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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
花嫁の騎士
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第22話 旧道

 空が白み始める前に、レオナは隣の部屋の扉を叩いた。

 傷だらけの木の扉には鋳物の飾りとすっかり色あせたリース。以前弟が使っていた部屋だ。

「おはようございます」

 あの頃とちっとも変わっていない部屋の中で、王女と侍女はもう支度を済ませていた。こんな田舎では侍女服も目立ってしまうので、今日身に着けているのはここに置きっ放しにしていたレオナの服だ。人目を引く金の髪はスカーフの中に隠してもらった。それでも村娘らしからぬ美貌は隠しきれないのだけれど――

「狭い部屋で申し訳ありません。眠れましたか」

「はい……いえ、あの」

 混乱しきっていた昨日から一晩明けて、冷静になれた事で恐怖が襲ってきたのだろうか。王女は思いつめた顔をしていた。

「ご心配なさらなくてもすぐ本隊に合流できますよ」

「……はい」

「先に下りて馬の支度をします」



 馬に鞍をかけるアレフに、レオナはいつもと変わらぬ挨拶を投げかけた。

「もう良いのか」

 アレフが聞いた。

「すぐ降りていらっしゃるそうだよ」

「そうじゃなくて、親父さんとお袋さん」

 ちらりと振り返ると戸口のところで不安げに見送る母が居た。

「ああ……いってきますって言ってきた」

 涙ながらに別れなんていったりしたら、レオナが王宮に戻ってからどうなるか気づかれてしまうかもしれない。いずれ知られる事だろうが――両親にこれ以上心配を掛ける事は嫌だった。

「あんたはそれでいいのか?」

「何が?」

 アレフが平然と口にしたのは恐ろしい提案だった。

「例えば、どっかで王女と連れの女を殺して、あんたがそのまま姿を消せば王女サマとあんたは追っ手に殺されたっつーことになるんだぜ。そうすりゃ罰せられる事もねえ」

「そんな事、したくないよ」

 レオナの心はちっとも動かなかった。

「罪は罪だし、最初にこの家を出た時からその覚悟はできてる。

 それに……ユリア王女はオレ達の希望だから」

「誰かと同じ事言うんだな」

「何?」

「いや、なんでもない。

 ああ、王女サマもでてきたな。行くか」



 * * *



 日が高く上り、遅めの昼食を取る事にしたのは鳥の声しかしない静かな森の中だった。

 そこはレオナの父に教えられた、森を抜ける道。『旧道』と呼ばれ、今も街道への近道として時々使われているそうだが、道が細すぎて馬車などは通れないため地元の民しか使う事もないという。ずっとこの地域で育ったレオナですらこの道は知らなかった。


 道といっても殆ど草に覆われた獣道のような道だ。小川があっても橋はない。気を抜くと道を見失ってしまいそうな悪路だ。

 ここを通る事で多少時間を短縮できたはずだが、それでもレオナの不安と焦りは拭えなかった。

 昨晩聞いた追っ手の事が気にかかる。あちらもどうやらある程度の土地勘があるらしい。もし追っ手もこの道を知っていたら?

 レオナは水面に映った頼りなさげな自分の顔を掻き壊すように小川に手を浸けた。そしてばしゃばしゃと顔を洗い、ハンカチを湿らせてユリアの元に戻る。

「お疲れですか?」

 ひんやりとしたハンカチで埃っぽくなった手を拭うと、王女は初めてほっとした顔をした。

「いえ……でも、こんなに長く馬の上に居たのは初めてです」

「乗馬をなさるんですか?」

「私は嗜む程度です。

 このカーネリアの方が得意なんですの」

 恥ずかしげに顔を伏せる侍女。

 上品な顔に指先まで意識の向けられた所作。上流階級の生まれであることは確かだ。その割にこの旅に文句も言わずついてきている。

 ユリアが唯一人と選んできただけの事はあるのかもしれない。

 今までさして気にしていなかった侍女を見直した。


「ところで、レオナ様」

 サンドイッチを食べる手を止めて、王女がレオナの顔を見た。

「陛下はどのような方ですか……?」

 思わぬ質問に、軽く目を閉じて考える。

 子供っぽくて悪戯好きで口が悪くて……そんな事を彼の事を知らない王女に言っても誤解を招くだけだろう。

 ならば、そんな彼の本質は……


「とても前向きで、民の気持ちまで思いやれる優しい、方、です」


 思い出すのは、一月前までの――レオナを友として、男として、兄のように慕ってくれていた時のダールの姿だ。それはあの告白をした時以来、一度も見ることの出来ない笑顔。


「あの、私、今まであまり殿方と話をしたこともなかったものですから……」

 何故か頬を染める王女。

「実は、昨日……寝つけなくて、その……見てしまいました」

「え、えーと!?」

 昨晩といえば、あれしかない。

 レオナの血が一気にひき、次に一気に血が巡る。

 いったいどこからどこまでを見られたんだろう。

 焦ってアレフを見るが、あいつは見張りにかこつけて話を聞いていないフリをしていた。絶対に聞こえている癖に。

 そんなレオナの焦りを他所に、王女はレオナに負けないくらい顔を赤くしながら小声で言った。

「私は、陛下を、きちんと愛せるのでしょうか……」

「そんな、あれは愛なんかじゃ、いえ、その」

 愛し合っての行為ではないと言った所で理解できるはずもないだろうとか、でもこの方は顔も知らない男の元へ嫁ぐ訳だしとか、そういった事があれこれ頭をよぎるが何一つ言葉にならず、何を言って良いのか分らなくなった。

 そんなレオナを見てユリアが慌てた。

「す、少しです。ずっと見ていたわけではないのです。申し訳ありません」

「ああいえ、その、殿下は悪くなくて、ええと、そうだ」

 レオナは咳払いをした。 

 早鐘のように鳴る心臓は少しも収まる気配がないが、落ち着くためには自分の話から話を変えてしまった方が良い。

「ダール……国王陛下とも、以前同じような話をしたことがあります」


 あれは、随分前に一度。

 そしてこの結婚が決まった時にもう一度。

 

「陛下は、自分は王家に生まれたのだから政略結婚は仕方が無いと話していました。

 そして、殿下が自分をどのように思っていようと――無理矢理この国に連れてこられる事になるユリア殿下の辛さが少しでも救われるように自分は殿下を心から愛したい。その為に努力をすると言っていました。

 ――そういう、方です」


 きっと、彼なら口にした言葉を違えないと確信をもって言える。


「……あなたは、陛下にとても信頼されているのですね」

 ユリアの真摯な言葉をレオナは曖昧な表情でかわした。

 もう二度と、あのような時間は戻らないだろうから。

 

「私は……陛下を裏切りました」

 レオナの言葉をどう受け取ったものか、王女の表情が硬くなった。

「殿下は、ヨシュアにも私の噂は届いていたと、そうおっしゃっていましたよね。

 私は、男だと。そう聞いていたのではありませんか」

 王女は小さく頷いた。

「それは私が性別を偽り続けてきたからです。

 陛下にも、ずっと――

 だから陛下に信頼を寄せられる度に、自分の裏切りを突きつけられるようでした。

 罪に問われる事で、もう陛下に嘘をつかなくて良いのならその方が良いと、そう思うほど……あの方は私を信用して下さっていたのです」

 レオナが口を閉ざした事で、森の中に沈黙が降りた。


 最初に音に気がついたのは馬達だった。

 落ち着きの無い様子に気がついたアレフがレオナに目配せし、腰に下げた短刀に手をかけた。

 レオナもユリアとカーネリアを背に回し、静かに剣を抜く。

 茂みが揺れる。

 四人に緊張が走った。


 姿を現したのは大きな白い――犬。


 気が抜けた。

 追っ手でもなんでもなく、ただの犬。

 それも、知性を感じさせるこの目付き――おそらくレオナの良く知る犬だ。

「タイ」

 名を呼ばれて犬はレオナに歩み寄った。

 レオナの足に首を擦り付ける。

 癖の無いまっすぐな白い毛の間から茶色いベルトが見えた。普段首輪などつけていないので不思議に思いながらよくよく見れば、そこに小さな革の袋が結びつけられていた。

「これを取れって?」

 レオナが問うと、タイはそれを理解したようにその場でお座りをした。ぱさぱさと尾が振られるのを見てその袋に手を伸ばした。

 中に入っていたのはやはり、レオナには暗号にしか見えない大陸共通語の手紙だった。

 潔く諦めてアレフに渡す。

「何て書いてある?」

「あー……追っ手は今チハールだそうだ」

「早いな」

 だが、街道沿いの町の名だ。この裏道とは直接繋がってはいない。不意に鉢合わせる心配だけはないか。

「ま。ゆっくりもしてられねえ。少し急ぐぞ」

 言うが早いがアレフは身支度を始めた。

 その様子を見ながらレオナは決意した。

「オレ、ここで抜けるよ」

「レオナ?」

「そのペースなら、追っ手は夕方にハブランについてボーレクで野営って所だろ。明日には追いつかれちまう。

 だから、オレがボーレクで足止めして来るよ」

「は?」

「ボーレクならこの川沿いに下れば着くはずだ。カーネリアさんは馬に乗れるみたいだしさ。アレフ、悪いけど二人をよろしく」

「いやいや、待てよ。確かにボーレクの先は道が悪すぎて日が落ちてから進もうとはしねえだろうけどな。

 相手は一人二人じゃねえんだぜ」

「足止めったってなあ」

「追手は盗賊なんだろ? だったらオレの武器だって使えるかもしれない」

「っ、おい!」

「生き延びて見せるさ。約束だしな」

 腕を掴んで止めようとするアレフを、タイが裾を咥えて引き止めた。

 脱力するように二の腕を押さえていた力が抜ける。

「……わかったよ。王女サマは『オレ達の希望』だっつってたもんな。

 行こうぜ、王女サマ」

「え、でも、あの」

 王女はレオナとアレフを交互に見た。

「ユリア殿下。ご無事を祈っています」

 言うが早いか、レオナは川の端を走り去ってしまった。

「レオナ様!」

「乗ってくれ」

 アレフはユリアとカーネリアを馬に乗せ、再び旧道に足を踏み入れた。


 それぞれの後姿を見送って、犬もまた茂みの中に姿を消した。




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