第13話 包囲
女達は全員でひとつの馬車に乗っていた。
いくら大型の馬車を用意したとは言え、六人で長時間乗るのには少々狭い。周囲から男性扱いをされているレオナだけは御者台へ移動して外の空気を吸ったりもできるが、必ずその後でシアに不満をぶつけられる事になる。残りの四人も口に出さないだけでストレスは溜まっているだろう。
それでも王女が明るく振舞ってくれている事は救いだった。
これも一重に話し上手なルティアのお陰だ。
イーカルの名所、特産の染物とそれを使ったドレス、王都で流行している焼き菓子……彼女は王女の好みそうな話題で巧みにイーカル王国への興味を煽っていった。
そのおかげか、最初は強張っていた王女の表情も次第に穏やかなものになってきた。
逆に、ヨシュアから王女に付いてやって来た侍女は、王女が緊張していた最初のうちこそシアとエマに風習の違いなどを質問をしていたようだが、王女がこの場に慣れてくるとすっかり空気のように静かに控えるようになった。
――できた侍女だな。
レオナが家から連れてきた二人のメイドは、平民出身だと聞いているが、先代の主がざっくばらんな性格だった為か貴族相手でも物怖じしない。今だって遠慮なく王女殿下に直接話しかけて肌の手入れ法を聞き出そうとしているくらいだ。
王女はそれがイーカルの習慣だと勘違いしているのか、それとも元々あまり気にしないたちなのか、メイド達の非礼を咎める事無く受け入れてくれている。
和やかな女性陣の歓談を眺めていると不意に窓が叩かれた。
レオナは中腰になって窓を開ける。
「ティト? 何かあったのか」
自然と車内の視線が馬で並走する少年に集まった。
まだまだ純情な十六歳の新入りは、麗しい王女の姿を捉えた途端に頬を赤く染めた。
「シグ――ふ、副連隊長から連隊長へ伝達であります!」
声が上ずっている。
次の宿泊先に着いたらからかってやろうとレオナはほくそ笑んだ。
それが伝わったのか、ティトは憮然とした顔をして短い伝言を告げる。
「先頭が鉄の谷に入るから気をつけろ、と」
「わかった」
レオナは窓を閉め、膝の上に乗せた短刀に手を添えた。
不安げに見つめる女性陣の目に答えるように、口を開いた。
「ここより先は『鉄の谷』と呼ばれる鉱山の道です」
「昨晩おっしゃっていた『危険な所』ですね」
王女が車窓に目をやった。その時はまだ背の低い木と荒地の花しか見えなかったが、流れる景色はすぐ劇的に変化した。
馬車を挟み込むように押し迫る赤い壁。数百……いや千に及ぶほどの、先の見えない暗い穴……
行きにもここを通っているルティアたちですら不安げに周囲を見回していた。
王女は顔に出さないようにしているようだが、膝の上で握られた小さな拳を見ればどれほど怖がっているのか一目でわかる。
「殿下」
レオナの声に王女ははっとして真っ白な顔をあげた。
「ここは、岩肌が鉄で染まっていますよね。だから夕陽を受けると谷全体が赤く染まるんです。それはこの世の物とは思えないほどの美しさです」
そう言うと、弱弱しいながら笑顔が見えた。
「……今日はまだ午前中だから見られませんわね。いつか見てみたいものですわ」
「今回の事が落ち着きましたら、是非陛下といらして下さい」
「ええ」
そろそろ、あの『No.194』坑道が見えてくる頃か。その先にはレオナの思う一番危険な箇所――奇襲を専門とする第四中隊長も「狙うならあそこだ」と断言したカーブがある。
その上、レオナには気がかりな事がひとつあった。
窓を開けて外の様子を窺う。
それに気がついた軍馬が一騎、速度を落として近づいてきた。
「レオナ。どうした」
短く問う低い声。何かあったのかと鋭い眼光が車内に向けられる。
「いや、こっちは問題ない。――シグマの顔を見るのも久しぶりな気がするな」
「お前の代わりに連隊を仕切ってるからな。雑用ばかりとは言え忙しい」
「面倒掛けて悪いと思ってる。それに――王都に戻ってからの事も」
「気にするな」
そんな会話をしながらシグマはレオナの姿を観察していた。
その視線にレオナは片眉を上げる。この格好をするようになってから、「女みたいな顔と言われるだけで不機嫌になるレオナが女装してる」「とうとう開き直ったのか」などと同じ連隊の奴らにはからかわれてばかりなのだ。そして表に出れば他の文官や騎士たちからも必ず無遠慮にじろじろ見られる。
自分以外の誰か――たとえばシグマやティトが女装をしていたとすれば自分も見てしまうだろうから仕方ないとはおもう。だが、だからと言ってそんな視線になれる事なんてできるわけが無い。
「なんだよ」
つい不機嫌になって口を尖らせた。
「女装も似合うじゃねえかと思っただけだ」
「どうせお前も『胸に布でも詰めとけ』とか言うんだろ」
「そこまで無神経じゃねえ」
レオナの正体を知っているシグマは顔を顰めた。
「ペールには言われたんだよ」
彼はレオナがただ警備の為に女装しているだけだと思っている一人だけれど。
思わず出た名前で、真顔に戻ったシグマが尋ねる。
「そのペールはどうした」
坑道の安全確認に行った事は、王女に掛かりきりなレオナの代わりに連隊を纏めるシグマも把握している。だが――
「戻ってこないね」
レオナもそれが不安で外を見ていたのだ。
ピーッ! ピピーーッ! ピーッ!
突然、笛の音が鳴り響いた。
――ペールか!?
レオナが身を乗り出すのと、シグマの号令が響くのが同時だった。
「止まれ!!」
馬の嘶きと乱れた足音が赤茶けた砂埃と共に周囲の空気をかき乱す。
あの笛の鳴り方は緊急事態を報せるもの。
レオナは王女たちの無事を確認し、部下に様子を確認させると告げた。
直後に、地響きが襲い掛かってきた。
レオナが扉を開いて半身を乗り出す。
「崖崩れ!?」
人の背よりも大きい岩がいくつも降ってくる。
馬車のすぐ前を大岩がいくつも転がっていった。
――あの笛の音で立ち止まらなければ馬車ごと潰されていたかもしれない。
もうもうと立ち込める砂煙が視界を塞ぐ。
岩と岩とがぶつかる轟音の中、興奮する馬を鎮める声があちこちで聞こえる。
転がり落ち積み重なった岩はすでに道を塞いで山を作っていた。
「シグマ!」
レオナの声に応じて副連隊長であるシグマが号令をかける。
周囲に居た軍人達が馬車を取り囲むように集まって来た。
ざっと確認した所、第二連隊の被害は少なそうだ。
――ゼロ、ではないが。
レオナは唇を噛んで道の先を睨んだ。
――ファズは!?
レオナ達の乗る馬車より前は膨大な量の岩の下敷きだ。
おそらくすぐ前に居た文官たちの命はもう無い。その更に前を進んでいたファズは無事だろうか。
下敷きになった仲間の為にもすぐに救助に向かいたいが……この崖崩れは不審すぎる。
下手に王女の守りを薄くすべきではない。
とにかく状況を把握するために馬車を降りようとしたその時、眼の端で明らかに軍人でない男の姿を捉えた。
――賊!?
一人二人ではない。
坑道にでも潜んでいたのだろう。
あっという間に、相当な数の山賊風の男達に取り囲まれた。