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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
花嫁の騎士
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第23話 希望

「こちらに何か連絡は入っていますか」

 城門を越えるなりファズは出迎えの兵にそう尋ねた。

 片足を引きずった老兵だ。

「いえ、まだ」

「捜索は」

「鉄の谷の坑道の中、坑道を抜けて出る事のできる道を中心に第二連隊が。それにこの城へ向かっている事を想定して――」

「成果は無いんですね」

 ファズは性急に問う。

 行方不明になっているのは未来の王妃。それも引渡しの儀式を終えたとはいえ、婚礼の済まぬ今はまだ「他国から預かった王女」だ。もしも命が奪われるような事があったら戦の火種になり兼ねない。

 ファズの焦りは当然の物だった。

 老兵の知る限り、ファズが城に戻ったのはこれで二回目。それも疲弊した馬を乗り換え、手がかりが掴めていないかと確認するだけで、食事も休憩も取る事無くまた捜索に戻ってしまうのだった。

 老兵は疲れを滲ませた顔を労わるように見て、それから穏やかな声で答えた。

「報告は入っていません」

 その言葉を聞くと、ファズは即座に厩舎から連れてこられた新しい馬に乗り換えた。

「捜索に戻ります」

「お待ち下さい。陛下が明朝こちらに到着されるそうです。それまで――」

「明朝ですね。それまでには戻ります」

 ファズは老兵の言葉を最後まで聞くことなく、また門を飛び出して行った。

「若い者は気が短くていかんな。なあ、タイ殿」

 その言葉に応えるように、近くの植え込みから白い大きな犬が姿を現した。

 老兵は、その手に握ったままだった小さな紙にもう一度眼を走らせ、犬の背を撫でた。

「全て了解した。そう、伝えて下さい。

 それから……レオナには、『そのまま逃げろ』と」

 犬は返事をするように鼻を鳴らし、風のように城門をすり抜けて行った。


 老兵の名はガルドー。前第二連隊長にして、今は亡きボルディアー前将軍の腹心の部下だった。



 * * *



 日が傾きはじめた。

 沈むまでには間があるだろうが、深い木々に覆われた森に訪れる夜は早い。

 いつの間にか囀る小鳥達の声も消え、静まり返った森に時折響くのは物悲しい梟の声。「狼が出る事もある」というレオナの言葉を思い出しユリアは急に不安になった。

 追っ手も怖いが、未だ見たことのないその獣も怖かった。聞いた話だと、獣というのは獲物が動けなくなれば生きたままでもその内臓を食べるのだそうだ。それに比べれば追っ手の手でひと思いに殺された方がまだマシだ。

 ユリアは鞍を掴む手にきゅっと力を入れる。

 そんな様子に気付いたのか頭上から、時々掠れたようになる声がした。

「今晩は野宿だな。屋根の無い所に寝るのは、王女サマにゃ辛いだろうが……」

 狼は怖いが、不安を訴えてどうなる物でもない。だからユリアは手綱を握る男の腕を見つめたまま答えた。

「……お気遣い、感謝します」

 レオナがいなくなってからすでに半日。ずっと男の馬に乗せられていたが、ユリアは未だにこの男と会話らしい会話をしていなかった。

 昨晩覗き見てしまった光景と二人の気の置けない会話から、レオナの恋人なのかと思っていたのだがそれはどうやら違うらしい。

 それでもレオナがユリアを任せたという事は信頼できる相手という事だ。少なくとも敵では無いだろう――ないのだろうが、何者かに命を狙われている今、ユリアは正体不明のこの男を信用していいのかどうか迷っていた。


 おそらく軍属ではない。軍人特有の言葉遣いや身のこなしといった物がまったく感じられないから。

 そして貴人に対する態度はなっていない。だが、遠慮もない。その態度は貴人と接する機会がなかったからというよりは、その逆だ。慣れているが故の距離の近さのような物を感じる。

 更に、言葉遣いと行儀はユリアが今まで見てきた誰よりも酷いが、気遣いはかなり出来ている。ユリアやカーネリアが馬に乗り降りする際にさりげなく添えられる手などきちんと教育された仕草だった。そうして考えると、粗野なフリをしているだけで意外と身分の高い者なのかもしれない。


 それに先ほどからずっと見ているその腕。

 着ている服はごく質素な物だ。今ユリアの着ているレオナの服と大差ないだろう。レオナの服が村娘の服なら男の服は町人の服。継ぎ接ぎなどが無い分村人の物より少しだけ上等に見えるという程度だ。しかし、時折袖口から覗くブレスレットは――これだけは違う。

 黒い革製の太いブレスレット。とてもシンプルなものだし、一見すると町人が身に付けているものと変わらない。だが、その革は目の肥えたものならそれとわかる上質な物だ。施されたカービングも大陸東岸風で、二十年近く鎖国を続けるこの国では手に入りづらい物のはず。

 ユリアはちらりと男を見上げた。

 暗くて今はよくわからないけれど、昼間見たのは確か緑がかった色の瞳だった。ユリアの生まれたヨシュア王国ではそう珍しいものではないので気にも止めていなかったが、そういえばこちらの国では多くが黒だという話だ。レオナの茶色い瞳すら珍しいと聞く――


 いや、こんな色の眼をしたイーカル人を見たことがあった。


 ユリアは男の顔をまじまじと見つめた。

 あの時は今ほど近くで見たわけではない。しかし、なんとなく面影がある。兄弟か親戚だろうか。

 男に家名を問おうとしたその時、

「きゃ――っ!」

 馬が急停止した。

 思わずバランスを崩しそうになったが、男に支えられてなんとか落馬せずに済んだ。

「悪い」

 男は謝罪しながらも、視線を道の先にやったままだった。

 つられてそちらを見ると、道の真ん中に獣が寝そべっている。


 ――狼!?


 ユリアは一瞬身を固くしたが、すぐに違うとわかった。

 男も気がついたようで、溜息交じりにその名を呼んだ。

「なんだ。タイか」

 それは大きな白狼の様な犬。そう。レオナもタイと呼んでいた。

 昼に見たものと同じ犬のようだ。ユリアがほっと胸をなでおろしたのも束の間、今度はすぐ傍の大木の影から聞きなれない声が飛んでくる。

「何ぼーっとしてんの」

 そこに現れたのは、金髪の男。馬の頭で半分隠れてしまって顔はよく見えないが声のハリからするとまだ青年といった年だろうか。

「ダウィ……お前も来たのか」

 応じたのはユリアを抱きかかえたままの男だった。

 ダウィという名前にも聞き覚えがある。あの犬の持ってきた手紙の主だ。犬の飼い主で昨晩から追っ手に関する情報を伝えてくれているのだとレオナが話していた。「アレフと違って信用できる友人」とも言っていた。だから安心して良いのだろう。


 それに、その名前は以前にも確か――


「上の空だよ」

 呆れたような顔でアレフを見上げるその目は黄金色。明るい茶色などではなく、獣の目のような金色。

「んなことねえよ」

「そう? いつもならもっと手前で俺に気づいてたと思うけど」

 そう言って、ダウィと呼ばれた男が眼前に止まった馬の鼻面をなでる。

 馬は気持ちよさそうに鼻をならした。

「そんな事で王女様を守れるの?」

「守るさ。『オレ達の希望』らしいし」

「そんな気構えじゃ無理だよ」

 ダウィはあっさりと否定した。そして、

「いいよ。いっといで」

「あ?」

「君の『希望』はこの人じゃないんだろ。変わってやるから、取り返しておいで」

「俺は」

 何か言いかけた言葉を遮り、ダウィが低い声で告げる。

「命令だよ、アレフ」

 ユリアを抱く手が一瞬強張った。

 そして男は「悪いな」と言って馬から下りるように告げ、ダウィがユリアを抱き止めるように手を差し伸べた。ユリアはその手を取る他なかった。

 ダウィはユリアを地面に立たせると道の先を指差した。

「このすぐ先に分かれ道があるんだ。左の道を行けばレオナのいるボーレク。急げば間に合うかもしれないよ」

 アレフは返事をする事もなく馬の腹を蹴った。


 すぐにその姿は宵闇に紛れ見えなくなる。

 ユリアは身をひねって、肩に手を添えたままのダウィを見上げた。

「貴方は――」

 ユリアの声に含まれるのは「何故この人がここにいるのか」という疑問と戸惑いであって不安ではない。

「前にもお会いしましたね」

 そう言ってダウィは左手をゆっくり顔の前に翳す。

 中指で鈍い光を放つのは、中央に刻印のある指輪。

 だがそんな物を確認するまでもなく、ユリアは彼を覚えていた。一度会えば忘れる事は無い。この不思議な色の目。

 建国四百年の式典の際、ヨシュア王宮に招かれた大陸を代表する奇人達に悉く絡まれ、それでも堂々と渡り合っていた人だ。

 だがこの人はイーカル人ではなかったはずだし、この国は長年の鎖国のせいで大陸の主だった組織のどれにも加盟してないと聞く。


 なのにこの人は何故ここに――?


 ユリアの疑問に答えるように、ダウィはふわりと微笑んでみせた。

「今日は仕事じゃないんですけど、バシュタ城までは送ります」

「どうして貴方が……?」

「陛下もレオナも、大切な友人なので」



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