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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
花嫁の騎士
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第18話 後悔

 前第二連隊長ガルドーは単騎夜道を走っていた。

 明朝にはダール陛下も自ら兵を率いて追いかけてくるというが、それを待ってはいられなかった。

 今危機に瀕しているのは彼の仲間であり、息子や孫のように思う者たちだったからだ。

 荒地を抜ける最短ルートを使っても、彼らが日程通りに進んでいれば間に合わない。だがもし、姫に体調不良があったりアクシデントがあって遅れているなら――万に一つでも可能性があるなら、彼らに知らせなければならない。

 懸命に走らせれば走らせるほど、馬上のガルドーはバランスを崩して落馬しそうになる。力の入らない左足が忌々しい。それを庇い負荷を掛け続けた右足もすでにガクガクしている。

 何故あの時矢など受けてしまったのだろう。今も自分が連隊長を務めていたなら、こんな事になる前にあの子をどこかへ匿ってやる事もできたかもしれないのに!

 ガルドーは半月前から繰り返し続ける後悔と自責の念に揉まれていた。



 半月前――王都にしては珍しい細かな雨が降った日だ。

 荒れ狂った将軍が第二連隊の演習場に飛び込んできた。


 軍のトップを務める将軍が、御自ら、だ。


 これはただ事ではないとガルドーは将軍の前に歩み出た。

 間の悪い事に連隊長のレオナも、副連隊長のシグマも留守だったからだ。

 その二人が居ないこの場を預かるのは、誰に言われなくても自分だと心得ていた。

 自分は前連隊長であり、騎士位も有している。将軍とは親しいとは言いがたいが知らない仲じゃない。だからこそ、他の者なら萎縮するばかりであろう将軍に対して交渉や譲歩を求める事も……自分なら、できる。

 だが今回は、将軍は決して怒りの理由を口にしようとはせず、「連隊長を出せ」の一点張りだった。埒が明かないので只管下手に出て謝り倒し、「連隊長を見つけ次第将軍の元に向かわせる」と言う約束でお帰り願った。


 いったい何があったのかは、後でレオナから聞きだそうと心に決めて。


 結局、レオナ本人と話ができたのはその二日後の午後だった。

 熱を出して寝込んでいたらしい。

 挨拶もそこそこに将軍の部屋に向かい、戻ってきた所を捕まえた。

 演習場の隅で問い詰めると最初のうちこそ渋っていたが、そこは年の功。最後には口を割らせる事に成功した。

 第二連隊がヨシュア王女の警護を担当すること。そして、その概要――全てを聞き終え、将軍が怒鳴り込んできた理由だけは分った。そこに一般人を引き入れるという事が怒りを買ったのだろう。それも貴族の女性を王女の身代わりに仕立て上げるなど前代未聞だ。

 だが問題はそれだけでは無い。

「それは――本気ですか」

「ダール陛下からの許可は得ました」

 その返答にガルドーは呻いた。

 彼が問いたいのはそういう事ではない。

「リスクを考えてますか」

 そう聞いても、枯葉色の瞳は揺るがない。

 ガルドーは口を開けたり閉じたりを繰り返す。言いたい事はいくつもあったが、演習場にはまだ片付けをする兵の姿がある。こんな所で言葉を選んで話していても埒が明かない。

「ちょっと……場所、変えましょう」


 レオナを連れて行ったのは西町のメインストリートにあるかつて行き着けだった酒場。訪れたのは五年ぶりだが、何も変わっていない。

 扉を開ける前から聞こえてくるノリの良い音楽。賑やかな笑い声。

 この店の一番の特徴は入ってすぐの所にある大きなステージだ。今日も昔と同じ楽団が演奏している。そして店の人気を支えるもう一つは、そのステージの前のダンスフロアと呼ばれるスペース。まだ時間が早いので踊っているものは居ないが、フロアを囲むように配置された席にはすでに多くの若者が集まっていた。もう少しして酔いが回ってくればここも若者達で溢れるのだろう。


 だが、そんな所に混じれるほどもう若くない。

「レオナ」

 名前を呼ぶと弾かれたように駆けて来る。初めてこの店に入ったレオナはこの独特な空気に圧倒されていたようだった。

「あっちに座りましょう。ここは五月蝿い」

 ガルドーは賑やかな席に背を向けた。


 店の扉をくぐると、誰もが入ってすぐのホールに釘付けになってしまい、そこへ吸い込まれるようにまっすぐ奥の席へ向かうが、実は入り口を入ってすぐ右側にも席がある。店内はL字型になっているのだ。

 そのLの短い方の辺にあたる席はステージも見えない上、通路が狭くて踊れないからいつも空いている。

 だが壁を隔てているおかげで賑やかな演奏が程よいBGMになるこの席が、踊りを踊らないガルドーにとっては居心地が良いのだった。


「二人で飲むのなんて初めてですね」

 そう言うと、レオナはちょこんと小首を傾げた。

「そういわれてみれば」

 ガルドーは届けられたばかりの果実酒に口をつけた。レオナが頼むのを見て何も考えず「同じものを」と言ったものだったが、ガルドーにはやはり甘すぎた。

 眉が寄る。

「いつものにしておけばよかった」

 思わず後悔が口をつく。

「ここへは良く来るんですか?」

「昔はボルディアー殿と来ていたんだが、亡くなってからはさっぱり」

「将軍と……」

 新しい将軍が立って三年になるというのに、レオナは前将軍の事を今でも「将軍」と呼ぶ。親しくなりきる前に大恩だけ遺して逝ってしまったあの男をまだどう呼んで良いかわからないのかもしれない。

「二十年――三十年ちかく前になりますか。まだ若い頃には毎晩のように来ていたものです。

 いつもここが私の席。私の隣がボルディアー殿。その向かいが、今では王室付き武術指南になったホルスト殿でした」

「ああ、ルティアのお父上の」

 ガルドーは頷いた。

 レオナはただの世間話のつもりだったろうが、この流れはちょうど良い。

「それから……あなたの座っている席が、私の部下だったユージン」

「はあ……」

 曖昧に頷きながら軍にそんな人がいただろうかと考えている。西の方では珍しくない名だから仕方ないか。

「当時の第一中隊長です。陽気な男で……ホルスト殿とは同じ年だったのかな。そんな事もあって、よく四人で飲んでいました」

 皆若く独身であったから、暇を見つけてはどうでも良い話をしにここに集まっていたのだった。 

「その後、ユージンは戦で片足を失い、田舎に戻って剣術教室を開いたと聞いています」

 レオナの表情が固まった。


「彼は、ユージン・クロムウェルという名前でした」


「ユージン・クロムウェル――!?」

 元々丸い目が、更に丸くなる。

「ご存知で」

 茶色い瞳をまっすぐに見つめると、レオナは呆然とつぶやいた。 

「オレの、師匠です」

 ガルドーは黙って頷いた。


 ――ここまでは、予想通り。


「ラディオラの出身であの特徴的な斬り返しと来れば彼しかいないとボルディアー殿と話していました」

「師匠をご存知だったんですか――もっと早く教えて下されば良かったのに」

「そうも思ったんですけどね」

 含みを持たせて言葉を濁した。

「実は、彼の弟子に会うのは三人目です」

「後の二人……は誰でしょう……? ウチの村や近隣の村の子供はほぼ全員同じ剣術教室に通っていたはずなので……」

 レオナの目が泳いでいる。

 きっとレオナはその答えに気付いている。

「五年は前になりますか。兵役で集められた者の中に彼とそっくりな剣筋の男を見つけて、例のごとくボルディアー殿が声を掛けたんですな。そうしたら同じ連隊にもう一人弟子がいるというのでその二人を呑みに誘った」

 おそるおそる天幕に入ってきた二人の様子は今もはっきりと覚えている。

 最初に声を掛けた少年はかなりの小心者らしく、ずっともう一人の陰に隠れていた。

 その盾にされていたもう一人というのは、まさに盾と言うのに相応しいがっしりとした体格。鋭い目つきが「親友」とそっくりだった。

「一人は剣だけでなく顔までユージンによく似た男で、なんと彼の実の息子だった」


「――グウィン」


「ええ。グウィン・クロムウェルです」

 レオナは泣きそうな顔になった。

 グラスに添えたままの手が震え、カタカタと音がした。

「……も、もう一人は」

「物静かな男で――名前は」

 深く息を吸い、吐く。そして、手元へ視線を落としたままのレオナの瞼をじっと見つめ、ガルドーは告げる。


「レオナ・ビル・ゲウィルと」


 もう表情に変化は無かった。

 もっと驚くかと思ったのに。ユージンの息子の名を出した時の方が余程ショックを受けた様子だった。

 レオナは何も話す気が無いようなので、ガルドーは先を続ける事にした。

「私達は、初めてあなたに会った時、誰かが彼のフリをしてこの軍へ入ったのかと思ったんです。

 名前も生まれた村も生年月日まで一緒なのになぜ違う人間が来るのかと。しかも記録上は兵役を終えているのに、あなたは正式な敬礼の仕方も知らなかった。

 間諜の可能性も最初は疑いました。でもそれにしてはあなたは……朴訥すぎた」

 すでにボルディアーが傍に置くと宣言していたので監視することは簡単だった。しかし誰かと接触する気配はなく、無防備な王子を前にしても害意を見せない。知れば知るほど、レオナはただの子供だった。たった数週間で、その危うくて純粋な存在を守ってやりたいとすら思う自分に気付かされたほどに。


 ――しかし、いつまで経ってもわからないままだった事がある。


「レオナ・ビル・ゲウィルというのは、誰ですか」

「彼は……弟です」

 ガルドーはまじまじとレオナの顔を見た。そしてあの大人しい釣り目の少年の顔を思い浮かべる。

「……確かに髪や目は同じ色だったような気もします」

 レオナは笑った。

「似てないでしょう」

「似てませんね」

 正直に答えた。目鼻立ちに少しも相似点を見出せなかったのだ。一番大きいのは目つきの違いだが、輪郭や顎のライン、しゃべり方すら違った。

「弟は母に似て、オレは父に似たんだそうです」

 一度笑った事で落ち着いたのか、レオナは懐かしそうな顔をした。

 一番聞きたかった事を聞くチャンスだ。

「あなたは本当はなんという名前なんですか」

「レオナというのは本名です」

 意外な返事だった。

 そうなるとあの少年が兄弟の名を騙ったと言う事になるが……

「父がどうしても子供にはレオナと付けたかったんだそうです。

 それなのに生まれたのは双子で……だから、弟はレオナ・ビルと――オレはレオナ・イルと呼ばれていました」

「イル、ですか」

 それは優しさを意味する女性名。

「オレはレオナ・ビル・ゲウィルの――姉です」

 その言葉でガルドーは思い出した。名前が女のようだとからかわれる度にレオナが話す、その名の由来だ。


 ――生まれる子供が男なら英雄レオナ・バルディッヒ男爵のように雄雄しく。女なら月の女神のようにつつましく……


 確かにそう言っていた。そこに偽りは無かったのだ。

「あまり驚かないんですね」

「あなたが女性であろう事は気が付いていました。私がというよりは、ボルディアー殿が」

 ボルディアーのその指摘を今日までずっと否定してきたのに、今は不思議と受け入れられている自分が居た。

 ボルディアーが見るからに怪しい少年兵を傍に置くと聞かされた時、ガルドーは猛反対した。なのにボルディアーがそれを押し切った理由が「あの子は女だ」だったのだ。その事を周囲に知られないように、そして守ってやれとまで言われた。ガルドーはそれを鼻で笑って否定し、その時は結局「間諜の疑いがあるものを監視をしやすい」という理由で渋々レオナをボルディアーの元に置く事を認めたのだったが……

「ずっと半信半疑だったが、そうか……そういわれるとそうとしか見えなくなるな」

 まじまじと顔を見る。

「あの頃より、丸くなったのか」

「太ってはいませんよ」

 そういう意味ではない。

 捨て鉢の危うさと緊張感が無くなったのだ。

「……穏やかな顔をするようになった」

 思わず声に出すと、彼女は恥ずかしげに甘い果実酒に口をつけた。 

 そんな仕草は、やはり女性的だった。

「なぜあなたは男装してまで軍に来たんですか」

 そう問うと、彼女はまた『レオナ』の顔に戻ってしまう。

「弟に召集令状が来たんです」

「彼は――」

「死にました。赤熱病で。兵役から戻って四ヶ月後のことです」

「死んだのか……そうか」

 病では仕方が無いが、まだ少年だった。未来のある子供の死ほど悲しい事はない。ガルドーは手を組んで祈った。

「しかし死んで一年も経った者の所へ召集令状はいかんでしょう」

「記録の上では生きていたんです。戸籍上、死んだのは弟ではなく私でした」

 ガルドーは首をひねった。

 間諜の疑いがあったので戸籍はとっくに調べてある。レオナ・ビル・ゲウィルは一人っ子だ。

 だから姉弟だと聞かされても、レオナは――目の前にいる『彼女』は税を誤魔化すために戸籍を持たない隠し子なのだと理解していたのだが、違うのだろうか。

「父は寝たきりでしたから、弟の死亡届は母が出しました。

 母は、昔の私のように読み書きが一切できません。父の書いた手本を見ながら書いたと聞いてはいますが、とても汚い字だったんでしょう」

「つまりそれは……読み間違えられた、と?」

「私と弟の名前は一文字違いですから」

 レオナの言葉を聴いていると、少なくとも彼女は自分に戸籍があると思っている。

 この件についてはもう一度調べなおす必要がありそうだ。

 淡々と話すレオナの言葉に頷きながら、ガルドーは心に決めた。

「召集令状を無視すれば、家族全員が殺されます。

 私がうまく軍に入れれば――そしてばれずに戻るか、そのまま戦死できれば、家族の命を永らえることが出来ると思ったんです。

 私はもう、死んでも構いませんでしたから」

 レオナはグラスに添えたままだった左手にちらりと目を走らせた。ガルドーも思わずそれを追う。

 鍛えてあるとは言え、男性よりやや細いその手首に巻いたチェーンには、小さなペンダントトップが付いている。

 過去にそれについて聞いた時には「戦争に巻き込まれて死んだ婚約者がつけていたもの」と説明されていた。そしてそこに刻まれた名前は一行目に「レオナ」、二行目に「イル」と。これはレオナとその恋人の二人分の名前だと思っていたが、「レオナ・イル」という一人の少女の名前だったのか。そして、彼女の名を刻んだお守りを身につけ、戦死した若者は――

 ガルドーはようやく最後のピースがはまったパズルの全体像に、引き絞るような溜息をついた。

 やはりここでもレオナは嘘偽りは口にしていなかった。


 レオナは常に、正体を隠しながら、それでも真実を語り、まっすぐに生きようとしていたのか。


 ガルドーは眉間を押さえ、強く揉んだ。

「ようやく、解ってきました」

 過去の事については。

 だが今問題にすべきは未来のこと。先ほど聞かされた王女の警護計画だ。

 あり得ない。


 レオナが女装して警備に加わるなど。


 正体がバレるなんてものじゃない。

 自ら正体を明かしているようなものだ。

「……陛下はあなたの事を知ってるんですか」

 一応聞いてみると、レオナはあっさりと頷いた。

「陛下には先日話しました。今回の件が済んだら処断が下される事になっています」

 絶望と無力感に目の前が暗くなる。

 自分は何をやっていたんだ。ボルディアーは……長年の親友は、彼女を守れと言い遺したんじゃなかったのか。

 揺れるガルドーを前に、娘と言っていい年のレオナはまったく揺るがない。

 ガルドーはレオナの澄んだ瞳に映る矮小な老兵を見た。

「――レオナ」

 声が擦れた。

「私は、こういう事を言ってはいけない立場だと理解しています。それでも――」

 唾を飲んだ。これを口にすれば引き返せない。


「逃げて、下さい。どこか遠くへ。私達の手が及ばないほど遠くへ」


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