第16話 迷宮
崩れ落ちた落石の山をなんとか乗り越えたファズ達の目に飛び込んできたのは、馬車を包囲する盗賊風の男達。「風」とすぐに断定したのは、明らかに人数が多すぎたからだ。
この辺りで盗賊被害の報告は年に数件。こんな大きな規模の盗賊が隠れ住んでいるとは到底思えない。
そうして見るといかにも盗賊のような無鉄砲な動きをする者だけでなく、妙に訓練されている――盾を持っていないというだけで、陣形を組んだような動きをする者もいる。
完全な寄せ集めではなく、どこかの貴族の私兵が集団で混じっている。ファズはそう読んだ。
盗賊たちの狙いは馬車のすぐ脇に蹲る真っ青なドレスを着た金髪の女性。そのすぐ傍には彼女を守るように抱きかかえる侍女が二人。間に立った第二連隊が迫る凶刃を阻んでいるが、劣勢なのは一目でわかる。
ファズは後続が着いて来れているかも確認することなく、一人まっすぐに馬車へ駆け寄った。
ファズとそれに続く騎士達が切り込んだ事で、包囲の一角が崩れるとそこからは数の勝負。
賊はあっという間に制圧された。
「ルティア! 無事ですか!」
ファズの声に、蹲っていたルティアはゆっくりと立ち上がった。スカートの中に隠した剣を片手に。
「ありがとう。おかげで剣を使わずに済んだわ」
余程怖かったのだろう。笑顔を作って見せているが、頬も唇も完全に血の気が引いている。
だが怪我が無いことさえ確認できれば、ファズに幼馴染を構っている余裕など無かった。
「ユリア王女は?」
馬車を覗き込むが人影は無い。ルティアは反対方向を指差した。
「レオナが連れてあっちへ逃げたわ」
ちょうどその方向から、負傷した兵が肩を貸されてこちらに向かって来ていた。
歩いてはいるというより引きずられている状態だ。素人目にも動かさない方が良い事はわかる。だが、その目は強い意志を持ってこちらを睨みつけていた。
それは第二連隊の古株。ファズも何度か酒を酌み交わした事がある男だった。
何か言いたい事があるのだろう。そう思ってその男の元へ駆け寄った。
「ファ、ズ……」
「ペール。ひどい怪我です。とにかく横になって」
「き、聞け」
地面に横たえられてもペールはファズから視線を外さなかった。ペールには伝えなければいけない事があった。
「……レオナは……賊、に…追われ、て坑道ん…中に………入っていった…………バ…バシュタ城、で、待っててくれ…ってな……」
必死に訴えるが、すでに発音もままならず、声は殆ど音になっていなかった。ファズは唇を読んでなんとかそれを理解した。
「レオナが坑道に? そんな無茶な」
ペールは顔をしかめるファズの腕を掴んで、渾身の力で叫んだ。
「あいつ、は……大丈夫、だ、って、言った!」
周囲は気圧され、静まり返った。
誰もがペールの必死の形相を見つめる中、太い声が響いた。
「第二連隊で動けるヤツは何人いる!」
それは副連隊長であるシグマだった。
「レオナを追いかけるぞ!」
「――応!」
躊躇う者はいなかった。
長時間の戦闘で息も絶え絶えだというのに、生き延びた第二連隊の殆どが立ち上がり、その声に従った。
先頭を行くシグマ自身、腕を痛めたらしく盾を下げた左腕をだらりと垂らしたままであったし、中には血塗れの布で顔を抑え、槍を杖のようにしてなんとか立っているという者もあるのに、本当に動けない者以外全員が坑道へと歩を進めた。
鬼気迫るその様に、ファズも騎士達も――誰一人止める事ができなかった。
ファズは周囲を見回した。
呆気に取られたままの騎士団長と目があった。
「負傷者の介護と拘束した者の護送をお願いします。それから、伝令を出してこの件を早急に陛下と近くに駐留する連隊へ。
それ以外の者は付近の捜索を――必ず、ユリア王女を無事に見つけ出して下さい」
ようやく動き出した騎士達を見送り、ファズはルティアに手を差し伸べた。
「僕の馬を貸します。あなたたちは先にバシュタ城へ向かって下さい」
ルティアは首を横に振った。
「私は残る。一緒にレオナを探すわ」
「僕はあなたを無事にお父上の元へ送り届けないといけません」
「ほんの少しの間よ。
だって、レオナはバシュタ城で待っていろと言ったのでしょう? 探してすぐに見つからなければとっくにバシュタに向かって出発したという事。この辺りを探したって無駄だわ」
「そんな事わかりません」
その言葉はルティアの怒りを買うのに十分だった。
「レオナを信じられないの?」
ルティアは敵意を籠めて幼馴染を睨んだ。
「私は、あの日……物見塔の上で貴方が話していた事を一言一句を覚えているわ。ここで言って差し上げましょうか」
「やめて下さい」
「王女様は無事よ。レオナが一緒だもの」
* * *
「寒くは無いですか?」
レオナの問いにユリア王女が首を振る気配がした。真っ暗な坑道では表情まで窺う事は出来ないが、こんな状況で怖くないわけは無いだろう。
「坑道の中は気温が一定なんです。だから夏には昼食を届けるついでに坑道の中で涼んでいて、よく父に叱られました。でも近所の――」
レオナは王女の不安を和らげるため、ひたすら話を続けながら奥へ奥へと進んだ。
メインの横穴は手押し車やトロッコを通すために横に並んで歩けるほどの幅と高さがあるが、その横穴と横穴を繋ぐ通路は体を屈めないと通れない。その上かなりのアップダウンがある。
暗闇の中、追っ手に怯えた極度の緊張状態。か弱い二人が力尽きるのも遠くないかもしれない。
そう判断したレオナは、次に広い横穴に出るとすぐにランタンを翳して左右を確認した。
「あった」
横穴から伸びる細い通路には所々立ち入り禁止の板が打ち付けられているが、それとはまた違う木の扉が作られている場所がある。レオナはそこには鍵がかかっていない事を知っていた。
重い扉を、全体重をかけて押し開いた。
「ここは――」
周囲を見回していた侍女が、馬車を降りてから始めて口を利いた。
ランタンの明かりに照らし出されたのは、坑道と比べてかなり広い空間と真っ黒に汚れたたくさんの木箱。
「倉庫です。ああ。その木箱は鉱石運搬用なので触ると汚れてしまいます。こっちの椅子に腰掛けて」
椅子、と言ってレオナが指差したのは汚れ具合がマシな木箱。
その前にはいくつかの木箱を組み合わせて作られたテーブルらしきものもある。
「落盤事故や道に迷った時に備えて、各倉庫には非常食やランタンのオイルが置いてあるんです。
お腹は……空いてないですよね。でも砂糖くらい舐めてください。疲れが和らぎます。飲み物は酒しかないんだけど飲みますか?」
明るい声で話しながらレオナは氷砂糖を一片口に放り込んだ。それを見て王女がおずおずと手を伸ばす。
「子供の頃に、お茶に入れる角砂糖を舐めてはお父様に叱られました」
異国人に囲まれても、凶刃に襲われても、ずっと気丈に振舞っていた王女の眼に、涙が滲む。
「……甘い……」
震える肩を、侍女が抱いた。
レオナは二人の前に跪いた。
「申し訳ありません……オレ達の警護が甘かったばかりに、ユリア殿下とカーネリアさんを危険な目に……」
王女がはっと顔を上げ、レオナを見た。薄汚れていても、やつれても、意志の篭められた瞳は美しかった。実は見た目よりずっと強い女性なのかもいれない。王女は侍女の腰に手を回し、安心させるように優しく抱き寄せた。
「レオナ様は軍内部に寝返ったものがあったとおっしゃっていたでしょう。ですから貴女の責任ではありません」
「裏切り者を出した事こそが我々の最大の失態です」
抱き合う二人の女性に、レオナは深く頭を下げた。
「誰が敵で誰が味方か、判断する術がありません。もはや王に忠義を誓った騎士であっても信用できません」
「……レオナ様」
鈴を転がすような声で名前を呼ばれ、思わず顔を上げると、ユリアは嫣然と微笑んで見せた。
「安全な場所まで、どうかよろしくお願いします」
「――王の御為に」
レオナは再び頭を垂れた。