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荒地に咲いた一輪の  作者: 井波
花嫁の騎士
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第11話 虜囚

その頃のアレフ

「出せよ、コラ!」


 足で鉄格子を蹴り飛ばした。

 これで何度目だったか。

 一昨日辺りまでは見張りの野郎が「五月蝿え!」と怒鳴りに来たが、もう完全に無視する腹らしい。


 ああ。それとも人手不足だからか。

 もうファズが出立する刻限だ。その穴埋めにはおろらく一族郎党駆り出される。

 見張りしか出来ないようなあんな下っ端でも、何かしら普段と違う事を言いつけられているのかもしれない。


 アレフは誰も来ない事を確認すると、手首のロープを椅子の角に擦りつける作業に戻った。

 これも昨日からやっているが一向に効果が見られない。


 ――クソッ!


 たかがロープだと思ったら、耐刃繊維使ってやがるんだ。そりゃそうだよな。腹の中真っ黒なあいつがそんなお優しい訳ないよな。


 あー……マジでヤバイ。


 ここにいても命にまでは危険は及ばないとわかっちゃいるが、逃げ出す努力くらいしておかなければ別の方面で命が危ない。

 結果も大切だが、努力しましたって姿勢も大切だ。気が向けば言い訳くらいは聞く奴だから。


 ……気が向かなきゃ問答無用なんだけどな。


 アレフは何年も前に味わった恐怖を思い出し、手を動かす速度を早めた。

 救いの手はすぐにやってきた。あの日の恐怖を喚起させる声と共に。 


「情けないなあ」


 機密性の高い地下牢でその声は残響を伴い、その存在を主張する。

 先程まで誰も居なかった通路に、足音はおろか扉の開閉音さえさせずにそいつは現れた。


「勝手に捕まっちゃ駄目でしょ。――お前は俺の犬なんだから」


 通路の奥に一本だけ灯された蝋燭はこの場所までは殆ど届かない。

 暗がりにすっかり慣れたはずのアレフの眼にもその表情までは窺えなかった。

 それでも一つわかるのは、今回は言い訳くらいさせてもらえそうだと言う事だ。


「ねえ、アレフ。ファズもレオナもさっき旅立って行ったよ」


 そうだろうな。そのせいで昨日から頑丈なロープに変えられたんだ。まだ切れやしねえ。

 そんな事を心の中で呟き、こんなロープを選らんだ奴を呪いながら椅子の角に擦り付ける作業を続けた。


「取り合えず着替えと傷薬を持ってきたけど、出たい?」

「当然だろ。だから必死にこのロープ切ろうとしてるんだ」

 ここのアピールは大切だ。

 俺はちゃんと脱出すべく動いていたと主張する。

 なのに、男は呆れたように言った。

「そんな細いのも切れないの?」

「普通の人間は耐刃ロープなんてそうそう切れねえの!」

 アレフが訴えても納得したようには見えなかった。

 ただ「ふうん」と言って小首を傾げる。

 そして鉄格子の隅の扉に手を伸ばした。当然だが、鍵が掛かっている。


 ――ガシャン!


 まあ片手で引いたくらいで開くなら、アレフだって体当たりか何かでどうにかする。

 男は小さく息を吐くと、扉に両手をかけた。


 ――ガギン!! ベキッ!


 ――グワングワングワン……


 先程とは明らかに違う音がした。

 目の前で、投げ捨てられた「扉だったもの」が地面を踊る。


 蝶番が腐っていたんだ。きっとそうだ。そうに違いない。


 男の規格外の身体能力を知っていても、アレフは自分にそう言い聞かせた。

 扉の無くなった穴を通って男は地下牢へ足を踏み入れる。近くへ来たお陰でようやく表情が見えた。

 その顔はアレフの想像と少し違った。

 

 ……面白がってる?


 顔は笑っていないけれど、眼が笑っている。

 そんなアレフの探るような眼すら、男には愉快なものであるらしい。

「心配しなくてもすぐに開放してあげるよ。まだやりたい事があるんだろ」

 男はポケットから折りたたみナイフを取り出すと、アレフの腕を拘束するロープにあてた。


 ――ブチッ! ブチッ! ブチッ!


 掌に収まるような小さなナイフで耐刃ロープを切る事だって、今更驚く事じゃない。ないはずだ。


 アレフはとりあえず礼を言って久しぶりに解放された手首と両肩を回した。筋肉の強張りをほぐすつもりのストレッチだったが、それによって引っ張られた背中の皮膚が引き攣れて鋭い痛みを発する。数日前、捕らえられた直後につけられた傷だ。傷自体の痛みは時間と共に麻痺していって、今は傷口が開かないように気をつけてさえいれば耐えられないほどではない。

 体中の痣や裂傷を数えていると目の前に薬と着替えが差し出された。


 確かにこんな格好じゃ外を歩けないよな。


 改めて見ると浮浪者だってもっとマシだろうという格好だった。アレフは手早く――しかし、皮膚に張り付いた布地だけはそっと剥がすようにしてそれを脱ぎ捨てた。


 このシャツ、気に入ってたのに……完全に襤褸切れじゃねえか。


 背中の部分がほぼ真っ二つに裂けていた。辺りが暗い上に黒い服だから分りづらいが、だいぶ血も吸ってるんだろう。

 溜息をつきながら男に渡された軟膏の容器を開けた。嗅ぎなれた匂いだ。傷薬としての効果はやや薄いが痛み止めとしては最高の薬。とりあえずここを脱出する為には痛みを誤魔化すのが先決という意味だろう。傷を治す為の薬は後で自力で手に入れるとしよう。

 とろりと垂れるほどゆるいその薬を指で多めに掬い取り、掌に伸ばしてから適当に塗りつけた。染みる薬ではないが、傷口に手が触れるとさすがに痛む。そこからは少しだけ丁寧に薬を塗り広げ、着替えに袖を通した。

 これで嫌がらせに白い服でも持ってきた日には裸で表を歩いてやろうか位は考えていたのだが、どうやらアレフが普段選ぶような黒いシャツのようだ。

 洋服を変え、髪の毛をざっと整える。無精髭はしょうがないにしてもこれで見られるようにはなったか。

 一応男に確認すると、首を横に振って手を伸ばしてきた。

 長い指が頬に触れる。

「あーあ。痛々しい」

 野郎に触られても嬉しくない……とは言えなかった。

 代わりに、

「そういえば口の端が切れたんだったな」

 と呟いた。

 二日も前の事だったから、すっかり忘れていたのは本当だった。

 男の手が触れた辺りがじんわりと熱を持つ。

 それは血流が良くなった証拠だと以前聞いた事がある。

「サービス終了」

 指先が離れた時には、僅かにあった違和感も消えていった。

 経験に基づく予想としては殴られた跡など跡形も無く消えているはずだ。

「悪いな」

「顔の怪我は人目を引くからね」


「それで、アレフはこれからどうするの?」


 ――挑むような試すような金色の眼が俺を映した。


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