * *
足音を忍ばせ、木々の陰からそっと様子を窺う。
石で簡易な竈を作り夕飯の支度をしているらしい男が二人。他に周囲に人影はないか。
……いや、耳を澄ませば川の方から数人の声がする。時折馬に指示を出す掛け声が聞こえるから、残りの者は馬の世話でもしているらしい。
辺りに気を配りつつ竈の方へ近づけば、鍋をかき混ぜながらぼやく声が聞こえてきた。
「……しかし見つからねえな、姫さん」
レオナはこいつらこそが追手であることを確信し息をひそめた。
「どこかで追い抜いちまったか?」
「いや、これだけの人数で確認してるんだ。見逃しちゃいないだろう。
あの坑道を抜けられてんならあっちにも手引きした地元の奴がいるって事だ。まあ、坑道を抜けられてないなら話は別だが、坑道はもう軍の手に落ちた。探しようもねえ」
「ああ。そうだな」
「なんにしたって姫さんは騎士たちが集まっているバシュタ城へ向かうはずだ。確実にこのルート上のどこかにいる。
――スープはこんなモンでいいか」
「この辺は茸が生えてるから豪華だな。『あっち』とはえらい違いだ」
「飢えも乾きも無縁だからな。よし、完成だ。頭たち呼んで来いよ」
「おう」
男のうちの一人が川の方へ向かい、ややあって数人の男が連れ立って薪の方へ戻ってくる姿が見えた。
ダウィの言う通り全部で十人。清潔とは言い難い外見でいかにも盗賊といった風体だ。竈のそばに車座に座るのを確認した後、レオナはもう一度腰の短剣に触れてから一歩前へ足を踏み出した。
「誰だ!」
一人が叫べば、残りの男たちはすぐに傍らの武器に手を伸ばす。
戦いが体に染みついているものの動きだ。
レオナは頭を低くし、ゆっくりと男たちを刺激しないよう近づいた。
「……女か。なんでこんな時間に」
「わ、わたしはこの近くの集落の娘です。弟が急に高熱を出して、バシュタまでお医者様を呼びに行く途中でたき火の明かりが見えたので……」
怯える演技でちらりと様子を窺えば男たちは視線を交わしつつこちらを値踏みしているようだ。
「バシュタか。歩いて行くのは大変だよなあ」
「馬で行きゃあすぐだけどよ」
そんなことを言い出す男たちに、レオナは内心ほくそ笑んだ。しかしそんなことはおくびにも出さず、か弱い村娘を演じ続ける。
「小さな集落なもので馬は……」
「そうか……ところでなあ、姉ちゃん」
「はい」
おそるおそる、という風にゆっくりと顔を上げれば、一番竈から離れた場所に座る男がにやにや笑いながらこちらを見ていた。
あれが親分か。背はそう高くないが、擦り切れたシャツから覗く腕は太い。正面切って相手取るのは出来れば避けたい。そんな計算をしながらさりげなく周囲を確認する。
男たちはそんな視線を不安によるものと取ったのか、猫なで声で語りかけてきた。
「俺達ぁ、馬に乗ってここまで来たんだけどよ」
「そうそう。そんでバシュタの方に行くところだ」
「馬でなら、歩いて行くより早く着くかもしれねえなあ」
「姉ちゃんが望むなら送ってやってっても良い。ただ……タダって訳にはいかねえよなあ」
目くばせをしながら口々に言う男たち。
――下種が。
そう心の中で罵りつつも、声を震わせながら、お金はほとんどありませんと告げる。
「いやいや、俺たちだって医者に支払う金まで取ろうなんて思わねえよ?」
「そうだなあ……代わりに、ここに来て酌でもしてもらおうか」
ぐいと腕を引かれて男のそばに崩れ落ちた。男の手が助け起こす振りをしながら尻を撫でる。
レオナは一瞬寄った眉をなんとか困惑したような表情に修正しつつ、「お酌だけなら……」と応じた。
* * *
ダウィに教えられた道を駆ける事半刻。アレフは茂みの先にちらちらと揺れる灯りを見つけた。
と、同時に耳に届いたのは大勢の罵声や悲鳴と剣戟の音。
「――っ!」
慌てて馬首を回し、川岸の方へ藪を分けて入る。
大きな木を背に立つレオナを取り囲む盗賊風の男たち。
その背後に幾つもの死体が転がっているのはさすがだが、いくらなんでも無茶というものだ。
舌打ちをするアレフの正に目の前で、レオナの腕が切り裂かれた。
「レオナ!」
慌てて、正面を塞ぐ背中を斬り捨てる。
その間にレオナは自身の左腕を傷つけた男を倒し、突然の乱入者にたじろぐ一角へ斬りかかった。
アレフも馬から飛び降り、短剣と体術を駆使してレオナのフォローに回る。
動揺で陣形を崩した残りの五人を倒すことはそう難しい事ではなかった。
冷たい沢の水で手足をすすぎ、深く息を吐くレオナに背後から近づいた。
女性としては大柄でも、アレフに比べれば小さな体だ。戦いに向くとは思えない。一瞬の隙を見逃さない目の良さと敏捷さでこれまで戦場を渡り歩いてきたのだろう。そう思えば感嘆に値する。
初めて彼女の戦う姿を目にしたが、それは初めてすれ違ったあの日にファズの口にした科白を思い出させるものだった。
――僕だったら本気の彼に正面からぶつかるような真似しません。
その通りだ。腕力でも場数でも勝っていたとしても、試合のように一対一で正対したら勝てる気がしない。それはわが身を顧みない捨身の戦法と、確実に敵を殲滅しようという気迫の相反するアンバランスさに起因するものだ。
アレフは首筋を撫でた。
最後の一人を斬り捨てた後、レオナは短剣を振りぬくその動きのままにアレフの首に刃を突きつけユリア王女の安否を聞いた。興奮で瞳孔の開いた茶色の視線がアレフを射抜く。あの時背筋を走った緊張感は、もはや強者と出会えた快感に近い。
なのに、とアレフは拳を握った。
レオナを諌めながら王女の無事を伝え、「ダウィに預けてきた」と言った時のあの顔だ。今までで一番安堵した表情を見せるのだから――腹が立つ。
「脱げよ」
苛立ちを抑えて口を開いたため、端的になりすぎて伝わらなかったらしい。
ぽかんと阿呆面を向けるレオナに手の中に握っていた軟膏と包帯を見せる。一瞬の逡巡のあと、彼女は素直に上衣を一枚づつ脱ぎ捨てた。
傷らしい傷はアレフが着いた時につけられた一か所だけ。左の肩から肘の少し上のあたりまでが大きく斬られ、今も血をしたたらせているが、上衣が守ってくれたのか傷口自体はそう深くはない。
「ん、」
薬を纏った指で触れれば小さく呻いて顔をしかめる。伝える気はないが、ダウィ特製の痛みだけは誤魔化せる薬だ。すぐに感覚も麻痺してくるだろう。
腕の付け根を強めに抑えながら包帯を巻き、最後に元の服を着せかけ、襟を直してやる。
「悪いな」
そう口にするレオナはもうすっかりいつものレオナだった。
大きく引き裂かれたスカートの裾を絞りレオナは淡々と死体の転がる焚火のそばへ歩を進める。
「……誰に指示されたのかなんて証拠、あるかな」
余りにいつも通り過ぎるその様子に拍子抜けながら、アレフは首を巡らせた。
「持ってるとしたらアタマだな」
「アタマ?」
「ボス、首領、親分、上司、リーダー、お頭」
「ああ、あいつか」
レオナは少し離れたところにうつ伏せに転がっていた死体を蹴飛ばす。
懐に何か無いか漁る姿をアレフは冷めた目で見つめた。
「――なあそれ。なんで尻出てんの」
ひっくり返したものだからお粗末なモノが丸出しだ。
「あー。こいつ襲いかかってきたから……」
女に目がくらんで隙だらけになった所を狙ったのか。想像はしていたがえげつない。
「証拠っぽいもんはないな。財布はかなり膨らんでるけどさすがに雇い主の名前なんて……」
「いやまて、その下着」
「下着?」
丸出しの陰部を嫌そうに見るが、レオナにはわからなかったようだ。
「あんた、普段どんな下着履いてるよ」
「どんなって……まあこんな」
指さすのは地べたに転がる汚い尻。アレフからすれば普通の下着だ。しかし
「あんたの親父さんも?」
「……いや、こうやって横で紐をしばって……」
「そう。この辺りの出身ならもっと布面積が小さくて横で紐を縛る下着が一般的だ。しかし、イーカル族は丈の短いズボンの形で紐を前で縛る。
あんたの下着は王都で調達したもんだからこれと同じ形なんだろ?」
いくらシャツやズボン、装飾品といった服装を変えてそれっぽく変装しようと、下着のような目につかない場所までは気が回らない奴は多い。
「ああ……つまり、この男は」
「イーカル族――か、少なくともこの辺りの奴じゃないって事だな」
それを聞いてレオナはそれぞれの下着を確認して回り、納得したようにうなずいた。
「こっちの三人はオレの父さんと同じ下着だ」
「じゃあソレがダウィのいう所の『この辺りの地理に詳しい奴』だな」
十人中三人が地元民で七人がイーカル族。考えうる中で一番可能性が高そうなのは―ー
「第五連隊の裏切り者が七人と、ソレに雇われた盗賊紛いの地元民が三人?」
レオナがこてんと首を傾げて推理を披露する。
アレフの考えもおおよそそれと同じものだ。
「軍人ならあとで首実験すりゃわかるだろ」
「そうだな」
とりあえず地元民が見つけて騒ぎにならないようにと通りからは見えない場所に死体を押しやり、レオナは追手の乗ってきた馬に視線をやった。
「こいつらの馬、貰っていいよな」
「いいんじゃねえ?」