第17話 或る男の思い出
面白いやつがいるんだよ
そう、男は言った。
苦戦を強いられている戦の最中だった。それも奇襲に夜襲と気が休まる間もなく誰もが表情をなくしていた時だ。
この男の愉快そうな声は半月ぶりに聞いた。
「今回の増援の中に――?」
そう問いかけはしたものの、心当たりは無かった。
男は砂漠の乾いた風でひび割れた唇を、端だけ歪めてにやりと笑った。
「見慣れた剣筋の奴がいるんだ」
「はぁ……」
「わかってねえな」
男はまるで悪戯を仕掛けた子供のように愉快そうに笑う。そう、こんな時だから忘れていたが、この男は地位も名誉もたっぷりと与えられている癖に――そして、もう孫が居てもおかしくない年の癖に、いつまでも稚気の抜け切らない男なのだ。
「今回の増援はラディオラから連れて来られた奴らだろ」
私にはさっぱり真意がわからない。
その地名と剣という単語の組み合わせで言えば……
「よく斬れる薄っぺらい剣を使う地方ですよね」
それくらいしか思いつかなかったのに、男は首を振る。
「違う。いや、剣はそれなんだが、ほら」
「――彼の故郷、ですか」
ようやく思い出した。十年以上前に片足を失って軍を去っていった、親友の名を。
「ああ、ほらあいつだ」
水を運ぶ少年兵が向こうから歩いて来る。
まだ成長途中の年頃だが、身長も筋肉の付き方も将来性を感じさせる。その証拠に、重たい水桶を両手に下げているというのに危なげない足取りだ。
男はまたにやりと笑って、少年の行く手を塞ぎ声をかけた。
「おい、そこの――」
「は、はい!」
驚いて顔をあげたのは釣り目だがどこか可愛らしい顔をした少年だった。
「ラディオラから来たんだな。お前さん――師匠の名前は?」
「はい?」
突然の質問に戸惑った顔をする。長めの前髪の翳から茶色の瞳が訝しげにこちらを伺っていた。
やがて口にした名前は、遠い思い出を去来させる。
「……やっぱりそうか。
いや、あいつとは古い付き合いでな。それを置いたらそこの天幕まで来てくれんか。あいつの話が聞きたい」
「まだ任務中ですが……」
「儂の名前を出せば文句は言われんよ。
ボルディアー。ジアード・ボルディアー・ファル・テート将軍だ」
「将軍――!?」
少年は慌てて居住まいを正した。
両手に桶を持っていては敬礼が出来ないと気付き、一度地面に置いてから敬礼する。
こんな初対面の人間の慌てっぷりも、男の側に仕えて三十年近い私には見慣れたものだ。それもこれも、この男がいつまで経っても下っ端の正規兵のような格好を好むせいなのだが。
男は、威厳は要らないという。実力があればどんな格好でも兵は着いて来る。それよりも必要なのは下についた者とのコミュニケーションだ。その為には気安く話しかけられる服装が望ましい――と。
ここだけは私とは意見が異なる。
上に立つものに一番必要なのは兵を纏め上げる力だ。そのために有効なのが威厳だ。兵がついて来るならば畏怖心からでも良い。はったりだって使い方次第だ。これはこの国で一般的な考え方だと思うのだが、男は一笑に伏す。若い頃に東国を歴訪していた影響だ。
この時も、彼は東国スタイルを貫いた。
「ああ、そんなに硬くならんでいい」
「しかし」
「儂が良いっていったら言いんだよ」
「は、はぁ……」
「まあ、まずはその桶を置いて来い」
「はっ!」
失礼いたします、と言って踵を返す少年を男は呼び止めた。
「そういえば、あんたの名前は」
「じ、自分は、第十九連隊第三中隊所属、レオナ――」