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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
花嫁の騎士
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第12話 王女

 イーカル王家には長らく姫君が居なかった。

 ファズの記憶にある王家の女性はただ一人。何年も前に亡くなった前王の后だ。

 大変美しくたおやかな方ではあったが、彼女はファズよりも十は年上の王子を持つ「母」であり「姫」ではなかった。

 

 だからこそ物語の「お姫様」は好き勝手に想像する事ができた。

 例えば、金色の巻き毛に蒼い瞳。真っ白な肌で薔薇色の頬と唇。物静かでしかし機知に富んでいて、花のように笑う。

 おそらくは子供の頃に聞かされた東方の御伽噺の影響だろう。ファズの思う「お姫様」は凡そそんなイメージだった。


 想像の産物だ。

 実際にそんな人間が存在するわけは無い。


 ずっとそう思っていた。

 

 その人は淡い金色の髪を結い上げ、そこに小さな白い宝石を散りばめていた。しかし宝石よりも艶やかに輝くのは絹糸のようなその髪。

 眼を引くのは髪だけではない。小ぶりだが柔らかそうな唇は緊張のためかきゅっと閉じられている。それでも笑顔を作って見せる時にはふわりとほどけ、内側に隠した小さな真珠のような歯が僅かに覗いた。

 頬は唇と同じ朝焼けに染まる砂漠の色。肌は磨きぬいた石英の色。

 何より印象が強いのは、その瞳。長い睫に覆われてなお煌く、空の色を映したオアシスのような青い瞳。


 ――「お姫様」がそこに居た。


 高貴な方を直視する事はできないという風を装いながらファズは視線を逸らした。

 万一視線があえば絡めとられてしまいそうだったからだ。

 高鳴る鼓動を抑えつつヨシュア王国のからの使者と書類を取り交わし、最後に一礼して、ファズは「お姫様」の手を取った。


 きちんと揃えられた指先が僅かに震えている。


 「お姫様」は全ての儀式を終え、この部屋の扉を開けたその瞬間からイーカル国民となる。

 供をするヨシュア人は侍女がたった一人だけ。

 さすがに心細いのだろう。

 国交が絶えて久しい――それも、他国からは暴力的で欲望に忠実な魔神の手先のように言われている異国の王へ嫁ぐのだ。気丈に振舞っている方だろう。

 最後に一瞬、縋るような眼で背後を振り返った姿が胸に焼きついた。


 ――ダールなんかにはもったいない。


 心からそう思った。



 * * *



 国境から一番近い城砦の一室で、レオナはヨシュア王女の為に用意した物を再度確認していった。

 姿見に手鏡。髪を梳かすためのブラシ。髪留めに化粧品、替えの服、それからヨシュアから連れてくる侍女の分の制服や靴……最後にモブキャップ。

 幾度も確認しているのだから足りないものなどあるわけは無い。

 ただじっとしていられなかっただけだ。

 掌に滲んだ汗を服の裾で拭く。何年かぶりに穿いたスカートの裾で。


 今まさに行われている引渡しの儀式。それを終え、もうすぐここに現れるであろう王女のために、レオナは柄にもなく緊張していた。

 けれど――

「レオナ様、見てください!」

 シアとエマ。テート家から連れてきた侍女二人はまったく緊張などしないたちらしい。

 暇を持て余してルティアで遊んでいた。

 先程までは編みこんだ髪を後頭部でゆるくまとめた髪型をしていたのに、今はどこをどう作ったのか薔薇の花のような複雑な纏め髪をして耳元にクレマチスの花を飾っていた。

「どう?」

 ルティアは手鏡を手に軽くポーズを取って見せた。

「これまたすごいね……」

 レオナにはそれ以上のコメントはできなかったが、シアとエマは満面の笑みで口々に褒め称える。 

「お似合いですわ! ルティア様はお耳の形が綺麗だから耳元に目がいく髪型が良いと思うのです! これはルティア様のお耳のサイドからほっそりとした首に繋がるこのラインがあればこそです!」

「清楚でありながら艶やかさも兼ね備えたクレマチスというのが、まさにルティア様のイメージよね」

 二人の言葉はお世辞ではなく事実だと思うのだけれど、レオナにはそんな褒め言葉はぽんぽんと出てこない。

 それに二人のこんな姿を見ていて思うのは――

「ずっと髪の毛いじってて飽きない?」

「いいえまさか!」

 鼻息荒く即座に否定したのは、お洒落が大好きなエマの方だった。

「ルティア様ってば本当に綺麗な髪をなさっているんですもの!」

「そういえば、ユリア王女はブロンドなのですよね」

「やっぱりルティア様のような髪なのかしら」

 ルティアの髪はごく淡い茶色だったが、同じ茶色と言ってもレオナのそれより数段明るく、ざっくりわければ確かにブロンドのくくりに入らないこともない色かもしれない。

「王女様の髪を結い上げるのも楽しみだわ~っ」

 エマがブラシを握り締めてうっとりと呟いた。

 

 レオナは苦笑する。

 自身が女であると告白した事で、ファズやダールとの間には隔たりができてしまった。しかし、この三人とは明け透けな会話が出来るようになった分、以前よりも親しくなる事ができたと感じている。

 特にこの旅の間は毎晩寝る前にあれこれ語らい、それぞれの意外な一面を知る事ができた。

 それには、メイド達とルティアが初対面で無かったという事も大きい。レオナは知らなかったのだが、この三人はメイド達の以前の主人――レオナの「戸籍上の姉」を介して、「姉」が生きていた頃に何度も顔を合わせていたのだそうだ。

 だから、これまでは名前しか知らなかった「姉」の話も随分と聞いた。女同士でしか語れないような彼女の恋の話など、相手がレオナも良く知るファズであるだけに実に面白かった。

 そして「こういうのを『ガールズトーク』っていうんですよ」とエマに教えてもらった。


 ……その輪の中に自分がいる事が、レオナはどこかくすぐったかった。


 不意に、扉の外からノックの音が響いた。

 メイドたちはおしゃべりを止め、ささっと壁際に並んだ。

 ルティアがその場に立ち上がったのを確認してから、レオナは扉を開けた。


 ファズが立っていた。


 今日は得意の作り笑いを顔に貼り付けていない。あの日からレオナの視界に入る時はいつもそうだ。

 そして相変わらずレオナを直視することなく部屋を見回し、レオナとは反対側の扉の脇に控えた。


 ファズの後から、可憐な少女が入って来る。


 ルティアを乱れ咲く大輪のクレマチスとするなら、水面からすっと立ち上がって咲く睡蓮のような――決して派手ではないのに、はっと眼を引く高貴な美しさをもった少女だった。


 一目でこの人が王女だと分った。

 レオナは騎士の所作に則ってその場で跪いた。

 王女がレオナの前で足を止めた。

「ユリア殿下」 

 ファズの淡々とした声が聞こえる。

「ここから先は、そのレオナがご案内致します。

 私は出立の準備に参りますのでこちらで失礼致します」

「分りました」

 グラスベルのような少し高い澄んだ声が応じた。

 ファズの出ていく気配と扉を閉める音。その間ずっと頭を下げた姿勢のまま控えていた。


「レオナさんとおっしゃるの?」

 先程と同じ綺麗な声がレオナの名を呼んだ。

「イーカル国軍第二連隊連隊長レオナ・ファル・テートと申します」

「貴女が……?

 いえ、レオナ・ファル・テート様のご評判はかねがね耳にしておりました。イーカル王国でも指折りの勇士でいらっしゃると……

 どうか立ち上がってお顔を見せていただけませんか」

 言われるままにその場に立つと、矢車菊よりも青い美しい瞳がレオナを見上げていた。

「女性だったのですね。男性のように膝を付いていらっしゃるからてっきり」

「あ……し、失礼致しました!」

 慌てて両手を前に揃えて頭を下げる。


 だから王女はレオナを見て立ち止まったのか。 


 すっかり体に染み付いていたから気がつかなかったのだ。

 女性の服を着て跪くのはおかしい事に。

 その上、羞恥のあまりレオナは気がついていなかったが、実は今のレオナの頭の下げ方は侍女や平民のやり方であった。貴族の女性であれば手の位置が違う。

 頭を下げながらちらりと見るとルティアが笑いを堪えていた。背後に居て見えないが、きっとメイドたちも同じ顔をしているのだろう。

 レオナは王女に気付かれないようにルティアを軽く睨んだ。


「ところでレオナ様。ファズ・ファル・クレーブナー様はこちらでイーカル風の衣装に着替えるようにとおっしゃっていたのですが……」

 王女が水を向けてくれたので、レオナはようやく動き出す事ができた。

「は、はい。ええと……着替えはこちらのシアとエマがお手伝いさせていただきます。

 それでその、申し上げにくいのですが……」

 レオナの視線を受けて、シアが奥に吊るされていた服を手に戻ってきた。

「殿下には、こちらの服に着替えていただきたいと存じます」

「まあ」

 王女は目を丸くして服とレオナを交互に見た。

 あらかじめ用意しておいた弁明の言葉を口にするより先に、王女の口元が綻ぶ。

「レオナ様とお揃いですのね!」

 聡い王女はレオナの不安を他所に、むしろ嬉々としてレオナの用意した服に着替え始めた。



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